34. ヘルガの危うさ
「ち、チアキが嫌なら......私一人でも行く......チアキは、私なんかに気を遣わないで、帰って良いんだよ。それでチアキを嫌いになったり絶対しないから」
ヘルガが、苦痛を押しのけながら無理に笑顔を作るような表情を僕に見せる。
キズからは、吸収速度こそクセノサロスのときよりも大幅に落ちているものの、なお魔力を吸収し続けており、その吸い上げた魔力をそのままヘルガへ向けられた『ヒール』へ流し込んでいる。
「ヘルガ......そんなこと言ってる場合じゃないだろ。もう僕もヘルガも限界だ。むしろ参戦するほうが、ナブンの気を散らして不利にするかもしれない。」
僕はそう言いながら、ヘルガの肩を強く掴む。
ヘルガは相当に身体を壊しているようで、掴んだそばから体幹の不安定さが伝わってきた。
これじゃ駄目だ。絶対にヘルガを行かせられない。
いざとなったら、無理やり背負ってでもヘルガを運ぶしかない。
「それに、ヘルガだってさっきは逃げようとしてたじゃないか!なんで今になって急にそんな事言うんだよ!」
……気持ちは分からんでもない。
でも、ナブンは所詮は……野生の狼だ。せいぜいペットに近い存在でしかない。
僕達自身の命を賭けてまで助けに入るだけの理由があるのかといえば、それだけの価値はないはずだ。
「......離して」
ヘルガは、僕が肩を掴む手首を握ると、引き離そうと力を込める。
だが、僕の力には敵わないようで、僕も負けじとさらに力を込める。
「いや、離さないね!ヘルガ!状況を分かってくれ!今この状態で加勢したところで"足手まとい"なんだよ!転がってくる大岩を、その先に人がいるからって受け止めようとするみたいなものだ!要するに無駄死に......」
「私はまだ戦える!」
キズから漏れ出す魔力の勢いを強まると同時に、僕の空になったはずの身体からもさらに魔力が漏れ出し、ヘルガの元へ流れ込む。
血を抜かれすぎたような、身体から力が抜けていく感覚が走り、ヘルガの肩を握る手の力が緩む。
「離して!チアキは村に帰って、はやくこれを報告してよ!」
ヘルガは、その隙を突いて手を大きく払い、肩を握る僕の腕を振り払おうとする。
僕は一瞬力が緩んだものの、すぐに我に返り、意地でさらに力を込めてそれに抵抗した。
「わがまま言うなよ!ヘルガ!」
「言わせてよ!」
――その時、何かの鳴き声と重い衝突音が、さっきより近い場所で再び森に響いた。
「ヴォ”ッ......」
――何かが、息が漏れるような短い鳴き声とともに、木々の枝葉を突き破ってこちらへ飛んできた。
その何かは、一度大きく地面に跳ね、土と血を撒き散らしながら横倒しに転がる。
振られた尾が勢いよく木に打ち、近くの低木をへし折る。
それは、クセノサロスに似た体つきの、だが一回り小さく、全体的に細い恐竜だった。
緑色の鱗に覆われたその胴体は、既に原形を崩しかけていた。首の横は深く抉れ、そこから白い筋と骨が覗いている。
腹の側面は大きく裂け、その裂傷からは、潰れた内臓が泥と血にまみれてはみ出していた。
「っ......!」
僕は突然のそれに、拳を握って構える。
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名前:--
種族:ヴェロクラプトLv18/39
状態:洗脳Lv5/20、バーサークLv4/20、大量出血
HP:11/144 MP:58/123
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......死にかけ、か。
『洗脳』と『バーサーク』をみるに、当然クセノサロスと同様、僕達の敵だろうが......ナブンがやったのか。
――次の瞬間、木々の枝葉を斬り分けるようにして、大きな黒い影――ナブンが跳んできた。
着地と同時に、ナブンの太い前脚が、その死にかけの個体の首の付け根を上から踏みつける。
鱗と肉に覆われた頚骨が砕け、地面へねじ込まれた。
その四肢が一度だけ痙攣するように大きく跳ねると、そのまま硬直して動かなくなった。
さらにナブンは、顎に咥えていたもう一匹の恐竜の生首を、顎を振って放り投げて、僕達の前に転がしてみせた。
その緑色の頭部は首の半ばで千切れており、眼球は押し出され、断面からは砕けた骨と潰れた肉が剥き出しになっている。
「な、ナブン!」
ヘルガは、そんなナブンを見ると、僕の緩んだ腕を払って、ナブンへ近づいて抱きつく。
「バウッ」
ナブンはそんなヘルガに一声かけると、顔を撫でるヘルガの手を少し鬱陶しそうに背けたかと思えば、すぐに諦めて為されるがままにしていた。
ナブンの黒い身体には、複数の噛み跡がえぐられていた。
肉がえぐり取られ、骨まで見える箇所もある。しかし、その箇所は急速に再生を始め、毛皮こそ元には戻らなかったが、そのまま皮膚まで塞いでいく。
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名前:人類を責め苦の炉に投げ込む闇の王に抵抗し、弱き者を守る牙
種族:ヴァガボンド・ウルフLv19/26
状態:衰弱の呪いLv1/20、出血
HP:98/142 MP:34/153
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スキルの『回復』の効果か。
クセノサロスの『再生』といい、ラッシュ・ボアやこいつといい、回復系の能力があるのとないのでは脅威度が数段変わるだろう。
後先考えずに無理な戦いを続行できるし......羨ましいな。
......ナブンの様子を見るに、もう周囲に敵はいないのだろう。
結局三体だったのか......いや、足音のことを思い出すに、この一匹はあとから加勢したのかもしれない。
ところで、クセノサロスはD+だったが、ナブンが戦ったこいつのランクは......
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D+『ヴェロクラプト』
【大陸南東部に広がる高魔力密度地帯、瘴霧樹海に主に棲息する中級恐獣。
下級恐獣『エオサロス』からの進化個体も確認されているが、多くはこの樹海の環境下で直接誕生する。
群体行動を取る傾向が強く、個体間での比較的複雑な意思疎通が確認されている。】
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――その瞬間、脳を錐でくり抜かれたような痛みが走った。
視界が揺れ、目の前の死骸が一度滲む。
次の瞬間、今見ている森とは別の景色が、断片的に頭の内側へ押し込まれてきた。
......僕は、こいつを......ヴェロクラプトを知っている。これと戦ったことがある。
いや、それどころか......
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――瘴霧樹海。
白く濁った瘴気が地面すれすれを流れ、湿った黒土の上には、太い木の根と腐葉が幾層にも重なっていた。
樹皮はどれも炭のように黒ずみ、幹には灰緑色の菌糸や、肉のような質感の蔓が絡みついている。
そうだ。
あの時、僕はパーティーに入って間もない新人で、薬草の採取を目的にその森へ入ったんだ。
先頭を歩いていたのは、重戦士のアンドレアス。
後衛には、弓を背負ったフィロメナと、短杖を持ったエイレーネ。
そして、採取や鑑定を担当していた年長のテオドロス。
四人とも、入ったばかりの僕を厄介者扱いしなかった。
レベルの低い僕に歩幅を合わせ、瘴気の濃い場所では口元を覆う布を追加で貸してくれた。
採取袋の口の結び方や、怪我をした時の包帯の巻き方まで、その場で教えてくれた。
――だが、森の奥へ入って間もなくして、状況は一変した。
アンドレアスが撤退の指示を出した時には、もう遅かった。
――ヴェロクラプトの群れが僕達を包囲した。その数は十に近かった。
アンドレアスと僕が前衛として必死に引きつけようとしたが、その隙を突いて、最初の一匹が横からフィロメナに噛みついた。
同時に、別の個体が倒木を踏み台にして背後から跳びかかり、エイレーネの肩口へ爪を食い込ませる。
テオドロスは、気づいた時にはすでに頭部を失った死体となっていた。
フィロメナの絶叫、アンドレアスの怒号、ヴェロクラプトの低い唸り声が、僕の鼓膜をつんざいた。
僕は必死に、転移時に神から与えられた最上位の剣術スキルを惜しみなく使って戦った。
だが、多勢に無勢だった。
一匹の動きを目で追った次の瞬間、別の一匹が死角から飛び込み、僕の左腕へ噛みつく。
――歯が前腕の肉を潰しながら貫き、骨にまで達する。
その直後、デスロールで腕ごと捻られ、骨が耐えきれずに折れて千切れた。
残った皮膚と筋だけがわずかに垂れ下がり、そこから血が途切れなく噴き出した。
――僕はその直後、何もかも投げ捨てて、腕から血を垂らしながら来た方向へ向かってがむしゃらに走った。
背後で金属のぶつかる音がして、誰かが僕を責めるような怒声が聞こえても、僕は振り返らなかった。
木の根に躓いて転び、泥に顔を擦りつけても、また立ち上がって走った。
その後、街へ戻った僕は、もう冒険者を続けることができなかった。
日雇い労働や物乞いで食いつなぐようになったが、それも長くは続かなかった。
最後は、マフィアじみた物乞縺?寔蝗」縺ョ邵?シオ繧翫↓蜈・繧願セシ繧薙〒縺励∪縺??∽ク崎?繧定イキ縺」縺ヲ谿コ縺輔l縺溘?
「チアキ!」
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そのヘルガの声と、身体へぶつかってきた衝撃で視界が晴れる。
同時に、蘇っていた何かの映像も遠い彼方に四散した。
気づけば、ヘルガはそのまま僕の胴へ腕を回して抱きついていた。
細い肩は小刻みに震え、僕の胸元へ押しつけられた顔からは荒い息が漏れている。
その声は涙で濡れ、張りつめていた興奮が一気に放たれたようだった。
「チアキ......チアキ、ごめんなさい。わ、私は、どうしても、もう大切な人を失いたくなくて......私は......わ、私は......あのまま逃げたら、もう胸を張って生きていくことなんてできないから......そ、そんなの、生きてる意味なんてないから......め、迷惑かけて、巻き込んで、ごめんなさい......ごめんなさい......」
言葉の終わりには、ヘルガは子供のように声を崩して泣きじゃくっていた。
僕の血で汚れた服へ涙が次々に落ち、布の表面をさらに濡らしていく。
僕は、その言葉をどこか他人事として聞き流すことができなかった。
胸の奥に......いや、もっと奥の、根本にある記憶のどこかへ、その言葉が響いてつながるような感覚があった。
だが、その根源を探ろうとしても、頭に靄がかかったように思い出すことができない。
さっきまで......さっきまで、大事な何かを思い出せそうな気がしたのに......自分が先程何を考えていたのかも、まったく思い出せない。
〚ともあれ、みんなぶじ。さいこー〛
不意に、キズの軽い調子の思念が頭の中へ流れ込んできた。
その能天気な響きに、僕の張りつめていた意識が、少しだけ引き戻された。
「......そうだ。そうだな。みんなが無事で良かった」
そう口に出してから、ヘルガの背へ腕を回し、抱きしめ返す。
頭を撫でると、その頭も、身体も、思っていたよりずっと小さくて薄かった。
普段は年齢に似合わない落ち着き方を見せることがあっても、やはりヘルガは僕より明らかに幼い。
緊急時に自分の命を軽んじるような危うさも、それが理由の一つなのだろうか。
......ヘルガだけは、僕が守らないといけない。
まして見捨てるなんて、もってのほかだ。
僕はヘルガの頭をもう一度撫でてから、少しだけ身体を離した。
「ヘルガ、帰ろう」
「......うん」
ヘルガは血が混じった涙と鼻水で濡れた顔のまま僕を見上げると、袖でそれを拭う。
「まだ安心できる状況じゃない。もしかしたら、まだ追手が来る可能性もある。でも、とりあえず村へ戻って休ませてもらおう」
そう言いながら、僕は周囲へ目を走らせる。
土には血が広がり、ヴェロクラプトの死体と飛び散った肉片がそのまま残っている。
僕達のそばには、警戒を解いたナブンが、前足で耳の裏を掻いていた。
......ナブンが落ち着いている以上、今この場に新しい敵の気配はないのだろうが、それがこの先も続く保証はない。
「それに、この森の状態をギルドに報告しないといけない。凶暴なあの恐獣が複数、このあたりに出てきているのは、村だけの問題じゃ済まない。......それに、あいつらは......あいつらは......何だっけ」
僕は自分が何を言おうとしたのか、それを思い出すように目頭へ指を当てた。
だが、それを思い出すことはできなかった。
「チアキ」
ヘルガの僕を呼ぶ声が聞こえて顔を上げる。
既に泣き止み、興奮も少し収まったように見えた。
「なに?」
僕がそう聞き返すと、ヘルガは涙で腫れた目を細めて、口角を上げて笑顔を見せた。
「これからも、ずっとよろしくね。私、生きてきて、今が一番楽しいよ。」
ヘルガは、恥ずかしげもなく、嬉しそうに僕へそう言ってみせた。
僕は突然のそのヘルガの言葉に驚いて、しばらく間を空けてしまう。
「......いや、こちらこそ......これからもよろしく、ヘルガ」
僕は照れたようにヘルガから顔を背けてしまい、そのまま地面に投げ捨てたリュックを拾って背負った。
しばらくこれくらいの更新頻度になりそうです(^_^;)
3月中に40話達成は無理でした(T_T)
何卒気長にお待ち下さいm(_ _)m




