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プロローグ——力なき者の反逆①

 ブドウの房にはさみを当てがった瞬間、キアロは秋晴れの空を仰いだ。

 

 風が肩にかかる金髪を吹き上げ、淡い琥珀の瞳が光を受けて輝く。

 キアロは少年らしい顔に不似合いな苦渋の表情を浮かべると、ブドウを手早く籠に入れた。そして、畑中に響きわたるよう叫ぶ。


(ひょう)だ、雹が降るよ!」


 春の晩霜で傷んだブドウの中から、なんとかものになりそうな房を探していた農夫たちが一斉に顔を上げた。

 こんな快晴の日にまさかなどと言う者はおらず、「おーい、雹が降るってよー」「収穫した分だけでも守れ、怪我する前に撤収だ!」と声をかけ合う。


 失望のため息が漏れる中、キアロは自らの頭頂にそびえる一本のツノをそっと撫でた。

 ふいに、とん、と肩を叩かれる。


「そんな顔するな、お手柄だ」


 見上げると、村の顔役のテオおじさんが微笑んでいた。


 キアロだけでなく、立派なヒゲを蓄えたテオおじさんにも、ほかの農夫たちにもツノがある。

 なぜなら、ここが有角種族であるオウガの村だからだ。


 キアロは物心ついたときから、そのツノを通して天候の変化を知ることができた。

 これから晴れるならば太陽のからっとしたイメージが、雨が降るならば無数の水滴のイメージが、ぴりっと走る静電気のようにツノを伝う。


 昔は天候を予知するオウガで溢れていたと聞くが、今では村でこの能力を持っているのはキアロだけだ。


 ふたりとも中身がすかすかの籠を背負い、足早に納屋を目指す。


「ありがとう、テオさん。でも予知じゃなくて、天気を変える力があればいいのに」


「そんなことができたらもう神様だ! お前は充分皆の役に立っているよ。それにしても」


 とテオおじさんは言い淀むと、内緒話でもするかのように声を潜めた。


「そうして笑うと、ブルーナそっくりだな。いくつになった?」


 キアロは瞳をぱちくりとさせ、「十三です」と答える。ブルーナというのは、キアロを産んですぐに亡くなった母のことだ。


 キアロはもちろん記憶にない母の話を聞きたがったが、なぜか村人たちの口は重く、三年前に死んだ父も母についてはほとんど教えてくれなかった。

 だからキアロが知っているのは彼女が自分と同じ金髪、蜂蜜を固めたような琥珀色の瞳をしており、優れた天候予知能力を持っていたということくらいだ。


 遠くを見つめながら「もう十三年も前になるのか」とつぶやくテオおじさんが、次になんと言うのか、キアロにはわかっていた。

 だから、その唇の動きに合わせて言う。


「悪かったな、今のは忘れてくれ」


 ふたりの声がぴたりと重なり、キアロは高らかに笑った。テオおじさんもつられたように苦笑する。


「忘れてくれ」は母のことに触れてしまった人たちが必ず言う清めの文句みたいなもので、キアロからすれば、予知能力なんかなくても百発百中の台詞だ。

 そこに滲むなんとも暗い罪悪感のようなものが苦手で、いつの間にかこうして茶化す癖がついてしまった。


 村共同の納屋は、すでに農夫たちでごった返していた。

 ふたりが着くや、黒雲が日差しを遮り、氷の塊が地面を叩きつけ出す。


「終わりだ。こんなに降ったんじゃ、野菜どころかヒヨコ豆だってだめだろう。どうやって冬を越すっていうんだよ」


 憔悴しきった声の主は、大家族の父であるペッピーノさんだった。彼は血走った目で振り返ると、キアロの肩を揺さぶった。


「キアロ、お前の母さんは立派だったぞ。何カ月も前に天災やなんかを予知して、俺たちはそのおかげで存分に備えられたんだ。お前にはできないのか、なあ。

 俺たち一家だって、ゆとりがあるときにはみなし子のお前たちにずいぶん施しをしたもんだよ。そのときの恩を返してくれたっていいじゃないか」


 ペッピーノ! というテオおじさんの声に、「馬鹿亭主!」と叱咤が重なる。

 ペッピーノの奥さんは「ごめんね、キアロ。あんたは悪くないよ」とささやくと、夫をずるずると奥に引っ張っていった。


 ペッピーノさんが言った「お前たち」というのは、キアロとふたりの弟たちのことだ。

 双子で、名前はジジとトト。まだ五歳なので畑仕事に出ることは少なく、今日も養家でお手伝いをしながらキアロの帰りを待っている。


 テオおじさんが顔を覗き込んできたので、キアロは心配させまいと微笑んだ。


「早くジジとトトのところに帰らなきゃ。ふたりとも雹に打たれてないといいけど」


 おじさんはその大きな手のひらをキアロの頭に置くと、「こんなに早く大人にさせちまって」と低くつぶやいた。


***


 雹がやむと、キアロたちは氷がぎちぎちに敷きつめられた道を行き、村の中央にある教会へと出た。

 見れば、マルコ神父が身なりのいい男たちと話をしている。男たちの誰にもツノはない。人間だ。


 オウガ村にはほとんど来客がないので、誰もが物珍しそうに遠巻きに彼らを眺めている。

 マルコ神父と喋っている男は、裾に毛皮があしらわれたマントを羽織っており、あとのふたりは護衛の兵士らしく武装していた。


「教皇庁の役人だな」とテオおじさんが顔をしかめると、マント男がくるりと住民たちを振り返った。


「罪深きオウガどもよ! 我々は教皇聖下より崇高なるお役目を拝命し、この辺境の地へ遣わされた。お前たちの中に、天気を予知する者はいるか? いたら名乗り出よ!」


 テオおじさんが半歩前に踏み出し、キアロの姿を隠した。ほかの村人もあえてキアロから視線を外している。

 声にまで贅肉の乗ったマント男は、侮蔑の舌打ちを響かせた。


「そうおどおどするな、卑屈さに吐き気がするわ。いいか! 覚えのある者には、我々と共に教皇庁へ参る名誉を授けよう。恐れ多くも、聖下は能力のある者を厚遇すると仰せだ」


 水を打ったように静まり返る中、おろおろしていたマルコ神父が言う。


「ですから、我が村には受信の能力者はおらぬのです。長旅でお疲れでしょうから、今日のところは教会の宿坊にお泊りを。とっておきのワインでおもてなしいたしますので」


 マント男はまんざらでもなさそうに頷くと、「名乗り出るならば早いうちだぞ!」と吐き捨て、神父に連れられていった。

 この一部始終を、キアロはどきどきしながら見つめていた。


 ここ、オス・サクラム教国ではオウガは教皇庁に管理されており、特別な許可がない限り自村から出るなどもってのほかだ。

 それでも、キアロはずっと外を見たいと思ってきた。


 歌声に溢れる石造りの街、色とりどりのガラスがはめ込まれた聖堂、屋台に並ぶ知らない食べ物。

 戦役従事者やマルコ神父にせがんだ人間の街の話は、キアロに父母のいない孤独をしばし忘れさせてくれた。


「キアロ」


 と呼ぶテオおじさんは、優しいけれど厳しい、父親のような表情をしている。


「絶対に名乗り出るんじゃないぞ。少し前の寄り合いの席で、教皇庁のやつらが天気を予知するオウガを探しているらしいと聞いていた」


「なんで教えてくれなかったの?」


 キアロとしては努めて穏やかに聞いたつもりだが、不平の滲む声色になってしまった。


「お前もわかっているだろう? オス・サクラム教ではオウガを汚れた存在だと教えている。いい話なんかあるわけがない。連中の口車に乗せられるな、俺たちは耐えることで命をつないできたんだ」


 テオおじさんの黒い瞳は真剣で、なおかつキアロへの親心に溢れていた。キアロは悔しさを押し込めて頷く。


「うん、危ないことはしないよ。僕にはジジもトトもいるんだもん」


「わかっているならいい。従順は力を奪われた者の知恵だ。恥じるな」


 キアロは「じゅうじゅん」の意味を教えてもらい、帰路についた。

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