第46話 縁側の来訪者
「じゃ、また現場で!」
軽トラのエンジン音が遠ざかり、多田さんを見送った玄関先に、ふっと静けさが戻る。
あの人、最後まで「売れるだろうな〜」を何度も繰り返してたな……。
いや、売れるかどうかは、俺の仕上げ次第だ。
敷地全体に結界と隠蔽を張ってから、靴を脱いで室内に戻る。
ポケットのスマホを手に取ると、通知アイコンが妙に賑やかだ。
『ネットオークションで全商品が落札されました』
続いて、さらに通知が重なる。
『最終落札合計額は——358,000円です』
「……結構いったな!」
思わず声が漏れた。
残っていた最後の二品も売れたらしい。
これで今回の修理費用の、かなりの部分をカバーできる。
「リク、これ、俺的には上出来だよな?」
『利益率だけ見れば健闘と言えるでしょう。では最後の2個を梱包し、配送手続きを』
「はいはい……」
段ボールとガムテープを引っ張り出し、机の上でちゃちゃっと梱包。
ガムテープを切る音が、やけに部屋に響く。
宅配便の伝票を書き、コンビニ集荷をアプリで予約する。
これで今日の出品分はすべて片付いた。
ふと視線を横に向けた瞬間、呼吸が止まった。
縁側の向こう、闇と光の境目に——一匹の猫が座っていた。
庭の植木の隙間から月明かりが差し込み、その輪郭だけが淡く浮かび上がっている。
体を少し丸め、尻尾を前足に巻き付け、微動だにしない。
琥珀色の瞳が、まるでこちらの奥底を覗き込むようにじっと光っている。
「……お前、いつからそこに」
返事はない。
ただ瞬きすらせず、俺を射抜くように見つめ続けている。
妙に胸がざわつき、無意識のうちに窓へ手をかけていた。
窓を開けると、夜の空気がひやりと肌を撫でた。
寝袋の横に置きっぱなしだった買い物袋に目をやると、コンビニで買ったまま忘れていたツナ缶があった。
プルタブを引くと、油と魚の匂いがふわりと広がる。
「食うか?」
その瞬間、猫が動いた。
足音は一切ない。畳を踏んでも、板の間を渡っても、まるで影が滑るように静かだ。
距離を詰め、俺の差し出した缶の縁に鼻先を寄せる。
小さく「ふん」と鼻を鳴らし、ゆっくりと舌を伸ばした。
やけに毛並みが滑らかで、一本一本が細い光を宿しているように見える。
月の光を受け、首筋から背にかけて淡い輝きが揺れるたび、見入ってしまう。
耳は時折ぴくりと動き、尻尾はゆったりと左右に揺れている。
一定のリズムで咀嚼を続け、やがて食べ終えると、舌を一度だけぺろりと動かす。
短く「にゃー」と鳴き、ゆっくりと身を翻した。
縁側から庭へ降りる動作は、まるで風が抜けるように滑らかだった。
闇の中へ溶けていく後ろ姿を追うと、最後にふいと振り返った。
その瞬間——目の色が、さっきとは違って見えた。
琥珀色だったはずの瞳が、一瞬だけ深い蒼に変わったような気がする。
『……太郎さん。アレは、地球でいうところの神や精霊といった上位存在だと思われます』
耳の奥でリクの声が低く響く。
「……は?」
『結界内に入ったのに、感知できませんでしたね。敵意は無いようでしたので触れませんでしたが』
「……普通に猫だったけどな」
『“普通”の猫であれば、あの毛並みと存在感は説明できません。まだまだ魔法の精度が足りていませんね』
胸の奥に、説明のつかない感覚が残る。
恐怖ではない。
ただ、どこかで「見られていた」という確信がある。
その視線は敵意ではなく、むしろ評価されているような、不思議な温もりを含んでいた。
「……もっと頑張らないとな」
『社畜マスターがレベルアップしますよ?』
「誰が社畜マスターだ」
呆れ混じりの苦笑が漏れた。
それでも、胸の奥に残るあの蒼い瞳の残像は、しばらく消えそうになかった。
——気を取り直して、天井のリペアに取りかかる。
脚立を出すとき、物置の中からかすかな埃の匂いが立ち上る。
古い道具箱の金属音が、夜の静けさに小さく響く。
結界と隠蔽を張り直し、クロスを剥がすと、細かい粉がふわりと落ちてきた。
ローラーを転がすたび、糊の匂いがじわじわと広がる。
白いクロスが一面を覆い、継ぎ目を魔力で滑らかに馴染ませると、光を受けて微かに艶が出る。
途中で一息つき、外の夜気を吸い込むと、さっきの猫の残り香がまだわずかに漂っている気がした。
「……これで水回りとキッチンを入れ替えたら完成だな」
『現在の完成率は80%。庭は草抜きしかしていません』
「あっ……また財布が……」
財布の中身を想像して、思わず顔をしかめる。
修理の道は、まだまだ長そうだ。




