11. 少女ヘルガ
「......うぇ......気持ち悪い」
ラッシュ・ボア―の頭突きで受けた衝撃が、まだ腹に残っている。
内臓を押し込まれたような感覚に、胃の底から重い吐き気が湧き上がる。
あばら周辺は赤みを帯びて腫れており、ずきずきと熱を持って痛む。
左手を地面について体を支え、ゆっくりと立ち上がる。
うつぶせで倒れている少女に近寄り、少女の肩に手を添える。
意識はないが、呼吸は確かに続いている。
この子もなかなか無茶するよな。
僕があと一本ポーション持ってるから良かったけど、そうじゃなかったらここで死ぬところだぞ。
......『ヒール』で足を治癒してから、さっさと逃げればよかったのに。
僕ならそうしたな。
左肩が下になるように横向きに寝かせる。
裂けた布の隙間から、肉が開かれ、深くえぐれている太ももが見える。
筋肉の間からは、白い大腿骨の一部がむき出しになっている。
腰に吊るしていた革製のホルダーから、最後のポーションを引き抜き、栓を指で外す。
瓶の口を傷口に近づけ、割れた肉の隙間へ慎重にポーションを垂らしていく。
僅かに粘性のある液体が、ぱっくりと開いた肉の間にゆっくりと染み込み、骨の表面にも流れ落ちていった。
肉の断面がぴくりと震え、血と混じったポーションが淡い光を帯びて細かく泡立ち始めた。
流れ出る血の勢いが弱まり、地面に滴る量が徐々に減っていく。
裂け目の奥では筋肉の繊維がじりじりと伸び、再生が始まりかけているのがわかる。
これ、綺麗に縫合されるのかな。
後遺症とか残ったらかわいそうだ。
......まあ、僕にはどうしようもないな。
「バウッ!」
不意に、短く鋭い鳴き声が響いた。
その声に思わず顔を上げると、木立の間から、一頭の狼が姿を現した。
口には僕のリュックサックが咥えられている。
その狼は、僕のもとまで近寄り、立ち止まると、そっと地面にそれを置いた。
鼻先でリュックを軽く押し、こちらへ差し出すような仕草を見せている。
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名前:--
種族:ロー・ウルフLv22/23
状態:衰弱の呪いLv6/20
HP:65/74 MP:30/42
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汚れた毛並みに、少しぎこちない歩き方。さっき助けてやったあの狼だ。
以前より歩き方がしっかりしており、足を引きずる様子はない。
ポーションが効いたんだろう。
顔つきや動きには明らかに活力が感じられる。
さらに、地面を這うような気配も近づいてくる。
見ると、粘度の高そうな青白のスライム――あの変異個体のスライムだ。
スライムは慎重に距離を詰めると、僕を確認するように身を小さく揺らした。
「あ......うぅ......」
少女はゆっくりとまぶたを開けた。
まだ意識がぼんやりとしている様子で、視線を彷徨わせながら体を起こそうとする。
「いっ......!」
だが、上体をわずかに起こした瞬間、顔をしかめ、唇を固く結ぶ。
手を傷口の上に添え、痛みの場所を確かめるようにそっと触れた。
「これは......ポーション?」
「そう。でも今付けたばっかりだから、もうちょっと寝てた方がいいよ。」
声をかけると、少女は僕を見て、目を少し見開く。
そして、周囲に視線を巡らせる。
「す、スライムに……ロー・ウルフ!」
二体の魔獣を見ると、即座に杖を取り、狼――ロー・ウルフに向けて身構えた。
表情が引き締まり、全身を緊張でこわばらせる。
「バウ"ッ"!」
狼、ロー・ウルフも即座に体を低くし、牙を見せて吠えた。
「す、ストップ!ストップ!これ僕の従魔だから!お前も威嚇すんのやめろ!」
二人の間に入り、両腕を広げて制止する。
僕の言葉で、ロー・ウルフは少女から視線を外し、不満そうに頭を低くして横を向いた。
「え......あ、魔物使いの方だったんですね!す、すみません......」
少女もすぐに杖を下げ、短く謝罪の言葉を口にした。
......冒険者パーティーを見てた時も思ったことだが、こいつらの言語は日本語じゃない。
しかも、今までに聞いたことのない言語。
それでも、不思議なことに、その意味は自然と頭に入ってくるし、僕もまるでネイティブのように、理解しながら話すことができている。
あの青狸のコンニャクでも食った気分。
「えーっと、僕は実は遠いところから来たもので、ちょっとここら辺の地理分からないんだよね。動けるようになってからでいいから、村か町まで道案内してくれない?」
僕は、慎重に言葉を選んで、できるだけ穏やかな口調で尋ねた。
異世界転移がこの世界でどんな風に扱われているのか分からないし、何より日本から来たとかいって変に話をこじらせると面倒だから、その辺りは濁す。
今は何より、人里に着くのが最優先。
この世界の社会構造とか、宗教とか、神のいる場所とかの情報は、人里についてから収集しよう。
「......遠い、ところから?」
少女が、わずかに眉をひそめてこちらを見た。
表情には疑念と、少しの戸惑いの色がある。
やべ。地雷踏んだか。何が悪かった?
......遠いところからっていうのそんなに変か?旅人くらいいるやろ。というか、君たち冒険者でしょ。なんでそんな顔する?
それとも、この表情には大した意味がなくて、単なる出身に対する疑問か。
「......まあ、結構遠くの国なんだ。そんなことより、君たちは何しにこんな森に?」
「え、あ......えっと。私は冒険者なのですが、あるパーティーに臨時で雇われて、毒草の採集をすることになったんです。そしたら、あのラッシュ・ボア―に遭遇して......リーダーが討伐を提案して、前に討伐に参加したことあるから任せろって言って......」
少女は気まずそうに視線を落とし、ちらりと自分の太ももの傷口に目をやる。
傷口は、急速に肉の裂け目が縮まり、縫い合わせるように再生しつつある。
僕が肩をぶっ刺された時よりも効くのが早い。
直接塗ったのが良かったのか?
「す、凄い。傷がどんどん治ってきてる。絶対高価なポーションでしたよね。ど、どうしましょう。私お礼になるようなもの持ってなくて......とりあえず、これを受け取ってください。」
慌てた様子でローブの内側を探り、小さな袋を取り出した。
そして、そのまま袋をこちらに差し出す。
中で金属がこすれ合うような音が微かにしている。
財布かなんかだろう。
「......いや、受け取らないよ。実際、僕も最後は君に助けられたんだ。君の魔法がなかったら、あのまま死んでたよ。」
「で、でも......」
差し出された袋を、僕は手で軽く押し戻し、やんわりと断った。
少女は少し戸惑っているようで、ローブに袋をいれることもなく、手に持ったまま視線を泳がせている。
本当は超受け取りたいけど、人里に着いた後色々案内もしてもらうことも考えると、少しでも印象を良くした方がいい。
それに、できればこのまま仲間にしたい。
こんな才能の塊、見る人が見ればすぐに引き抜かれてしまう。
この子結構恩を感じやすそうだし、今のうちに恩をたくさん売っておく。
「とりあえず、立てる?あんまり長居できる場所じゃないし、とりあえず帰ろう。」
僕が右手を差し出した。
少女は少し遠慮気味にその手を取る。
バランスを崩さないように少女の肩に少し手を添えて、力をかけて引き上げる。
少女の太ももに目をやる。
うっすらと赤い痕が残っているだけで、傷口は既に綺麗にふさがった。
ポーション凄すぎだろ。
「本当にありがとうございます......私はヘルガといいます。あなたのお名前は......?」
「チアキ。よろしくね、ヘルガ。」
次話の更新は約1週間後になります。
申し訳ありません。




