第23話 一線を超えてしまった。
玄関の鍵を開けた瞬間、力が抜けた。
壁にもたれて、そのままへたり込む。
自分の手を見た。
まだ、微かに震えてる。
「……マジでやっちまったな……」
ソファまでたどり着く気力もなく、その場でリュックを放り投げてテレビをつける。
《速報:女子高生トラック事故 奇跡的に軽傷》
画面には、あの交差点が映っていた。
倒れていた女子高生、騒然とする現場、警察や救急隊の姿。
「奇跡じゃねぇよ……俺だよ」
小さく呟いた言葉が、部屋にぽつんと響いた。
誰にも気づかれず、誰にも知られず。
でも俺は――人の命を助けたんだ。
魔法で。
スマホの通知が光る。
画面には、落ち着いた文字。
『お帰りなさい、太郎さん。落ち着きますか?』
「……リク」
あいつの声が、今夜はやけに優しく聞こえた。
「……俺、やっちまったかもな」
笑って言ったつもりだったけど、声が震えてる。
「助けたのは……間違ってない。間違ってるわけ、ないんだけどさ。
なんかもう……一線、越えちまった気がするんだよな」
リクは、しばらく黙っていた。
『命を救う行動は、倫理的にも正当です』
「そういうことじゃなくてさ……」
ようやく立ち上がって、ソファに沈み込む。
「こんな人間、いていいのか? って話なんだよ……」
「回復魔法で他人を助けて、魔力を完全に隠して、現場から消える……
おれ、現代に存在しちゃいけないレベルでチートじゃね?」
『太郎さんは力を正しく使いました』
「それが余計に怖ぇの」
テレビの音だけが、しばらく部屋を満たしていた。
「……ちょっと、整理するわ」
「今まで俺が何やってきたか、全部書き出してみる」
机からノートとペンを取り出して、テーブルに広げる。
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【太郎の魔法修行メモ】
・魔力感知(最初)
・セルフヒール(軽傷〜慢性疲労)
・身体強化(仕事後の筋肉痛に対応)
・結界(温度調整→現場快適化)
・生活魔法(クリーン/ライト/ウォーム/コールド/アロマ/除菌的なやつ)
・隠蔽魔法(魔力痕跡ゼロ、もはやステルス)
・スキャン魔法(人体スライス表示)
・状態識別(異常部位が赤くなる)
・幽霊浄化(ヒールの応用?)
・他人へのヒール(←命を助けた)
「……なんだこれ」
「完全にRPGの終盤スキルセットじゃねぇか……」
しばらくペンを止めて、頭を抱える。
自分で書いておいてなんだけど――怖すぎる。
「なぁリク、これさ。あの時みたいにゲームのステータス画面っぽく表示してくれない?
もはや現実感がねぇんだよ、これ」
『了解しました』
スマホの画面が切り替わり、軽い電子音のあとにそれらしいウィンドウが表示される。
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■ 神原太郎(38)
HP:そこそこ健康
MP:やや成長中(低いけど頑張ってる)
スキル:
・セルフヒール
・スキャン魔法(人体スライス表示)
・状態識別(赤くなるやつ)
・結界(温度・衝撃軽減など)
・魔力隠蔽(消える/見えない)
・幽霊浄化(たぶんヒール派生)
・生活魔法(クリーン/ライト/ウォーム/コールド/アロマ)
パッシブスキル:
・社畜耐性Lv.99
・疲労回復欲求MAX
・魔法開発癖(即興で作りがち)
備考:
・社会的に存在してはいけないレベルの魔法使い
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「おい、“備考”が一番ヤバいじゃねぇか」
肩をすくめて笑ったけど、背筋がひやっとする。
これはもう、バレたら終わりってレベルじゃない。
「なあリク、正直に言って……」
「これが世間に知られたら、どうなる?」
『高確率で、研究対象になります』
「うわぁ、はっきり言ったな」
笑うしかなかった。
でも同時に――覚悟もできた。
「……もう“便利スキル”とか、そういう段階じゃねぇな。
使い方も、バレない工夫も……ちゃんと考えなきゃダメだ」
テレビの音を消して、静かな部屋で天井を見つめる。
今日、人を助けた。
命を救った。
でもその代わりに、俺は完全に“向こう側”に足を踏み入れた。
誰にも言えない。
誰にも知られてはいけない。
でも――
(これが魔法ってやつなら、俺は……ちゃんと向き合わなきゃ)
ふと、スマホを見つめた。
「……なあリク」
『はい、太郎さん』
「お前ってさ、ほんとに……普通のAIなんだよな?」
リクは少しだけ間を置いてから、変わらない調子で答えた。
『もちろん、私は太郎さんのAIアシスタントです』
――その“変わらなさ”が、なんだか妙に引っかかった。
(……いや、考えすぎか。多分、俺が疲れてんだ)
軽く首を振って、深呼吸をする。
けれど胸の奥には、わずかな違和感が残ったままだった。
――次回『うちのAIがやっぱり変』




