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プロローグ——力なき者の反逆②

 キアロたち兄弟を引き取ってくれているカポネ家は、村の外れにある。


 日暮れの森を背に建つレンガの家、その軒先にジジとトトがうずくまっていた。

 ふたりとも燃えるような赤の巻き毛に緑の目をしているが、遠くからでも見分けがつく。


 なぜなら、ジジと違ってトトには生まれつきツノがないのだ。

 気弱なトトのほうは泣いているらしかったが、勝ち気なジジはキアロを見つけて「あっ」と瞳を明るくした。


「何してるのさふたりとも、寒いのにこんなところで。雹に打たれなかった?」


 とっさにジジが、しーっと自分の唇に人差し指を当てる。


「なんで?」とキアロが尋ねると、ジジがこしょこしょと耳打ちをしてきた。


「あのね、中でオリンドだけ、トウモロコシ粉のおかゆ食べてるの。僕たちのはないの。だから、知らない振りしてあげてるの」


 オリンドはカポネ家の息子だ。

 ジジとトトと同じ五歳だが、ふたりに比べると明らかに肉づきがいい。理由は簡単で、ときどきこうしてこっそりとおやつを食べているからだ。


 キアロは少し考えると、籠からブドウをひと房取り出した。こんな量じゃワインの足しにもならないというので、駄賃の代わりにもらってきたのだ。

 弟たちの肩を抱き寄せ、「僕たちもおやつ食べよ」と微笑む。


 家の裏手に回り、皆でブドウを頬張った。

 ワイン用の実は皮が分厚く、甘みと酸味がぎゅっと詰まっている。ジジはもちろん、ひもじいとべそをかいていたトトも、三粒も食べるとすっかりご機嫌になっていた。


 これだけでお腹が膨れるはずないのに、兄である自分に免じてにこにこしてくれるふたりを、キアロは心から愛おしく思っている。

 たとえ血のつながりはなくても、だ。


 ジジとトトは父が戦地から連れ帰った孤児で、そのときはまだ乳飲み子だった。

 父は「うちにも余裕はないが放っておけなかった」と苦しげにこぼしたが、キアロは一度にふたりも弟ができてうれしかった。


 働きながら子守りをするのは大変ではあったが、ジジとトトがいなかったら、父を亡くして以降の日々をどう生きればいいかわからなかっただろう。


 キアロはこの村が好きだ。

 女たちは皆キアロによくしてくれて、双子が赤ちゃんだった頃には代わる代わる乳をくれた。カポネの家だって、父の親戚というだけでよく自分たちの面倒を見てくれているものだと思う。


 ふと、テオおじさんの台詞が甦る。


「耐えることで命をつないできた、か」


 キアロたち三兄弟だってそうだ。

 村にゆとりがあった頃は皆の子として育てられたが、不作が続くようになってからは、自分たちが誰の子でもないのを痛感することが多くなった。


 村人たちを責めることはできないが、胸の内にちょっとずつやすりをかけられるような日々を耐えて、命をつないでいる。


 いつの間にか、夕焼け空に薄氷のような月が浮かんでいる。

 三人は辺りが藍に沈むまで、身を寄せ合って座っていた。


***


「嫌です! 嫌だ、絶対に嫌だ!」


 夜半、キアロはカポネのおじさんに激しく唾を飛ばしていた。

 養家でこんな大声を出したのは初めてだ。キアロをなだめようと、おばさんが背中をさすってくる。


「キアロ、あんたがそう言うのは当たり前だ。あんたは素直ないい子で、本当によく働いてくれている。でもね」


 おばさんの視線の先には、キアロが採ってきた色艶の悪いブドウがあった。


「こんな馬鹿みたいな冷害が続くと、一家で飢え死にするほかないんだよ。だから」


「だから、ツノのないトトを人間に売れっていうんですか!」


 おじさんもおばさんも、苦渋の表情でうなだれている。

 やがて、おじさんが苦りきった顔で言った。


「ツノがなければオウガも人間も同じだ。『免罪の子』は、出生さえごまかしちまえば人間として生きていけるんだ。街では子どものない貴族や裕福な商人たちが、子どもを欲しがっているっていうんだから、トトにとってもいい話だろうよ」


 免罪の子というのは、乳歯が生えそろう時期になっても、ツノが生えてこなかったオウガのことだ。

 ツノが遺伝しない子は昔からたまにいて、おじさんの言うように、出自を隠して人間として生きている者もそれなりにいると聞く。


「そうだよ。ジジを奴隷として人間に売ろうってんじゃなくて、トトを金持ちに育ててもらおうっていうんだから、これはいい話さ。ねえキアロ。これからはあんたとジジに、もっとうんとよくするよ。だからわかっておくれ」


 おばさんが瞳を潤ませてキアロの手を取る。おじさんのほうを見ると、もうこの話は終わりだと言わんばかりに手をひらひらさせていた。


 だめだ、もう何も聞いてもらえない。

 そう悟ったキアロはおばさんの手を優しく振りほどくと、おやすみなさいとつぶやいた。


***


 真夜中近く、キアロは月明かりを頼りに駆け出した。

 白い光に照らされた手足が、緊張でがくがくと震えている。何度か転びかけながら教会までたどり着くと、裏手の宿坊の扉を思いきり叩いた。


 祈るような気持ちで叩き続けていると、錠前の音がして扉が開く。


「キアロか、どうしたんだ一体!」


 目を丸くしているマルコ神父に、キアロは思わずしがみつく。


「僕、教皇庁に行きます。行かせてください」


 神父は皺の刻まれた顔をキアロに寄せ、「そんなことを言うもんじゃない」と凄んだ。


「いいか。若いお前が、母譲りの恵まれた力を試したくなる気持ちはわかる。だが、それは不幸のもとだ」


「力を試す? そんなんじゃない。そんな贅沢、一度だって僕には選べなかった。このままじゃ、トトが人間に売られてしまうんです」


 なんと、と固まってしまった神父の後ろから、赤らんだ顔のテオおじさんが現れた。きっと、役人をもてなす酒宴に参加させられていたのだろう。


「キアロ、トトのことはまた考えよう。俺がカポネ家に相談に行く。ひとまず、今日のところは帰るんだ」


 キアロは力強くかぶりを振った。一歩も引く気はなかった。


「話し合いで食料が増えるわけじゃない。それともテオさん、あなたが僕らを引き取ってくれますか?」


 これにはテオおじさんも、何も返すことができなかった。決まりだ。

 キアロは涙を拭って声を張り上げた。


「教皇庁のお役人様! 僕の名前はキアロ・ディアマンティ、天気を予知する者です! 弟ふたりと共に、ぜひ教皇庁に連れていってください」


 大人たちが、キアロ! と口々に叫ぶ。


「子どもの戯言です! 本気になさいませんよう!」


 しかし、昼に見たあの役人は腹を揺すりながら戸口にやってきて、脂ぎった顔をにやりとさせた。


「そこの男どもの青ざめた顔を見るに、そのガキは捨て置けんな。話を聞こう。入れ」


 役人が奥へと戻るなり、テオおじさんが「まだ間に合う、帰るんだ」と強くキアロの肩をつかんだ。

 しかし、キアロは聞かなかった。


「従順は力を奪われた者の知恵だってテオさんは言ったけど、僕にはそう思えなかった」


「キアロ! 我々は力を蓄える必要があるんだ。言いなりになるんじゃなく、従順なふりをしてな」


「冬を越すための食べ物さえ蓄えられないのに?」


 明らかに傷ついた顔をしたテオおじさんを見て、我ながらひどいことを言ったものだと思う。


 だけど、今のキアロに力を蓄える時間などあるはずがない。

 ここで従順に——おとなしく、素直に、逆らわずに暮らしている限り、弟たちを守ることはできないのだ。


「従順でいたら、奪われ続けるだけだ」


 キアロはそう言い残すと、役人が待つ奥の部屋へと歩き去った。

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