24. 燻煙ダークミスト
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いつでも巣穴から出てくるグレー・ラットを刺せるように、右手にファルシオンを持ち、盾もそばに置いておく。
だが、ずっと腰を折っているのもしんどい。そこで尻を地面につけ、左膝を立てて足裏を地面につけたまま、右脚は胡坐をかくように折る。左手は地面に着き上体を預ける支えとする。
眼の前には細かな文字列が折り重なった黒い魔法陣が展開されているが、もうそこからは黒煙を出していない。『ダークミスト』で出した煙はある程度操ることができるのだが、その際、自分の魔力であるからか、"なんとなく"どこまで広がったかを魔法陣を通して感覚的に把握できる。
もう十分に煙は巣穴の中へ充満している。予備の巣穴もヘルガの土魔法で塞がれて換気もされない。だから、あとは黒煙の維持と操作だけに絞って、魔力消費を抑えることにした。
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名前:行島千秋
種族:人間Lv14 SP:38
状態:通常
HP:90/90 MP:61/106
攻撃力:30+27 敏捷:33-4 防護:14(盾20)
魔力:34 知力:36
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黒煙を出すのと維持するのでは全く魔力消費が違う。維持だけならMP満タンからスタートすれば半日くらい持つんじゃないかな。
「中々出てこないねー。」
ヘルガに少し目をやると、丸く膨らんだ革水筒に口をつけ、水を飲んでいた。
「いやぁ、ほんと出てこないな。結構高密度に燻してやってるはずなんだけど......耐性とかあるんかな。」
かれこれ二十分くらい粘っているが、中々出てこない。
いや、そろそろなのかもしれないが、巣穴内でダークミストがかき乱されるような感覚もない。多分、思ったより大人しく過ごしている。全く動いていないわけでもないが、殺虫剤をかけられた虫みたいにジタバタしているわけでもなさそうな感じ。もちろん、正確に把握はできないが。
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『ダークミスト』
【闇魔法の初級魔法の一種。
黒く濃密な霧を広範囲に発生させ、霧の中に含まれた闇の魔力によって敵を蝕む。
この霧を吸い込んだ者は、複数の状態異常に侵されていく。
即効性は低い。】
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グレーラットは『病耐性Lv20』を殆ど持っていた。だから病気にはほぼ無敵かもしれないが、『ダークミスト』に書かれている"複数の状態異常"には、他にも毒や麻痺、呪い等々が含まれている。
さっき『ダークミスト』をLv10まで上げた僕が、それを一番よく知っている。
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『病耐性』
【病一般に対する耐性。
体内に侵入した病原菌の増殖や細胞破壊を抑え、免疫反応によって排除しやすくする。】
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スキルポイントでレベルを上げると、不思議とその魔法に対する理解が深まる。
即効性については、少なくとも僕だったら数分吸えば効果が出始めると思う。自分の魔力だから、多少耐性がありそうな気もするが。
......もしかして、ネズミハンター御用達の灰煙草の方が、僕の『ダークミスト』よりも効果あったりするのか?これは結構心外だな。というか、そうだったら悔しいな。
「あっ......」
僕が巣穴をじっと見つめながら、うじうじ考え込んでいると、ヘルガが何かを思い出したように小さく声を漏らした。
ヘルガに少し目をやると、珍しく僕と目線を合わせようとせず、表情も動かさないまま、巣穴の一点をじっと見つめている。
「どうしたの?」
「もしかしたら......グレー・ラットってあんまり呼吸しないんじゃないかな。」
ヘルガは落ち着いた表情で、いつもより抑揚の少ない声で言った。
「というと?」
僕が続きを促す。
「その、グレーラットって一応換気用の穴をいくつか用意してるけど、それでも長くて深い巣穴を作ってたら息苦しくないのかなって思って。チアキの『ダークミスト』って吸い込んだり、目に染みたりして身体に回っていくんだよね?普段から呼吸の回数が少ないなら、息苦しくないのも、『ダークミスト』に反応しにくいのにも納得できるし……土に潜る魔獣はタフだっていう噂も、こういうのが理由なのかもと思って。」
「あぁ......まぁ確かにそれは言えそう」
「あ、チアキもそう思ってくれる?えへっ、」
ヘルガは軽く口元を緩める、巣穴を見つめたまま話を続ける。声は徐々に弾んでいった。
「でも、いくら呼吸の数が少なくても新しい空気は多少は必要だと思う。だから、グレーラットの巣って、ただ深いだけじゃなくて、たぶん中で空気が回るように枝分かれしてるんじゃないかな。普段なら新しい空気を取り込むのに使えるんだろうけど……灰煙草の煙は下に下がっていくし、ダークミストは自由自在だったよね」
ヘルガは言葉を途切れさせずに続ける。
「さっきは巣穴の通路を一部封鎖して毒煙を防いでるんじゃないかとも思ったけど……これなら、有毒な空気を封鎖で塞ごうと思っても、網目状の構造がそれを妨げちゃうと思う」
ヘルガの話す速さはどんどん上がっていき、にやける口元を隠すように片手を添えた。
「それとさっきとは逆になるけど、呼吸の回数は少なくても私たちみたいに身体も大きくないから、毒の量が少なくても十分に効くはず。毒を吸い込むまでには時間がかかるかもしれないけど吸い込んだ後に効き始めるのは早いんじゃないかな。つまり耐えられるのは最初だけで限界が来たら一気に瓦解すると思う。だからもういつ始まってもおかしくないかも。もちろん、これは推測を前提にしてばっかりで......」
ヘルガ、たまにこういうところあるよな。
そういえば初めて会って街に向かってる時も、ずっとこんな調子だった。話していくうちに、僕の顔色を伺うような表情から、僕なんて眼中にないみたいにどこか地面を見つめる顔になって、延々と一人で話し続ける。自分の中で組み立てた考察や余談が次々と口から溢れ出す、みたいな。
「......はー、ヘルガって何かとよく知ってるよな。」
「あ、ご、ごめん。ついちょっと色々考えちゃって。それに、知ってるっていうか、自分の頭の中で適当に考えてる話なだけだから。」
ヘルガははっとして視線を僕に戻し、焦ったように再び僕の顔を伺い始める。
「いや、全然悪いことじゃないよ。ただ気になったのが......ヘルガ、冒険者になる前は何してたの?」
「えっ......」
僕の言葉を聞くと、ヘルガは困ったように視線を巣穴の方へ逸らした。口をわずかに開いたと思えばまた閉じる。杖の先端の装飾を落ち着かない様子で爪でなぞる。
ヘルガは普段身の上話をしない。"ニホン"について色々聞かれたとき、そっちはどうなのかと尋ね返しても、普通の開拓村だったとしか言わず、話を逸らしていた。
本当は聞かれたくない話なのかもしれない。だが、僕としては気になる。本人のことをほとんど知らないのに友達で居続けようっていうのも、なんかおかしな話だと僕は思う。
「......魔法も使えて、博識で、言動も庶民的じゃないし。どこか良いところのお嬢さんだったりする?」
しばらく沈黙が流れる。
「......わ、私は」
するとヘルガは杖の先端に置いていた指を止め、ゆっくりと視線を僕へ戻した。
「私はただの農家の......」
そこまで言って、ヘルガは口を開いたまま次の言葉を出さなかった。喉が詰まったような声が漏れ、やがて唇を閉じる。
僕は何も言わず、その沈黙を保った。
こういう時は何か返すより、続きを待つのが正しい気がする。
「私は......一体、何なのかな」
ヘルガは口元をわずかに歪ませ、表情を崩した。語尾では少し震えているような、消え入りそうな声だった。
「......ヘルガ、君は」
「バウ"ッ!バウバウ"ッ"!」
その瞬間、ロー・ウルフが突然ある方向を見て吠え始めた。
同時に、僕の『ダークミスト』にも異変を感じる。黒煙が巣穴の中に留まらず、突然四方へ広がるように漏れ始めた。
嫌な予感がして周囲を見渡す。
「な、なんで......」
周辺一帯の地面に、十を優に超える数の穴が"突然"開いた。そこから黒い霧が、筋になって漏れ出す。
「こんなの、ギルドから聞いてないぞ!」
グレーラットは長い時間をかけ、崩落しないように巣を丁寧に作る。煙で燻された際、"いくつか"地面に出る穴を掘って換気や攻撃用にすることは、確かにギルドから伝えられていた。そのときは、開いた穴をヘルガの土魔法で、女王がギリ逃げ出せる程度に埋めてもらう予定だった。
だが、ここまでの数の穴が"一斉に"開くなんて、想像もしていなかった。しかもそんな兆候を察知することもできなかった。
「チアキ!」
ヘルガが叫ぶと、すぐに『ダークミスト』を流し込んでいた巣穴へ杖を向け、土魔法の魔法陣を照らした。
その巣穴といくつかの開いた穴の縁が沈み込み、通路がねじられるように歪んだ。土が内側へ引き寄せられ、押し潰されるようにして塞がる。
だが同時に、地中から低く鈍い音が響く。小さな地鳴りみたいな振動が足裏に伝わり、周囲で次から次へと新たな穴が開く気配がした。
ギルドの伝え方が悪かったのか?いや、出発前に色々と教えてくれたギルドの職員は、僕たちを心配するように丁寧に細部まで説明してくれたはずだ。
なら、ギルドが、あの職員が持っていた情報そのものが浅かったのか?いや、それもしっくりこない。ネズミ狩りはこの地域で百年近く続く伝統だと聞いた。そんな長い歴史があるのに、肝心な情報が足りずそれが伝承されていないというのも不自然だ。
――次の瞬間、開いた穴という穴から灰色の塊が一斉に噴き出した。
「ギギッ!」
「ギィィッ!」
「ギィィィ!」
「ギリッ」
土が跳ね上がり、何十匹ものグレー・ラットが四方から雪崩れ込む。耳障りな甲高い鳴き声と爪の擦れる音が混じり、群れは迷わず一直線に迫ってきた。
僕は地面に置いていた盾を掴み、すぐに『ダークミスト』の維持を中止する。短縮のため、かき消さずに大部分を流用した新たな魔法陣を眼の前に展開し、出し惜しみせず魔力を一気に放つ。
「『デコイ』!」
空中に走る魔力の線が瞬時に繋がり、幾重にも重なった平面の魔法陣が球状に組み上がって、宙に展開された。その大きさは『ダークミスト』の比ではなく、複雑な紋様が層を成し、互いに噛み合うように回転している。
突貫で組んだせいか、輪郭はわずかに歪んでいるが、それでも魔法陣が成立した瞬間、紫色の光が噴き上がり、周囲一帯を染め上げた。




