第40話 資材調達と役割分担(そして覚悟)
久しぶりに、自宅の玄関ドアの前に立った。
売家に泊まり込んでから、もう何日も経っている。鍵を差し込んで回すと、静かな部屋の空気がふわりと流れ出てきた。
「……ああ、やっぱ帰ってきたって感じだ」
ワンルームの狭い空間でも、見慣れた家具と、自分の匂いのする布団。ここが俺の生活の拠点だ。テーブルの上には家を出る前のマグカップがそのまま。中は空っぽ。洗い忘れたのだと苦笑する。
『留守中、異常はありませんでした。侵入者ゼロ、室内温度変動は通常範囲内です』
部屋の片隅に設置した小型カメラとマイクから、リクの報告。設置したときは「防犯のため」だったが、こうやって留守中の状況を逐一教えてくれるのは地味にありがたい。
「不審者ゼロはいいけど、冷蔵庫は完全に空だろうな……」
冷蔵庫を開ける。予想通り、見事なまでの真っ白。コンビニ生活が続いていたら、こうもなる。
ひとまず荷物を置き、売家から持ち帰ったメモや写真をテーブルに広げる。今日はここで、改修工事の資材調達計画と役割分担を決める。
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「まずは現状整理」
スマホのアルバムを開く。玄関、廊下、リビング、和室、キッチン、浴室、屋根裏、庭……必要な改修箇所に赤いマーカー。自分で見ても、なかなかのスケールだ。
「俺がやるのは、床・壁・屋根の補修。簡単な内装交換も。水回りと電気工事は業者に任せる」
『妥当な線です。漏水・漏電リスクと法規の観点からも最適です』
スマホに保存していた相場メモを表示する。画面に冷静な数字が並ぶ。
•キッチン交換:90〜150万円
•浴室リフォーム:100〜150万円
•トイレ交換:15〜40万円
•洗面化粧台:10〜40万円
「うん、高い。けど、ここはケチって事故ると取り返しがつかん」
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次は資材の洗い出し。
床は全面張り替え。コンパネ+フローリング材は必須。相場感でいくと、33㎡でフローリング材が20〜50万円。コンパネや接着材、見切りまで含めて、床だけでざっくり50万円は見る。
壁は防水シート/石膏ボード/断熱材/クロス。クロスは1㎡あたり約1,000円と仮置き。
屋根は塗装補修で2,200〜4,600円/㎡。面積次第だが材料費は20万円程度で収まるはず。
「で、細かいのは……下地パテ、ビス、防カビ塗料、巾木、見切り材、ドアノブ、コーキング、網戸貼り替え……」
スマホのメモに追記しながら、口に出して確認する。
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『魔法と工具の役割分担、整理しておきます』
リクがスマホに箇条書きを出す。
•魔法で対応
・念動力:重い資材の運搬/位置合わせ/施工時の押さえ
・リペア:木部・金属・ガラスの欠けや割れ補修(下地調整の短縮)
・クリーン:脱脂・研磨代替・クロス下地の微調整
•工具が必要
・丸ノコ/ジグソー:均一な直線・角度切り
・タッカー:石膏ボードや下貼りの固定
・スプレーガン/ローラー:塗装・防カビの均一仕上げ
・インパクト/ドリル:ビス打ち・下穴・座掘り
でもインパクトは自前のを持ってる。
『ハイブリッド運用で、作業時間は従来の半分以下に短縮可能』
「現場監督+魔法の二刀流か。聞くだけで勝った気がしてくる」
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調達ルートも決める。
大物建材は、仕事で付き合いのある材料屋から卸価格で仕入れる。金物や消耗品はホームセンターの特売を狙う。特殊部材やデザイン性の高い小物はネット。
予備費は**+10%**をルール化。
「DIY側の材料と工具で……概算80万。で、業者側が約300万見込み。合計380万か」
スマホの画面に並んだ数字を、しばらく黙って見つめた。
「……いや、冷静に考えたら、めっちゃ高くなるなこれ」
胸の奥が、きゅっと鳴った。
試しに所持金を頭の中で叩く。
金を売った残り――100万。
残置物の売上――ざっと30万。
合計――130万。
必要額380万まで、あと250万足りない。
「足りなすぎだろ……」
選択肢は、二つ。
① もう少し金を売る。
② “いつか結婚したら”のために積み立ててきた貯金を崩す。
後者は、俺の中でずっと封印していた箱だ。
触ったら、何かが止まらなくなる気がして、見ないふりをしてきた。
――でも、現実問題として、結婚の“け”の字も見えないのが、今の俺だ。
「ここで使うしかないか……」
声に出した瞬間、腹の底で何かがコトリと定位置に収まった。
眠らせておくくらいなら、この廃墟を生き返らせる燃料に変える。
未来の俺が振り返って笑えるように。
そのための投資として、ここで踏み込む。
『決断、記録しました。資金計画、更新しますか?』
「頼む。“貯金から250万まで使用可”で。残りは工事が進むたびに再評価」
『反映。キャッシュフローに余裕を持たせるため、工程順の最適化も提案します』
「やろう。資材なしでできるリペア→床→壁→屋根→内装の順で、並行できるところは並行。水回り・電気は発注時期をズラして、工期重なりのデッドタイムを減らす」
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ひと通りの計画がまとまったところで、ようやく風呂場へ。
自宅の浴槽にお湯を張り、湯気が立ち上るのをぼんやり眺める。
「魔法なしで湯に浸かるって、何日ぶりだ」
肩まで沈めると、背中の強張りがほどけていく。
売家ではクリーンで擬似シャワー代わりにしていたが、湯の重みは別物だ。
身体の“重さ”が、ちゃんと心まで温めてくれる。
上がって麦茶を飲み、スマホのメモに抜け漏れがないか目で追う。
床:コンパネ、フローリング材、見切り材、巾木、接着剤。
壁:防水シート、石膏ボード、断熱材、クロス、下地パテ、ビス。
屋根:下塗り・中塗り・上塗りの塗料、シーリング、ハケ・ローラー。
内装:ドアノブ、スイッチプレート、照明器具、網戸ネット。
工具:丸ノコ、替刃、下穴ドリル、タッカー、コーキングガン。
そして備考欄に大きく「予備費+10%」と書き足す。
『材料屋への連絡は、就業時間内が良いでしょう。見積りフォーマット、送信準備完了です』
「明日の昼休みに電話入れる。ホームセンターは週末に回って現物も見る」
『水回りと電気の業者は、仕事で顔馴染みの所に相談してみましょう。』
「了解。俺は工程表を粗く引く」
スマホの“メモ”に、簡単な工程表を打ち込む。
週末1:資材一部搬入・床下地/週末2:床仕上げ・壁下地/平日夜:小修繕・撮影・出品/週末3:クロス・巾木・見切り……。
文字が並ぶほど、不思議と胸が軽くなる。やることが見えるのは、強い。
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ベッドに横になり、天井を見上げる。
売家の梁の影は濃かったけど、ここは白くて単調だ。
でも、落ち着く。自分の匂いがする。
『計画は保存済み。バックアップも完了。太郎さん、よく決めましたね』
「まぁ……結婚貯金を家に突っ込むって、字面は重いけどな」
『未来の住処を整える投資です。いつかの“結婚”にも繋がりますよ』
「そうだといいな」
目を閉じる。
売家のランタンの灯りが、目蓋の裏にふわっと浮かぶ。
あの灯りの下で、床が、壁が、屋根が、少しずつ生まれ変わる。
数字は厳しいけど、手は動く。魔法もある。仲間もいる。
「土曜の夜にはまた戻る。……よし、やるぞ」
『お任せください。では、ショートスリープ・スタート』
静かな暗闇がすべり込んできて、意識が柔らかく沈んだ。
起きたら、また一歩、前へ。
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