【第一章 孤独な人造神】邂逅の福音①
首都・ロムレア行きの馬車の中、キアロたちはマント男と向かい合って座っていた。
兄弟各々、麻袋一つでこと足りる荷物を持って、旅支度に身を包んでいる。
役人は名をロッシ卿といった。酒臭い息を吐きながら、「質の悪いワインのせいで二日酔いだ」とぶつぶつ言っている。
が、大人の顔色をうかがいながら生きてきたキアロにとって、この手の単細胞の懐に潜り込むのはそんなに難しいことではない。
「ワイン、おいしくなかったですか? お役人様は偉い人だから、きっと毎日高級なワインを飲んでいるんですね。ロムレアに着いたら、僕たちもおいしいもの食べてみたいね」
ジジとトトが「食べたい~」とにこにこ声をそろえる。
出発時から不機嫌だったロッシ卿だが、キアロの明るい物言いになんとも複雑な表情を浮かべた。
キアロは昨晩、卿の「誰も自分の優秀さをわかってくれない」という愚痴をさんざん聞いてやった。
彼はしまいにはおいおい泣き出し、酔った勢いとはいえ「お前は若いのに感心なやつだ、人間よりも道理がわかっている」とのたまったのだった。
「まあ、聖下のためにしっかり働けば、お前たちにも神の恵みが回ってこよう。何かあれば、わしも力になってやらぬでもないし……」
村の大人たちへの反逆が、教皇庁への恭順となることをわからぬキアロではない。だが、テオおじさんの言葉を借りれば今からが「力を蓄える」べき時期だ。
ロッシ卿が「道中、人にツノを見られては面倒だからどうにかしろ」と言うので、ジジには頭巾を被らせ、キアロ自身は肩で切りそろえた髪の上部を巻きつけて隠した。
人間の村や町を中継し、十日ほどかけてたどり着いたロムレアは、恐ろしく活気のあるところだった。市場は人でひしめき合っており、色とりどりのフルーツや美しい陶磁器、毛織物などが所狭しと並んでいる。
閉めきっているはずの窓からは香辛料の香りが漂い、芸人たちの猥雑な歌が漏れ聴こえていた。
キアロと反対の窓を覗いていたジジとトトが「わあ~」と声を上げた。
見れば、街の突き当たりには白亜の大聖堂が建ち、さらにその奥、すべてを見下ろすようにそびえる山頂には豪奢な宮殿があるではないか。
「あそこに教皇様がいるんですか?」
わくわくを隠しきれない声で聞くと、ロッシ卿は改まった様子で頷いた。
伯爵とはいえ、そうやすやすと入れるところではないのだろう。緊張が伝わってくる。
何度も検問を受けようやく山頂に到着したが、通されたのは宮殿裏手に建つ質素な館だった。茂みに囲まれているうえ、建物自体も石造りの遺跡のような雰囲気だ。
戸惑いながらも案内の者が出てくるのを待っていると、急に辺りが暗くなった。ツノがびりっと反応するが雨の予兆ではない。
吹き下ろす突風に誘われ、思わず空を仰ぎ見る。
その瞬間、誰もがあっと息を呑んだ。
人の頭を一度に三つはやすやすと砕けるであろう巨大な鉤爪が、羽毛で覆われた巨体からぶら下がっている。
さらに、その巨躯からは筋肉質な翼が伸び、ばっさばっさと重たく空を掻いていたのだ。
「ヒッポグリフだ!」
とキアロが叫ぶと、腰を抜かしているロッシ卿が白い唾奇を撒き散らして言う。
「馬の体に鷲の頭、そして翼を持つという、あの!? 野生の神獣なら、捕らえれば聖下から金一封が出るぞ!」
最近はオウガ村でも神獣をとんと見かけなくなったが、ロムレアでも同じらしい。そういえば、神秘時代の生き物は絶滅間近だと聞いたことがある。
ジジは「後ろの脚、お馬さん~! かっこい~」と歓声を上げ、トトはロッシ卿と同じく尻もちをついて青ざめている。
混乱のさなか、キアロは思った。
何か変だ。めったに人里に現れない神獣が、こんな距離で滞空しているなんて。
それに、建物の屋上に向かってぎゃあ、と甘えるように鳴いているのはなぜなのだろう。
キアロが訝しがっていると、屋上からぬっと人影が現れた。
「見るな! 帰れよ、馬鹿野郎ども!」
逆光になっていて顔はわからないが、少年、または少女の声だった。罵声に驚いて立ち尽くすキアロに、その子が自身のマントを剥いで投げつけてくる。
「行け、ぴーちゃん、戻ってくるな!」
キアロがマントから顔を出したときには、ヒッポグリフは高く舞い上がり去っていくところだった。
屋上から鋭い舌打ちが降ってくる。光に目が慣れてきて、舌打ちの主の顔がわかるようになった。
長い髪をお団子に結ったその子は、キアロを忌々しげに睨みつけていた。