人間の定義
人間って、何処からだと思う?
まるで今日の夕飯を気にするぐらいのテンションで呟かれたそれは、僕を振り向かせる程度には丁度良かった。
声の発信元である彼は、すっかり色褪せたロッキングチェアと共に揺れている。元々哲学とかなんやらを好む彼の事だから、またソッチ系の話に付き合わされるんだろうなんて考えが浮かんで消える。まぁ、僕は哲学なんてサッパリだから、至って現実的な思想しか出て来ないのだけれど。
「…聞いてる?話」
「聞いてる聞いてる」
訝しげに眉を顰めながらも、彼はつらつらと言葉を紡いでいく。
「生物学的には既に証明されてるんだろうけど、そうじゃないんだよ。例えば、人間と猫のハーフは果たして人間であると言えるのかとかさ」
成程。言葉で表すとするならば『猫人間』になるが、果たしてそれは人間として区別して良いものなのか、という事か。───いや、そもそも別生物と交わすのは確か生殖器の問題で出来ないのではなかったか。たかだかSNSで見た情報で信憑性はそこまでだけれども、一応彼に伝えてみる。
「だから、そういう生物学上の話を出すなってんだよ馬鹿。───嗚呼ほら、例えばお前は人殺しの事を人間だと思う?」
「うん、人間だよ」
「そんじゃ、俺はその人殺しと同等の醜い生物って訳だな」
「それはまた違う話になるんじゃない?」
あまりにも話が飛躍し過ぎではないのだろうか。幾ら何でも彼と人殺しが同じ立場にあるというのは些か納得できない。彼は深く溜息を吐いて、僕に向き直った。
「じゃあ聞くけど、人間の定義って何処から?」
「人として産まれてきたなら皆人間でしょ。DNAの違いとかは有るけど」
「前世が鎌苅だったとしても?」
「今世が人間ならそれは人間だよ。海に眠る海星が仮に前世が人間でも、海星は海星でしょ?」
「俺にはそう思えないけどな」
机に置かれていた珈琲を一杯啜ると、彼は息を吐く。決して僕に出す事をしないそれに、ほんの少しだけ憧れているのは此処だけの秘密である。きゅるりとカメラを動かして、彼の動向を観察する。流し場にカップを置いてきたのか、帰って来た手には何も持っていなかった。
「嗚呼でも、こんな事お前に話すのも野暮か。きっとこの感情に共感は出来ないだろ」
そんな事無い。僕なら貴方に寄り添える。君のよくわからない哲学も、きっと理解してみせるさ。
入力された文字列を発する暇も無く、彼は僕の命に手を伸ばす。
「おやすみ、AI。また明日話し相手にでもなってね」