表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/30

【第二章 霹靂】自由への翼③

 翌日も朝から特訓を始めたが、昨日の夜間飛行が夢だったかのように、まるではかどらなかった。


 スクーロは「胸に集めた力を放つ」ようにしたというが、ツノが何かに覆われているような様子は変わらない。キアロが受信できるのは、そこから漏れた微弱な周波数だけだ。


「だめだね。そんなに強くない願いを発信するには、やっぱり覆いを取らなくちゃ」


 スクーロが「思うんだけどよ」と腕組みをする。


「オウガの女神様なら、この封印を解いてくれるんじゃねーの?」


 キアロは地下書庫で見た、白い靄のことを再び思い浮かべた。


 今はさんさんと陽が射す午前中だし、ここまで来たらスクーロに言ってもいいだろう。

 ということで怖がらせないよう慎重に、スクーロのツノから靄の女性が出てきたことを伝えたのだが、彼は貧血っぽくなってソファに横たわってしまった。


「背中さすって」と涙声で乞われ、仕方なく応じてやる。


「そんなに怖がることないだろ~、今までずっとその人はスクーロのツノにいたんだろうし、今もいるんだよ」


「あーーー! キアロの馬鹿! なんで二度も言うんだよ!」


「あっ、馬鹿って言った!」


「今のはほんとに馬鹿だろうが!」


 いや待って、とキアロがかぶりを振る。


「こんなことやってる場合じゃないんだよ。問題はスクーロのツノを封印しているのは誰かってこと。もしかして、白い靄が女神様なのかな? って僕は思ったんだ。だって、あったかくて嫌な感じはしなかったんだよ」


「なるほど、女神様が俺のツノの中にいるってんなら、悪くねーな。でも、女神様自身はオウガの島にいるはずだろ? だったら、魔術で遠隔操作みたいなことしてんのかも」


 スクーロの力を制限しているのが本当にオウガの女神だとしたら、何か正当な理由があるはずだ。


 でもそれ自体、本人に聞きに行かないことにはわからない。

 スクーロが見せてくれた地図では、オウガ島は西の海にあった。


「行きたいね、オウガの島に」


「でも、その島を巡って、帝国とごたごたしてるわけだかんな。とりあえず、もっかい地下書庫に潜って島について調べてみるか」


「ううん、もう自分たちで調べるような時間はないよ。ミケーレさんに直談判だ!」


 面食らった様子のスクーロが無謀だと止めにかかるが、キアロに聞く気はない。


「切り札が、オウガ島にあるかもしれないんだ。確かにややこしい時期かもしれないけど、だからこそ教皇はスクーロの能力開発を急がせてるんだろ? 

 そこを突けばなんとかなるんじゃないかなって。説得役は僕に任せて。大人相手に話すの、結構得意なんだ」


 キアロが明るく胸を叩くと、スクーロはしぶしぶ首を縦に振った。


***


 深夜近く、宮殿から帰ってきたミケーレは青くくすんだ顔をしており、ひどく疲れて見えた。


 もとが健康的な魅力の持ち主であるため、この短期間でのやつれ具合はいっそう痛々しい。


 彼が自室のソファに沈む様は、熟れた花が己の身を持て余してしなだれる姿のようだった。

 どことなく妖艶な雰囲気に、キアロはさっと目を伏せる。


「お茶を淹れて来てくれるなんてね、ありがとうキアロくん。宿題、見てあげられなくてごめんよ」


 ふたりの間にあるテーブルから、リンゴのような香りのカモミールティーの湯気が立ち上っている。

「スクーロが見てくれていますから。

 あの、そんなことより。昨日は本当にすみませんでした。僕を庇ったせいで、ミケーレさん肩を……」


「君に何ごともなくてよかったよ。それにたいした怪我じゃないから。むしろ私はね、昨日、キアロくんにより深く感謝したんだ。

 君のおかげで、スクーロがどんどんたくましくなっていく。まさか、聖下に口答えするようになるなんてね」


 柔らかな笑顔には、隠しようのない寂しさが浮かんでいた。

 胸がきゅっとするが、なんと言葉をかけていいものかキアロにはわからない。


「スクーロだけじゃない、私も君に出会えて幸せだ。感謝のハグをさせてくれる?」


 顔が赤くならないよう気をつけ、ミケーレの隣に座って抱きしめてもらう。

 テオおじさんにはよく頭を撫でてもらったけど、こんなに芯から甘やかしてもらえたことなんて、誰からもなかった気がする。


 熱くなっていく耳を見られたくないなと思いながら、今だ、と心を決めた。


「僕に何かあったら、ジジとトトのことは頼みます。トトは人間たちに混じって生きていけるだろうけど、ツノのあるジジはそうはいかない。

 すごく心配です。血がつながっていなくたって、家族ですから」


 ミケーレは腕を離すどころかますます力を込めて、「急にどうしたの」とキアロの耳もとに唇を寄せた。

 キアロはぐっとミケーレの胸を押して、その緑の瞳を見つめる。なんだか雨に濡れた森に迷い込んだような心地だった。


「過去、スクーロの特訓相手として呼ばれた受信の能力者たちは、どうなりましたか」


 森の翳りが濃くなった。しっとりとした苔色が、栗色のまつ毛のひさしに隠される。


「ミケーレさんが教国と帝国を巡る状況を教えてくれてから、考えられることがぐんと増えました。ひっそりと隠し育てられているスクーロの存在は、国の極秘事項でしょう。

 そんなこと知る由もない、辺境から連れてこられたオウガであったとしても、スクーロとの顔合わせのあと普通に帰されるとは思えない」


「賢い子だ」


 いっとき和らいで見えた疲れが、ミケーレの青い顔に艶めかしく戻ってきていた。


「だから、お願いです。僕がうまく役目を果たせなくても、ジジとトトだけは守ってあげてください。無事に生き延びられるように」


「君たち兄弟の安全は約束する。安心してほしい。それくらいの力なら、今の私には充分にある。まだ君がやってきたばかりの頃、夜のバルコニーでお喋りしたことがあったね。そのときにした、私の昔話を覚えているかい?」


 キアロは頷いた。


 教皇庁の偉い人であるミケーレが、平民の子だと知って驚いたものだ。そして、故郷が焼き払われたという悲しい話にも。


「私が士官学校から神学校へと転校したのは、何も神に助けを求めたからじゃない。理不尽な世を変えるために、権力が欲しかったからだ。

 オス・サクラム教国は、高位聖職者の下に武官が置かれている国だからね。適性のない騎士よりも、聖職者となるほうが近道だった」


 ミケーレは自嘲するかのように小さく笑った。


「君に失望されたとしても私が言いたかったのは、大切な人を守るには力がいるってことさ。

 誰も不当に力を奪われない世界と、弱い者が弱いまま生きていける世界。それらが両立する世であってほしい。そのためには、正しい心を持つ誰かが、国を導いていかねば」


「ミケーレさんは、そんな人になろうとしているんですか?」


 遠くを見つめていたミケーレが、おもむろにキアロに向き直った。


「残念ながら、私は正しい人間じゃない。でも、そういう世のための礎となれたら本望だね」


 オウガ村にいた頃は、理想の世だとか作るべき世界だとかなんて、考えたこともなかった。

 でも、それはキアロが学ぶべき時間を、生活の余裕を、つまり力を奪われていたからなのだ。


 ミケーレに感化されたのか、胸底から勇気が湧いてくる気がした。


 ふたりはどちらからともなくカモミールティーを手に取り、静かな夜を味わうように口をつけた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ