第10話 ブラック建設会社、今日もファンタジー超えの理不尽です
朝、いつもより体が軽い。
昨日も回復魔法を5回成功させたおかげで、筋肉の痛みもないし、目覚めも最高だった。
「こんなに元気に通勤できるの、何年ぶりだろ……」
地方都市の道を歩きながら、俺は思わず笑みを浮かべる。
魔法の力ってすごい。
でも、その力を以ってしても、今日の会社を思うと……気分は重い。
『ストレスレベル上昇中です』
スマホからリクの冷静な声が響く。
「会社のこと考えるだけで反応すんな……正しいけど」
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うちの会社、大崎建設工務店は社員30人ほどの中小企業だ。
戸建住宅の建築がメインだが、アパートの下請けやリフォームもやっている。
現場の職人はベテランも多いが気が短いし、施主対応は神経をすり減らす。
そして何より、社長が昭和の化身だ。
「おはようございまーす」
事務所に入ると、いつもの空気が漂っていた。
ざわざわ、ガヤガヤ……朝からみんな書類と電話に追われている。
「お、神原。昨日の現場の段取りどうなった?」
「……資材は今日午前に届く予定です」
「予定じゃねえ、届かせろ」
「いや、こっちじゃどうにも……」
「俺が若い頃は三日徹夜してでも段取りつけたぞ!」
(また始まったよ……三日徹夜呪文。これ何回目だ……?)
横から同期の佐藤が小声でぼやく。
「なあ太郎、今日も呪文の威力高ぇな」
「もう効果時間が無限なんだよ……」
そこに部下の小鳥遊が加わる。
「神原さん、今日の残業って何やる予定っすか?」
「んー……現場が押してるから、夜は見積もりと工程表作りだな」
「え、昨日も見積もりやってましたよね?」
「やってたな……でもまた変わった」
「魔法で複製できたらいいのに……」
「俺もそう思う……」
残業は毎日のルーティーン。
終わらない仕事、終わらない書類、そして終わらない社長の説教。
この会社にファンタジーがあるとしたら、ブラック魔法くらいだ。
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午前の現場。
真夏の太陽が容赦なく降り注ぐ中、俺と佐藤と小鳥遊は足場を上り下りしながら汗だくになっていた。
「資材、まだ届かないっすね」
「あと30分待ってこなかったら、社長に電話だ」
「絶対『気合でどうにかしろ』って言われますよね」
「言うな、それを先に言うな……」
資材が届くまで職人たちは雑談を始めた。
「神原さん、腰痛ひどいって言ってたのに、今日は元気じゃない?」
「……あー、ちょっと寝たら回復したんすよ」
「若いなー。俺なんて湿布貼っても治らねぇのに」
(いや、俺も魔法なかったら湿布地獄だったわ……)
隣で佐藤がぼそっと呟く。
「太郎、なんかお前最近……HP回復薬持ってない?」
「……あったら俺だけで使うかよ」
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昼休憩。
俺たちは現場の片隅で弁当を開いた。
「今日も残業かぁ……」
小鳥遊がため息をつく。
「最近、早く帰れた日ってありました?」
「ないな」
佐藤があっさり答える。
「神原さん、この前の週休、家に帰れずに車で仮眠したって言ってませんでした?」
「……したな」
「ファンタジーなら、馬車で移動中に寝れるんすかね」
「いや、ブラックファンタジーの馬車はきっと寝れねえ」
二人が少し離れたタイミングで、俺は周囲を確認した。
(……今だ)
そっと深呼吸し、火種を意識する。
腰の奥がじんわり熱くなり、重かった足がスッと軽くなる。
目の疲れも取れて、頭が冴えてきた。
(やべ……昨日より早く効いてる……これホントに魔法だわ)
佐藤と小鳥遊が戻ってきた。
「神原さん、顔色良くなりました?」
「……気のせいだろ」
「いや、絶対さっきまで死にそうだったのに」
「気合だ、気合!」
俺は必死で笑って誤魔化した。
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残業が始まったのは夜の七時を回った頃だった。
事務所に戻ると、机の上は書類の山。
俺と佐藤と小鳥遊は黙々と作業を続ける。
十時前、目がしょぼしょぼして集中力が切れかけた瞬間、俺はこっそり回復魔法を発動した。
呼吸と一緒に魔力を全身に巡らせる。
頭の奥がじんわり温かくなり、意識がクリアになっていく。
「……ふぅ……これならもう少し頑張れる」
横で小鳥遊が不思議そうに見てきた。
「さっきまでウトウトしてたのに、なんか急に元気になりましたね?」
「……秘密兵器だ」
「え、なんすかそれ」
「栄養ドリンクみたいなもんだ」
(いや、ほんとは魔法だけどな……)
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夜の十時半を回ってようやく作業が一段落。
俺たちは顔を見合わせてため息をついた。
「なぁ太郎……今日も帰宅は日付変わるな」
「だな……でも、昨日より元気だし……まだいける」
「お前だけ体力バグってない?」
小鳥遊が不思議そうに見てくる。
「いや、バグってない、普通だ……普通だよ……」
普通じゃないのはわかってた。
回復魔法のおかげで、ブラック勤務が少しだけ攻略できている。
でも、こんな現場で使う魔法があるなら、もっと役立つものが欲しい。
(ストレス軽減魔法……社長沈黙魔法……納期消滅魔法……あればいいのに)
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帰宅したのは深夜。
ソファに倒れ込みながら、スマホを手に取った。
「リク、今日はマジできつかった」
『残業時間は5時間超過。ストレス指数95%です』
「はは……だろうな……」
俺はゆっくり呼吸を整え、回復魔法をもう一度使う。
じんわりと体が温かくなり、痛みが消えていく。
疲労が溶けていくたび、胸が少しだけ軽くなる。
「……俺、いつか絶対、こんな生活から抜け出すからな」
スマホの画面が小さく光った。
リクの声が落ち着いたトーンで響く。
『それまで、生存率を最大化しましょう』
「……ああ、頼むぜ、相棒」
俺はそのまま、魔法の余韻に包まれながら眠りに落ちた。




