【第四章 石を落とし、星を掲げよ】勇者の帰還
陸地が見えてきた頃には、すでに空は茜に染まっていた。
首都・ロムレアは未だ人出が多く、露店にも活気がある。
人々に見つかるのを承知でぴーちゃんにやや高度を落としてもらったが、騒動が起こっている様子はなかった。
キアロたちは「ひとまず安心だ」と頷き合い、山上の宮殿を目指す。
そして、裏手にやってきたところで異変を発見した。
なんと、リリスが映像で見せてくれた騎士十数名が、宮殿裏口に突撃していくところだったのだ。
彼らのマントの下からは、帝国軍の甲冑が覗いている。
スクーロが真っ青になって叫んだ。
「あいつらが、半日かけてロムレアにたどり着いたのはわかる。でも、山側の搦手門にだって優秀な見張りの兵士が大勢いるし、敷地内は歩哨が巡回してんだぜ!? あんな少数で突破できるわけ……」
「教国側に内通者がいたんだ。しかも、大勢の兵士に命令できる立場の」
スクーロがはっと息を呑む。
「そんな、にいに?」
「まだわからないよ! でも、きっと反教皇派が帝国の過激派と結んで、謀反を起こしたんだ。スクーロ、ジジとトトが心配だ。まず古代神殿に行きたい」
「もちろんそのつもりだぜ!」とスクーロが手綱を引いた。
ぴーちゃんが神殿屋上に降り立つなり、ふたりで「ジジ、トト!」と駆けていく。
双子の名を呼び続けるが、館内には使用人の影すらない。もぬけの殻に反響する声は不気味で、キアロの焦りを増幅させていく。
「嘘だろ、ふたりとも! どこにいるんだ!」
「おい、キアロ! たぶんここにはいねーんだよ」
「ジジ! トト! 返事をしてくれ!」
冷や汗をかくキアロの腕を、スクーロが力強くつかんだ。
「この騒動の糸を引いてるのがにいになら、絶対にふたりを安全なところに避難させてるはずだ。お前はまだわからないって言ってくれたけど、俺にはわかる。……にいにの仕業だ」
苦しげに眉根を寄せるスクーロを見て、キアロは我に返った。
家族が心配なのは自分だけではないのだ。
「ごめん、取り乱して。僕らも宮殿に向かおう。裏口から追いかける?」
スクーロは少し考えると、空中庭園から、と答えた。
「宮殿屋上の真ん中には、塔に囲まれた空中庭園があるんだ。ぴーちゃんに連れてってもらって、最短距離で教皇の部屋に乗り込もう」
キアロはごくりと喉を鳴らした。
宮殿では、先ほどの帝国騎士らと鉢合わせることとなるだろう。だが、ここで手をこまねいているわけにはいかない。
「行こう、ミケーレさんの革命を見届けよう!」
スクーロが力強く頷いた。
***
夕日が落ちる前の空中庭園は、風雅な楽園そのものだった。
キアロたちは真紅の薔薇が咲き乱れる地に飛び降り、「ここまでありがとう」とぴーちゃんのふかふかの胸に抱きつく。
そこに、「き、貴様ら何者だ!」という声が響きわたるのと、その声の主にぴーちゃんが突進していくのとは同時だった。
哀れな見張り番は、泡を吹いて失神してしまった。
スクーロが「ぴーちゃんにはあとでご褒美用意しなくちゃな~」とつぶやきながら、当たり前のように兵士の懐をまさぐり、鍵を手に入れる。
ふたりはその鍵で、庭師たちの通用口から内部へと突入した。
まばゆい装飾が散りばめられた廊下を、脇目も振らずに走り続けた。
見張りはもちろん、使用人の姿もなく、ふたりの足音と呼吸音だけが響く。
だが、教皇の大居室がある廊下に差しかかると、人払いが行き届かなかったのか、腰を抜かしているらしい給仕の女がいた。
「大丈夫ですか!」とキアロが声をかけると、女性は震えながら答える。
「ぶ、武器を持った男たちが、教皇様のお部屋に……」
最上階中央部にある教皇の間の大扉には、二本のツノと、白い花の冠からなる紋章があしらわれている。
オウガの島から帰還したキアロたちには、今やこのオス・サクラム教国のシンボルがどこから来たか、はっきりとわかる。
ふたりで扉を蹴破ると、帝国騎士たちが腰を抜かした教皇を追い詰めているところだった。
そして、その男たちの中央にいるのはほかでもない。
「スクーロ……キアロくん?」
平和を象徴する緑のキャソック姿のミケーレだった。
優しくくすんだ緑色の瞳が、ふたりに向かって見開かれている。
対する教皇のそばには、剣を置いた護衛が座り込んでいた。
すっかり戦意を喪失して両手を上げているところから、教皇の人望がうかがい知れる。
が、次に口を開いたのは、この嫌われ者の老人だった。
「おお、スクーロ! 我が息子よ! 来てくれたか。やはり血を分けたお前しか信じられぬ! どうか、とと様を助けておくれ。このたぬきのミケーレめは、帝国と結んで私を裏切ったのだ!」
この白々しい台詞に、キアロはぞっとするほどショックを受けていた。
「我が息子」「お前しか信じられない」「とと様」という言葉が、これまでのスクーロへの態度と微塵もつながらない。
大の大人が恥も外聞もなく、こんな醜態を晒せるものなのか。スクーロも「じじい」とつぶやいて拳を震わせている。
ミケーレが教皇に向かって一歩踏み出した。
「皇帝を暗殺し、帝国を我がものとしようとしたあなたに、謗られる筋合いはない!」
「黙れ黙れ黙れ!! 何もかも、お前の計画通りなのだろう! 私がグイードを討つ日を、今か今かと待ちわびていたのだな。
暗殺を機に、水面下で帝国の皇子どもと組み、こうして私に謀反を起こすために!」
「盲言を! 私は皇帝暗殺を止めた! 貴様が聞く耳を持たなかっただけだ!」
「はーっはっはっは! 役者だな、ミケーレ! そうだった、お前はずっとそうだったのだな。私を誘惑して取り入り、首席枢機卿にまで上り詰めた!
私がまだ年若いお前を次期教皇に推すべく、貴族やほかの枢機卿どもにどれだけの根回しをしてきたことか。身の程知らずの下級貴族風情めが、恩を仇で……」
教皇の罵倒を遮るかのように、視界が白く弾けた。
轟音が耳をつんざき、巨人が地面を剥がすようなバリバリバリという音が響く。光と揺れ、そして音の衝撃に、キアロは思わず頭をかばった。
腕から透明な破片がばらばらと落ち、割れた窓ガラスが吹き飛んできたことを知る。
キアロとスクーロを除く全員が、起こったことを理解しかねて息を凝らしていた。
「何が誘惑だ! お前の薄汚さをにいにのせいにするな! それ以上にいにを侮辱するなら、次はお前に落とす」
まさか、とつぶやくミケーレに、キアロが頷いてみせた。キアロのツノは熱く痺れている。
スクーロのツノから怒りが発信され、雷となって宮殿の尖塔に落ちたのだ。
宮殿本体に落ちたわけではないというのに、衝撃波で窓ガラスはすべて割れてしまった。
通常の雷とは段違いのパワーに、発信の力の恐ろしさを思い知る。
辺りには焼け焦げたような臭いが漂い、茜の去った夜空からは冷たい風が吹き込んでいた。
教皇が震える唇を開く。
「お前に落とす、だと……? スクーロよ、貴様の仕業なのか。悲願の力が目覚めたというのに、その力で父たる私に仇なそうというのか!」
ミケーレが音もなく剣を抜いた。お前の相手は私だ、と言わんばかりに教皇ににじり寄っていく。
「そういえば、あなたは私の本当の出自をご存じなかったな」
ミケーレと、その背後で待機している帝国騎士たちにはやや距離がある。
彼の低めた声までは聞こえないだろう。
膝で這って逃げる護衛に、教皇が呪いの文句を垂れるがもう為す術はない。
ミケーレは老奸まであと一歩というところまで近づくと、低くつぶやいた。
「私は貴族に引き取られた身でしたが、出身はオウガ村なのですよ」
まさかの告白にキアロも驚いたが、教皇の驚嘆ぶりはその比ではなかった。
鈍い色の目を剥き、乾いた声で言う。
「オウガ村……? そんな、では貴様は」
「そう、免罪の子だ」
ミケーレはすっかり蒼白となった教皇を凍てつくような瞳で見下ろすと、跪き、その耳もとに唇を寄せた。
「いかがでした? 汚れたオウガの男の抱き心地は」
虚空に見開かれた教皇の瞳が、ぎゅっと固くなるのがわかった。
キアロにはミケーレの台詞がはっきり聞こえた。
が、スクーロが怪訝そうに小首を傾げたのを見て、どうやらそれは受信の力のせいだったらしいと知る。
教皇から離れたミケーレが、剣を両手に握り直した。
騎士にふさわしい、無駄のない構えだった。
教皇が万事休すと目をつぶる。
すべてのかたがついたと思われたそのとき、いくつもの物々しい足音が響きわたった。重装備の騎士たちが、一気になだれ込んできたのだ。
「聖下! お助けに上がりました!」
教皇派が乗り込んできたことを知り、老人は露骨に安堵の表情を見せた。
「ええい、遅いではないか! やってしまえ、そこの子どもらまで皆殺しだ! 特に藍の髪のほうは絶対に生かしておいてはならぬ!」
帝国軍騎士たちは、突撃してくる教皇派を迎え撃った。
敵味方入り乱れての大立ち回りが繰り広げられるが、皆、騎士道を重んじるつわものばかり。子どもであるキアロたちに手を出してくる者はない。
「何をしておる! そのガキの息の根を止めろ! おい、そこのお前、紺のローブのほうを殺せ!」
「聖下……し、しかし」
一旦引いたほうがいい。そう思ったキアロは、スクーロの手を引っ張った。
だが、スクーロは「にいにを置いてけない」とかぶりを振る。
「殺す意気地がないというなら拘束せよ! 急げ、そのガキどもは危険だ!」
いかにも貴族階級の子息らしい若騎士が、「すまん」とスクーロの腕をつかんだ。しかし、キアロが体当りして邪魔する。
若騎士は「貴様!」と怒りも露わに、剣の柄頭でキアロの後頭部をひと突きした。
ぐわんと視界が揺れ、前のめりに倒れる。だがその瞬間、キアロはスクーロに向かって絶叫した。
「だめだ! 今じゃない!」
発信の力を使おうとしていたスクーロが、「なんで」と瞳を揺らす。
そこに「うっ!」と悲鳴を飲み込む声が聞こえてきた。
声の主はミケーレだ。
床に膝をつき、左腕から血を流している。
「にいに!」
「スクーロ! こらえろ!」
と叫びながらキアロは騎士の拘束を受け入れ、ゆるゆると立ち上がった。
オウガの島で、ふたりはリリスにいくつかの助言を受けていた。
「発信の力は、受信に比べて消耗が大きい」というのがその一つだ。
強烈な天候変化を立て続けに起こすことで、スクーロにどれほどの犠牲が要求されるのか、ふたりはまだ知らない。
そして、リリスはこうも言っていた。
「未熟な術者は、大き過ぎる命を天に下すことはできない」と。
「大きすぎる命令ってどんなのですか」と問うと、女神が「星を落とすなどであろうな」と答えたのが、今となっては偶然とは思えない。
このとき、キアロは「じゃ、星が落ちてくる方向を変えるんならいいんだ!」と無邪気に言い放った。
若い騎士はキアロを捕らえたまま、あっという間にスクーロの腕を取ってねじり上げた。
スクーロが痛みに顔をしかめながらも、「どーゆーこった」とキアロに毒づく。
キアロは後頭部に一撃を食らう直前、夜を切り裂く光のイメージを受信していた。
それはまるで雨のように降る、光の群れだった。
「もうすぐ星が降る。一つ二つじゃない。しし座の方角から、雨みたいにたっくさん。だから、呼吸を合わせよう」
スクーロは息を呑むと、すべて悟った様子で頷いた。
ふたりで額をくっつけ、目を閉じる。
ふたりをまとめて拘束している若騎士は、「おい、お前ら何をやっている」と不安げだ。
激しい剣戟の中、互いの呼吸を合わせる時間は、不思議に穏やかだった。
深い夜の天球を、きらめく星たちが笑いながら流れていく。
思い思いに尾を引き、兄弟星たちはその長さを比べ合う。
やがてどの子もすう、と闇に還っていく中、ますます輝きを増していく青い火球が見えた。
「スクーロ」
「わかってるぜ」
頭蓋骨まで痺れるような振動が伝うと、再び辺りが白く光った。
轟音が鼓膜を叩いて、キアロは吹き飛ばされる。世界に音が戻ってくると、男たちの叫喚が聞こえ始めた。
キアロがまぶたを開けると、窓側の天井と壁が崩落し、夜空が広がっているのが見えた。
外には白い尾を引くすい星が、続々と降っている。
あの中のひと際大きな火球が宮殿をかすめるよう、スクーロが願いを発信したのだ。
騎士たちは「星が落ちてきたのか」「まさかそんなことが」とうろたえている。
砂煙が引いていくと、ひとり仁王立ちしているスクーロに、誰もが目を向けずにはいられなかった。
結っていたはずの青い髪は肩に流れ、頭頂にはオウガのツノがそびえている。
そして、そのツノは神々しい黄金色に輝いていた。
「てめーら、まだやろうってのか」
どすの利いた声でスクーロが言うと、ひい、という悲鳴が方々から漏れる。
ミケーレは複雑な色合いに揺れる瞳で、一心にスクーロを見つめていた。
スクーロが近づいてきて、キアロに手を差し伸べる。
キアロがその手を取った瞬間、流星群が一層華々しく駆けていった。星々が銀のリボンをかけていく空を背に、ふたりで微笑み合う。突然「あれは」という声が上がった。
見れば、地上に大きな虹が現れているではないか。
教皇派の騎士たちが、「神の子だ」とざわめき始める。からん、と剣が落ちる音が続いた。
「どうか……どうかお赦しを! 我々は浅はかにも、信ずるべき者を見誤ったのです!」
教皇派を束ねていたらしい年かさの騎士が、キアロたちの前にひれ伏した。
ほかの者たちも、瓦礫の中で次々と額づき出す。
すべての信奉者を失った教皇は、その光景をただ呆然と見つめるほかなかった。
ミケーレがまるで死の天使のように、教皇の前に立ち塞がる。
「これがお前の人生への答えだ」
すべての決着をつけるべく剣を振りかぶったところで、それを止める者があった。
「その剣をお収めください、ジェンティーリ猊下」
「ヴァルモラナ殿……!」
聞き覚えのある声、そしてその名に、キアロとスクーロは顔を見合わせた。
ミケーレの腕をつかんだ手が、自身の兜を取り、床へと落とす。
現れたのは、肩までウエーブを描くブルネットの髪、そしてほっそりした女性の顔だった。
朝日を受けた海のように青い瞳が、ミケーレをとらえて言う。
「あなたは次期教皇となられるお方、その御手を血で汚してはなりません。後の世に語り継がれるあなたは、帝国のヴァルモラナ一門から教皇を守るべく奮闘した、清らかな義人でなくてはならないのですから」
「しかし、汚れ仕事をあなたがたに押しつけるような……!」
ヴァルモラナの豊かな髪が、左右に振れた。
「ぜひ、私に皇帝陛下の敵を討たせてください。猊下」
ミケーレはしばしの沈黙のあと、悔しそうに顔をそむけ、頷いた。教皇が弱々しい声を上げる。
「や、やめろ、近づくな! 帝国の犬……しかも……女ではないか!」
崩落した天井から、ぴーちゃんがキアロとスクーロめがけて飛び下りてきた。
大きな翼がキアロたちの視界を遮った瞬間、ヴァルモラナの雄叫びが上がった。
「皇帝陛下、万歳!!」
骨を叩き斬る衝撃のあと、ごとっという鈍い音が響きわたった。
権力をほしいままにした男の黒き一時代が、終わった瞬間だった。




