第36話 特級呪物、掃除で消えました
翌日の仕事終わり。
今日は奇跡的に十九時に上がれた。
俺の現場歴でも、ほとんど伝説級の出来事だ。
「……マジか。生きてるうちにこの時間に上がれる日が来るとは」
浮かれ気味に車を走らせる。向かうのは“売却物件”――いや、言いにくいので「売家」と呼んでいる。
昼休みに、廃材やゴミを放り込むためのバッカン(でっかい鉄製ゴミ箱)を業者に頼んでおいた。
今ごろは家の前に置かれているはずだ。
「リク、監視カメラになんか異変あった?」
『はい。バッカンを運んできた業者が、あまりの廃墟ぶりに腰が引けたのか、おどけて写真だけ撮ってすぐ帰りました』
「……まあ、あの外観じゃな」
現地に着くと、予想通り家の前に大きなバッカンが鎮座していた。
車を停め、結界と隠蔽を展開。これで外からはただの古びた空き家にしか見えない。
家の中は昨日片付けきれなかった残置物がまだ山のようにある。
本当ならその続きからやりたいところだが、あちこちの床が沈み込んでいるのが気になる。
「……先に床からやるか」
和室は一室だけ残す予定なので、それ以外の部屋の畳はすべて撤去だ。
念動力で畳を持ち上げ、次々とバッカンへ放り込んでいく。
昨日まとめておいたゴミ袋や壊れた家具もついでに処分。
ガンッ、と金属に当たる音がやけに爽快だ。
畳をすべて外したところで、床下をスキャンする。
頭の中に構造の立体図が浮かび上がり、俺は眉をひそめた。
「うわ……柱、浮いてるじゃん」
『基礎の木材が数か所で朽ちています。このままでは倒壊の危険があります』
リクの解説を聞きながら、俺は緊急リペアに入った。
水平を測り、劣化した木材にリペア魔法をかける。
新しい材を使わずとも、木目の奥までひびが塞がり、色艶がよみがえる。
指で軽く叩くと、コンコンと締まった音が返ってきた。
「……よし、これならまだ戦える」
『基礎修復、完了です』
そのまま床板も全面リペア。
腐食や反りは消え、板目はまっすぐになり、足裏が心地いい。
「……あれ? こんなに広かったっけ?」
物がなくなり、しっかりした床に変わるだけで、部屋の印象はまるで別物だ。
仕上げにフローリングを入れる予定だが、その材料はまた買いに行かないとな、と頭の中でメモする。
床がしっかりしたところで、残置物の整理を再開する。
クリーンでホコリやカビを飛ばし、リペアで割れや歪みを直す。
古い棚や椅子も磨けば意外と味が出て、ちょっとしたアンティークの風格だ。
そして――昨日あえて手を付けなかった木箱に視線を移す。
俺はスキャンを発動した。
木箱の内部が脳裏に浮かんだ瞬間、背中を冷たいものが這い上がるような感覚が走る。
病院で感じた、あの幽霊的な圧迫感だ。
「……リク、なんかヤバい気がする」
『解析結果、これは特級呪物に類する可能性があります。絶対に直接触らないでください』
「お、おう……」
『結界で完全に包み込み、念動力で開封をお願いします』
俺は木箱を結界で覆い、ゆっくり蓋を持ち上げた。
次の瞬間、黒いモヤが勢いよく噴き出す。
結界にぶつかってはじけ、外には漏れないが、中は真っ暗で何も見えない。
「……よし、とりあえずクリーン」
軽い気持ちでクリーンをかけた瞬間、耳の奥で悲鳴のような音が響く。
条件反射でヒールを発動すると、箱の内部から光があふれ、モヤは消えていった。
空気が一変し、先ほどまでの重苦しさが嘘のように軽くなる。
そこにはアンティーク調のランタンが鎮座していた。
真鍮の枠には細やかな彫り込み、ガラスには花の模様が刻まれている。
「スキャン」
俺が再び魔力を流し込み、内部を確認する。
危険反応はない。むしろ、柔らかな魔力がじんわりと漂っている。
『結果、害はありません。おそらく呪物的な性質から聖的な物へ変換された、つまり浄化されたと考えられます』
「要するに……掃除したら良い物になっちゃったってこと?」
『ええ。普通なら浄化だけで数十年はかかります』
「いやいや、ただの掃除魔法なんだけど…」
まだ電気は通っていないので、試しに火をつけてみた。
何十年も経っているはずなのに、燃料はなぜか残っていた。
炎が灯った瞬間、部屋の空気がふっと柔らかくなる。
深呼吸すると、肺の奥まで清らかな空気が満ちるようだ。
「……なんか、癒されるな」
『おそらく精神安定や疲労回復の効果があります』
俺はライト魔法でも作業できるが、このランタンの灯りなら誰かに見られても怪しまれない。
そのまま付けておくことにした。
売家はまた一歩、生まれ変わった気がする。




