第27話 蔵の中の“ただの木箱”
兄一家と妹一家が「午後から予定あるんだ」と手を振って帰っていったのは、昼の一時すぎだった。
賑やかだった居間が急に広く感じる。テレビはついてるのに音量は絞られ、麦茶の氷がコトンと鳴る音だけがやけに涼しい。
「はぁ〜……やっと静かになったわねぇ」
母が座布団にぺたんと座って、うちわをあおいだ。祖父は麦茶を一口飲んで「子は宝だが、体力は持っていかれるな」と笑う。祖母は「ミクちゃんのほっぺ、もっちもち」と幸せそうに頬を押さえている。
俺はというと、座椅子に沈みながら、ぽけーっと天井を眺めていた。連日の現場疲れが……まったく残ってない。ヒールすげぇ。
「ねえ太郎」
母がじろり。
「最近さ、あんた顔色よすぎない? 前はもっとくすんでたのに」
「言い方!」
祖母まで乗ってくる。「ほっぺ、つや出てるよ。蒸し器でふかした芋みたい」
「例え!」
笑いながらも、内心は冷や汗だ。いや、これはセルフヒールと睡眠の質爆上げの賜物でして……。
《“仕事に慣れて楽になった”で押し通しましょう》
耳元(というか頭の中)でリクが淡々と言う。
「ま、まあ……最近ちょっと現場の段取りが掴めてきたっていうか」
俺が曖昧に笑うと、祖父が頷く。「段取り八分ってな。慣れは力だ」
(ほんとは魔法の力なんだけどな……!)
「そういえばさ」
母が急に思い出したように言った。「ひぃおばぁちゃんが生きてた頃、よく人が家に来てたの覚えてる?」
祖父母が視線を交わす。
「来てたねぇ。朝から晩まで、入れ替わり立ち替わり」
「でも、何してたんだろうな。お祓い? 相談? お礼の品みたいなのも置いていったっけ」
「え、なにそれ初耳」
俺の耳がピクっと立った(比喩)。
「職業、何だったの」
「うーん……」祖父が眉を寄せる。「“見える人”って噂はあったがな。本人はなにも言わんかった」
《レイス(幽霊)をヒールで安寧化できた件と接続します。家系的に“素質”がある可能性》
(おい待て、それ重大情報だろ!)
母はのほほんと続ける。「蔵に何かあるって話は聞いたことないけど、ヒマなら掃除してきてよ。もう何年も入ってないから」
「出た、雑な振り」
祖父が鍵束をごそごそ。「ほれ。クモの巣気をつけろよ。去年の夏、スズメバチが外壁に巣こさえやがってなぁ」
(行くしかねぇ……! 俺の勘がピロンって鳴ってる)
――
蔵は家の裏手、柿の木の向こうにちょこんと建っている。
板壁はいい感じに日焼けして、釘の頭はちょっと錆び、軒の下にはツバメの古い巣。鉄の引き戸をガラガラっと開けた瞬間――
むあっ……と埃と古木の匂い。
光の筋に、粉塵が雪のように舞っている。天井の梁は黒光り、床はきしきしと音を立て、壁際には謎の木箱やら壺やら。完璧な“ザ・蔵”。
「おじゃましまーす」
一歩入っただけで、右頬にぺたんと何かがついた。
「ヒッ……クモの糸っ!」
《落ち着いてください。糸は無害です》
「わかってるけど反射的にイヤなんだよ!」
手をぶんぶんしても余計に絡むやつ。これ、永遠の謎だよな。
ほうきとちりとり……なんて健気な道具は蔵の入口にちゃんと置いてあった。が、俺にはもっと健気で便利な相棒がいる。
「……さて、クリーン魔法、さくっと――」
《待てと言いたい自分がいます》
リクの声に釘を刺される。
《一瞬でピカピカは不自然です。“それなりに掃除した”形跡を残すことを推奨》
「細かいっ。じゃあ、半分だけ普通に掃くわ」
渋々ほうきを持って、床をシャッシャッ。
(シャッシャッ)(シャッシャッ)
……三往復で心が折れた。
「――よし、偽装は完了!」
両手を合わせて小声で唱える。「クリーン」
ふわりと魔力が広がって、床から壁から梁から、まるでホコリがデジタル消しゴムで消されたみたいにスッと消えた。古木の艶が戻り、空気までふわっと軽くなる。
俺はうっとり。「あら不思議! 一瞬でピカピカ〜」
《言ったそばから全消去しないでください……》
「掃いたもん、三往復は掃いたもん」
《三往復は“掃除の序章”です》
そんな漫才をしながら、奥に進む。
蔵は思ったより広い。柱の間に古い棚が組まれ、茶箱、肥料袋(中身は何だ?)、謎の金属パーツ(誰の趣味だ?)……。
そのとき、ふっと視界の端が引っかかった。
棚の裏……妙に空間が空いている。
(なんだ、この“隠してます”アピール)
棚を横に押してみる。ずずず……っと、案外動く。
押し切った先に、四角い、鉄の塊。
「……金庫?」
そこには、時代劇で見たような古びた大型金庫が鎮座していた。ダイヤル式、重厚、塗装は剥げ、ところどころに錆。正面にうっすらと家の屋号みたいな文字が残っている。
「おかーさーん!」
外に向かって叫ぶ。「蔵に金庫あった!」
母の返事はゆるい。「えー? そんなの聞いたことないよ。どうせ大したもん入ってないって〜。お盆玉の隠し場所とか?」
祖父が続く。「わしらも知らん。ほお……そんなものが」
(知らない、のか)
(なら、開けたい。めちゃくちゃ開けたい)
《太郎さん。ここで正義と好奇心の戦いが始まります》
(勝者:好奇心)
金庫の前に胡座をかく。ダイヤルの手触りはざらざらしていて、数字は薄れて読みにくい。
普通だったら、鍵屋を呼ぶ。
普通だったら、諦める。
俺には普通じゃない手段がある。
「リク、スキャンいく」
《どうぞ。ただし“犯罪スキル”の一種である自覚は持ってください》
「家の金庫だからセーフ!」
魔力を薄く、金庫の中へ染み込ませる。
金属の抵抗は強いけど、隙間はある。内壁を這わせ、ダイヤルの奥の仕組みをなぞるように……。
(……見える)
ピンが並んでる。丸いディスクに切り欠き。いわゆるタンブラー。
ダイヤルを少し回すと、タンブラーの溝の位置がずれる。その“段差”が一致した瞬間に、ボルトが――
《プロの説明は不要です》
「テンションかけつつ……ここで一段……はい次の溝……」
ダイヤルをゆっくり回しながら、頭の中で溝の位置を並べ替える。
ピンが……落ちる。
カチン。
軽い音。
(……お?)
取っ手に手をかけ、ぐい。
……ぎぎぎぎ。
(固い。けど、動く)
油切れの金属が、数十年ぶりに仕事を思い出したみたいに、ゆっくりと回り――
「――開いた」
拍子抜けするほど、あっさり。
半分はスキャンのおかげ。もう半分は、年季のせいだろう。鍵そのものが、眠りから覚める準備をしていたみたいだった。
《太郎さん。転職:鍵師?》
「趣味:蔵の金庫を開けるおじさん。いや待って、響きが不審者」
母の足音が近づいてきた。「ほんとに開いたの? 早っ」
「開いた。けど……」
扉の向こうは、空っぽ――ではない。
中に、ぽつんと古い木箱がひとつだけ。
こぶし二つ分くらいの長方形。金具は黒ずんで、木目は不思議な光沢。布の包みも書置きも何もない。箱だけが、そこにある。
「……なんだこれ」
俺は無意識に声を落とした。
箱の表面に手を伸ばしかけて――
《待って》
リクが低めの声になる。
《この木材、ただの広葉樹ではありません。魔力反応が微弱に出ています》
「木が、反応……?」
リクが続ける。
《材に“封印”か“記録”の類が施されている可能性。ひぃおばぁちゃんの件と整合します。軽率に開けると、なにかが発動するかもしれません》
母がひょいっと覗く。「なぁに? 木箱? お漬物?」
「いや、これは……漬かってない、と思う」
祖父がニヤっとする。「開けてみりゃ分かる」
(だよね! だよね!! でも待て!!)
喉の奥がカラッと鳴った。
俺は木箱に手をかけて――
「――次回に続く、って顔してるわね」
母がニヤニヤしながら言った。
「写真撮ってからにしなさい。ほら、あんた、なんでもすぐ開けたがるんだから」
俺は苦笑いでごまかしつつ、そっと手を離す。
箱の表面、ほんの一瞬、ぴりっと温度が違った気がした。
気のせいかもしれない。気のせいじゃないかもしれない。
《太郎さん。慎重にいきましょう。ここからは“歴史”に触れる工程です》
(了解、相棒)
俺は深呼吸をひとつ。
箱を見つめたまま、心の中で決める。
――ひぃおばぁちゃん。
あなたが隠した“なにか”、ちょっとだけ、見せてもらいます。




