第105話 見積もりと全自動密造酒
ニワトリの気配で目が覚めた。
相変わらず、あいつの存在感は目覚まし時計以上だ。
「おはよう。ほら、ご飯と米な」
皿に炊いた新米と、昨日の残りの生米を並べてやると、迷いなくご飯に突っ込んでいく。やっぱり炊いた方が好きらしい。
カラスにも酒を出してやろうとした時、ハッと気付いた。
「……あっ、酒壺、地下に置いたままだったな」
秘密基地へ降りる。
ランタンの灯りに照らされた酒壺には――昨日見た時よりもさらに根が深く浸かっていた。だが、驚いたのはその中身だった。
「……満杯だと!?」
《やはり榊が酒壺を利用して、自動的に酒を生成しているようです》
「マジで“自動密造酒システム”完成してんじゃねーか……」
今日は居酒屋の見積もりがあるから飲むわけにはいかない。
けど、ほんとにできてるか確認くらいなら……。
「……ちょっとだけ、だ」
指先で掬い、舌に乗せる。
濃い香りが鼻を抜け、口の中で芳醇な旨味が広がった。前より深みが出ている。
「……うまっ! でも、ぐっ……我慢、太郎我慢だ……!!」
《禁酒日に誘惑を置くのは太郎さんらしいですね》
「うるさいな……!」
葛藤に負けそうになりながらも、なんとかコップに一杯掬ってカラス用にとっておく。
「……酒はもう榊に任せる。今日の帰りに瓶でも買ってきて、こっちに保管するか」
《賢明な判断です。なお、榊の根が動いているのはスルーでよろしいのですか?》
根に目を向ける。
蔓のように酒壺へ伸びる様は、もはや生き物そのものだ。
「榊、忠告しとくぞ。これ以上、室内とか家の壁に根を張り巡らせたら切るからな。水なら俺が地上からかけてやるから、大人しくしてろよ」
《了解したかのように根が動きましたね……これは偶然でしょうか》
「いや、絶対偶然じゃねぇだろ…………にしても、酒飲みキャラはもう渋滞してんだけどな」
《上位存在においては“酒好き”はむしろ標準仕様かもしれません》
「勘弁してくれよ……」
車を走らせて三十分ほど。
ナビが示した住所に到着すると、店の前には既に小鳥遊が立って待っていた。
「太郎さん! わざわざありがとうございます!」
小走りで近づいてくる小鳥遊。
以前より表情が明るい気がする。実家の居酒屋を継ぐと決めてから、吹っ切れたのかもしれない。
「おう。待たせたな」
軽く会釈を返しつつ、視線を店へ移す。
木目調の看板は年季が入っていて、暖簾も色が褪せている。けれど、不思議と古臭さより“安心感”を感じさせる。
「ここがうちの店です。二十年前からやってて、常連さんでそれなりに賑わってると思います」
小鳥遊が照れくさそうに言う。
確かに、外からでもカウンターの木の質感や、テーブルの角が使い込まれて丸くなっているのがわかる。
「ただ、親父ももう歳で、そろそろ引退するつもりなんです。だから自分が継ぐことになって……でも」
小鳥遊は少し言葉を濁す。
「固定客は今の雰囲気が好きだから、あまり変えすぎるのも微妙で。でも新規のお客さんを呼び込みたいなら、やっぱり綺麗にしないと……太郎さん、どうしたらいいと思います?」
――その問いに、俺が答えるより早く、頭の中にリクの落ち着いた声が響いた。
《調理場・水回りは徹底的に清掃。二十年分の匂いが染み込んだクロスは全交換。照明は暖色系にして温かい雰囲気を演出。さらに天井にブラインドを設置すれば、半個室感が出て若い層にもウケます》
……相変わらず即答だな、お前。
《今あるカウンターやテーブルは歴史そのものです。油汚れを取るだけにして“味”を残しましょう》
「なるほどな……」
俺はうなずき、リクの案をかみ砕いて口にする。
「とりあえず調理場と水回りはピカピカにする。クロスは匂いごと落とすために全部張り替え。照明は暖色系にして雰囲気を柔らかく。で、天井にブラインドを入れて半個室化にしたら新規の客も入りやすい。テーブルとカウンターは汚れ落とすだけにして“味”を残す。――どうだ?」
小鳥遊は目を丸くしたあと、勢いよく頷いた。
「……それ、めちゃくちゃ良いです! 雰囲気は残しつつ、新しいお客さんも入りやすい感じにできますね!」
「だろ? 俺も入ってみたくなる空気にするのが一番だ」
胸を張って答えると、小鳥遊の顔に期待がにじむ。
さて、肝心の見積もりだ。
俺は頭の中でざっと計算を組み立てる。
•清掃一式(厨房・フロア・水回):6万〜10万
•クロス交換(防カビ・防臭の量産クロス):10万前後
•照明交換とブラインド設置:10万前後
《合計26万〜30万程度が相場です。太郎さんの場合は道具を既に揃えているため、人件費と外注費が浮きます。23万円提示なら安めで妥当です》
リクの念話を受けて、俺は口を開いた。
「見積もりは……そうだな、23万でどうだ? 一応、道具は全部持ってるからいつでも始められる。こっちも今は急ぎの仕事が入ってないしな」
小鳥遊は目を見開き、声を上げた。
「安すぎませんか?!」
俺は肩をすくめて笑う。
「お前の社畜卒業祝いだよ。そんくらいしかできないしな! はははっ」
小鳥遊の目がじわっと潤んでいく。
「太郎さん……ありがとうございます!! もう、全部任せます! お願いします!!それで、どれくらいの期間かかりますか?」
「たぶん1日あったら終わるだろ。次の休みいつだ?」
「それも早すぎませんか?!ほんと無理しないでくださいよ。定休日なんですけど実は明日なんです」
「慣れだよ慣れ。集中してやり出したらすぐだよ。間に合わなかったら次の定休日に分けてやるから店休まなくてもいけるだろ? どうする? 明日からもうやっとくか?」
「ぜひっ!! って言いたいとこなんですけど、明日は親父達も連れて旅行行く予定なんですよ。僕ら居なくても良かったら明日でも全然いいんですけど」
《……なんてご都合主義なんですか。願ったり叶ったりですね太郎さん》
《魔法どれだけ使ってもバレないって事だろ!! どうやって偽装しようか悩んでたのが全部無駄になったぞ》
《無駄ではありません。実績を積んで次に繋げれば必要性が出てきます》
「んー。小鳥遊と親父さんさえ良かったら明日でいいぞ? 鍵だけ預らせてもらうけどそれでもいいか? 一応金銭は全部持って帰っておいてくれよ?」
「そんな心配は一切してないですよ!! じゃあ、ほんとに急ですけど明日お願いしてもいいですか? 夜には帰ってくる予定なんでスペアキー渡しておきます」
嬉しそうにスペアキーを差し出す小鳥遊を受け取り、軽く頭を下げた。
「この度は“かみはら修理店”のご利用、誠にありがとうございます! ……ってな。はははっ」
「うわ、ほんとに店主感ありますよ太郎さん! ちゃんと見習わないと!」
別れの挨拶を済ませ、帰りにホームセンターで暖色照明を購入。
材料屋にも寄ってクロスの在庫を受け取り、家路についた。
さぁ、明日は初の清掃とリフォーム依頼だ。気合い入れていかないとな。
でもその前に、酒壺の試飲だ!!!




