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10.バース、アシュビー大佐との面会(2)

「あの、大佐と叔母とはどういう間柄だったのでしょう」


 恐る恐る、セシーリアは訊ねた。


「いや、あの時点ではなにも。

 私は10歳も下の学生でしたし、ミス・ジェインからは子供に見えていたでしょう。

 ただ、私たちはものすごく気が合った。

 詩でも小説でも音楽でも、社会情勢の話でも、自分の考えをほんの少し口にしたら、もうそれでなにが言いたいのか通じてしまう。

 家族でも、親しい友人でも、あれほど言葉がすっと通じる人はいませんでした。

 もちろん、意見が食い違う話題はいくらでもありました。

 しかし、普通は意見が食い違うと不愉快に感じることが多いのに、不思議とそうはならず、ああそういう考え方も出来るのかと自然に受け止めることができて……」


 ヘンリーは、少しはにかんだような笑みを浮かべた。


「あまりに一緒にいるのが心地よくて、舞踏会でご一緒した時、もしかして、私たちは元は一対の球体人間だったのではないかとミス・ジェインに言いました。

 ミス・ジェインは、『じゃあ、次のダンスは背中合わせにくっついて踊りましょう』と笑ってくれた。

 あの魅力的な、いたずらっぽくきらめく眼で」


 球体人間というのは、プラトンの『饗宴』に出てくる話だ。

 プラトンは、人間は、もともと2つの頭と手足を4本ずつ持つ球体だったが離れてしまい、だからこそ元のもう半分を求めるのだと説明している。


 冗談とはいえそんなことまで言ったのなら、ジェインも、ヘンリーとは相当気が合うと感じていたとしか思えない。

 もっと深い仲になりたいという気持ちもあったのではないか。

 自分たちは、運命の恋人ではないかとほのめかしあっているのだから。

 ヘンリーははっきりと意識せずに無邪気に口にしたようだが、ジェインがその含意に気づかなかったはずはない。


「あのままつきあいが続いていれば、私はいずれ結婚を望んだと思います。

 父や母が許したかどうかはわかりませんが。

 兄さんは、どう思います?」


 年は10歳上、教養と機知はあるが家格は低く、財産はない。

 どう考えても、ジェインは結婚相手として望ましい女性ではない。


 サー・ウィリアムは苦笑した。


「……どうだろう。

 しかし、君は成人した時点で、士官株を買えるくらいの資産を持っていた。

 なにがなんでもミス・ジェインと結婚する、あとのことは勝手にやると言われたら、私たちには止めようがなかっただろう」


 ならば、2人が本気になれば結婚を止めることはできない。


 ジェインが10歳も年下の青年と結婚すると言い出したら、オースティン家は相当心配するだろうが、一番反対しそうな祖父は既に亡くなっている。

 父を含めて、兄弟達はみな、ジェインに甘いところがあった。

 相手が軍人ならば、海軍士官である叔父のフランクとチャールズあたりはむしろ応援しそうだ。

 祖母やカサンドラは、「そんな若い男性と結婚しても、すぐに捨てられるに決まっている」と泣いて止めただろうが、ジェインが本気で説得したら、結局根負けしそうな気もする。


「将来のことはとにかく、その時はとても仲良くされていて……

 なのに、いきなりあんなメモを叔母が渡してきたのですね。

 どういう風に叔母は詩集を返してきたのですか?」


「それが、少々申し上げにくいのですが」


 ヘンリーは言いよどんで、サー・ウィリアムとセシーリアを見比べた。


「あなたの上の叔母、ミス・オースティン*が返しにいらしたのです。

 早朝、散歩のついでだと、私の宿に一人で立ち寄られて」


「え、カサンドラ叔母様が!?」


 驚いて、セシーリアは叫んだ。

 ジェインらしくない、なんでこんなことをしたんだろうと、ずっとモヤモヤしていた違和感が、衝撃でさっと吹き払われる。


 ジェインが、幾度も作品を改稿し、より効果的な場面を模索していたこと。

 27歳の時、ジェインがハリスの求婚を断ったエピソード。

 そしてカサンドラが、昔からジェインの才能を堅く堅く信じていたこと。


 セシーリアには、なにが起きたのかわかった。

 確信した。

 このメモは、ヘンリーと絶縁するために書かれたものではない。


「ああ……なんてこと!

 カサンドラ叔母様、なんて残酷なことを!」


 カサンドラへの怒りで、身体がガタガタと震えだした。


「私、叔母をここに連れてきます。

 連れてきて、大佐に謝らせます!

 酷すぎるわ、こんなこと!」


 顔が紅く染まっていく。

 カサンドラは勝手に、ジェインの恋を潰してしまったのだ。


「え? どういうことです?」


 兄弟2人は、あっけにとられている。


「このメモは、大佐への手紙ではありません!

 ジェイン叔母様の原稿の一部です!」


 このセリフが当てはまりそうな場面は一つしかない。


「『高慢と偏見』のエリザベスがダーシーの求婚を断る場面の草稿、いつ書かれたものか正確にはわかりませんが、とにかく1802年以前の草稿に違いありません」


 戸惑っていたヘンリーが、あ?と声を上げた。


「そうだ、このメモは無地の便箋に書いたように見えるが、妙に横幅が短い。

 兄さん、そこの抽斗に便箋があるはずだ。

 持ってきてくれないか?」


 慌てて、サー・ウィリアムが便箋を持ってくる。

 ヘンリーが、メモを慎重に便箋に押し当てた。

 ちょうど、1文字か2文字分、カットしたようにメモの方が短い。

 そして、メモの左側をよく見ると、わずかに斜めになっていた。


 左側の1文字、おそらく会話が始まる括弧を切り取ったのだ。

 そして、閉じ括弧の方は、空いているスペースを使って署名を書き加えることで、ごまかした。

 拡大鏡も使い、しばらく調べて3人はそう結論した。


 当時、ジェインと同居していて、ヘンリーに詩集を返しに来たカサンドラ以外、そんなことができる者はいない。

 3人とも口にしなかったが、2人の出会いが不釣り合いな恋に発展してしまう前に、先回りしてヘンリーを遠ざけようとしたのは明らかだった。

 いくら仲が良い姉妹とはいえ、こんなやり方でジェインとヘンリーを引き離したのは卑劣としか言いようがない。


 確かに、感情のままにお互いのめり込んで、でも一緒になれないとなれば、ジェインは酷く傷ついただろう。

 ジェインとヘンリーが一緒になり、すぐに別れるようなことになっても、同じことだ。


 しかし、幸せな結婚生活を送ったとしても、それはそれでカサンドラの望むところではなかったことに、セシーリアは気がついた。

 ジェインが草稿を仕上げたのは、チョートン・コテージに移ってから。

 祖母とカサンドラ、親友のマーサ・ロイドと穏やかな暮らしが送れるようになったためだ。

 軍人の妻として、家政を切り盛りしなければならないとなったら、ほぼ完成してはいるが出版できるレベルにはまだ届いていない草稿は、手つかずのままになってしまっただろう。


 ジェインが亡くなった後、貴重な資料となるのを見越して手紙を整理しようとしていたカサンドラの姿を、セシーリアは思い出した。

 カサンドラは、単に愛する妹を危険な恋から遠ざけたかったのではない。

 なにがなんでも、ジェインを作家として大成させたかったのだ。

 ジェインなら、偉大な作家になれるとずっと信じていたのだ。


 美しくて、誰にでも優しいカサンドラ。

 ジェインと違って、常識的で穏やかな女性と思われているカサンドラ。

 彼女は、はるか昔から、誰も気がつかないまま狂っていたのかもしれない。


「ジェイン叔母様……」


 ヘンリーと引き裂かれてしまったジェインはどう思ったのだろう。

 もし、ジェインがヘンリーと同じように感じていたら、ヘンリーがなにも言わずにいきなり去ったことは、大きな打撃だったはずだ。

 どんなに悲しく、せつなく、そして苦しかっただろう。


 気がついたら、セシーリアは静かにすすり泣いていた。


*長女は、通常、ミス+家名で呼ばれる。

 ミス・オースティンといえば、オースティン家のカサンドラを指し、次女のジェインはミス・ジェインと名で呼ばれる。

 同様に、セシーリアはナイト家の長女なので、ミス・ナイトと呼ばれている。

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