【第二章 霹靂】自由への翼①
二週間が経った。
歴史的スピードでの会談の決裂後、すみやかに調停評議会が置かれたが、二国間の取りなしは難航しているようだった。
キアロは「調停がどうなるかなんて教皇はどうでもいいのでは。
だって、どうせ皇帝を暗殺するつもりなんだろうし」と思っていたが、スクーロによるとそうでもないという。
「歴史的に暗殺が成功した例なんて、ほんのちょっとだぜ。それに、皇帝暗殺の混乱に乗じて皇子の摂政になるにも、反対勢力を押さえつけるのに武力行使は避けられねーだろ。
帝国の軍隊は教国なんかより、ずっと充実してるはずだし」
ということで、どうやら教皇は調停者たちを懐柔して、自分に有利な条件を帝国に飲ませようとしているらしかった。
どこまでも厚かましいな~、というのがキアロの素直な感想だ。
そんなある日の昼下がり、キアロたちが特訓をしているところに、教皇とミケーレが慌ただしくやってきた。
教皇の顔は赤く茹だっており、白いキャソックとの対比が滑稽なほどだ。
「スクーロ、この卑しいガキめ! 虫唾が走るようなツノを生やしながら、いつまでだらだらと遊んでいるつもりだ!
貴様の発信の力さえ開花すれば、愚劣なる帝国の者どもも教国の偉大さをわかろうというもの。だというのに……!」
金の権杖が、スクーロの足もとを目いっぱい殴りつけた。当たったわけではないが、鈍い音は脅威を感じさせるに充分だ。
さすがにうろたえているスクーロを前に、ミケーレも「聖下!」と声を上げる。
キアロがスクーロをかばって歩み出た。
「あの……っ、教皇様! スクーロはよくやっています。発信の周波数、綺麗に揃ってきてるんですよ。たらいに水を汲んで来ますから、教皇様もそれを見ればきっと成長をわか」
骨を砕くように荒々しく、重い音が響いた。
キアロの目の前で、緑のキャソックがうずくまる。教皇がキアロに杖を振り下ろしたところに、ミケーレが割って入ったのだった。
あまりのことに頭が白くなったが、呻き声が聞こえてはっとする。
「ミケーレさ……、け、怪我」
「キアロくん、聖下の御前だ。黙りなさい」
凍りついた四肢が重たい。
キアロが口の端さえ動かせずに突っ立っていると、銀の星を留めた夜空のような紺がひらめくのが見えた。
「教皇聖下」
しかつめらしくそう呼びかけたのは、スクーロだった。
ミケーレの隣に並び立って続ける。
「わたくしの未熟さは、わたくしの責任です。発信の力は必ず解放してみせる。だから、覚えておけ! 俺のにいにと友達を傷つけるなら、容赦しない!」
急に辺りが白くなったかと思うと、ドオンという轟音に連れられて視界に色が戻った。
雷鳴が続き、その大きさに近くに落ちたことが知れる。
窓の外では、紫の空に無数の稲光が走っていた。
場は明らかに異様な雰囲気に圧され、教皇が唸り声を飲み下す。
「そこまで大見得を切ったからには、失敗は許されんからな! 行くぞ、ミケーレ! すぐに枢機卿団に招集をかけよ、調停対策の会議を行なう」
まるで逃げるように去る教皇の後ろで、ミケーレが心配そうに振り返った。キアロもスクーロも、頷いて彼を労る。
彼らの姿が見えなくなると、さて、とキアロは思った。
最初の雷が鳴る直前、確かにツノに痛いほどの痺れを感じた。
天気が変わったのは偶然ではないのだ。
***
「え、俺の力で、さっきの雷が……?」
スクーロに発信の力を使った自覚はあるかと聞いてみると、案の定といった反応だった。
「だって、ここんとこずっと気持ちのいい秋晴れで、今日だってあんなひどい雷が鳴るような予兆は何もなかったよ。僕のツノも反応しなかった、君が教皇に啖呵を切るまではね」
スクーロは信じられないといった様子で、さっきから部屋を右往左往している。
無理もない、物心ついたときから十年近くも特訓をしてきて、初めてのことなのだ。
「僕のツノは二回震えた。一度目は君の発信の力が放たれたとき、そして二度目はそのすぐあと、天が願いに応えて落雷を起こすときだ。スクーロは何か感じなかった?」
「いや、俺も興奮してたし、覚えてないって! でも、特訓中みたいに集中してたわけでもないのに……なんであのとき?」
「そりゃあ、発信の力の源が君の心だからさ! それ以外にある!?」
ぽかんと口を開けるスクーロに、やれやれと肩をすくめる。
負けん気の強いスクーロに偉そうに振る舞える機会なんて、そうそうないだろうから堪能しておきたい。
「愛するミケーレさんを守りたい、そして大親友の僕のことも守りたい。その強い想いが正義の怒りになって、雷を呼んだんだろ。きっと、誘拐騒動のときにカラスが押し寄せたのも……」
「待てよ、誰が大親友だ」
スクーロの手刀が空を切り、キアロはチョップをくらった体で「あー」と声を上げた。
でもよ、とスクーロが顎に手を添える。
「よく思い返してみたら、あのときこう、ツノがすっとした気がしたかも。なんだか……」
「ツノを覆っていたベールを突き破った、みたいな?」
「そう、そうなんだよ! パンツを穿き忘れたみたいな、ちょっと心もとない感じ」
「世界で唯一の、発信の力の例えがそれでいいの……? まあでも、確かにあのとき、スクーロのツノから急に力が『突き抜ける』感じがしたんだよね。いつものくぐもった感じじゃなく、一直線に」
今キアロの脳裏には、地下書庫の隠し部屋を教えてくれた、あの白い靄のことが浮かんでいる。
髪を結った女性にも見えたうっすらとした光は、確かにスクーロのツノから現れた。
「普段は『何か』が俺のツノにまとわりついて、邪魔してるっつーんだな。じじいにああまで言ったんだ、絶対に力を開花させてみせる。
だからって、言われるがまま戦争の道具になる気はねーぞ。力を使うかどうかは俺の意思で、俺が決める!」
スクーロが空を打つように拳を繰り出す。
キアロはそれを見つめながら、なんてかっこいい友達ができたのだろう、と胸がすいた。
誘拐未遂事件以降、不穏なことが続いているうえ、今日だって愛する人を打たれるショックを味わったばかりなのにこんなにも凛としている。
「俺は力を手に入れたい。この力さえ開花すれば、にいにを守れるんだよ。もう、にいににあんな思いをさせたくないよ」
噛みしめられた唇から、スクーロの思いが伝わってくる気がした。
今日だけじゃない、未来永劫ミケーレを守りたいのだ。
できることなら、いつまでも追いかけてくるだろう過去の苦しみからさえも。
「ねえ、僕に名案があるんだ! 皆が寝静まったら迎えに行くから、外套を着て待ってて」
スクーロはあれこれ聞くこともなく、おうよ、と返事をした。