第126話 止まった時計と、残された想い
自宅に帰り、再度リクにメールの内容を確認する。
画面には短い一通のメール。
祖父が大切にしていた柱時計を修理してほしい。
できるだけ早く、動くようにしてほしい。
「……柱時計か。しかも“できるだけ早く”ね」
『文面から切迫感が読み取れます。現物確認の上、特急料金込みの見積り提示を推奨します』
「だな。郵送は時間かかるし、現地で確認後、持ち帰り修理になるって返信してくれ」
『了解。――送信……完了です』
数分も経たないうちに、再びスマホが震えた。返信は一文だけ。
"それでも構いません。どうか、早く動くようにしてください"
「……これは相当切羽詰まってる。よし、明日の朝イチに見積もりいけるか確認してくれ」
『了解。明日の朝9時で確認をとります』
「任せた。今日は早めに切り上げて準備しとく」
すると、数分も経たないうちにスマホが再び震えた。
依頼者からの返信は驚くほど早かった。
"明日の朝9時で構いません。お待ちしています"
「……行動が早いな。やっぱり相当焦ってる感じだ」
太郎は小さく息をつき、画面を伏せた。
翌朝。
神棚に一礼してから玄関を出る。空は雲ひとつなく、ひんやりした空気が肺に気持ちいい。
「なんか、胸騒ぎするな……」
『緊張によるものか、あるいは――別要因かもしれません』
「縁起でもないこと言うなよ……」
不安を振り払うようにハンドルを握り、車を走らせる。
幹線を離れると家並みが低くなり、やがて立派な塀と瓦屋根の門が現れた。
「でっか……時代劇みたいな門構えだな」
『推定築百年以上。庭木の手入れも完璧です。文化財級の邸宅ですね』
「ビビらせるなって……よし、行くか」
深呼吸して、インターホンを押す。
澄んだチャイム音ののち、落ち着いた女性の声が返ってきた。
『はい、中原です』
「おはようございます。かみはら修理店の神原です。ご依頼の件で伺いました」
『ありがとうございます。どうぞお入りください。すぐ参ります』
引き戸が音もなく開き、手入れの行き届いた枯山水の庭が視界に広がった。
飛び石を渡り、磨き込まれた式台へ上がる。
迎えてくれたのは、二十代前半ほどの女性。薄藍のワンピースに、凛とした所作がよく似合う。
「はじめまして。依頼した中原美咲と申します。急なお願いを聞いてくださって、ありがとうございます」
「いえ、とんでもない。できるだけ早く拝見して、見積りをお出しします」
「こちらへどうぞ」
案内されて庭を横切り、広い玄関から磨き上げられた廊下を進む。
障子越しに柔らかな光が入り、畳の香りが心を落ち着かせた。
『礼儀正しく、余計な詮索はしない。いつもの太郎さんのスタンスで』
「わかってる」
客間の前で美咲さんが襖を開ける。
「柱時計は、こちらに」
視線の先――座敷の奥に、背の高い古い柱時計が静かに佇んでいた。
装飾は重厚で、木肌は深い艶を保っている。けれど、振り子は完全に止まっている。
「……大切にされてたのが伝わりますね。ゼンマイは巻いてありますか?」
「はい、何度か巻いてみたんですけど……動かなくて」
「止まったのは、いつ頃かわかりますか?」
その問いに、美咲さんは少し唇を噛み、静かに口を開いた。
「それが……この時計は祖父が生まれた時に買ってもらった物らしくて、ずっと大事にしていたんです」
「お祖父様の時計なんですね」
「はい。でも、先日……祖父が事故に遭いまして。その時に時計も同じ時間で止まったんです」
彼女の声が少し震えた。
部屋の中に、チクタクの代わりに沈黙だけが響く。
「今も入院していて、状態が悪く……家族も“覚悟はしておいてください”と言われました。
変に思われるかもしれませんが、この時計が止まったのには、何か意味がある気がして。
一縷の望みをかけて、この時計が動いたら......祖父も元気になってくれるかもしれないって、そう思って依頼しました」
その言葉には、必死な願いがこもっていた。
俺は一瞬、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……なぜうちを?」
「はい。でも、どこも時間がかかると言われて。それでは間に合わないかもしれなくて……。
かみはら修理店さんなら"応相談"と書かれていたので、藁にもすがる思いで依頼させて頂きました」
「そうでしたか」
俺は静かにうなずき、時計に手を当てる。
木のぬくもりが、妙に生きているように感じられた。
「外観からは原因がわかりませんね。中の機構を見ないと判断できません。
ですので、一度お預かりして分解・清掃・調整をしたいのですが、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。なるべく早くお願いします」
「わかりました。修理できる確約はできませんが、最善は尽くします」
俺はノートを開き、見積もりを書きながら続ける。
「清掃で三万円、特急対応で一万円。県内ですので、出張費はサービスということで、部品交換が必要なら追加費用という形でどうでしょうか?」
「……ありがとうございます。それでお願いします」
丁寧に一礼したあと、俺は慎重に柱時計を抱え、玄関へと運ぶ。
木枠がずしりと重い。けれど、その重みは“願い”そのもののようだった。
「それではお預かりします。修理が完了次第、お電話いたします」
そう言って、俺は軽く頭を下げた。
車へ向かう途中、ふと振り返る。
中原さんは少し驚いたような顔をして、けれどどこか安心したように微笑んでいた。
「……その想い、俺は信じます。だから、絶対に直してみせます」
そう心の中で呟きながら、俺は車のドアを閉めた。
お読みいただきありがとうございます。
修理費を修正しました。
よろしくお願いします!