第三節:火球より効くのは、恥ずかしさです
王立アルカディア魔導学院の訓練場は、朝からざわめいていた。
魔法実技の初回授業。要は「小手調べ」のようなもので、同学年の生徒たちが一対一で魔法を撃ち合うだけの模擬戦だ。危険性を抑えるため、審判役の教師が術式制限の結界を張っており、派手に見えても実際のダメージは抑えられる。とはいえ、生徒同士の勝敗や評価が付くとあって、皆どこかそわそわしていた。
「次、ルキウス・ドレイグ対……リティシア・クロード!」
名を呼ばれ、リティシア・は静かに歩み出る。対するのは貴族家系の男子、ルキウス。火系統の中では優秀な成績で、顔立ちも整っているため、女子からの人気も高い。まるで「勝つのが当然」と言わんばかりの余裕ある笑みで彼女を見た。
(ああ、この顔……。初対面なのにもう勝者面)
観戦していた女生徒たちが、さっそくざわついた。
「まさか、あの落ちこぼれが火系男子と当たるなんて……」
「リティシア・って魔力量ゼロなんでしょ? 勝負になるの?」
そう、彼女は“魔力量判定不能”。実質ゼロとされていた。
リティシア・は構えすら取らない。ただ制服の襟元を整え、深く一礼する。礼儀正しいその仕草が、逆に「やる気のなさ」に映ったのか、ルキウスは眉をひそめた。
「試合だからって、なめてかかるなよ?」
彼は片手を振り上げ、詠唱に入った。火の粉が空中に浮かび、掌に火球が練られていく。
その瞬間だった。
「……あの。口元に、パンくずが一つ」
リティシア・がぽつりと呟いた。
「え?」
ルキウスの詠唱が止まり、目が泳ぐ。
「……朝食の、たぶんジャムパンの。右の口角、です」
ざわっ、と観客席がどよめいた。
ルキウスは思わず顔を手でこする。気づいたのか、顔が真っ赤に染まった。
「な、なにを……!」
羞恥心と怒りと、手を顔に伸ばしていたことで魔力制御が一瞬乱れた。
――どんっ!
火球が本人の手から暴発し、爆音とともに地面に着弾。砂埃が舞い、ルキウスは盛大に尻もちをついた。
審判が急いで結界を再調整し、教師たちも駆け寄る。
「ルキウス・ドレイグ、魔力暴発により行動不能。リティシア・・クロード、勝利!」
宣言が響いた瞬間、場が静まり返った。
「え、今の……勝ち?」
「何もしてないのに?」
「いや……口撃?」
笑いとざわめきの中、リティシア・は静かに一礼し、元の列へ戻る。その背に、驚きと混乱の視線が突き刺さる。
「でも何もしてないし、運が良かっただけよ」
皮肉でも悪意でもなく、ただ静かな「指摘」だけが、火球よりも相手の急所を突いた――。
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★あとがき
火球よりも効いたのは、まさかのパンくず――。
戦場で最も怖いのは、魔法でも剣でもなく、「他人の指摘」と「己の羞恥」だったようです。
リティシアさん、ことなかれ精神どこへやら。次もよろしくお願いいたします。