第139話 修理完了。神々、太郎を囲う準備に入る
呼び出し音が、静かな夜の公園に小さく響いた。
『……もしもし? 大城です』
「神原だ。……修理が終わった。現物確認を頼みたい」
一瞬の沈黙。
『……今、なんて?』
「修理完了。封印も安定してる。……見に来てくれ」
向こうで、息を飲む音がした。
『……了解。すぐ向かうわ』
通話が切れた。
スマホの画面が暗くなり、代わりに夜空の月が視界に入る。
雲の隙間から覗く白い光が、石段の縁だけを細く照らしていた。
「……さて、と」
《緊張していますか?》
「いや、別に? いつもどおりだろ」
《心拍数、平常より一〇%増加。数値は正直です》
「そういうこと言うな」
苦笑しながら、もう一度石板を振り返る。
ひびはすべて閉じ、石肌はなめらかだ。
さっきまで黒い煙のように滲んでいた禍々しい魔力も、すっかり引いている。
ただの“古い石板”にしか見えない。
さっき、腹減ったって言ってたやつが入ってるとは思えないよな。
そんなことを考えていると、公園の入口のほうから足音が聞こえてきた。
砂利を踏む音が、夜の静けさにやけに大きく響く。
早足、いや、ほぼ小走りだ。
数十秒後、懐中電灯の光が木々の間に揺れた。
「神原さん!」
息を切らしながら、大城が駆け寄ってきた。
普段は落ち着いた声なのに、今はかすかに上ずっている。
「こっちだ」
俺が手を挙げると、大城はほっとしたように息を吐き、少しだけ歩調を緩めた。
それでも足取りは早い。
「悪いわね、遅くなって」
「いや、十分早いほうだと思うけどな」
スマホを見れば、通話を切ってからまだ数分も経っていない。
本気で全力で来たんだろう。
《走行速度から推測するに、かなり急いで来た様子です》
(だろうな。あれだけ漏れてたら、気が気じゃなかっただろうし)
大城は俺の横をすり抜けて、石壇に近づく。
懐中電灯の光が、石板の表面をなぞるように動いた。
その動きが、途中でぴたりと止まる。
「…………え?」
間の抜けた声が、夜気の中に溶けた。
光が、ひびのあったはずの場所を何度もなぞる。
「……ちょっと待って」
大城は手袋越しにそっと石板に触れ、目を閉じた。
数秒。
「…………え、ちょっと待って」
さっきと同じ言葉を、もう一度繰り返した。
声が、かすかに震えている。
《心拍数上昇。驚愕、混乱、信じがたいといった感情が推測されます》
(見りゃわかる……)
俺は黙って、大城の様子を見守る。
深呼吸をひとつ。
懐中電灯を消し、代わりに月明かりに目を慣らすように空を見上げる。
それから、ゆっくりと石板に視線を戻した。
「……ありえない」
小さな声で、そう呟いた。
けれどすぐに、俺のほうを見て、表情を整える。
いつもの落ち着いた顔に戻った……ように、“頑張って”見せている。
「……すごいわね。本当に、形状が戻ってる」
「そう見えるなら、成功でいいんだろ」
「ええ。……正直に言うとね、半信半疑どころか“九十九パーセント無理”だと思ってたわ」
「一パーセントは信じてたのか」
「玲子がね、“絶対にやるから大丈夫”って、妙に自信満々だったから」
そこで一度、言葉を切る。
目が少しだけ揺れた。
「……それと、うちの守神様が“あの人は大丈夫なやつだけど、敵対だけはするな”って言ってたのよ」
「守神様……?」
「そういうのが居るのよ、こっちには」
さらっと言ったが、その言葉の重さは冗談ではない。
大城の声に、妙なリアリティが乗っていた。
《太郎さん、先ほどの“腹減った声”の件と合わせて考えると、封印対象は単純な魔物ではなく――》
(そこで分析始めるな。今は飲み込んでおく)
大城はもう一度、石板に手を当てる。
今度は表情を引き締め、完全に“プロ”の顔になっていた。
「……うん。大丈夫ね。
封印も安定してるし、漏れもない。
中の“あれ”も、落ち着いてる」
「それならよかった」
大城がこちらを見る。
ほんの少しだけ、目の奥に“恐怖”だか“畏怖”だか分からない感情が混ざっていた。
「ねぇ、神原さん」
「なんだ」
「正直に答えてほしいんだけど」
大城は、夜目にもわかるくらい真剣な顔で俺を見つめた。
「あなた……いったい“何者”なの?」
「ただの修理屋だ」
即答した。
大城は数秒、黙って俺を見つめ、それからふっと肩の力を抜いて笑った。
「……そういうことに、しておくわ」
たぶん、心の中では“しておきたいだけ”なんだろう。
でも、それ以上踏み込んでこないあたり、プロだと思う。
「とにかく、依頼としては“修理完了”でいいのか?」
「ええ。完璧よ。……完璧すぎて、ちょっと怖いくらいにね」
もう一度、石碑を振り返る。
その横顔は、さっきよりもずっと柔らかい。
「……よかった」
小さく呟いたその声には、心底ホッとした色が滲んでいた。
沖縄中のユタやノロを総動員して十日間。
それを覚悟していた立場からしたら、嘘みたいな解決だろう。
《太郎さん、感情推測:“安堵”“困惑”“若干の理不尽さ”》
(最後の要素いらねぇだろ)
俺は苦笑しながら、道具をバッグにしまっていく。
「それと......」
大城がぽつりと言った。
「守神様から、もうひとつ言われてたの」
「ん?」
「“御神酒、少し分けてもらえ”って」
「……」
思わず、手が止まった。
「……なんで酒の話になるんだよ」
「さぁ? 私に聞かれても困るけど」
大城は肩をすくめる。
「まぁ、うちの神様も“飲んべえ”だからね。気が合うんじゃない?」
「やめてくれ。そのカテゴリーに俺を入れるな」
《太郎さん、酒の出現頻度と摂取量から見て、客観的に“飲んべえ枠”に入る可能性は――》
「黙れリク」
即座に念話を切ると、大城が不思議そうに首を傾げた。
「……今、誰かと喋ってた?」
「気のせいだ」
「そう」
あっさり流された。
こういうところ、玲子に似ている気がする。
大城は懐中電灯を消し、代わりに小さなガラスボトルを取り出した。
中には、透明な液体がなみなみと入っている。
「これは?」
「御神酒用。……って言っても、普通に美味しい地酒だけどね。
これとあなたの御神酒を交換してほしいの」
「それ、完全に神々の飲み会用じゃないのか……?」
「まぁ、そうとも言うわね」
さらっと言いやがった。
結局、カバンから取り出すふりをしてアイテムBOXから酒を渡すと、大城は満足そうにうなずいた。
「ありがとう。これで“向こう”も機嫌がよくなるわ」
「向こうって言い方やめろ。なんか生々しい」
「事実だから仕方ない」
そう言って笑う大城の横顔は、不思議と晴れやかだった。
さっきまでの重苦しい空気は、もうどこにもない。
ただ、南国の夜の匂いだけが残っている。
「……さて、と」
大城が時計をちらりと見た。
「もうこんな時間ね。神原さん、あと少し付き合ってもらっていい?」
「まだ何かあるのか?」
「食事の準備をしてるの。
うちのほうで“ちゃんとした礼”をしろって言われててね」
「いや、気持ちだけで......」
「ダメ。これはこっちの都合。
それに、こっちの神様たちが“ぜひ連れてこい”って、うるさいのよ」
「神様にせっつかれてんのかよ……」
「そういう土地だから、諦めて。はい、戻りましょ」
大城はそう言って、さっさと公園の出口に向かって歩き出した。
足取りは、さっきよりずっと軽い。
俺は肩にバッグをかけ直し、大きくひとつ伸びをしてから、その背中を追いかけた。
《太郎さん》
「なんだ」
《“歓迎会”の魔力反応、事前にスキャンしておきますか?》
「やめろ。飯ぐらい、普通に食わせろ」
《了解しました。“普通”が何かはさておき》
「……おまえもだいぶ失礼だな」
公園を出ると、遠くの道路の明かりと車のヘッドライトが戻ってきた。
さっきまでの異様な静けさが嘘みたいだ。
駐車場に停めてある黒いセダンが、月明かりを反射して静かに佇んでいる。
「乗って。少し離れてるけど、すぐよ」
「大城の家か?」
「ええ。うちの“基地”みたいなところ」
“基地”という言葉に、ほんの少しだけ妖しい響きが混じる。
《拠点。すなわち、守りと攻めの中心ですね》
(物騒な言い方するな)
助手席に乗り込むと、ふわりとハーブと塩の混ざった匂いがした。
車内のあちこちに、小さな護符のようなものがさりげなく貼られている。
「シートベルト、忘れずにね」
「ああ」
カチリと金具をはめる音がした直後、エンジンが静かに唸りを上げた。
車が動き出す。
窓の外には、夜の街と、遠くの暗い海。
街灯に照らされたシーサーが、交差点の角からこちらを見下ろしている。
「さっきの石板だけど」
大城が、前を見たままぽつりと言った。
「……本当に、ありがとう」
「礼を言うのはこっちじゃないのか?」
「どうして?」
「仕事を回してもらって、ちゃんと金も出してもらってるからな。
俺としては、“依頼どおりに直せてよかった”ってだけだ」
「ふふっ……そういうところ、玲子が気に入るのもわかるわ」
大城は小さく笑った。
その笑いには、さっきまでの張り詰めたものは、もう残っていなかった。
「さぁ、腹を空かせておきなさい。
うちの人たち、張り切ってるから」
「……プレッシャーのかけ方がおかしくないか?」
「大丈夫よ。うちの守神様も、“ちゃんと歓迎しろ”って張り切ってるから」
「……守神が張り切る歓迎会って、ちょっと怖いワードなんだが」
「大丈夫、大丈夫。たぶん、ね」
“たぶん”を強調するのはやめてほしい。
そんな会話をしながら、俺たちを乗せた車は、夜の街をゆっくりと走っていった。
南国の夜風が、窓ガラス越しに、少しだけ涼しく感じられた。
遅くなってすみません!!




