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【第三章 All'isola Sacra degli Ogre! 】 皇帝崩御①

 青空を行く小鳥が水たまりに映る。


 キアロとスクーロが窓の外を眺めていたところ、ミケーレがやってきた。

 久しぶりの快晴に似つかわしくない表情だ。


「スクーロ、キアロくん。ふたりの安全にも関わることだから、内々の話ではあるが知らせておきたい。皇帝が亡くなられた」


 あれからスクーロは一度もミケーレの顔を見ようとしない。

 今も、キャソックの裾を冷めた瑠璃の瞳で睨んでいる。


「じじいがやったのか」


「……皇帝陛下は、ずいぶん前からご病気であらせられた。先般の我が国へのお出ましも、ご負担になったことだろう。私に言えるのはそれだけだ」


 歯切れの悪い返答に、スクーロの反抗心がはち切れそうになっているのがわかる。

 だが、ミケーレの立場からすればこれが限界だろう。


 キアロは聞き方を変えた。


「ほかの国は、皇帝が死んだことをまだ知らないんですね?」


 ミケーレはふっと春風のような笑みを漏らすと、「君には敵わないな」とつぶやいた。


「ああ。各国の騎馬使者たちが知らせを持ち帰るのは、もうしばらく先のことになるだろう」


 教国と帝国は隣接しているうえ、政治的なつながりも強い。


 しかし、各国に先駆けて皇帝崩御の報せを手に入れられた理由は、それだけではないだろう。

 あらかじめ皇帝が死ぬのを知っていたから、各地の騎馬連絡網を整えておけたのだ。


 キアロは背中にぬるい汗が伝っているのに、ようやく気づいた。

 教皇による暗殺計画が成就してしまったのだ。


「私はこれから宮殿に戻るが、君たちは絶対にここを出てはいけないし、呼び出しにも応えてはならない。

 警護を手厚くし、出入りする使用人の数もさらに絞るよう伝えてある。そして、今日からしばらくは窓辺にも近づかないように」


 最後のひと言の恐ろしさに気づくまで、少し時間がかかった。

 真相を知る帝国の間者たちが、ひと騒動起こさないとも限らないというわけだ。


 ミケーレがスクーロの顔を覗き込む。


「いいね? キアロくんと一緒に、無事でいてくれるね?」


 しかしスクーロは、ぷいっと顔をそむけた。


「スクーロのことは僕が守ります」


 ミケーレは寂しげに微笑み、「君も安全にいるんだよ」とキアロの肩を叩いた。

 彼が部屋を出ていくすんでのところで、スクーロが口を開く。


「にいにも、無事で」


 振り返ったミケーレは、今にも泣き出しそうに見えた。


***


 キアロたちは、ジジとトトが過ごす子ども部屋へと向かった。


 子守役が打ち合わせに出てしまったせいでグズっていた双子は、ご機嫌でスクーロにまとわりつく。


「とうとう、こうなっちまった」


 スクーロは深刻そうだが、お団子にしていた髪をジジに解かれ、トトに「僕も着るー」とローブをめくられながらそんな顔をされても、という感じだ。


 だが、起こっていることの重大さはキアロも身に染みている。


「このまま、教皇が帝国の摂政になっちゃうのかな」


 キアロがつぶやくと、スクーロが「させるかよ」と腹立たしげに言う。

 双子はそんなのおかまいないしに、星月夜を流れる川のような髪を編み始めている。


 この十日間、スクーロはキアロにずっと優しかった。


 あれからキアロは覚えているはずもない母の姿を浅い夢に見ては、知らぬ間に涙を流していた。

「嗚咽を上げてしまいそうになる」と弱音を吐くと、スクーロは「俺が双子と一緒に寝る、お前は俺の部屋で寝ろ」と言ってくれた。


 スクーロも幼い頃よく泣いていたから、声が漏れないよう部屋の扉を厚くしてもらったらしい。

 たくさん泣いた人は、今泣いている人に優しくできるのかもしれない。


 ベッドから起き上がる気力がない日には、スクーロが部屋までクロスタータを持ってきてくれた。

 彼が「甘いもんは心に効くんだぜ!」と笑うので、「じゃあ君も食べなきゃ」と半分渡すと、戸惑った顔をされた。


 スクーロだっていつもより目が腫れている。そのくらい、キアロだって気づいた。


 ミケーレは忙しいさなか、話をしたいと何度もスクーロにかけ合っていたが、完膚なきまでに無視されていた。 

 キアロは体温でぬるまったベッドの中で、これまでとこれからについて、よくぼんやりと考えた。


 ミケーレは、スクーロが雷を起こしたことを知ったとき、「早すぎる」と言っていた気がする。

 そして、ミケーレと通じていたらしい騎士ヴァルモラナは、キアロたちのリーク情報を握りつぶした。


 それらを鑑みれば、ミケーレが皇帝暗殺にこだわっていたことは間違いないだろう。

 これが意味するところはなんなのか。


 皇帝がどうあれ教皇が生きている限り、スクーロの力は私利私欲のために利用されそうなものだ。

 そこまで考えて、なんだか引っかかるものがあった。


 だが、心の体力が落ちているせいか、考えすぎると熱に襲われ、考えるための材料も散り散りになっていった。


 改めて、スクーロを弄びながら笑っているジジとトトを見つめる。

 思い起こせば、もう十日も経ったのかという気分でもあり、こんなに苦しんでまだ十日なのか、という気にもなる。


「ミケーレさん、これからどうするのかなあ」


 キアロが独り言のようにつぶやくと、スクーロが「知らね」と鼻で笑った。


 ミケーレは言っていた。力を奪われてきた者や弱い者たちが、安心して生きていける世を作りたいと。自分はその礎になりたいのだと。


「ミケーレさんが肝心なことを隠していたのは悲しいけど、でも僕らに言えなかった気持ちもわかるんだよね」


「わかるなよ、そんな気持ち! 教皇庁の極悪非道な行いを知っていながら、俺らに黙って信頼を得てたんだぞ! どっちにもいい顔しやがって」


「でも、あれだけ回りくどい細工をしてまで僕らの教皇への反発心を駆り立てたのは、ミケーレさん自身が反旗を翻そうとしているからじゃないの? 

 まあ、直接あれこれと教えて、万が一にも僕らが『ミケーレさんから聞きました』なんて口を割らないように、っていう安全策の面もあると思うけど」


 スクーロがぎょっとした顔をする。そこまでは思い至っていなかったらしい。


「ミケーレさんは大きな理想のために、教皇とは違う道を選ぼうとしているんだと思う。

 でも、そうだとしたら一体これから何をするだろう。ミケーレさんが目指している世界って、具体的にどんななのかな」


 誰も不当に力を奪われない世界、そして、弱い者が弱いまま生きていける世界。


 きっとそれは何人も搾取されることなく、力や体力に劣ったとしても危険のない世界だ。

 実現したら素晴らしいと思うけど、キアロにはうまく像を結べずぴんとこない。


 ジジが立ち上がり、スクーロのツノにちゅっとキスをした。


「おそろ~い」と得意げに笑うと、ツノのないトトが「ずるい~」と泣き始める。

 スクーロははっと目を見開いて、ジジとトトを抱き寄せた。


「俺なら、ツノのあるジジ、ないトト、どっちも幸せに生きていける世の中をつくりたい」


 思わず、え? と聞き返したが、キアロの胸にもすくすくと実感が芽生えるのがわかった。


「んで、子どものジジとトトだけじゃなく、年寄りとか腕力のない女たちも怖い思いせず生きてける国にしたい。

 俺ならそう思う。にいにもきっとそうだ。俺はやっぱり、発信の力を開花させなくちゃ」


「ほかの誰かがリリスの後継者にならないように? ミケーレさんは、君には力を使わせないって言ってたんだよ」


 スクーロがぶんぶんと首を横に振る。


「それだけじゃだめだ! そんなの、力を奪われてる状態とどう違うってんだよ。にいにの理想と矛盾してる。

 発信の力を戦争の道具なんかにせず、飢えてたり渇いてたりする人たちのために使えば、オウガへの偏見だって消えてくはずだ。ジジとトトが安心してにこにこ生きてける世界をつくるには、力がいる」


 指先までぴんと伸ばした手のひらを、力強く握り込むスクーロに、キアロも勇気が湧いてきた。

 やっぱりミケーレとスクーロは親子で、兄弟なのだ。


「王道じゃなくても、正しくなくても、にいにが自分なりの方法で力を手に入れたみたいに、俺も俺のやり方で力を手に入れる。俺は宿命(さだめ)に屈してリリスの後継者になったりしない、自分の意志でそうなるんだ」


 決意を新たにしたスクーロを前に、キアロも腹をくくった。

 目指すのはジジとトトが笑って過ごせる未来。


 これからやるべきことが、今やはっきりと見えていた。


***


 ジジとトトをカーペットの上で遊ばせておきながら、ふたりで樫のテーブルに地図を広げる。


 首都ロムレアから四〇〇キロ西にある、聖なるオウガ島。

 ミケーレの真の狙いはわからないが、皇帝が亡くなった今、ここに行くのにもう「早すぎる」こともないだろう。


「ただ……窓辺にも近づくなって言われてるくらいだからな~、厳戒態勢だとは思うよ。そういう意味では早いんだよね。ミケーレさん心配するだろうな、僕たちがいなくなったら」


「今さら怖気づいたのかよ。俺のツノの封印を解く鍵があるかもしれねーんだから、行くしかねーだろ。あと、にいにはどうせ最後には赦してくれるぜ! 俺のこと大好きだから」


 ミケーレと同じ「お兄ちゃん」としては、なんて最悪な言い分なんだ……と思うが、キアロもきっとジジとトトに謝られたらなんでも赦してしまう。


 ぼそっと「そういうのどうかと思うよ」と言うに留め、オウガ島行きに必要なものをリストアップしていく。そのうち、くいっとズボンを引っ張られた。


「にーちゃたち、どっか行くの」と不安げなトトに、キアロより早くスクーロがしゃがんだ。


「そーなの、にーちゃんたちはご用事。だからって泣くなよな。すぐに帰ってくっから」


「やだートトも行く!」「ジジも~」と騒ぎ立てるふたりに、スクーロは唇をめいっぱい横に引いて言う。


「一緒には行けないけどさ~、いい子にお留守番してくれるんなら、ちょ~っといいことに付き合わせてやってもいいぜ! てことで、目的地には何に乗って行くでしょう!」


「お馬さん!」


「船ー!」


 もっといい方法があんだよ、と笑うスクーロに、キアロは青くなる。


「スクーロ、まさかふたりに教え……」


「そのまさかでーっす! お空! お空を飛んでくんだ! ぴーちゃんっていうかわいい鳥さんの背中に乗せてもらうんだよ」


 きゃーっと歓声が上がるが、キアロは気が気じゃない。


 まさか神獣と双子を対面させることになるとは、いや、この流れだと乗せることになるのか? 

 かわいい鳥さん? 鷲と馬の巨大キメラが? 


 どこから突っ込めばいいのかわからず、「あの、あああの」とどもっているうちに、三人で約束が決まってしまった。


 改めて考えたら、この中でお兄ちゃんなのはキアロだけなのだ。

 ミケーレさん! と叫びたい気持ちで、結局は夜を待つしかなかった。


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