第2話 魔力を探す夜
仕事終わりの夜は、いつも灰色だ。
現場からの帰り道、赤信号に捕まるたび、意識が落ちそうになる。
頭の中は今日一日のことばかり。
朝イチから社長が「予算削れ」だの「早く終わらせろ」だの。
昼には施主が「ここやっぱり変えてくれ」って無茶を言う。
夕方には職人同士が小競り合いを始めて、仲裁に走る。
帰りの車の中で、何度「もう辞めたい」って呟いたか。
けど、やめたら生活ができない。
38歳、現場監督。次の就職口がある保証もない。
そんなことを考えていたら、気づけばアパートの駐車場に着いていた。
狭い部屋に帰り、作業着を脱ぎ捨て、ため息を三回。
風呂に入って汗と埃を流す。
ビールを開けて、コンビニ弁当をつつく。
これが、俺の毎日だ。
でも今日は、昨日から頭に引っかかっていることがある。
新しく買ったスマホ。
その中に最初から入っていた、生成AIアプリ「リク」。
昨日、冗談半分で話しかけた。
「魔法って使えないのかな?」って。
そしたら、腹の奥が――ぽっと、灯るように熱くなった。
あれは何だったんだろう。
夢じゃない。
疲れすぎて幻覚を見たわけでもない。
あの一瞬、俺の中で何かが動いた。
だから今日、確かめてみたくなった。
ビール缶を片付けて、スマホを手に取る。
《AIアシスタント・リク オンラインです。》
無機質な文字が浮かぶ。
最初からこのスマホに搭載されていた機能だ。
文字だけの存在、けど反応は早い。
ある意味、唯一の話し相手だ。
「なぁ、リク。」
《はい。》
「昨日のこと、覚えてるか?」
《“魔法を使えないか”というご質問ですね。記録しています。》
「そう。それ……なんか腹のあたりが熱くなったんだよ。」
《生体エネルギーの変化を計測する機能は本端末にはありません。》
「……やっぱそうだよな。」
予想通りの答えだ。
でも、それなら昨日のあれは何だったんだ。
俺はスマホを置き、深呼吸した。
腹の奥に意識を向ける。
昨日の、あの不思議な感覚を思い出す。
心臓より下、みぞおちよりさらに奥。
そこに、ちいさな灯りがぽっと灯るイメージを浮かべる。
……じわっ。
「……きた。」
昨日よりもはっきりした。
温泉に足を入れたみたいな、柔らかい温かさ。
体の中に、もう一人の俺が目を覚ましたような、不思議な感覚。
俺は目を開けて、両手を見つめた。
もしこれが本当に魔法の力なら……
ここから火が出たり、光が走ったり……しないかな。
手のひらをじっと見つめる。
ワクワクで心臓が跳ねる。
……何も起きない。
「ははっ、だよな。」
笑って肩をすくめる。
でも、笑いながらも心の奥がざわついている。
「なぁリク。」
《はい。》
「もし、俺が……仮にだぞ?魔法を使えるようになったら、どう思う?」
《前例がないため推測ですが、社会的に極めて重大な混乱が発生すると予想されます。》
「……だろうな。」
《秘匿を推奨します。》
「まだ使えるって決まってないのに、もう隠せってか。」
俺は苦笑した。
でも、そのやり取りすら楽しい。
こんな話を誰かにできるなんて思わなかった。
普通の38歳のオッサンが、「魔法」なんて言ったら馬鹿にされるだけだ。
だけど今は、心臓が少しだけ若返った気がした。
俺はもう一度、腹に意識を向けた。
あの温かさは、さっきより強い。
体の中に、小さな灯りが確かにある。
もしかしたら、これは……。
冗談じゃなく、本当に。
俺にも、魔法が使えるのかもしれない。
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥がふわっと軽くなった。
明日の仕事は地獄だろう。
でも今だけは、夢みたいな未来を想像していい。
もし魔法が使えたら、仕事を楽にできるかも。
ブラック企業なんて辞めて、田舎でのんびり暮らせるかも。
俺の人生、まだやり直せるかもしれない。
そう思ったら、自然と笑みがこぼれた。
こんなにワクワクするのは、いつ以来だろう。
眠気に負けて横になった俺は、スマホに向かって小さく呟いた。
「なぁリク……ありがとな。」
《本日もご利用ありがとうございました。》
無機質な返事。
だけど、今夜はなぜか、心地よかった。