【第三章 All'isola Sacra degli Ogre! 】 皇帝崩御②
目に染みるほど青い夜だった。
冬に向けて磨き上げられた星々が、白く澄んでいる。
屋上に着くと、スクーロは「近くで見るとますますかわいーんだぜ」と言い、双子は「ほんとだ~」とごく自然にぴーちゃんを迎えた。
黄色い宝玉の中をぎゅん! と動く黒目に、鎌のようなくちばしを備えた巨躯の神獣は、やはりかわいいというより大迫力だが、双子を前に人懐こく喉を鳴らしている。
よかった、ひとまずふたりを餌だとは思っていないようだ、とキアロは胸を撫で下ろす。
鞍は用意できなかったが、革紐を結び合わせて作った即席の手綱を、ぴーちゃん納得のうえでつけてもらうことにした。
スクーロが先頭、双子を挟んでしんがりにキアロという順番で乗り、はらはらしながら離陸する。
しかし、空の旅は驚くほど快適だった。
どうやらぴーちゃんは、幼子のために穏やかに飛んでくれているらしい。
ジジは眼下の街並みにはしゃいでいるが、トトのほうはカチコチに固まってしまっている。
だが、覗き込んでみるとトトの瞳も星に負けじと輝いており、この夜の冒険を焼きつけようとしているようだった。
こんなに弟たちを心配しているキアロも、夜間飛行は楽しくてしょうがない。
吹きつける風に涙目になりながらも、わくわくして街の城壁のほうを眺める。
と、近づいてくるオレンジの灯りに気づいた。
跳ねるような動きから、駆け足の馬に乗っている者の松明だとわかる。
「誰か来たみたいだ」というキアロの言葉を受け、スクーロも城壁の門に目を凝らす。
「ぴーちゃん、正門に寄ってくれ」
手綱も使っていないのに、ぴーちゃんはすいっと門の上空へと飛んでくれた。
馬上の人物は、門番たちと何やら激しくもみ合っている。
松明に照らされた軍服が、赤を基調にしたものであることを確認すると、スクーロは急いで手綱を引いた。
紅い軍服、それは神聖ロンバルディア帝国軍の象徴なのだ。
キアロたちが急いで神殿に戻ると、ミケーレもちょうど宮殿から帰ってきたところだった。
おかえりなさいも早々に、スクーロが訴える。
「にいに、街の入口に、帝国の使者っぽいやつが来てる!」
「街の入口? スクーロ、外に出たのか!? 窓にも近づかないよう言ったというのに」
廊下から使用人たちの悲鳴が聞こえた。
さらには止める者を振りきってやってくる、荒々しい靴音が響く。
姿を現したのは、門番と揉めていた赤い軍服の男だった。
息を切らした様子もなく、ミケーレに目を留めるや胸を張る。
「ミケーレ・ジェンティーリ・ディ・モンテヴェルディ首席枢機卿猊下とお見受けする。宮殿ではなくこちらにいらっしゃると伺ったゆえ、失敬」
「先に名を名乗れ」
瞳を鋭く光らせて言うミケーレは、キアロたちの知らない人のようだった。
一九〇センチを超えるであろうずっしりした体躯は、布を重ねたキャソックに覆われているにもかかわらず、帝国軍騎士よりも武官らしく見えた。
キアロは双子を隣の部屋に逃がし、使用人の体で部屋の隅に控える。
スクーロは青ざめた顔を隠すように、ローブの頭巾を目深に被った。
使者が大仰な音を立てて姿勢を正し、敬礼する。
そうこうしているうちに、宮殿から駆けつけた護衛の兵士たちがぞろぞろと入室し、使者との間合いを図った。
「ご無礼つかまつりました! それがしは神聖ロンバルディア帝国、近衛騎兵連隊副連隊長、ジローラモ・ディ・バルディ!
帝国皇位委員会の命を受け、近衛騎兵連隊長ヴァルモラナ閣下より特使として遣わされた!」
ヴァルモラナ、と聞いてキアロとスクーロは目を合わせる。
あの女性騎士だ。
「我らが君主、グイード二世が身まかられた夜半、国境を越えようとしていた怪しい者を捕らえたところ、注射器なるものを見つけるに至った。
これはオウガの神をつくる怪しげな錬金術を研究している、オス・サクラム教国の道具と聞く」
唾を呑む音が、あちこちで鳴った。
歴史の変わり目ともいえる瞬間に、ここにいる全員が立ち合っているのだ。
「帝国皇位委員会は、次期皇帝に成り代わり、オス・サクラム教国に告げる。教皇には、皇帝暗殺の嫌疑がかかっている! すみやかに裁判に出頭せよ!
これは我が国と貴国との長きにわたる、神聖なる同盟関係を鑑みた寛大なる処置である」
兵士たちは明らかに動揺していた。暗殺など寝耳に水なのは当然だ。
凍てつくような目で使者を見据えていたミケーレが、落ち着き払った調子で言う。
「はて。こちらには覚えがない、と言ったら? ここで貴君を討ってもよいのだぞ」
キアロたちの背には冷たいものが伝ったが、使者は堂々とした態度を崩さなかった。
「さすれば、神聖ロンバルディア帝国はそれを戦争の合図と取りましょう」
控えている兵士たちが、一斉に剣の持ち手を握り直した。
全員がミケーレの判断を待っている。
ミケーレは厳しい面持ちでため息をついた。
「朝までに結論を出す。宮殿に部屋を用意するゆえ、使者殿はゆっくり休まれよ」
去り際、ミケーレはふたりに「詳しくはあとから聞くが、絶対に外出は禁止だ」ときつく言い残した。
隆々とした肩をいからせて部屋を出ていくその姿は、まるで戦地に赴く騎士のようだった。
***
兵士たちが行き、緊張が去った部屋に、夜の冷気と共にじわじわと不安が染み入ってくる。
スクーロが不安げに親指の爪を噛んだ。
「じじいのことだ、裁判なんて突っぱねるに決まってる……戦争だ」
それまで、じっと考えごとをしていたキアロが口を開いた。
「今夜、オウガの島に発つ」
「今夜……? 冗談だよな?」
「何言ってるの、さっきまで飛行訓練してたってのに」
スクーロがぶんぶんと、盛大にかぶりを振る。
「してない! 訓練とかしてない! あれはチビたちの社会見学だろ! もっと分厚い外套とか、万が一のときの保存食とか、そーゆーのまでちゃんとそろえてからじゃねーと……」
「だーめ! 今夜ったら今夜!」
さっきまでとは完全に立場が逆転した。
スクーロが目を白黒させるのもわかるが、キアロには行くなら絶対に今だという勘、いや確信があった。
「明らかに状況は変わった。ミケーレさんにどんな計画があるのかはわからないけど、教皇の皇帝暗殺がバレちゃったように、大きな計画にはまさかがつきものだ。
今こそミケーレさんを支えるために、発信の力を解放すべきだよ。それともスクーロ、怖気づいたっていうの?」
さっき俺が言った台詞、という言葉を飲み込むように、スクーロが声を荒げる。
「おうおう、言ってくれるじゃねーの! 見てろよ、ぱぱっと準備してやっから。お前もちゃんと自分の分は責任持ってやれよ!
あとで膝でも擦りむいて『傷薬くださいスクーロさ~ん』て泣くはめになっても知らねーかんな」
はいはい、と肩をすくめているところに、ジジとトトがやってきた。
ジジがスクーロに、トトがキアロに抱きついて顔を埋める。
「ジジもご用事行く~」
「トトも~ぴーちゃん乗る」
それぞれ抱きしめ返しながら、「お留守番って言ったろ~」「何かあったらミケーレさんに守ってもらうんだよ」と言い聞かせる。
「ミケーレ好き~」「トトも~」と笑うふたりの現金さをたくましくも寂しくも思いつつ、キアロは頬ずりをした。
外套を着込み、パンとチーズとオレンジ二つ、それから地図を鞄に詰めたら出発だ。
キアロはスクーロと共にぴーちゃんの背にまたがり、屋上で手を振る双子が見えなくなるまで、何度も何度も振り返った。




