4.ロンドン、サロンでの講演(1)
数日経った午後、ロンドンでも有数の社交場の一室を借りて、レディ・キャロラインのサロンは催された。
今日のために新調したドレスに、ジェインの遺髪を編み込んだブローチをつける。
迎えに来てくれたマデレインと一緒に控室に案内されたが、会場となる隣のティールームからは、かなりの人がいるとしか思えないざわめきが伝わってくる。
これでは完全に「講演」だ。
どうしてこうなったのだろうと、くらくらする思いでセシーリアは折りたたんだ原稿を握りしめた。
マデレインが「大丈夫よ、焦らずにゆっくりやれば大丈夫」と励ましてくれるが、その表情もこわばっている。
会場の方で、出席者に挨拶まわりをしていたレディ・キャロラインがやって来て、そろそろ始めたいが大丈夫かと2人を気遣ってくれた。
大丈夫です、と頷いて立ち上がり、原稿をポケットに突っ込むと、レディ・キャロラインとマデレインの後について、ティールームに移動する。
脚がガクガクしてきた。
本来のテーブル席のほかにも、できるだけたくさん椅子を入れた豪奢なティールームには、立ち見をしている人々も含めると、40人を越える人々が待っていた。
女性の方が多いが、男性もかなりいる。
若い人もいるが、セシーリアと同世代以上の者が大半を占めていた。
壁際には、小さな壇が用意されていた。
どうもあそこに上がって話すようだ。
壇の上には安楽椅子と小さなテーブルも置いてあったが、座ったまま喋るのでは声が通らない。
いざというときは椅子の背にもたれかかれるよう、椅子の傍に立ったまま喋った方がよさそうだ。
レディ・キャロラインがよく通る声でマデレインを今日の司会として紹介し、マデレインが友人としてセシーリアを紹介してくれる。
伏し目がちに聞いているうちに、ふと、ジェインがこの情景を描いたとしたら、どういう風に書いただろうと思った。
きっと、愉快な、はちゃめちゃな場面になりそうだ。
そう思うと、ふっと笑みが浮かんだ。
マデレインによる紹介が終わった。
一度、深々とお辞儀をして、拍手を浴びる。
転ばないよう慎重に壇に上がり、椅子にはかけずに立ったまま、もう一度お辞儀をした。
皆の視線が自分に集中しているのが、肌に感じられるほどだ。
脚がとめどなく震えている。
顔をあげて、一度深呼吸をした。
「ご紹介にあずかりました、ジェイン・オースティンの姪、セシーリア・ナイトです。
本日は叔母のためにお集まりいただき、ありがとうございます」
聴衆を見渡しながらの第一声は少し裏返ってしまったけれど、声はしっかり後ろまで通ったようだ。
「こんなにたくさんの方がいらしてくださるとは思っていなくて、大変緊張しております。
不手際をするかもしれませんが、ご容赦ください。
ところで皆様は、叔母の作品を大変愛してくださっているとのことですが、叔母の作品のどういった点が、優れているとお考えでしょうか。
早い順で3名まで、一言ずつお願いできますか?」
最前列に座った、いかにも一家言ありそうな老婦人がびゃっと手を挙げた。
どうぞ、と促す。
「ヒロインが理性的、道徳的なところが素晴らしいと思います。
恋愛物と言えば、自堕落に情熱に流されっぱなしで、後始末はご都合主義でなんとかする。
本当ならこんな風にはならないだろうという小説が多すぎます。
ミス・ジェインの作品なら、若い女性にも安心して勧められますわ」
主に年配の聴衆が、全体から言うと1/4ほどうむうむと頷いた。
残りの人々は、「違うとは言えないけど、そこ?」と微妙な顔をしている。
ありがとうございます、と老婦人に頭を下げて見回すと、セシーリアと同世代の女性が手を挙げた。
どうぞと促す。
「人間の観察力の鋭さですわ。
ジェイン・オースティンより観察力が優れている作家は、シェイクスピアしかいません!」
パチパチと、まばらながら拍手が起きた。
観察力が優れているのは確かだが、そこまで言っていいのかどうか、またまた戸惑ったような空気も流れる。
セシーリアも一瞬固まってしまった。
隅に座った、四十代後半と見える、小柄だががっしりした体つきの男性がひょいと手を挙げた。
どうぞ、と促す。
「登場人物の会話が、この上なく自然なところですな。
私も小説を少々書いていますが、あの巧みさには脱帽するしかありません」
この意見には、全員が拍手した。
ほっとしながらセシーリアは皆を見渡した。
「皆様、ありがとうございます。
そうですね、私も叔母の作品の一番の特徴は『リアルさ』『自然さ』だと思います。
叔母の名を公表してから、思いの外たくさんの友人から感想をもらったのですが、『登場人物のモデルになった方と気まずくなったりしていない?』と何度も心配されました。
なんというか──特に癖が強い登場人物については、こんなにリアルに描いているのだから、きっとモデルがいるんだろうと思われたようで」
セシーリアはそこで言葉を切って、聴衆を見回した。
うむうむと頷いている人が多い。
その中に知っている顔が混ざっているのに、今ごろ気づいた。
四十歳手前の、波打つ茶色の髪に目鼻立ちのくっきりした男性。
政治家でもある、ウィリアム・アシュビー准男爵だ。
ケント州に地所があるので、セシーリアも州の公式晩餐会や他家の舞踏会で年に1、2回は顔を合わせる。
それにしても、サー・ウィリアムがジェインの小説を好んでいたとは意外だ。
彼ならゴッドマーシャムに手紙を出してくれれば、父がいくらでもジェインのことを教えるだろうし、直接会う機会もあるのに、なぜわざわざこの会に来ているのだろう。
サー・ウィリアムは、セシーリアが自分に気づいたのがわかったのか、応援するように大きく幾度も頷いてくれた。
こちらも一度だけ目顔で返す。
「最初に申し上げますが、叔母の作品にはモデルはいません。
どの作品の、どの登場人物にもです。
叔母が生まれ育ったスティーブントンや、作品の多くを完成させたチョートンにいらしてくださっても、おべっかが得意なルーシー・スティールも、悪い人ではないのに一言多いサー・トーマスもいません。
海軍に入った叔父2人の縁で、海軍士官の知人はたくさんいますけれど、ウェントワース大佐やハーヴィル大佐夫妻のような方は私どもは存じ上げません」
さきほど頷いていた人達が、ぽかんとセシーリアを見上げている。
「叔母の6つの長編の中で、それなりに人柄が描写された登場人物を数えれば、おそらく百人近くいるでしょう。
でも誰一人、『使い回された人』がいないことに、すぐお気づきになられると思います。
彼らは、ハンプシャーの片田舎の牧師館に生まれ、ごく狭い世界で生きていたはずの叔母が、家族の助けを借りつつも、すべて独力で生み出した存在なのです。
残念なことに、叔母は文学論のようなことはほとんど語りませんでした。
叔母の創作の秘密は失われてしまって、二度と戻りません。
ですが、なぜそんなことが出来たのか、姪として叔母を間近で見てきた私なりの考えを、叔母の短い生涯を振り返りながらお話したいと思います」
再度、拍手が起きた。
3人のコメントは、ジェインの甥が書いた『ジェイン・オースティンの思い出』で紹介されている同時代人の評を参考にしています。
中には、「ジェイン・オースティンのように書けるのなら、片腕を切り落としてもいい」とか言っている人がいて、200年前もオタクは暑苦しいな!となりました。