御食国(みけつくに) ── 丹羽五郎左様の生きざま
※公式企画『秋の歴史2023』参加作品です。
※コロン様主催『酒祭り』企画参加作品です。
近江国、佐和山城(現:滋賀県彦根市)。
今宵その大広間では、我が殿・丹羽五郎左衛門(長秀)様と家臣の皆様によって、ささやかながら実に晴れやかな祝宴が催されていました。
先日、織田家は長く続いてきた越前・朝倉氏との戦いに勝利し、滅ぼすに至りました。そしてその論功行賞で、元の朝倉領のうち若狭国(現:福井県西部)一国が我が殿に与えられることとなったのです。
実は丹羽家の家臣たちの間には、他の重臣方に対するひがみにも似た感情がずっとくすぶっていました。
丹羽の殿は織田家中でも五指に入る重臣で、知勇に優れた名将とも評され、これまでの戦でも何度も大きな武功を立てています。
でも、殿はどちらかというと『勇』より『知』の方を評価されがちです。その高い行政能力から、城の普請や船の建造、兵糧の手配など、地味な裏方の仕事を任されることが多かったのです。
同じ重臣でも柴田(勝家)様は『掛かれ柴田』、佐久間(信盛)様は『退き佐久間』などと、得意な戦い方にちなんだ異名で呼ばれているのに、我が殿につけられたあだ名は『米五郎左』──。
米のように一見地味だが無くてはならないもの、という意味らしいのですが、あまりに華がありません。
我らが殿とていくつもの武功を立て、かつては『鬼五郎左』などとも呼ばれていたのに、いつの間にか『米五郎左』──。おまけに、皆が『成り上がり』と呼ぶ羽柴秀吉様ですら、丈夫で使いどころが多いという意味で『木綿藤吉』などど言われ始めているそうなのです。
それなのに我が殿は『米』って──あまりに世間の評価が軽すぎるではありませんか!?
ですが、お館様(織田信長)は、そんな殿の働きをきちんと高く評価してくださったのです。若狭一国を拝領するということは、他の重臣方よりも早く『国持大名』になったという意味なのですから。
そんな誇らしさから、今宵は少しばかり家臣の皆さまの酒の量が過ぎてしまうのも無理からぬところだったのです。
──まだ若輩の小姓である私は、酒を口にすることもなく、殿のお傍に控えているだけなのですが。
「──いやあ、めでたい! じつにめでたいですなぁ」
だいぶ上機嫌になってきたのか、ひとりの家臣の方が立ち上がって無遠慮な大声を上げました。若きころより殿に付き従ってきた溝口金右衛門尉(秀勝)様です。
「しかし、いささか狭すぎますな! 一国丸ごと拝領したとはいえ、若狭などわずか三郡、石高にしてせいぜい八万五千石ではないですか。殿の忠勤に対する褒美としては、ちとケチくさいではござらんか!」
『お、おい、やめんか、金右衛門!』
お館様批判とも捉えられかねない放言に、さすがに他の家臣方が血相を変えて止めようとするのですが、酔いのせいか、溝口様の勢いは止まりません。
「それがし、朝倉攻めの際に若狭のあちこちを見てきたが、ほとんどが山がちな地形で、ろくに米を作られる平野もない。そんな貧相な領地を押しつけられて、当家にどんな旨味があるというのだ!」
そこまで大声でまくしたてると、溝口様はふいにがっくりと膝をついてぼろぼろと涙をこぼされました。あ、これが『泣き上戸』というものなのでしょうか。
「あの羽柴ですら、北近江で二十万石を与えられるそうではないか。ついこないだまで殿におべっかを使っていた、あんな百姓上がりが──。
それなのに、我が殿に対して若狭一国だけとは──あまりに、あまりに──」
その嘆きように、止めようとしていた方々も言葉を失いうつむきます。実は、誰もが密かに思っていたのです。このままでは、世間から羽柴が丹羽を追い越したと見做されてしまうのではないか、と。
──そんな沈黙を破ったのは、意外にも、殿のからっとした明るい声でした。
「何じゃ何じゃ、おぬしら。全くわかっておらんのう!」
皆が呆気にとられる中、殿は上座から広間の中央に座り直し、皆に車座に座るよううながされました。
「──殿? 我らがわかっておらんとはどういうことですか?」
「石高の多い少ないでしか、領地の価値が見えておらんではないか。
若狭はこれからの織田家にとって重要な土地。そこをわしが任されたことに意味があるのだ」
そう殿が誇らしげにおっしゃられても、皆はまだ怪訝な表情のままです。
殿はやれやれというように溜息をついて、言葉を続けられました。
「これから織田家は四方に兵を進めていく。そして山陰・北陸の両方面軍にとって、若狭は重要な後詰めになるのだ。
物資を調達して前線に船で送る手配をする。そして、いざとなれば援軍として駆けつけたり、別動隊として敵の後方に海路で回り込む。
──これは、いくさしか能のないイノシシ武者には出来ん仕事であろう?」
「ううむ──あ、いや、羽柴も昔は物資を差配する仕事をしておったではないですか。そんな仕事は羽柴にでもやらせれば──」
溝口様が反論しかけますが、殿は少し語気を強めました。
「それ以上言うな、金右衛門。お館様の決定に異を唱えるなど許さんぞ。
それにな、この件についてはわしもお館様の判断に納得しておる。
藤吉郎(秀吉)殿に若狭は任せられん。──失敗するのは目に見えておるからな」
『──は?』
殿は羽柴様が小物だったころから、その才覚をずいぶん高く買っておられたはず。その殿の意外な発言に、皆が目を丸くします。
「いや、能力の点では不足はないぞ。だがな、昔ならいざ知らず、今の藤吉郎殿がそんな地味な仕事で満足できると思うか? 間違いなく不満を溜め込むだろうな。
おまけに、北陸攻めの総大将は犬猿の仲の権六(柴田勝家)だ。ちょっとした諍いから大喧嘩に発展してもおかしくはなかろうて」
その様子を想像したのか、殿がかすかに笑いをこぼします。
「よいか、皆のもの。最も大事なのは、若狭の領主にお館様がどんな能力を求めておられるか、だ。
まず、裏方の仕事の出来ること。いざというときに大軍を率いることが出来ること。そして、北陸・山陰の将たちと波風立てずにうまく付き合っていけることじゃ。
これは、わしが一番うまく──いや、わしにしか出来ん役目なんじゃ。
誰にも譲ってなぞやらんぞ」
そう言って殿は、少し悪戯っぽい笑みを浮かべたのです。
そこからは、また最初のような雑然とした宴になりました。座が乱れて車座になってしまったので、皆が時おり自分の膳から肴や酒を取ってきて、また輪に戻ります。
ですが私は、ひとりだけ輪から外れて、自分の膳に座ったままの溝口様に気づきました。背中を丸めて手酌で呑んでいる姿は、何だかふてくされているようにも見えます。
私が殿にそっと耳打ちすると、殿は大きく頷いて声を上げられました。
「おい、どうした、金右衛門! まだ納得しかねるという顔だな。
まあ、この際だ。思っていることを申してみよ」
「あ、いえ──」
溝口様はしばし躊躇しておられたようですが、やがて思い切ったように口を開きました。
「若狭を治めることの重大さはよくわかりました。殿がそのお役目に納得しておられる、ということも。
ただ、お役目の重大さに比べ、やはり実入りが少ないように思うのです。いくら何でも、羽柴の半分以下というのは──。
その、言葉は悪いのですが、殿が『貧乏くじを引かされてしまった』ようにも思えてならんのです」
「うーん、わしは別にそうは思っとらんのだがなぁ」
殿は、溝口様にどう言い聞かせたものか困ったように頭をぽりぽりと掻いておられたのですが、ふいに何かを思いついたように口を開かれました。
「なあ、金右衛門。確かに若狭はたった三郡の小さな国だ。だが、他にももっと小さな国があろう?
淡路国(現:兵庫県淡路島)や志摩国(現:三重県鳥羽市・志摩市周辺)などは二郡ずつだし、特に志摩は、若狭以上に海岸線が入り組んだ地形で、石高などわずか二万石ほどしかない」
そう殿がおっしゃられても溝口様の顔は晴れません。そんな、自分たちより下を見るよう言われても、大した慰めにもなりそうにないですし。
でも殿は、にやりと笑って思いがけないことを口にされたのです。
「だがな、ちょっと考えてもみよ。
なぜ、それらの小国はひとつの国として扱われるようになったのだ? 他の国の一部に組み入れても良さそうなものではないか?」
『え──? そ、そう言われてみれば確かに──』
他の家臣の方々も腕を組んで考え始めます。
淡路は島としてはかなり大きいので、島自体を一国として扱うのはまだわかります。でも、残る二国はわざわざ分ける理由が思い当たりません。
『ううむ、わからん──』
「さあ、どうじゃ? 若狭・志摩・淡路、この三つの国にはある共通点があるのだが、わかる者はおらんか?」
楽しそうに質問を重ねる殿に、皆様も必死に頭を巡らせているようですが、誰も答えを思いつけないようです。
すると殿は、なぜかいきなり私に質問を投げてきたのです。
「新三郎、おぬしはどうだ。何か思い当たることはないか?」
「わ、私ですか!? い、いえ、まったく──せいぜい、海に接しているということくらいしか──」
「おっ!? いや、なかなか良いところを突いておるぞ、新三郎。
この三つの国はな、古代には『御食国』と呼ばれておったのだ」
『みけつくに──?』
耳慣れない言葉に皆が目を丸くしているので、殿が指で床に字を書いてくれました。
「この三国は、古来より良質な海産物が豊富に得られるところでな。帝や皇族方のお食事や、神事に必要な海産物を税として納めていた特別な地域だったそうなのだ。
魚やアワビ、海藻や──そうそう、塩もかつては若狭産のものが一番多かったそうでな。
この御食国の三国は、まさに食材の宝庫なんじゃ。
ほれ、おぬしらが先ほど食っていたサバも、若狭の商人が祝いに贈ってくれたものだ。脂が乗っていて、実に旨かったであろう?」
『は、はあ、それは確かに』
「そういう、朝廷にとって重要な役割を担ってきた地域だからこそ、小さくともひとつの国として扱われる栄誉を与えられたのではなかろうか。
──とまあ、これはわしの推測にすぎんのだがな」
そう言って、殿はお行儀悪く手近な徳利を掴んで、残っていた酒をぐびりと呑みほしました。
「──よいか、皆のもの! 若狭に行ったらまず、いくさ続きで荒れたままになっている湊を整備するのだ。漁業を大いに振興して──そうだ、塩づくりを奨励するのも良いな。
若狭を古代のように豊かな国にするぞ。我らの手でそれを成し遂げるのだ!
魚の干物や塩漬けを大量に作って売りさばき、御食国ならではの強みを活かして、大いに儲けようではないか! 米は大して獲れなくとも、銭の元はいくらでも獲れるぞ!」
『おおっ!』『面白そうではないですか!』『これは腕が鳴りますな!』
多くの家臣たちが口々に賛同の声を上げていきます。溝口様はまだ少し呆然としたような顔つきだったのですが、殿はその肩をどやしつけて明るく励ましの声をかけられます。
「これから忙しくなるぞ、金右衛門! 人のことをやっかんでる暇があるなら、励め励め!
お館様は、おぬしらの働きも必ず評価して下さる。なにしろ、百姓上がりの藤吉郎殿ですら、城持ちにまでなれたんじゃからな!
ぐずぐず言ってないで、わしや藤吉郎殿を越えるくらいの気概を見せてみろ!」
──ああ、我が殿は本当に何てお方なんだろう。
生き馬の目を抜くのが当たり前な乱世なのに、このお方には他人を妬んだりうらやんだりする暗い気持ちが全くないのです。
一見『貧乏くじ』のようなお役目でも、文句ひとつ言わずに誇りを持ってこなしていく──。
だからこそ我が殿は、織田家中に敵を作らず、どんな方ともうまく付き合っていけているし──そして我ら家臣一同も、この不器用なまでに真っ直ぐな主君を敬愛せずにはいられないのです。
残念ながら、丹羽長秀はこの後も安土城の普請奉行や各地のいくさに駆り立てられ、若狭の領地経営に専念することはなかなか出来なかったといいます。
ただ、今日でも上記の三地域では、『御食国』という言葉が観光のキーワードとして使われ、施設の名称やキャッチコピーで見かけることも少なくないのです。