第26話 真の社畜に出会った…
お盆の高速は、例によって止まっていた。
正確に言うと、車列はミリ単位で進んでいた。カタツムリの散歩コースでも、もうちょいリズムがあると思う。
《太郎さん、平均時速はおよそ4km。徒歩に敗北しています》
「やめろ、リク。人の尊厳に刺さる統計はやめろ」
《到着予想は——渋滞がこのままなら“おはぎの出来上がり時刻”に一致します》
「それは勝ちだな。母ちゃんの、おはぎ……!」
そんな感じで、俺は車で実家へ向かっていた。片道一時間半。窓の外は、どこを見ても夏。アスファルトが陽炎で揺れていて、太陽は容赦がない。車内はエアコン全開、俺はハンドルに手を置きながら、脳内で「家族対応マニュアル」を再生した。
《確認。家族からの想定質問、準備は?》
「『結婚は?』→“いま魔法修行中です”は不採用。『仕事は順調?』→“炎天下で溶けそうです”は正直すぎ。まあ、笑ってごまかす」
《推奨回答は『ぼちぼち』です。日本語における万能の霊薬》
「ぼちぼち万能説、わかる」
ようやく渋滞を抜け、田んぼと山並みが近づいてくる。祖父母と同居の実家は、瓦屋根に縁側、夏の風鈴がよく似合う。車を停めた途端、玄関がガラッと開き、まずは母。
「太郎〜! 暑かったでしょ、ほら手、消毒して! 汗、タオルそこ!」
「ただいまー……生存報告」
次に父。白いランニング、扇風機前の仁王立ち。
「おう、帰ったか。荷物はそこ置け。……高速は渋滞だったろ?」
「うん、徒歩に負けた」
「徒歩に負けるってなんだ」
奥から祖父母も顔を出す。祖父はいつも通り新聞を二つに折って小脇に抱え、祖母はエプロン姿でにこにこだ。
「太郎ちゃん、痩せた?」「おはぎ、冷蔵庫!」
「痩せてないし、おはぎは秒で食べます」
そこへ、ドドドと廊下を走る音。
「たろーおじちゃーん!!」「おじちゃーん!」
兄の子ども、長男タクト(10)と長女マコ(8)。全力で抱きついてきて、俺のHPは微笑ましさで削られる。
「お、来たな太郎。お盆に太郎がいる、それがうちのカレンダーだ」
兄——一郎が笑って出てくる。隣には兄嫁の春子さん。しっかり者で、うちのバランサー。
「太郎さん、いつもの麦茶3秒で飲むやつ、座ってからね」
「はい、座ります」
そして、妹のなおが、抱っこ紐で赤子を抱えて登場。長女ミク(1)は、初めて会う太郎に興味津々で、抱っこしてやると、服の袖をガジガジやっている。
「太郎、ほら見て。ミク、もう掴まり立ちするの」
「ミクさん、それは俺の服……食べ物ではない……」
——と、家族の顔ぶれが一通りそろったところで、最後にふらりと姿を見せたのが、妹の旦那、コウ君(33)だ。私服なのに、全身から「社畜の香り」が立ちのぼっている。
猫背、薄いクマ、笑顔はちゃんとあるのに、どこか電池切れ寸前のLEDみたいに瞬く。
「どうも……お邪魔してます……」
小声。やさしい顔。声のトーンが、省エネ。
俺のセンサー(※疲れたおじさんセンサー)が、ピピッと反応する。
《太郎さん、スキャン使います?》
《家族相手に何をやってるんだ俺は、と思うけど……ちょっとだけ》
視線は手元の麦茶、意識は静かに魔力へ。魔力を紙のように薄く延ばし、コウ君の体の輪郭をなぞる。隠蔽は最小範囲で。——うん、大丈夫、誰にも見えない。
視界の端に、赤いハイライトがじんわりと浮かぶ。
首肩の筋緊張、背中の筋膜に張り、ふくらはぎの深層に疲労物質の溜まり。自律神経は常時“うっすら警報”。睡眠は分断、レムが削られている。胃は……仕事のストレスで酸が暴れてる気配。
リクが数値を読み上げる。
《平均睡眠時間4時間台、入眠時刻は1時〜3時にブレ。起床は6時前後、通勤は片道1時間。休日は乳幼児対応により回復しきらず》
《……やば。バッテリー2%だ》
《ご本人は“慣れたので大丈夫”と申告するタイプです》
《ダメだよ……それが一番ダメなやつだよ……》
コウ君は都心の大手建設会社勤務。朝は電車で片道一時間。帰宅は深夜、終電を逃せば会社近くのビジホへ。お盆休みでも、メールは鳴る。実家に来ても、スマホがちょいちょい震えている。
「コウ、ビール飲む?」と兄嫁。
「……一本だけ、いただきます……」
乾杯。みんなのグラスがカチンと鳴る。コウ君は喉を湿らせて、ふぅ、と小さく吐息を漏らした。
俺、見過ごせなかった。
《リク、ほんのちょっとだけコウ君にセルフヒールかけるよ。炎症抑制と睡眠負債の“借り換え”程度で》
《承知。過剰回復は不可視性の観点からも非推奨。微量、点滴のごとく》
魔力を薄い霧に散らして、首から肩、背中にふわりと。筋膜のささくれを撫でつけ、血流の滞りをほどく。胃の粘膜に“ぬる湯”を流し、交感神経に「いったん休んでいいよ」と囁く。
数秒後、コウ君の肩が、ほんの少しだけ下がった。
本人は気づかないレベル。でも、俺には見える。
「……あれ、なんか、首ラクかも。ここの椅子が合ってるのかな……」
「だろ? うちの座布団、JIS規格超えてるからね(適当)」
家族トークは、いつも通り賑やかだ。兄は庭の草刈りの話、父は畑のキュウリが豊作すぎる愚痴、祖父母は近所の犬が最近やたら賢いという情報を共有。
タクトは宿題の自由研究に「スイカの冷え方比較実験」をやるらしく、マコは「浴衣の色はミントグリーン」と主張して折れない。ミクは俺のメガネに興味津々で、ふーっと曇らせてくる天才だ。
「コウ君、最近どう?」俺は合間を見て声をかける。
「……まぁ、その、ぼちぼちっす」
出た、万能ワード。
でも、その“ぼちぼち”の内訳は気になる。
「通勤一時間でしょ? 帰りは?」
「終電……間に合えば。ダメならホテル。現場が詰まると、どうしても。で、家帰ったらミクが朝から全力で起こしてくれるんで……あ、いや、可愛いんですけどね。可愛いは正義なんで。はい」
早口になった後で、省エネに戻るコウ君。
俺は無言でうなずいた。
わかる。めちゃくちゃ、わかる。俺も長らくそっち側だったし、今も日焼けの社畜版だ。だからこそ、言葉が慎重になる。
「……リモートじゃ仕事できないの?」
「できることはできるんですけど、俺の部署は、なんか“現地主義”で。あと、上も“リモートは甘え派”が多くて。はは……」
苦笑い。肩がまた上がりかけたので、魔力を“指で押すみたいに”もうひと撫で。
コウ君の目の下の影が、さっきより薄い。気のせいじゃない。春子さんが「あれ? コウ、今日顔色いいじゃん」と言う。
本人は首をかしげる。
「実家の空気が、合うのかな……?」
《合うんだよ。うちの空気と、ちょっとの魔法がな》
《太郎さん、自己満足の匂いがします》
《うるさい、こういう自己満足は社会にとって善だ》
一段落して、廊下から母の声。「ごはんできたよー!」
ちゃぶ台に並ぶ、お盆スペシャル。煮物、唐揚げ、ナス炒め、冷やしトマト、そしておはぎ(!)。祖母の味と母の手が重なった皿たちに、皆のテンションが上がる。
「うわ、卵焼き、厚みが暴力」「唐揚げの衣が正義」「おはぎはデザート? 一次会?」
わいわい食べる。タクトがスイカの塩加減について真剣に議論し、マコは唐揚げにレモンをかける派を強く主張する。父はビール二本目に突入し、祖父は「昔は砂糖が貴重でな」と語りだし、祖母は「はいはい、その話は三回目」と笑って止める。
こういう混沌、嫌いじゃない。むしろ、これのために帰ってきたまである。
食後、縁側タイム。夕風が入って、風鈴が鳴る。ミクは母に抱かれてスヤスヤ。タクトとマコは庭でシャボン玉。兄と父はテレビで野球。祖父はうとうと、祖母は麦茶を配達。
俺は、コウ君と並んで縁側に座った。
「……さっきは、ちょっと元気になった気がする。ありがとうございます。」
「え、俺何もしてないよ。実家の湿度がプロなんだよ」
「湿度がプロ……?」
ぽけっとした顔で首を傾げるコウ君。
少し間を置いて、彼はぽつりとこぼした。
「正直、最近“なんのために働いてるんだろ”って、思うこと増えてて。家族のため、ってのは当然なんですけど、なんか、こう……体が、先に音を上げてる感じで」
わかる。体が先に悲鳴を上げると、心も一緒に萎む。
「コウ君」
「はい」
「今日くらい、100%“休む”でいいじゃん。メール、音消して、責任は明日以降のコウ君に押し付けておけ」
「明日以降の俺、可哀想だな……」
「大丈夫、明日の俺も、明日の君も案外やれる。今日は、体に“休んでOK”って許可出しとけ」
コウ君は、ちょっと笑った。
その笑顔は、省エネじゃなかった。
「……太郎さん、優しいっすね」
「いや、同じ穴のムジナだから。あと、おはぎもう一個食べる?」
「食べます」
ふたりでおはぎを半分こした。餡の甘さが、夏の夕方にやさしい。
《太郎さん、良いこと言いましたが、結論は“おはぎ”です》
《おはぎこそが、この家のマナポーション》
《理にかなっています》
縁側から庭を眺めると、蔵の黒い影が見える。この家を建てた当初から大事なものをしまっていたという蔵。木戸には古い鍵。ふと、母が縁側の戸口に現れて、蔵の方をちらりと見た。
「——太郎」
「ん?」
「明日、ちょっとさ。蔵の片づけ、手伝ってくれる?」
来た。フラグ。俺の背中に、冒険のBGMがかすかに流れる。
《太郎さん、蔵イベント。ドロップ率:謎》
《わかった。俺の魔法、家庭内でも役に立つところを見せる時》
「いいよ。明日、朝イチで」
母は安心したように微笑んだ。
コウ君はすでに、縁側でうとうとしている。肩の力が抜けた寝顔だ。ミクと同じ顔で寝てて、なんかずるい。
風鈴が、ちりん、と鳴った。
——魔法は、派手な見せ物じゃない。
誰かの体が少しラクになる。気持ちが、ちょっと軽くなる。今日の俺は、それで十分だ。
《太郎さん。同志救済、進捗良好です》
《ああ。明日は蔵だ。なんかワクワクするな。》
夜がゆっくりと濃くなっていく。
実家の夏は、相変わらず賑やかで、相変わらずやさしい。




