3.ロンドン、レディ・キャロライン
6月の終わり、セシーリアはロンドンへ向かった。
母方の親戚のタウンハウスに滞在しつつ、まずはマデレインと再会する。
4児の母となったマデレインは、少しふっくらして、ますます美しくなっていた。
気さくな性格は男爵夫人になっても変わらず、学校時代の思い出話、ジェインの作品の話、マデレインの子供達の話で、10年ぶりとは思えないほど盛り上がった。
マデレインに連れられて、ダーリントン子爵夫人にも一度挨拶に伺う。
歴史を感じさせるパラディアン・スタイルのタウンハウスに着いた時点で、いつになく緊張してしまったが、ダーリントン子爵夫人キャロラインは、小柄な、人当たりの良い女性だった。
案内された夫人用の客間は、素晴らしい調度を引き立たせるすっきりした居心地のよい空間で、レディ・キャロラインみずからが茶を淹れて振る舞ってくれる。
匿名で詩やエッセイを発表しているというレディ・キャロラインも、ジェインの作品のファン。
『分別と多感』で只者ではないと思い、『高慢と偏見』で熱狂的なファンになり、『説得』を読んだ後はもはや崇拝していると言い切り、ものすごい勢いでジェインの作品の長所と、特に感銘を受けた場面について身振り手振りつきで語ってくれて、セシーリアもマデレインもたじたじになるほどだった。
ぜひ作者と知己を得たいと思っていたのに、ジェインの名を知った時には既に亡くなっていて本当にがっかりした、もう新作が読めないのなら、短編でも良いからジェインのような作品を書こうとしたが、どうにもならなかったとため息をつく。
セシーリアは、そうだろうとうなずいた。
「いとこが小説を書こうとして、ある程度書いては叔母に見せてアドバイスを貰ったりしたのですけれど。
興味を惹かれるアイデアはあっても、全然、叔母のようにはできないんです。
ごく平凡な人たちが普通に暮らしているだけの退屈な話になってしまうか、盛り上げようとして作為的な話になってしまうか、その両方で」
「なるほど……
ミス・ジェインは、『自分の作品は小さな象牙に描いたミニアチュールのようなものだ』と表現されていたと、あなたの叔父様は紹介されていたけれど、少し絵が描けるくらいじゃ、到底ミニアチュールは描けないものね。
ところで、ミス・ジェインはどんなアドバイスをしていたの?」
んんんと首を傾げてセシーリアはジェインといとこ達のやり取りを思い出す。
「主に、そのキャラクターが『その人らしくない』行動をしている点を指摘していました。
私から見たら、ずいぶん細かいところまで。
逆に、『その人らしさ』が引き出せるように、突発事態を起こしたらどうかと、二三、例を挙げてみせたりもしていました。
あとは、小説によく出てくる、定型的な表現はなるべく避けた方が良いと」
少し戸惑ったように、レディ・キャロラインとマデレインは顔を見合わせた。
「普通と言えば普通のアドバイスのように聞こえるけれど……
叔母様におかしいところを指摘されて直しても、巧くいかないの?」
訝しげなマデレインに、セシーリアはうなずいてみせた。
「私自身は書かないので、よくわからないのですけれど……
たぶん、叔母が『その人らしさ』を把握している深さに、いとこ達は全然届いていないんじゃないでしょうか。
叔母の場合は、頭の中にキャラクターを完全に住みつかせていたんだと思います。
少なくとも完成した作品については、この人はその後どうなったの?と訊ねると、この人はこうなった、あの人はああなったって、すぐに後日談を教えてくれましたから」
「ミスター・コリンズもミス・ジェインの頭の中に住んでいたのかしら?」
マデレインは、『高慢と偏見』に出てくる、読んでいるだけで辛くなってくるほど空っぽな美辞麗句を一方的に並べ立てる牧師の名を挙げた。
「きっとミスター・コリンズもよ」
「まあ。
彼が頭の中に住んでいたら、とってもうるさそうね!」
マデレインは声を立てて笑った。
レディ・キャロラインは感心して、しきりに頷いている。
「登場人物を掘り下げるのは小説の基本ではあるけれど、ミス・ジェインの場合は並大抵の掘り下げ方ではなかった、ということなのね。
ああそうだ、ミス・ナイトに謝っておかないと」
「……なんでしょう?」
「今度の会、七八人か、せいぜい十二、三人くらいで考えていて、レディ・マデレインにもそう伝えていたのだけれど」
「「はい」」
マデレインとセシーリアの声が揃った。
「ごめんなさい、少なくとも三十人にはなりそうなの」
「え!? 三十人!?」
セシーリアは思わずのけぞった。
「大人数ではゆっくり話せないから、内輪の会にするって最初から言っていたのに、どうも出席が決まった人が自慢して、話が広がってしまったようなのね。
席なんてなくてもいい、立ちっぱなしでいいからミス・ナイトの話だけでも聴かせてくれって、次から次へと断りにくい筋から頼み込まれてしまって」
「えええええ……」
30人超という人数も驚きだが、レディ・キャロラインが断わりにくい筋ということは、相当な社会的地位のある相手ということだ。
司会を担当することになっているマデレインも、動揺している。
「本当にごめんなさい。
埋め合わせに、もし会ってみたい方がいらっしゃれば、王族以外はどうにかするわ。
ああでもバイロン卿はダメよ。
彼はもう、イギリスには戻って来ないようだから」
圧倒的な詩才と美貌で一躍社交界の寵児となりながら、酷いスキャンダルをいくつも起こして3年前にイギリスを出奔した詩人の名をレディ・キャロラインは引き合いに出した。
「いえ、作品はとにかく、バイロン卿ご本人に特に思い入れはありませんので……」
ぶるぶるとセシーリアは首を横に振る。
もし紹介してもらえる可能性があったとしても、セシーリアがバイロン卿に会うことになったら、父も祖母もカサンドラもショックで寝込んでしまいそうだ。
「とにかく、ベストを尽くします。
原稿は作ってきているので、万が一緊張しすぎて失神してしまったら、代わりにどなたかに読んでいただければ……」
「え、失神!?」
まさかそこまでとレディ・キャロラインは驚いたが、マデレインは力強く頷いてくれた。
「わかったわ。
万が一の時はわたくしがどうにかします。
でもきっと大丈夫よ。
あなたは、自分で思っているよりも強い人だから」