【第二章 霹靂】波乱の二国間情勢
翌日、キアロたちは昨晩得た情報を整理してみた。まずオウガについて。
オウガは邪悪な存在ではなく、神に愛された者だった。
始祖のオウガはリリスという名前で、人間を統べる女王だったが、反乱に遭って島にこもってしまった。
今伝わっている創世神話は、おそらく後に書き換えられた偽物だ。
スクーロが言う。
「女神が天に返したのは、発信の力のほうなんだよな。で、受信の力はまだ持ってるはず」
「そうだね。あと島にこもったってあったけど、心当たりある?」
「大ありだぜ! 西の海に浮かぶ島、その名もずばり L'isola Sacra degli Ogre、聖なるオウガ島!」
まんまだ~、とふたりで笑い転げる。
さっきから昨日の冒険の話が止まらず、発信の力の特訓はまったく進んでいない。
スクーロをくだらないガキと言っていた教皇なんかのために、頑張ってたまるかという感じだ。
「あと、とこしえに近い時を過ごすことになった、って書いてあったんだよね? てことは女神様、きっとまだ生きているんだよ。オウガの島で!」
こうして言葉にしてみると、自分たちしか知らない真実に感動が溢れてきてしまう。
「でも、教皇が錬金術師と話していたことは、全部怖かったね。皇帝の暗殺って……それに」
キアロが口ごもると、スクーロが遠くを見るように大窓に目をやった。
暗い色の髪が、きらきらと陽光を照り返している。
星空の一番綺麗なところを集めて作ったようなお団子頭の中には、もちろんツノが収まっている。
遠い昔に、リリスのものだった発信の力。
それをスクーロが受け継いでいるのはなぜなのだろう?
人造神という言葉にヒントがあるのだとしたら、それこそ知るのが恐ろしいような気がした。
そして、キアロの母。
キアロは、母に似ているとよく言われてきた。
もし教皇が母を知っていたのなら、初対面で「母にも予知の力があったか?」と聞かれたことの筋が通る。
しかし、国を治める教皇が、一介のオウガに過ぎない母と顔見知りである理由がわからない。
考え込んでいると、スクーロが気遣うように「ま、あんま考え過ぎんなよ」と声をかけてくれた。
人造神なんて呼ばれていた彼のほうこそ、不安だろうに。
「皇帝なんか俺らの知ったこっちゃねーし、暗殺を止める義理もねーんだからよ」
あの、そのことなんだけど、とキアロは首をひねる。
「神聖ロンバルディア帝国って、大きい国なんだよね? 僕、地図も見たことないし、自分の村が教国のどの辺なのかも教えられてなかったし、実はあんまりぴんときてないんだ」
スクーロはあからさまに驚いていたが、すぐに大きな地図を持ってきてくれた。
オス・サクラム教国はここ、と指差されたところは、横長の大陸からにょきっと南東に向かって生えるブーツみたいな形をしていた。
「んで、このブーツの履き口から上にべたーっと広がってる、六芒星みてーな形の国が神聖ロンバルディア帝国。確かにでっけーよな」
昨晩の教皇の「戦となるもやむなしぞ」という台詞を思い出した。
これだけ大きな国と戦争になったら、被害も甚大なものになるだろう。
そして、きっとオウガのように弱い立場の者から犠牲になっていくのだ。
父を思い出すと、キアロは唇を噛まずにはいられない。
「皇帝が暗殺されたら、国同士のバランスが崩れるんだよね? そしたら、何が起こるの? ていうか、教皇はなんで皇帝を暗殺しようとしているの?」
素朴な質問に即答するのは難しかったようで、スクーロは考え込んでしまった。
「おや? かわいい子たちが私の目を盗んで、特訓をサボっているようだな」
ひやっとする胸を押さえて声のほうを見ると、アーチの入口にミケーレが佇んでいた。
いつもどおりにこやかな様子からするに、話を聞かれていたわけではなさそうだ。
「こいつが地理を知りたいって言うから、教えてやってたんだよ。俺、偉いだろ?」
スクーロはさっそくミケーレに駆け寄り、たくましい腕に恋人のように抱きついている。
ミケーレはスクーロの頭を撫で、「それはよかったけど、でも、こいつじゃないね。キアロくんだろ?」と顔を覗き込んだ。
「キアロでいいよ! ミケーレさん、僕ももうスクーロって呼んでるんですよ」
ミケーレはぱあっと顔を輝かせ、「本当に!」と喜んでくれた。
「俺は認めてねーぞ! スクーロさんって呼べよ!」という喚きは無視して、キアロとミケーレのふたりで微笑み合う。
結局キアロたちは、教国と帝国の情勢をミケーレに教えてもらうことになった。
コーヒーをいただきながら、講師ミケーレの話を聞く。
「確かに、ずっとオウガ村にいたキアロくんが、この国を取り巻く政治情勢を知らないのは無理もない。私が気づくべきだったよ、先に教えてあげられなくてすまないね」
「いえ、お忙しいのにわざわざありがとうございます。僕、オス・サクラム教国がそもそもどんな国なのかも知らなくて」
スクーロは冷やかす素振りもなく、キアロの隣で真面目に聞いている。
「いい質問だね。というのも我が国は教国というだけあって、王をトップに戴くほかの国々とは成り立ちが異なるんだ。まず、国の頂点が教皇聖下であることはわかるね?」
キアロはこくりと頷く。
「聖下はオス・サクラム教の聖職者のトップであり、同時に教皇領を治める王でもある。さらに、オス・サクラム教は大陸中に広がり信仰を得ている。聖下は、聖俗にまたがる強大な権力者というわけさ」
穏やかな語り口に聞き流してしまいそうになるが、ミケーレの立場で教皇を「俗」「権力者」という言葉で説明していいものだろうか。
いらぬ心配をしそうになるが、きっとわかりやすいよう噛み砕いて教えてくれているのだろう。
「そして、ここ教皇領にも特殊な点がある。教国の領土は、戦争をして自ら獲得した領地ではなく、他国から信仰の証として贈られた土地なんだ」
俺、知ってる! とスクーロが口を挟む。
「教会に金とか土地とか贈るの、寄進って言うんだぜ」
「そう。そして、神聖ロンバルディア帝国も寄進を行ってきた国の一つだ。トップは皇帝、グイード二世がお務めになっている。
確か、御年五十になられたか。聖下が六十五歳であらせられるから、少しお若いね」
なるほど、昨晩教皇が皇帝を小便小僧と罵っていたわけがわかった。といっても、キアロたちからすればどちらもおじいさんに違いないのだが。
「教国と帝国とは、実は特別な同盟関係にある。皇帝を叙任……つまり皇帝にその位を授けるのは、教皇聖下のお役目なんだ。
ポイントは、互いの政治に口を出しやすい関係であるということさ。実際、皇帝陛下が病づかれてからは、聖下は次期皇帝の人選に口を出……失敬、ご助言をされるようになられた」
世継ぎには第一皇妃との間に生まれた長男がいるが、病身らしく、政務は務まらないだろうと目されている。
しかし、皇帝は第二皇妃との間に次男をもうけている。
そのため自身の退位後は、長男と次男による共同統治を望んでいた。
「皇帝が自分の子たちに、兄弟仲良く国を治めてほしい、と思っていたところに、教皇様が口を出してきたってことですよね。
でも、さすがの教皇様も、自分が皇帝になる! なんて言い出さないでしょう?」
「そうだね、だけど帝国での影響力を拡大したい。そんなとき、キアロくんならどうする?」
ちょっとどきっとしたが、自身に置き換えてみると真剣みが増す。
必死で考えると、あっとひらめくものがあった。
「僕なら、病気の長男を次の皇帝に立てて、自分がその見守り役になります。そして、政治にあれこれ口を出すと思います」
ミケーレもスクーロも、はっと息を呑んだ。
ミケーレがキアロを称えて拍手をする。
「素晴らしい! ……と言っていいものかな、末恐ろしいよ。そうなんだ。教皇聖下はご長男殿を新帝に推し、ご自分は摂政としてその補佐をされると、帝国に通達された。
これにグイード陛下がお怒りにならないわけがない」
そのために、教国と帝国の長らくの蜜月は終わり、権力闘争が激化しているのだという。
「そこで、皇帝は禁じ手を使うことにした。オス・サクラム教国に対して、宗教改革を発令したんだ」
「宗教改革?」
「そう。教皇は権力に血迷い、信仰を汚している。さらには教義を拡大解釈し、オウガを差別して苦しめている。ゆえに我々帝国は、七〇〇年前に寄進した『オウガの島』を教国から取り上げることにした。
取り上げられたくなければ、宗教に正しく励み、他国の後継者問題に口を出すのをやめなさい……といったところさ」
オウガの島という言葉に、キアロとスクーロは顔を見合わせた。
「あの、いろいろ聞きたいことがあります。えっと帝国は……オウガの味方なんですか?」
「そう聞こえるだろうけど、残念ながら味方というわけではない。政治というものはややこしいね。
帝国が過去に寄進した土地の中で、人が住んでおらず、もっとも手っ取り早く取り上げられそうなのがオウガの島だった。
しかし、実際に取り上げるには、何か適当な理由が必要だったのさ。そこで、オウガを搾取している教国に、オウガの聖地である島を渡しておいてはならん! という理屈をこじつけたというわけ。
実際、我が国でのオウガの扱いは、他国に比べてもひどいものだからね」
キアロは思う。
下々の者は権力者の気まぐれに、いとも容易く振り回されてしまうものなのだな、と。
うずうずを隠しきれなくなっていたスクーロが、にいに、と口を開く。
「オウガの島って、なんか特別なとこなの? 聖地ってのはなんで?」
ああ、とミケーレがちょっと気の抜けた声を上げた。
そういう点ではあまり気にしていなかった様子だ。
「民間伝承で、始まりのオウガを祀ったとされる遺跡があるのさ。だけどのどかで美しい、普通の島だよ。
人間からすれば忌むべきオウガを祀っていた島だけど、聖地という言葉が独り歩きして定着してしまった。人の認識はいい加減だからね」
ただ、とミケーレがやや緊張感を取り戻して続ける。
「鉱山資源が豊富だから、教国としては手放したくないんだ。それに、オウガを支配する正当性はオス・サクラム教国にある、という象徴でもあるからね。
まあ、神話的な価値を、経済的、政治的価値が遥かに上回る島なのさ」
オウガと国の関係を語るときのミケーレには、なぜかほんのりと冷笑的な雰囲気が漂っている。
ところでキアロには、今聞いておくべきことがあった。
「教皇様がスクーロの力を目覚めさせようとしているのは、帝国を倒すためですか?」
時が止まったような沈黙が降りた。スクーロが息を呑む中、キアロは続けた。
「発信の力を使えたなら、戦争する必要さえない。帝国本土で大地震や大津波を起こしてしまえば、戦争より簡単にたくさんの人の命を奪えるんだから」
ミケーレが困ったように微笑む。
「豊かな想像力だね、と言っておこう」
はぐらかされたが、もう答えを聞いたも同然だ。しかし、これで引き下がれるわけがない。
「もしスクーロの力が開花しなかったら、どうなるんですか」
「君ならどうする?」
「話し合います。戦争が起これば、苦しむのは弱い立場の人たちですから」
「そうだね、私たちも話し合いを重ねているところだよ。明後日には会談のため、遠路はるばる皇帝陛下がお出ましになる。大丈夫、何が起ころうとも君たちの安全は私が保証するよ」
スクーロがほっと息をつくと、すぐにミケーレが続けた。
「スクーロ。改めて言うが、お前に宿るのは多くの人を救う希望の力だ。その使い道は、私が必ず正しいものとする。だから、発信の力の特訓は続けてほしい。焦らなくていいからふたりのペースで、ね」
キアロは結局「ミケーレさんを信じています」と答えた。
二国間の状況についてはよくわかったが、するする進んだ会話を思い出すと、ミケーレの手のひらでうまく踊らされていた気もする。
キアロはコーヒーカップを片づけながら、ミケーレの笑顔を思い出していた。悲しみや傷つきを知っている人が、あらゆる複雑さを包み込んで笑うなら、きっとあんなだろう。
「俺、ミルクなくてもコーヒー飲めるんだぜ」と得意げなスクーロに「わ~大人だねえ」と返す。
ちなみに、ごく薄く淹れられているので、キアロもミルクは使っていないのだ。
ミケーレの笑みにどこか痛みをこらえるような雰囲気があるのは、温かな闇の毛布の下に生々しい傷を隠しているからではないだろうか。
それが彼の言う弱さや醜さならば、やはり乱暴に暴いたりせず、癒えるまでそのまま眠らせてあげたい。
しかし、キアロのそんな素朴な願いは虚しく散るのだった。