第101話 笑顔の宴、涙の理由
夕飯時、
実家の居間には大きなちゃぶ台が据えられ、みんなが揃って座っていた。
父と母、祖父母、いつものように賑やかな夕飯の準備が整っていく。
「今日は特別に、知り合いから貰った酒があるんだ」
俺が持ってきた酒壺をどん、と卓の中央に置くと、家族の目が一斉に輝いた。
我が家は筋金入りの酒好き一家。宴の前にすでに期待感で顔がにやけている。
「ほぉ〜、これは見るからに旨そうだな」
「ラベルも無いし、珍しい酒だねぇ」
「香りがすごい……!」
祖父が柄杓で壺から酒をすくい、猪口に注ぐ。琥珀色の液体が灯りを受けてきらめいた。
まずは祖父が口に含む。次の瞬間、目を見開いて叫んだ。
「……う、旨いっ!!」
その一声で全員の手が一斉に伸び、次々に盃が満たされていく。
口にした途端、家族の顔が驚きと笑顔に染まった。
「なにこれ、香りがすごい深いのに、すっと入ってくる!」
「喉ごしも柔らかいし、後味が甘いな!」
「いくらでも飲めそうだ!」
あっという間に酒壺は空っぽになった。
祖父が笑いながら猪口をひっくり返して見せる。
「こんな旨い酒は初めてだ。また手に入ったら絶対分けてくれ!」
全員が賛同し、食卓には笑い声が絶えなかった。
でも実は、夕飯の時に祖父が咳をしているのが気になった。
「じいちゃん、咳出てるなら一回病院行っとけよ。季節の変わり目だし、油断すんなよ?」
「はははっ、このくらい大丈夫だ」
そう言うものの、どこか胸の奥が引っかかる。
俺はこっそり魔力を巡らせ、家族一人ひとりをなぞるようにスキャンをかけていった。
父も母も問題なし。健康そのもの。
だが、祖父の胸にうっすらとした影のような反応を捉えた。
(……えっ?)
慌ててさらに深くスキャンをかける。
やはり胸部に異常がある。明確な診断はできないが、無視できない影だ。
《肺の疾患の疑いがあります。早期に病院での検査を推奨します》
リクの落ち着いた念話が響いた。
心臓が凍りつくような感覚に襲われる。
「……なんだよそれ?! 治るのか!?」
思わず心の中で叫んでしまった。
《医師ではないので診断はできません。しかし、肺癌の可能性が高いです》
「っ……!」
喉が詰まり、声にならない。
祖父はちゃぶ台の向こうで楽しそうに酒を注いでいる。
そんな姿と、リクの言葉の落差に、胃の奥がきゅっと縮んだ。
「……ヒールでどうにかならないのか?」
《可能ではあると思います――が今すぐ施すと、酔いが一気に覚めてしまいます》
「……あぁ」
確かにそれは不自然だ。今この場で祖父だけが正気に戻ったら、家族全員が怪しむに決まっている。
《太郎さん、もう一度スキャンをかけてみてください》
「何度やっても一緒だろ……」
半ば諦めつつも、再度魔力を流す。
……だが。
「……嘘だろ?」
異常の影が、さっきよりも薄くなっている。
信じられないが、確かに薄れている。
「なんでだ……?」
《酒壺の効果かもしれません》
リクの声が静かに続く。
《先ほどより確実に異常が軽減されています。酒壺の力が祖父様の体に作用したと考えるのが自然です》
「……マジかよ」
胸の奥がじんわり熱くなる。
嬉しい。嬉しいけど――同時に強烈な恐怖が込み上げる。
「いや、ほんと嬉しいよ。けど……こんなヤバいもの持ってるって知れたら……」
《確実に世界から狙われます》
リクの冷静すぎる言葉に、背筋が冷える。
「どうする……埋めるか……!?」
《上位存在がどう反応するか、まだ不明です》
「……人間相手も怖いけど、そっちの方がもっと恐ろしいな」
深く息を吐き、決意する。
「よし、完全秘匿決定な」
《家族相手の場合はどうされますか?》
「……口止めだ」
俺はちゃぶ台の上で真剣な顔をして口を開いた。
「みんな! 今日飲んだ酒のことは誰にも言わないようにしてくれ。特に母さん! 井戸端会議で近所の人に話すのは禁止! “幻の酒”ってくれた人が言ってたからな」
母がきょとんとし、父が「珍しい酒だからな」と頷く。
祖母も「わかったよ」と笑い、場の空気は和やかに流れていった。
だが俺はその裏で、再度祖父にスキャンをかけた。
――そして、胸の異常が完全に消えていることを確認した瞬間、目から涙がこぼれた。
「……っ」
涙を拭おうとする俺に、祖父が目を丸くして笑った。
「なんで泣いてるんだ? 泣き上戸にでも入ったのか? はははっ」
「……なんでだろな。みんな元気で安心したから……かもな」
苦笑いしながら答える俺を、家族が不思議そうに見ていた。
《太郎さん。微笑ましいとは、こういうことでしょうか》
リクの念話に、思わず頷いた。
そうだ。たぶん、これが本当の「幸せ」ってやつなんだろう。




