第136話 封印の地にて
車を降りた瞬間、空気の重さに気づいた。
昼間だというのに、どこか淀んでいる。
日差しは強いのに、光が地面に届く前に薄い膜を通したような感覚だ。
「……なんか嫌な感じだな」
《魔力濃度が高いですね。通常の環境とは異なります》
少し奥まった道を、大城の案内で歩いていく。
舗装されているはずの遊歩道はひび割れ、草が覗いていた。
近づくにつれて、胸の奥にわずかな圧がかかる。
魔力......それも、禍々しい系統の。
周囲を見回しても人影はない。
車の音も遠く、鳥の声すらしない。
ただ風だけがゆっくりと通り抜けていく。
数分歩くと、少し奥まった場所で開けた空間に出た。
そこにあったのは、三段の石で組まれた壇と、中央に立つ一枚の石碑。
上部が欠け、ひびが何本も走っている。
「これか...」
すぐ隣には、錆びた金属の看板が立っていた。
そこには、説明された内容が書かれていた。
簡潔だが、妙に現実味のある文面だった。
「伝承で残るほどのものを修理……か。プレッシャーしかねぇな」
近づいて観察する。
欠けた部分が目立つが、太郎の目には“そこが本質ではない”と感じた。
問題はもっと別の場所だ。
大城が石碑の裏に回る。
そこには小さな石扉があり、南京錠で施錠されていた。
「こっちが本体よ」
そう言って大城が鍵を外す。
瞬間、空気が一変した。
ドロッとした魔力が、まるで瘴気のように溢れ出してくる。
体がざわりと反応するが、太郎の結界が自動的に遮断してくれた。
大城の顔に一筋、汗が流れる。
「……これはちょっとまずいわね。ヒビも大きくなってるし、漏れ出してる力も異常よ」
大城が眉をひそめ、スマホを取り出した。
「私は少し電話してくるから、修理できるかだけ確認してもらえる?」
「ああ、了解」
大城は焦った様子でどこかに電話をかけていく。
太郎は石扉の前に立ち、静かに息を吐いた。
(リク、これ……特級呪物の時と同じような魔力が出てるな)
《はい。結界で封じるのが最善ですが、大城様に感知される可能性が高いです》
(だよなぁ……下手に魔法使えないってのも不便だな。どうする?)
《緊急処置として、石板そのものではなく、広めに結界を展開するのはどうでしょう。
大城様も結界内に居れば変化は感じにくく、感知されない可能性が高いです》
(確かに。この魔力が広がったらどうなるのか、想像もしたくない。
とりあえず十メートル半径の円で、魔力の遮断だけを意識して結界を張っとくか)
《それが最善です。ただし隠蔽はしっかりとお願いします》
(了解。修理自体は今夜で大丈夫か聞いてみよう)
大城の電話が終わったのか、こちらへ戻ってくる。
表情は少し落ち着いたものの、どこか焦りの色が残っていた。
「お待たせしてごめんなさい。緊急処置の段取りができたから、あと一時間もしたらこの公園を立ち入り禁止にするわ。……それで、修理はできそう?」
「なんとも言えん。やってみないとわからんな」
「そうよね……時間が無さそうだから、結果に関係なくこっちも準備しておくけど、早くても二日間はかかるわ」
「そうか。そこは任せる。俺は今夜、修理する。それで大丈夫か?」
「ええ。その予定で組んでるわ。条件は“完全秘匿”よね?
監視カメラは付近にないし、私が責任を持って人払いするわ」
「助かる」
大城が一瞬、太郎を見た。
「……それより、あなたはここにいても平気そうだけど、大丈夫なの?」
「問題ない」
「す、すごいのね。何も感じてないのか、それとも感じたうえで平気なのか……気になるところではあるけど。……期待していいのよね?」
「なんとも言えん」
「ふふ、そうよね。ごめんなさい。……夜まで時間があるから、一旦離れましょう」
そう言って石扉を閉め、南京錠を再びかける。
鍵を太郎に渡すと、軽く息を吐いた。
「これ、預かっておいて。今夜はあなたに任せる」
「ああ」
結界を通るときに何か言われるかと思ったが、特に反応はなかった。
太郎は軽く頭を下げ、車へと戻る。
昼間のはずなのに、背中に残るのは冷たい空気だった。
車に戻ると、ようやく一息つけた気がした。
大城がハンドルを握りながら、ちらりとこちらを見てくる。
「最初は二十時ごろを予定してたんだけどね。
このあと一時間もすれば公園を立ち入り禁止にできるの。
でも、作業自体は夜のほうがいい?」
「条件さえ守れるなら、いつでもいい」
「そう……なら最初の予定どおり二十時からのほうがありがたいわ。
それまで時間が空くから案内でもしたかったんだけど、ちょっと忙しくなりそうなの」
「大丈夫だ。ホテルを予約してある。そこまで送ってくれ」
「了解。じゃ、乗って」
車がゆっくりと走り出す。
窓の外には海沿いの街並みが流れていく。南国の夕方は、どこかゆっくりしている。
ホテルの前に着くと、大城が軽く笑った。
「じゃぁ、十九時三十分に迎えに来るから、ここで待ち合わせね。
成功したら盛大に歓迎会するから!!」
「いや、それは気持ちだけ貰っておく」
「つれないわねぇ。……まぁ、わかったわ。じゃあまた迎えに来るわね」
そう言って車は軽くクラクションを鳴らし、走り去っていった。
チェックインを済ませ、部屋に入る。
荷物を置いて、ベッドに腰を下ろす。
ふぅ、と息をつくと、リクの声が響いた。
《太郎さん、少し休憩しますか?》
「その前に準備だな。必要そうなものを出しておこう」
アイテムBOXを開き、いつものように必要なものを取り出す。
酒、榊、明かり用のランプ。
テーブルの上に並べると、まるで小さな祭壇みたいだ。
「さて……リク、この依頼、どこまでやるか決めておこうか。下見した限りでは、……ヒールで“浄化もできそう”な気配はあった」
《ですが、地元の信仰と繋がる封印です。浄化してしまえば、どんな影響が出るか不明です》
「だよな。……結論としては、クリーンをかけて、リペアで石板の修復まで、か」
《妥当ですね。それ以上は介入しすぎになります》
「了解。いつもどおり、やれる範囲でいこう」
そう言って、太郎は榊の枝を手に取る。
葉の一枚をつまみ、軽く目を閉じる。
「繋がりの確認だ。距離に関係なく、半分以上破損してない限りは繋がってるみたいだな……」
意識を集中させると、細い魔力の糸が伸びている。
何度かやって慣れたのか、すぐに自宅の映像が浮かんだ。
「……よし、繋がってる。……って、なんだあれ」
映ったのは、秘密基地の酒壺の前。
カラスたちが集まって宴会をしている。
その中には、見たこともないキツネみたいなのまで混ざっていた。
「おい……飲んでいいとは言ったけど、言ったけれども!!
早すぎるだろ。今朝出発したばっかりだぞ。」
《太郎さん、スルーでお願いします。》
「……はぁ、わかってるよ。スルーだスルー。魔力の補給だけする」
ゆっくりと魔力を流すと、カードがほのかに光った。
ぎょっとした様子でカラスたちがカードを覗き込むが、太郎はもう見ないふりだ。
「……ついでに酒壺の水も補給できないか……っと、できたな」
《魔法の汎用性、限界がありませんね》
「ほんとにな。便利だからいいけど……なんか人外っぽくなってきたな」
《太郎さん、もうすでに“人外カテゴリ”だと思います》
意識をホテルに戻し、深呼吸する。
時計を見ると、もうすぐ十八時半。
観光に出るにも中途半端な時間だし、外食にも微妙なタイミング。
アイテムBOXから女将に貰った鈴を取り出し、そっと鳴らした。
チリン――。
次の瞬間、ふわりと湯気の立つ食事が現れた。
炊きたてのご飯と味噌汁、魚の塩焼き。
香りだけで胃が鳴る。
「……やっぱ、めちゃくちゃ美味い」
ゆっくりと食事を終えるころには、空が茜色から群青に変わっていた。
窓の外には夜の帳が降り、街の灯りがぽつぽつと灯る。
「さて、そろそろか」
太郎は立ち上がり、作業着に着替える。
荷物をバッグに入れ、ランプの明かりを確認する。
《時間はちょうど十九時二十五分です。迎えが来るころですね》
「よし、行こう。……さぁ、修理の時間だ」
太郎は深く息を吸い込み、ホテルを後にした。
夜の風が、まるで試すように頬を撫でた。




