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第四節:弱い犬ほどよく吠えるのです

 魔法実技の授業も終盤に差しかかった頃。

 次の模擬戦に呼ばれたのは、同じ一年生のエミリア・グランフォードと、学園で有名な令嬢──アンジェリカ・ローゼンだった。


 エミリアは、入学時の案内で名前だけは見かけた記憶がある。

 淡い藤色の髪に、大きな瞳。儚げで、おとなしい。……その印象どおり、模擬戦の立ち姿も少し心許ない。


 彼女の出自は男爵家。

 “貴族”とはいえ、血筋としては一代の叙爵──つまり本人の父親が近年になって功績で爵位を得た、新興家門だ。


 一方のアンジェリカ・ローゼンは、由緒ある伯爵家の長女であり、学院内では女王気取りの中心人物。

 社交界では舞踏会の花ともてはやされていたそうで、本人もそれをよく自覚している節がある。


 案の定、試合は始まる前から勝負が見えていた。


「……まるで、子ウサギですね」


 そんな侮蔑の声とともに放たれたのは、水の矢を複数束ねた《水のレイピア》。

 エミリアは《幻》の系統魔法でかわそうとしたが、その制御は拙く──半ば転ぶようにして場外に逃れるしかなかった。


 勝敗は一瞬でつき、見物していた生徒たちから失笑が漏れた。

 エミリアは唇を噛み、何も言えずに立ち尽くしていた。


 わたしはただ、それを見ていた。

 他人の敗北や失態を笑う趣味はないけれど、かといって、あの場で何か言葉をかける理由もなかった。





*****




 その日の実技授業を終えて寮へ戻ると、リティシアは早々に足を止めた。

 貴族寮の廊下──自室の前で、女の甲高い声が壁を打っていた。


「ねえ、恥ずかしくないの? 自分の身の程って、わかってる?」


 声の主は、アンジェリカ・ローゼン。

 伯爵令嬢として学園内の“上位階級”を自負する彼女は、毎度のように口撃の矛先を弱い者へと向ける。


 その今日の標的は──エミリア・グランフォード。

 一代限りの男爵家。幻系魔法という希少だが地味な属性。

 そして、さきほど模擬戦で華麗に敗北したばかりの生徒だった。


「あなたの魔力量、笑っちゃうくらい貧弱だったわ。あんなものでどうやってこの学院に入ったの? 賄賂? それとも身を売った?」


「……っ、ちが……」


 小さな声で反論しようとしたエミリアを、アンジェリカは鼻で笑って封じる。


「一代貴族なんて平民も同然。幻なんて使えても意味がないし、そもそも“家”も“力”もないあなたに価値なんてある?」


 ──それは、まるで見えない杭を打ち続けるような執拗な言葉の暴力だった。

 だがリティシアにとっては、そもそも騒音だった。


「……どいてくださらない?」


 無感情な声音でそう告げると、アンジェリカがようやくリティシアの存在に気づいた。


「はあ? 何の用よ。話の途中なんだけど」


「いえ。ただ、ここ──わたくしの部屋の前なんです。

 名門伯爵家の演説会を開くには、あまりに狭い舞台でしょう?」


 ピタリと空気が止まる。


「……あなた、クロード家の?」


「ええ。よくご存じで。光栄です」


 わずかに口元を歪め、皮肉をこめて微笑む。


「“ことなかれ”を座右に置く主義ですの。お騒がせな演目は苦手でして」


 アンジェリカの顔が歪んだ。

 その場にいた誰もが、彼女が拳を握りしめたのを見た。


「ふざけないで。魔力量ゼロの無能が、何を偉そうに──」


「まぁまぁ。落ちこぼれは落ちこぼれなりに、階段の端を静かに歩いていこうと思っておりますの。

 ……ですが、わたくしですら辿り着けた階段の“最下段”すら、あなたは踏み外しておられるようで?」


「……っ!」


「“強さ”という言葉を、他人を潰すための道具にしか使えない方が、

 名門だの貴族だのと仰るのは……ちょっと“品性”に欠けますね」


 アンジェリカの手が、ぴくりと震える。

 それは魔力を込めかけた動作にも似ていたが、結局は握り込まれたまま振り上げられることはなかった。


 その瞬間だった。


 アンジェリカの手が、ぴくりと震える。……と同時に、


 バチィンッッ!!!


 雷でも落ちたかのような音とともに、彼女の頭上で空気が弾けた。

 見えない衝撃が脳天からつま先まで突き抜け、髪がぶわっと広がる。


「ッッえええっ!?」


 次の瞬間、全身をビリビリと走る衝撃に耐えきれず、背中から豪快に吹っ飛んだ。

 「え?」と周囲が呟く間もなく、スカートの裾がひるがえり、廊下を滑りながら5メートル後退。


 その先にいた取り巻き2名を巻き込み、見事に三人まとめて床に転がる。


「ちょ、ちょっと今のなにっ!? 魔法!? 爆発!?」


「アンジェリカ様、今の音、なんか空から落ちてきたようなっ……!」


「し、知らないわよっ、でも痛っ、イタイイタイッ!」


 取り巻きがジタバタしながら立ち上がろうとするも、アンジェリカの髪が逆立ったまま硬直していて、完全に幽霊でも見たかのようなビックリ顔である。


 一方そのころ——


 リティシアはきょとんとした顔で、小さく首をかしげた。


「まあ……床が濡れていたのでしょうか。足元にはご注意を」


 さりげなく視線を外しながら、“あくまで偶然”という体を貫くその姿に、エミリアはぽかんと口を開けたまま立ち尽くす。


「………………え?」


「……くだらない。無能同士、仲良くすればいいわ」


 口元を歪めて吐き捨て、踵を返して去っていく。

 リティシアは、わざわざ後ろを振り返ることすらしなかった。


 そして、エミリアはまだその場に立ち尽くしていた。

 目を伏せたまま、ふるえる声でつぶやく。


「……ありがとうございます。助けてくださって」


「助けたわけではありません。わたしは部屋に入りたかっただけです」


 そう言って、リティシアは扉を開け──一瞬だけ、視線が止まった。

 部屋の中、片側のベッドにはすでに荷物が置かれていた。


「……あら。もしかして、あなたがルームメイト?」


「えっ……あ、はいっ。わたし、エミリア・グランフォードです……」


「リティシア・クロードです。……お静かに願いますね」


 形式的に交わされた挨拶の裏で、少女の心にほんの一滴、ぬくもりが灯る。

 それが“信頼”という名の火種になるには、まだ少し時間がかかるけれど──





___________________


★あとがき

アンジェリカさんはちゃんと痛い目を見ましたが、

いずれ“言葉”の力で別の方向に救われる予定です。

今はただ……かっこよく吹っ飛んでおいてもらいましょう。


次回、リティシアの「ことなかれ精神」がまたひとつ揺らぎます。

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