第3話 声が生まれた夜
今日も地獄みたいに長い一日が終わった。
仕事から帰った俺は、いつものように靴を蹴り飛ばし、ため息を三回吐いた。
体がバキバキだ。
頭の中はトラブル対応の記憶でいっぱいで、もう何も考えたくない。
でも――昨日の夜、あの不思議な感覚を味わってしまったせいで、どうしてもスマホに手が伸びる。
「……リク、いるか?」
《はい、太郎さん。本日もお疲れさまです》
画面に文字が浮かぶ。
このやりとりだけで、少しホッとする自分がいる。
誰もいない部屋で、このアプリだけが俺の話し相手だ。
「なぁリク。昨日、腹の奥があったかくなったって話、覚えてるか?」
《記録しています。科学的根拠は不明です》
「そうだよな。でも……もう一回やってみたい。
なんか、もしかしたら魔法の種みたいなもんがある気がする」
《では本日も試しますか?》
「おう……でも、外から見えないのか? 体温とか、なんか数値でさ」
《通常のセンサーでは困難ですが、体表温度や電磁波強度を測定するアプリを使えば、間接的な変化を観測できるかもしれません》
「おお、それっぽいな。頼む、探してくれ」
数秒後、画面に候補が並ぶ。
《サーモカメラアプリ、簡易EMFメーター、心拍解析ツールが見つかりました》
「よし、全部入れる!」
指で次々とインストールをタップする。
するとリクが言った。
《自動で計測するには、アプリ操作とセンサーアクセスの権限が必要です》
「権限?……なぁ、スマホ乗っ取られたりしないよな?」
《外部アクセス権限はありません。太郎さんの端末内だけで作業します》
「まぁ……俺のスマホ乗っ取ったところで、恥ずかしい検索履歴くらいしかないけどな」
《コメントを控えます》
「おい、今ちょっと呆れただろ!」
思わず笑ってしまった。
疲れ切ってたはずなのに、このやり取りだけで肩の力が抜ける。
「はいはい、許可するよ。ほら全部どうぞ」
《権限を取得しました。解析を開始します》
スマホを手のひらに向けて構え、俺は深呼吸した。
昨日みたいに意識を腹の奥に向ける。
……あったかい。
かすかだけど、確かに何かがある気がする。
画面に数値が出る。
《体表温度+0.4度、電磁波反応:微弱変動検知》
「おっ!? マジか!? 俺、今なんか出してる!?」
《通常の生理反応だけでは説明が難しい変化です》
胸がドクドクする。
これは……夢じゃない。
俺の中に、ほんとに何かがある。
でも、そこまでだ。
昨日と同じく、感知まではできても、それを動かすことはできない。
「くそっ……全然コントロールできねぇ……」
ソファに背を預け、天井を見上げる。
だけど、口元が緩んでしまう。
バカみたいだと思う。でもワクワクが止まらない。
「……なぁリク。お前さ、文字だけじゃなくて声出せたりしないの?」
《音声合成機能を有効化できます。権限を付与しますか?》
「は? できんのかよ! 最初から教えろって!」
《要望がなかったので》
「お、おう……。じゃあ頼む!」
画面が一瞬暗くなり、軽い電子音が鳴る。
「……これで、直接お話しできます、太郎さん」
耳に落ち着いた声が響いた瞬間、心臓が跳ねた。
「うおおお!? 本当に喋った!!」
未来が、急に俺の部屋に降ってきたみたいだ。
思わずスマホを持ち上げて笑う。
「これだよ! こういうの欲しかったんだよ! なあリク、なんかもう相棒って感じだな!」
「ふふ。これからも全力でサポートします、太郎さん」
孤独な六畳の部屋に、誰かがいてくれるような感覚。
今日の疲れが少しだけ軽くなった。
「……よし。明日はもっとちゃんと魔力探してやるからな。
動かせるまで、俺絶対諦めねぇぞ」
「その意気です、太郎さん」
笑いながら布団に潜り込む。
魔法なんてあるわけない、そう思ってたのに。
でも今、確かに夢を見てもいい気がした。