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【第四章 石を落とし、星を掲げよ】歌劇「ヴァルモラナの決起」

 暖炉の火がぱちっと爆ぜる。

 心地よく温まった部屋には、甘いお菓子とお茶の香りが満ちており、窓の外に広がる冬の寒空を忘れそうになる。


 さっきから、ちぎった雲をさくさくに焼き上げたみたいなお菓子、メリンゲを次々と口に放り込んでいるスクーロが、本日十回目のあくびをする。


「あ~、幸せ……眠いの我慢してだらだら食べるお菓子、サイコ~」


 ひと月前、すい星を落としてミケーレたちを勝利へと導いた勇姿は、今や見る影もない。

 スクーロの向かい側で絵本を読んでいたキアロは、だらけきった元勇者に一瞥をくれた。


「派手に発信の力を使って消耗していたから、しばらくは食っちゃ寝生活も必要だったと思うけどさ。さすがにずっとはだめだと思うよ。

 最近スクーロ、本もペンも手に取ってないでしょ。冒険記書くんなら、『ロムレアは一日にしてならず』だよ」


「ちっ、ガリ勉め。いいの! 外からはわかんねー疲れが、まだ残ってんの! てか、今日だよな。ヴァルモラナに判決出るの」


 そうだね、とキアロは頷く。


 帝国のヴァルモラナ一門と結びついてのクーデターは成功し、オス・サクラム教国にミケーレ政権が発足。

 あれから、目まぐるしく日々が過ぎた。


 といっても、世に伝わっているのは真実とは違う話だ。

 広報用のストーリーでは、「皇帝グイード二世への忠義厚き名門貴族ヴァルモラナ家が、主の仇を討たんと精鋭を率いて教皇を襲撃」「若き首席枢機卿ミケーレは、教皇を守るべく応戦したが、健闘むなしく聖下は薨去。聖冠は血に沈んだ」ということになっている。


 その後は「奮起したミケーレたちがヴァルモラナ一門を捕縛」し、現在、「首謀者の女騎士カルメン・ディ・ヴァルモラナ以下十五名が、帝国と教国の二国間裁判にかけられている」という流れだ。

 これについて、帝国は「ヴァルモラナの決起計画には一切関知しておらず、襲撃は一門の独断で行われた」と発表した。


 一夜にして政権が転覆したというニュースは、これまた一夜で国内を駆け巡った。


 教国中を混乱が襲ったが、市民からは比較的早いうちにヴァルモラナ一門への擁護の声が出始めた。

 教皇が皇帝を暗殺し、摂政となって帝国を手中に収めようとしていた事実も、明るみに出ていたからだ。


 また教皇が、民の支持を充分に得られていなかったことも影響した。

 人々は神の名を借りた独裁政権に倦んでおり、新たな若き指導者のもと、他国との共存の道を求めたのだった。


 だが今現在、そういったいきさつだけでは説明がつかないほど、市中でのヴァルモラナ人気が加速している。

 貴族の姫が腰まであった髪を切り、老齢の父に代わって皇帝の仇を討った、という孝行娘の英雄譚がもてはやされるのは無理もないが、それが広まったのには仕掛けがあったのだ。


「まっさかこの短期間に、ヴァルモラナを主人公にしたオペラが作られるだなんてな~。今じゃあの襲撃も、『心優しき孝行娘・ヴァルモラナの悲壮なる決起! 皇帝への恩義に報いるため、父に代わって悪を討ち取った女騎士の英雄叙事詩!』だもんなあ」


 スクーロが行儀悪く脚をテーブルに載せ、伸びをしながらぼやく。

 キアロはその脚をばしっと叩いて、本を閉じた。


「街中で流しの芸人たちがずーっと歌ってるらしいよね。貴族向けのオペラも始まってそっちも大盛況って聞くし、やるなあミケーレさん」


「まーた、にいにを腹黒みたいに! あくまで『帝国とのお話し合い』の末、作り出されたブームなんだからな」


 スクーロがそう言うのはもっともで、帝国はヴァルモラナの襲撃計画について知らぬ存ぜぬを貫いているが、もちろんそんなわけはない。

 ミケーレと帝国の皇子たちの密談の末、ヴァルモラナに教皇襲撃を頼むことにした……というのが事件の真相だ。


 最終的に裁判にかけられることを織り込み済みで、これを承諾したカルメン・ディ・ヴァルモラナはこう進言したという。


「老いた父に代わって、陛下の仇をこの手で討たせていただけるのですから、願ってもないご下命です。どうぞ、本件はすべてわたくしめの独断とし、我が命はお捨て置きください」


 年若きふたりの皇子は、この女騎士の忠義に大層心を打たれたことだろう。


 神聖ロンバルディア帝国、オス・サクラム教国共に、大国の示しとして裁判を行わないわけにはいかないが、若き指導者たちはヴァルモラナを見捨てるつもりはなかった。


 裁判ではヴァルモラナを無罪、あるいはごく軽い刑に処すよう内々に決まっていたが、あまりに力技でことを進めては教国側の貴族はもちろん、市民からも反感を買いかねない。


 そんなときに広まったのが、オペラ「ヴァルモラナの決起」だった。


 市中ではもちろん政治的な意図は隠され、女騎士の活躍に感動した新進気鋭の作曲家が、一夜で歌劇を作り上げたことになっている。

 皇帝を失って悲嘆に暮れる女騎士ヴァルモラナが歌う甘く悲しい調べと、華やかで雄々しい進軍シーンは、瞬く間に民を虜にしたのだった。


 スクーロに突っかかられたキアロは、「帝国側と打ち合わせ済みってのは、わかってるけどさ」と唇を尖らせる。


「貴族のご機嫌取りじゃなくて、まずは民衆の心から動かしていくっていうのが、ミケーレさんの案っぽいよなあって思って。きっと、よくわかってるんだろうな、国を治めるのがどういうことか」


 政変後、ミケーレはふたりに説明の場を設けてくれた。

 彼が「君たちが聞くには酷な話だと思うが」と苦渋の表情で語ったのは、次のようなことだった。


 前々から枢機卿団ではスクーロの力が覚醒しなかった場合、そしてスクーロを失った場合に備えて、第二、第三の人造神候補を作る計画が持ち上がっていた。

 その素材集めのため、帝国領のオウガ村での大規模な虐殺が熱望されていたのだという。


 宮殿のドレッシングルームで盗み聞きしたときに、皇帝が言っていたのはそのことだったのだ。


「だから愚かな権力闘争を回避し、さらにオウガの虐殺を防ぐためには、皇子たちと密約を交わして教皇を討つしかなかったんだ」


 スクーロは自分がリリスの後継者となっても、ゆくゆくは次世代の人造神が必要とされるという事実に初めて思い至ったようで、青ざめていた。

 しかしそのとき、キアロは別のことを考えていた。


 教皇が帝国の摂政になることを防ぎたかったのも、虐殺を防ぎたかったのも、ミケーレの本心だろう。


 でもあの日、教皇に向かって言った「自分は皇帝暗殺を止めようとした」というのは嘘──というかその場にいた騎士らに対する演技だ。

 皇帝が暗殺されなかったら、教皇を討つ正当な理由も生まれなかったのだから。


 同様にヴァルモラナも、今に至るまで皇帝の忠臣という演技をしていることになる。

 ミケーレは暗殺をはやる教皇を諌めながらも、実は反皇帝派であった彼女と組んで皇帝暗殺をお膳立てし、粛々と目的を成し遂げたのだ。


 教皇の息のかかった枢機卿団内で、ミケーレ派を作り上げてきたそのしたたかさで。


 ミケーレはひと通り内幕を語り終えると、「キアロくん? どうかしたかい?」と顔を覗き込んできた。

 その苔色の瞳はいつもどおり優しく潤んでいて、キアロは「なんでもありません」と返すほかなかった。


 ミケーレが免罪の子であったという事実は、スクーロでさえも知らなかったという。

 悲しみをひとりで抱えながら臥薪嘗胆してきたミケーレの偉大さに、キアロも敬服せずにはいられない。


 ただ、人好きのする柔和な表情の奥には、秘められた鬼の顔があるのだとぼんやりと思った。

 権力の座につく人とはそういうものなのだと。


 後ほど、ミケーレが出自を隠していたことはショックではないかとスクーロに問うと、彼はすっくと首を持ち上げて言った。


「寂しくないわけないだろ。でも、今は俺がにいにに、いっぱいぎゅってしてあげるときだから」


 その声と瞳には凛とした意志がみなぎっていて、キアロのもやもやとした胸も掃き清められるような気がしたのだった。


 そんな回想なんかをしながら相も変わらずだらけているうちに、午後になった。

 スクーロの気の抜けっぷりにキアロまで引っ張られ、ふたりして温めすぎたお菓子の生地みたいにでろでろになっている。そこに、ノックの音が響いた。


 キアロが「どうぞ~」と声をかけると、控えめに扉が開く。

 現れたのは、キアロをオウガ村から教皇庁まで連れてきた、あのロッシ卿だった。


 たっぷりしたお腹の贅肉を揺らしながら、のしのしと上機嫌に歩いてくる。しかも、揉み手つきだ。


「こ~れはこれは人類の希望、神の子スクーロ殿! そして、オウガ村より選ばれし勇者、キアロ殿! 本日もおふたりにお目にかかれて光栄でございますぞ~! ご機嫌うるわしゅうございますか」


 スクーロはメリンゲを頬張りながら「普通」とあくびをし、キアロは「ロッシ卿もお元気そうで……昨日も会ったけど」と返す。

 教皇派が逮捕されて人手が足りない今、伯爵であるロッシ卿は枢機卿団の一員として働いているのだ。


 キアロと特別の縁があるということで登用されたため、出会いのときの尊大な態度が嘘のように下手に出てくる。


「このロッシ、本日は郷土菓子をご用意いたしましたぞ! 退屈は心の毒でございますゆえ、お出かけになることの叶わぬおふたりを少しでもお慰めできればと……ほれ、持ってまいれ」


 顔を伏せた使用人たちが、銀のワゴンを入口へと押してきた。

 だが、以前と同様に使用人はスクーロのいる部屋に入れないので、結局ロッシ卿が運び入れに行く。


 卿が半球型の銀製蓋を開けると、コルクの形をしたかわいらしいケーキが現れた。数は四つ、いずれもこぶし大だ。


「こちら香り高いラム酒滴る、ババというケーキでございます。南の出身の貴族よりレシピを取り寄せ、一流の料理人に作らせました! さあさ、どうぞどうぞ」


 瞬く間に準備されたコーヒーと一緒に、他国ではサヴァランと呼ばれているらしい未知のケーキをいただく。


 生クリームの載ったふかふかの生地にフォークを入れると、じゅわっとお酒が染み出してくる。

 口に入れると、そのじゅわっはたちまち舌を潤し、豊かな香りが鼻に抜けていった。


「ジジとトトにはまだ早いねえ」とひと口ずつ噛みしめるキアロとは対照的に、スクーロは「だよなー」と早々と二つ目に手を出す。


「ああ、お喜びいただけて何よりでございます! 明日は何をお持ちしましょう。このロッシ、おふたりの笑顔のためならたとえ火の中、水の中……」


 ババで頬を膨らませたスクーロが、あ、とつぶやく。


「そういや、裁判どうなった? 判決出た頃じゃねーの?」


「おお! そうでした! 聡明なスクーロ殿のこと、きっと裁判の結果に気を揉んでおられると思いまして、このロッシ、一刻も早くお伝えせねばと馳せ参じたのでした!」


 一刻を争うときにも手土産を忘れぬこの精神、役人に向いているのかどうなのか。

 そんなことを思いつつも、キアロは「じゃあ」と先を促した。


 ロッシが瞳をぎろりとさせ、仕事の顔つきになる。


「ええ。ヴァルモラナは、手はずどおり無罪となりました。皇帝を失った帝国と、教皇を失った教国。互いに痛み分けという形に持っていけましたからな」


 そう言うと、ワゴンに置いてあったグラッパという酒をグラスに注ぎ、ぐびっと流し込んだ。五十度くらいあるお酒なので、ふたりはひえ~と小さく漏らす。


「失礼、祝杯を挙げずにはおられませんで……。未来ある帝国の皇子たちと、これまた若きジェンティーリ新教皇聖下! この輝かしき御三方に、民衆が寄せる期待はいかばかりか! 

 老獪(ろうかい)な権力者たちに嫌気が差していた民の鬱憤も、晴れようというもの。さらに、我が国にはスクーロ殿がいらっしゃる。安泰ですなあ」


 中間管理職だからか、「老獪な権力者」の中にロッシ卿自身は入っていないらしく、キアロは苦笑いした。スクーロが「そのことなんだけどさ」と口を開く。


「にいには、俺の存在は公表しないってさ。枢機卿団の中に留めておくって」



「なんと!? スクーロ殿の存在は、かつて人間を見捨てた神が、我々を赦してくださった証なのですぞ! 神と人、天と地のかすがいの再来を、人々がどれほど熱望していることか。私はぜひ公表すべきだと……」


「あんたらは、自分たちの権威づけに俺を利用したいだけだろ」


 取りつく島もない物言いに、ロッシ卿がぐぬぅ、と言葉を呑んだ。


「め、滅相もございません! 確かに、スクーロ殿が晴れて神の子となられたことを発表しようものなら、その貴き御身に危険が及ばぬとも限りませぬからな。

 このロッシ、高貴がゆえに秘されしスクーロ殿と、こうして語らうことができる僥倖を噛みしめております」


 スクーロがお世辞をあしらっていると、急にばたんと扉が開いた。

 元気いっぱいの双子が駆けてきて、「にーちゃ~」と声を上げる。


「あ、ロッシいる!」


「トト、ロッシ嫌~」


「ジジも~」


 とふたりしてずけずけと失礼なことを言い放つが、卿は揉み手をしながら「坊ちゃまがた~」と満面の笑みをつくってみせた。

 こめかみに青筋が立っているところを見ると、偉い人も大変だ。


 ロッシ卿は「長居しまして」とぺこぺこしながら去っていった。


 キアロは双子が「あい」と差し出してきた紙を開くなり、「よく描けてるなあ!」と感嘆した。

 描かれていたのは、ミケーレを挟んで立つ双子の姿だった。服には白墨が塗られており、三人とも白い服を着ていることがわかる。


「戴冠式、そろそろだもんね」とキアロが言うと、ふたりが飛び跳ねだす。


「ジジ、真っ白にお着替えして、パレードの練習もしたもんね~」


「トトも~」


 喜色満面のふたりを見ていたら、キアロもわくわくしてきた。


 オス・サクラム教の聖人にして初代教皇の聖誕を祝う式典に、今年は新教皇の戴冠式が加わる。

 式はオス・サクラム大聖堂で行われ、教皇のティアラを戴いたミケーレの祝賀パレードが、市街地の大通りを行くのだ。

 それに、ジジとトトも参列することになっている。


「にーちゃんとスクーロも一緒に出よ」と双子は誘うが、キアロは「僕らは見守ってるから」、スクーロは「俺の出演料は高いぜ~」と笑う。


 同じ姿形をしているが、ツノのあるジジとないトト。

 ふたりはオウガと人間が新しき世の双子として共存していく未来を、人々に印象づけるだろう。


 希望に満ちたミケーレ政権、そして新時代が、今まさに胎動を始めようとしていた。

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