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【第三章 All'isola Sacra degli Ogre! 】 大海原を越えて

 三日月が冴え冴えとした光を放っている。

 夜を裂くようにそびえる白亜の宮殿は、すでに遥か後ろだ。


 城壁を越え、街を過ぎ去るとき、前に乗っているスクーロの背が縮こまるのがわかった。

 キアロは、よいしょと近づいてその背中を抱きしめる。


「怖くねーよ!」


「なんにも言ってないだろ、てか素直じゃないなあ」


 街の外には農地が続いていたが、やがて森に入ると、黒い雲の上を飛んでいるような不思議な気分だった。


 ぴーちゃんには鞍なしで乗っているので、座面がやや不安定であることは否めないが、その背は筋肉で柔らかく、ふかふかの羽毛に脚が埋まるので温かい。

 だが、冷たい夜風を切って猛スピードで進む旅が過酷なことに違いはなく、朝まで体力勝負だ。


 オウガの島まで船旅ではどんなに早くても五日、悪くて十日はかかるが、ぴーちゃんの飛行速度をもってすればひと晩で行ける、というのがスクーロの計算だった。


 昔の書物には、「ヒッポグリフは馬の最高速度をひと晩中維持できる」と書かれていたそうで、それが正しければ朝には到着できるのだ。

 どんなに上半身がかじかんでも、お腹が空いても、ひと晩の我慢と思えば頑張れそうだ。


 森が途切れ、その先に平地が見えたかと思うと、風が荒っぽく変わる。

 キアロが戸惑っていると、スクーロが口を開いた。


「海だ」


 眼下に蠢くものは、すでに森の木々ではなく、銀の波に変わっていた。

 月と星の光を揺すりながら、繰り返し繰り返し、優しいリズムできらきらと砕けていく。


「これが……海? あのずっと奥まで」


 スクーロがくるりと後ろを振り向いた。

 月よりも星よりもきらきら輝く瞳。きっと今鏡を見たら、キアロも同じ顔をしているはずだ。


 ふたりは大きく息を吸い込んで叫んだ。


「海だーーー!!」


 ぴーちゃんが応えるように、ぎゃっと鳴く。


「海だ! 海なんだこれ! わ~、すごい! 僕、湖も見たことないからさ、大感激だよ」


「んなの、俺だって一緒だぜ! なんか不思議な匂いすんなーって思ってたけど、これが潮風か」


 海にちなんだ話が弾む中、スクーロが「千尋の海」という言葉を教えてくれた。


 両手を広げた長さを一尋とし、その千倍を千尋というらしいが、キアロが「こんなに広くて千なわけないよ、もっとあるでしょ。千万尋とか億尋とか」と言ったところから、いつの間にかいつもどおりの言い合いになっていた。


 だが、それも長くは続かなかった。

 寒風が容赦なく体力を奪い、目を開けているのもつらくなってくる。


 しかも、キアロは母の最期を知ってから、満足に眠れていないのだ。

 互いにだんだんと口数が少なくなっていき、長い瞬きをしたところで「キアロ!」と呼ばれた。


 顔を上げると、まるでスクーロにおぶわれるようにして抱きついているのに気づく。

 さらには、腰に回されたロープで彼の胴に括りつけられていた。


 寝てしまったキアロが落っこちないよう、スクーロがやってくれたらしい。


「起こしてくれてよかったのに」


「睡眠不足で冒険なんかできっかよ。つか、それどころじゃねーんだよ」


 どういうこと? と問う間もなく、ぱた、と頬が濡れた。

 見上げると、小雨が降ってきている。さらには、前方でぴかっと稲光が走った。


「このまま進めば進むほど、雨ざーざーになってくぜ。くそ、さっきから発信の力で天気変えられねーかなって試してるけど、やっぱだめだ!」


 そんなことを言っているうちに、もう本降りだ。

 重い雨粒がばたばたと叩きつけてくるので、ぴーちゃんもつらいだろう。


 キアロは目を閉じ、ツノに集中した。

 スクーロとの特訓のおかげで、持続して受信の力を使うのにも慣れてきたから、きっといけるだろうと思った。


「あっちだ! スクーロ、一時的に南にそれて飛ぶようぴーちゃんに伝えて」


 スクーロが手綱を引きながら、「ぴーちゃん、左っかわに行ける!?」と叫ぶ。

 ぴーちゃんはやや長めにひと声上げると、進行方向を変えた。すると、すっと雨がやんだ。


「ええ!? どーゆーことだよ。キアロ、お前まさか発信の力……」


「そんなわけないじゃん! 振り返ってみなよ」


 キアロがほら、と指差したほうには、天から海へと銀糸のカーテンがかかっていた。

 ぴーちゃんに頼んで、近づいてもらう。


 スクーロがおずおずとカーテンに手を突っ込むと、ひゃっと悲鳴を上げた。


「すご……こっちは晴れてんのに、向こうは雨なんだ。受信の力で、雨の切れ目を探したのかよ! 雨のカーテンなんて初めて見たぜ」


 胸を張ってみせるキアロだが、こっちだって同じだ。

 でも、スクーロの尊敬のまなざしが気持ちいいから、黙っておく。


「ま、僕ら運がよかったんだよ。たまたま雨雲の端を飛んでたんだ。追いつかれないようにぴーちゃんに頑張ってもらおう!」


 おーっ、というスクーロの雄叫びに、ぴーちゃんの気持ちよさそうな鳴き声が続く。

 満月に見守られながら、あとは西へ西へと飛び続けるだけだ。


 島で女神様には会えるだろうか。

 いずれにせよ、少したくましくなった受信の力を存分に使う時が来たのだった。


***


 髪がふわふわと頬をくすぐる感覚で、キアロは再び目を覚ました。

 さっきと同様に、両腕はスクーロの肩に回されており、胴回りのロープはきつく縛られている。


 ずっと前傾姿勢を保ってくれていたらしいスクーロの背中は、猫みたいに柔らかく温かい。

 重いだろうけどもう少しだけ、と思って再び彼の背に顔を埋めた。


「ねえ、スクーロ。夜っていいものだね」


 キアロが目を覚ましたことに気づいていたらしいスクーロが、あー? と聞き返す。


「まとったら誰からも見えなくなる魔法のマントみたいな、ぬくぬくの闇に守られてる感じ。すごく安心して眠れた。ありがとう」


 キアロは紺色の外套の背中をぎゅっと抱きしめながら、ミケーレと同じく、自分もこの優しい闇が好きだと思う。

 スクーロの、痛いところには触れず、だけどそっと毛布をかけてくれるようなところに、きっとミケーレもたくさん救われてきたのだろう。


「……俺は朝が好きだけどな。もう明けるぜ」


 空はみるみる透きとおっていき、水平線に金の光が走ると、燃える太陽が顔を出した。


「朝だー!」とキアロが叫ぶと、スクーロも「うおー!」とやけっぱちな咆哮で応える。ふと、少し先に、何か浮かんでいるのが見えてきた。


「スクーロ!」


「ああ!」


 目を合わせ、声をそろえる。


「オウガの島だ!」


 眼下一面の青い海を、真新しい光がきらきらとわたっていく。

 その先に見えるオウガの島は濃い緑色をしていて、目に映るすべてが言葉を失うほど綺麗だった。


「ぴーちゃん、もう少しだよ。頑張って」


 とキアロが言ったそのとき、目の端にきらりと光るものが映った。


 白い帆を張ったそれは、どうも哨戒船らしかった。青い海原を行く船だなんてロマンの塊のようだが、敵に近づくわけにはいかない。


「船、かっこいいなあ!」


「近くで見てみたかったよなー」


 なんて軽口を叩いているうちにも、緑の島はぐんぐんと迫ってくる。


 美しい景色が急速に現実的なサイズになってきたかと思うと、ぴーちゃんはふわりと砂浜に着地した。


 ざざん、という音とともに波が押し寄せ、白い砂を洗うようにさーっと引いていく。

 ふたりは歓声を上げ、波打ち際に駆け出した。

 

 互いに波を蹴り、「つめてーっ」「あっ、今の本気でやったな!」と息を切らす。

 ぴーちゃんも混じって、大きな翼でばっさばっさと海水を掻くので、「降参! ぴーちゃんの勝ち!」と叫んで引き上げた。


 あんなに寒い中を飛んできたというのに、笑い声がやむ暇がない。


 浅瀬のきらめきもまぶしいが、陸地の景色もまた圧巻だ。

 白く滑らかな巨岩が、思い思いのポーズで朝寝する巨人たちのように横たわっている。


「これ、花崗岩って種類の岩なんだぜ。彫刻みたいだよな」


 へー、さすがスクーロと振り返ったキアロは、改めて彼のクマの濃さにぎょっとした。

 さらには、きゅるるとふたりのおなかの虫が鳴く。


「スクーロ、ぴーちゃんに丘の上まで運んでってもらおう。そんで、朝食を取ったら仮眠しなよ」


 オウガの聖地というだけあってか、ぴーちゃんは到着してから一層元気なようで、お願いにも上機嫌に応えてくれた。

 残念ながら、聖地パワーはキアロたちには効かないらしく、ひと晩中強風に煽られた体は今さらのようにだるい。


 緑の丘は穏やかな平地になっていて、優しい葉擦れの音が耳に心地よかった。

 木陰に座り、鞄からパンやチーズを取り出していく。


 キアロが持ってきていたのはほかにオレンジやナッツくらいのものだったが、スクーロは塩漬け肉をたんまりとオリーブの実、ずっしりとしたイチジク、さらには硬いパンを浸して食べるためのオリーブオイルまで用意していた。


「俺、グルメだからさ。冒険とはいえうまいもん食いたいんだよね」


 と言いながら塩漬け肉とチーズを挟んだパンを頬張るスクーロは、ものすごくいい顔をしている。


 キアロも大口を開けてかぶりつくと、青い香りのオリーブオイル、まろやかなチーズ、噛めば噛むほど旨味が染み出してくる塩漬け肉、そしてこの最高の景色の組み合わせに、涙が出るところだった。


「こーんな広い青空の下で、友達とうめーもん食べる日が来るなんて、思ってもなかったぜ。あ~、風が気持ちいい」


 薄暗い古代神殿で見ていたときよりも、明るい青の瞳を見つめながら、キアロは少し切なくなった。


 意地っ張りだけど素敵なこの友達と、これからもいろんなところに行ってみたい。

 そのためにも、まずはやるべきことをやらなくては。


 食後、ごろんと横になったスクーロにおやすみを告げ、キアロはぴーちゃんと連れ立って島を探索することにした。


「僕の言うこともちゃんと聞いてね~、よろしく」


 とお願いしてちゃんと手綱も使ったが、スクーロのほうがずっとうまい乗り手だったことがわかる。

 ぴーちゃんとの付き合いが長く、心が通い合っていることもあるだろうが、やはり不完全ながら漏れ出す発信の力が効いていたのではないか。


 キアロは「嘘でしょ!? 川に突っ込む気じゃないよね!?」「ああっ、鳥の群れの中に入っ……い、いたた! つつかれる!」と散々な目に遭いながらも、ツノが強く反応した山にどうにか降り立った。


 当たり前だが、受信の力で探れる範囲には限界がある。


 大きくエネルギーが動く天候変化の受信と、自分から網を広げていくように力を使うのとは別問題で、後者はそう遠くまでカバーできない。

 しかも、今のところ天気のほかは、神秘に由来する周波数を発しているものしかキャッチできない。


 そんな中、一番ぴんときたのがこの山頂だった。


 地図からすると、ミケーレが言っていた遺跡がある場所とは違うようで、ちょっと不安だ。

 でも、調査団が見つけられなかった秘密の聖所があるかもしれないじゃないか、と己を奮い立たせる。


 辺りには、荒々しい雰囲気の巨石が屹立していた。

 低木のほかには豊かに草が茂っており、踏んで歩くとハーブの爽やかな香りが立ち上る。


 一歩ごとにふわっ、ふわっといい匂いがするので気分がいい。ぴーちゃんも夢中で緑をつついている。


 十一月も半ばとはいえ、お日様の近い山を歩いていると背中が汗ばんでくる。

 開けた土地に出ると、キアロはわあ! と声を上げた。


 岩場から湧き水がこんこんと湧き出して、浅い川になっていたのだ。


 しゃがんで水をすくうと、きんとした冷たさに悲鳴が漏れた。いただきます、とオウガの女神に感謝の祈りを捧げ、ごくっごくっと喉を鳴らす。

 喉から胸をすーっと下りていく清水に、内側から洗われるようだった。


 続いて顔を洗っているところに、隣からぬっと毛むくじゃらが現れた。

 ぴーちゃん……ではなく、びっくりしすぎて尻もちをつく。


 わざわざキアロの隣で悠々と水を飲んでいるそれは、どうも野生のヤギのようだった。


 体は茶褐色だが四肢は白く、頭上では二本の立派な角が、ぐるんと渦を巻いている。

 ヤギは水を飲み終えると、優雅に川を渡った。


 が、その後姿を見ていたキアロは何度も目をしばたたかせた。

 さっきまでは確かに、開けた平地が続くだけの景色だったのだが──。


「い、い、遺跡……!?」


 どうしてさっきは目に入らなかったのだろう。

 ヤギの行く手には、石を組んで造られた神殿らしき建物がある。なぜ神殿だと思ったかというと、ロムレアの古代神殿と雰囲気がそっくりだったからだ。


 ゆったりと行くヤギが、尻もちをついたままのキアロを振り返る。

 気づけば、キアロのツノはびびびびび、と激しく神秘の周波数を受信していた。



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