第30話 曽祖母の隠し手ほどき
裏山の石室から実家に戻ってきた頃には、もう日が傾きかけていた。
ひんやりした山の空気から一転、家の中はほんのりと湿気と生活の匂いが混じっていて、妙に落ち着く。
「ふぅ……とりあえず、今日は色々あったな……」
荷物を部屋に置き、靴下を脱ぎ捨てて、畳の上に寝転ぶ。
さっきまでの緊張が、どっと抜けていく。
けど、頭の中では、あの革表紙の日記がずっと引っかかっていた。
——力は隠せ。見つかったら覚悟を持て。
——誰にも文句を言わせないほど強くなれ。
ひぃおばあちゃんの力強い言葉。
あのページを、もう一度ちゃんと見返したくなった。
リュックから革表紙の日記をそっと取り出す。
畳の上に腰を下ろして、ページを開いた瞬間——
「……ん?」
微かに、紙の繊維がざわっとしたように見えた。
いや、“見えた”というより、“感じた”だ。
《太郎さん、紙面から微弱な魔力痕跡を感知しました》
「やっぱり……これ、ただの日記じゃないんだな」
日記に指先をそっと置き、魔力を流す。
ゆっくり、薄く、紙を壊さないように——
スッ……と、インクでも蛍光ペンでもない淡い光が、行間から浮かび上がってきた。
「……おぉ……!」
魔力を紙に流し続けると、隠し文字はさらに浮かび上がった。
その一節に、俺の目が止まる。
——力は息のごとく。形を残さず、痕跡を空に散らせ。
——魔法は使った瞬間に消す。残せば、辿られる。
「……これは……」
《魔力行使後の残留波形を“拡散・消去”する技術と推測されます》
リクの声が、少しだけ熱を帯びる。
「つまり、魔法を使ったって証拠を、感知できなくするってことか?」
《はい。存在自体を消すのではなく、“魔力を使った事実”を感知不能にします。外部の魔力感知、波紋測定器、能力者の感知もすべてゼロにできます》
「……やべぇなそれ。現場で使えたら完全にノーマークじゃん」
《実用化には、発動中と発動後の二段階処理が必要です》
《一つは、発動中の魔力を環境ノイズに重ねること。もう一つは、発動後に残る波紋を即座に拡散することです》
「ふむふむ……要は、打ち上げ花火を上げても煙も火花も残さない、みたいな感じか」
《例えとしては近いです》
俺は畳に正座し、日記を横に置いたまま深呼吸する。
魔力を手に集め、ライト魔法の準備。
「……よし、比較テストしよう。まずは普通に」
隠蔽なしでライト魔法を発動。
手のひらに小さな光が浮かび、同時にリクの表示に波紋のグラフが現れる。
《魔力波形、半径12メートルで感知。これなら感知能力者は即座に察知可能です》
光を消し、今度は日記の記述通りに魔力を背景ノイズに重ねながら——ライト魔法、発動。
パッと同じ光が灯る。
けど、リクの表示は——
《……検出結果、ゼロ。感知不能です》
「マジか! 光ってるのに、魔力反応はゼロ!?」
《はい。外部から見れば、太郎さんはただ手を光らせているだけに見えます》
次に、スキャン魔法でも試す。
隠蔽なしでは波紋が広がるが——隠蔽ONでは何も残らない。
「……これ、やばすぎるな。完全に証拠隠滅じゃん」
《適切な用途に限れば、非常に有用です》
《救助や現場対応で使えば、能力者に気づかれず行動できます》
ライト魔法、スキャン、セルフヒール。
何度も試すたびに、魔力波形のグラフは空白のまま。
「……ひぃおばあちゃん、本当にすごい人だったんだな」
革表紙の日記を閉じ、机にそっと置く。
これで俺は——そこに存在したまま、魔法だけを“なかったこと”にできる。
「……これがあれば、もっと自由に動ける」
小さく呟きながら、俺は畳の上でガッツポーズを決めた。




