7.ロンドン、サロンでの講演(4)
「あ、そろそろお時間ですね。
最後に、モデルはいないのに、そして読み手である私たちの周りには、実際にはあそこまで極端な人たちはそうそういないはずなのに、なぜこれほど登場人物をリアルに感じてしまうかについてお話したいと思います。
叔母自身は自分の作品をミニアチュールにたとえ、さきほど私は鍛金にたとえました。
もうひとつ、叔母の作品に似ていると思うものがあります。
モザイク画です」
セシーリアは、一度言葉を切って、聴衆を見渡した。
皆、なにを言い出すのだろうとセシーリアを見上げている。
「叔母は、たくさんの人達をよく観察し、一瞬の表情、言葉、視線、態度から、人間が普遍的に持っている『心のかけら』のようなものをたくさんたくさん抽出していたのだと思います。
狡いところも、愚かなところも、無私の愛も、一人の人間の中に同居していますよね。
同時に、かけら一つひとつに注目すれば、多くの人が似たかけらを持っていたりする」
サー・ウィリアムが大きく頷いてくれたのが目に入った。
勇気づけられた気がして、先を続ける。
「そして、抽出した無数の『心のかけら』を素材に、新たな人物を創造し、彼らの肖像画を描いた。
それが、叔母の作品ではないのでしょうか。
叔母の作品の登場人物が、どんなに突拍子もない性格であっても、なぜだかどこかに実在しそうだと感じてしまうのは、彼らが私たちが見慣れているもの、つまり『人間』で出来ているからです。
きっと、遠い国の人々が読んでも、叔母の作品をわかってくれるのではないかと思います。
言語や文化が違っても、人の心の動きは変わらないところも多いでしょうから。
そして、何百年も時が過ぎ去っても、人間が人間である限り、今日ここにお集まりくださったみなさんのように、叔母の作品を理解してくれる人は必ずいるはずです。
私はそう、確信しています」
さきほど、ジェインの作品の会話を褒めてくれた小柄な男性が拍手をし始めた。
拍手の輪が広がっていく。
「叔母は作品を自分の子供のように大事にしていて、感想をもらったら、どんなものでもノートに書き付けていました。
『地味だ』『退屈だ』とか、『詩情に欠けている』とか、私から見るとまるで納得いかない感想もです。
皆様のような教養ある方々が、叔母の作品を楽しんでくださっていると知ったら、どんなにか喜んだことでしょう。
叔母に代わって、お礼を申し上げます。
これからも、叔母の作品をよろしくお願いいたします」
セシーリアは椅子から離れて、深々と頭を下げた。
もう一度、大きな拍手が沸き起こる。
「私からは以上です。
ご清聴、ありがとうございました」
セシーリアはもう一度頭を下げた。
拍手がさらに大きくなり、セシーリアは耳まで赤くながら、何度も何度もお辞儀をした。
さすがに疲れたので椅子にかけさせてもらい、質問を受ける。
「詩作はしていなかったのか」「フィールディングの『トム・ジョーンズ』**は読んでいたのか、どう評価していたのか」などなど、作家としての素養に関する質問が多かった。
中にはわからないこともあったが、できるだけ答えていく。
それも一段落ついて、歓談タイムということになった。
ようやく演壇を降りたセシーリアをマデレインが抱きしめ、「だから大丈夫だって言ったでしょう?」と笑った。
レディ・キャロラインも「すばらしいスピーチだったわ」と抱きしめてくれ、主だった聴衆と引き合わせてくれる。
どうにか大仕事が済んだ高揚感で、足取りがふわふわしたまま、セシーリアは挨拶をして回った。
最前列の老婦人は、案の定、王家と血のつながりもある伯爵夫人で、セシーリアはなるほどと思った。
一通り、婦人達への紹介が終わったところで、レディ・キャロラインは「ミスター・スコット*!」と呼びかけた。
ジェインの作品の良い点として「会話に巧みなところ」と褒めてくれた小柄な男性が、議論の輪から抜けてやってくる。
左足が不自由なようだ。
「ミス・ナイト。
こちらがミスター・スコットです」
「ウォルター・スコットです。
今日は、大変貴重なお話をありがとうございました」
「は!?
あの、ウォルター・スコット!?」
ウォルター・スコットといえば当代随一の詩人にして人気小説家だ。
文学好きなら、誰でも彼の作品は読んでいる。
思わず名前を呼び捨てにしてしまったセシーリアに、ウォルターは「たぶんそのウォルター・スコットです」と、にこやかに挨拶して握手を求め、素晴らしいお話でしたと褒めてくれて、セシーリアは気が遠くなりかかった。
「それにしても、一度叔母上にお目にかかりたかった。
私も、出来る限り真実味のある小説を書こうとはしているんですが、なかなか叔母上のようにはできない。
気をつけていてもつい定型的な表現をしてしまうし、話を『作って』しまうんですな」
ウォルターは去年、『ミドロジアンの心臓』という長編小説を発表している。
下層階級の女性を主人公にしたもので、社会の現実に目を向けようとした作品ではあるのだが、ジェインの作品のようなリアルさがあるかというとそうではない。
セシーリアは、なんと言ったらいいかわからなくなって、もがもがとスコットの作品は叔母も読んでいて、大変好んでいたと、さっき言ったばかりのことをまた告げた。
告げてしまってから、もしウォルター・スコットに会うことがあれば、絶対に言おうと思っていたことがあったのを思い出す。
「あああああ、そうだ!
『クォータリー・レビュー』誌にスコット先生が書いてくださった『エマ』の書評、本当にありがとうございました。
あの書評、叔母は大変喜んでおりました。
一番苦心した場面を褒めてくださって、さすが先生だと」
「なんと!
叔母上は、あの書評が私だとご存知でしたか。
いやはや、これは汗顔の至りです。
あのときはまだ、叔母上の作品の真価を十分わかっておらず……」
書評で厳しい指摘もしていたスコットが慌てだす。
互いにあわあわしながらも、2人は名刺を交換した。
続いて、レディ・キャロラインに、ほかの主だった紳士達に引き合わされる。
摂政王太子殿下と親しいことで有名な紳士もいて、興味深い話だった、殿下のお耳に入れさせていただきますと言われて、またあわあわした。
ようやくそれも一段落ついたところで、少し休もうかと思ったところで、サー・ウィリアムがそっと声をかけてきた。
「ミス・ナイト。
立派な話しぶりで、大変素晴らしかったです。
ところで、お疲れのところすみませんが、少し、見ていただきたいものがあるのですが」
「ありがとうございます。
サー・ウィリアムがいらしてくださって、心強かったです。
ええと、なんでしょう?」
サー・ウィリアムは、あたりをはばかるような素振りを見せた。
不思議に思いつつ、開きっぱなしのドアから控室に入る。
他の人の視線が一応切れたところで渡されたのは、本だった。
* ウォルター・スコット(1771-1832)。『マーミオン』『湖上の美人』ほか著作多数。小児麻痺のため、左足が不自由だった。スコットは1820年に准男爵となるので、1819年時点では「サー」の敬称はつかない。
ジェイン・オースティンは手紙の中で、スコットの作品に幾度か触れており、スコットが匿名で書いた『エマ』の書評については、不満もあったが、称賛された点については評価されたことを喜んでいる。
** ゴッドマーシャムの図書室の目録は、現在インターネットで公開されており、フィールディングの『トム・ジョーンズ』(1749)も収蔵されていることが確認できる。
『トム・ジョーンズ』へのジェインの評価は確認できないが、読んでいた可能性はかなり高い。
英文学者の小川公代は、「オースティンの『自負と偏見』のウィッカム、『分別と多感』のウィロビーなど、リベルタン的なキャラクター(女性の心を弄ぶ誘惑者/征服者)の系譜は『クラリッサ』のラヴレースに遡りますが、もしかしたら、トム・ジョーンズのような陽気なリベルタンからもヒントを得たのでは、と思ったりしました。」とコメントしている。
https://twitter.com/ogawa_kimiyo/status/1050065426061844480