9.バース、アシュビー大佐との面会(1)
気は急いだが、もろもろを調整しているうちに時間が経ち、結局半月ほど後、セシーリアはバースに着いた。
レディ・キャロラインとの2泊3日の旅は、快適で楽しかった。
翌日、サー・ウィリアムが迎えに来てくれ、中心部から少し離れた、閑静な邸宅街へ馬車で向かう。
ヘンリー・アシュビー大佐は、同じく傷痍軍人となった友人達と共同で邸宅を借り、住みやすいように改修して、一緒に生活しているそうだ。
退役後、ヘンリーはしばらくアシュビー家の本邸で暮らしていたのだが、来客の度に気を使わせてしまうのに疲れてしまい、バースならば優れた医師や看護婦もいるということで移ったという。
話しぶりからすると、サー・ウィリアムとしては傷ついた弟が心配で、本当は手元に置きたいのだが、弟の判断を尊重したようだ。
2階建ての瀟洒な建物は、季節の花々に囲まれていた。
馬車寄せから玄関へと上がる幅の広い数段の階段は、半分をモルタルで埋めてスロープにし、頑丈そうな手すりもついている。
裏庭に続いているらしい歩道も、車椅子が余裕をもって通れる幅で舗装され、真ん中には等間隔に小石が埋め込んであった。
小石は、失明した人が杖で探りながら歩くためのものだろう。
玄関ホールの突き当り、大きく開け放たれたドアの向こうは、門構えの印象よりもかなり広い庭に面したサンルームだった。
壁と天井の一部がガラス張りになっていて、明るい日差しが降り注いでいる。
その中央に、籐製の車椅子に座った、30代なかばの男性が待っていた。
その姿を見た瞬間、セシーリアはどきっとした。
ヘンリーは、サー・ウィリアムよりも髪の赤みが強く、赤毛といっても良いくらいだった。
赤毛はアイルランドなどには多いが、イングランド南部のケント州ではかなり珍しい。
妹たちが小さい頃、よくジェインに「お話」をねだった。
妖精の国での大冒険の話など、ジェインは即興で語ってくれたが、どういうわけかいつも王子様は赤毛。
一度、妹がなぜ王子様はいつも赤毛なのかと訊ねたら、ジェインは真面目くさった顔で「金髪でも黒髪でも、素敵な王子様はいるけれど、赤毛の王子様がいつだって最高なのよ」とけむに巻いたのを覚えている。
もしかしたら、ヘンリーはジェインの「最高の王子様」なのだろうか。
それはとにかく、髪の色を除けば、兄弟の顔立ちは良く似ていて、いかにも優しげだった。
薄手の、夏用のひざ掛けをかけているが、両足共、靴は見えない。
戦場で、膝から下を失ったのだろう。
そばのテーブルの上に、例の詩集が置いてあった。
「ミス・ナイト、弟のヘンリー・アシュビー大佐です。
ヘンリー、ゴッドマーシャムのミス・ナイトだ」
さっと、サー・ウィリアムが互いを紹介してくれる。
セシーリアは、傷痍軍人への敬意を表すためにふさわしい言葉を口にし、深々とお辞儀をした。
サー・ウィリアムが椅子を引いてくれ、手近な椅子にかける。
「はるばるご足労いただき、ありがとうございます。
例の件、ゴッドマーシャムの父上に表立って問い合わせるには、少々、難しい話だと困っていまして。
以前、兄から、ミス・ナイトは若いのに思慮深い、素晴らしい婦人だと聞いていたので、父上のいらっしゃらないところで、そっと筆跡だけ確認させていただくつもりだったのですが」
ヘンリーはしげしげとセシーリアを眺めると、懐かしげな笑みを浮かべた。
「それにしても、ミス・ジェインによく似ていらっしゃる」
「たまに、そう言われます」
身内には、ジェインに似ているとはあまり言われない。
全体の雰囲気は確かに似ているが、顔立ちがもっと似ている従姉妹がいるのだ。
セシーリアは曖昧にごまかした。
従僕が入ってきて、きびきびした動きで茶を淹れると一礼して出ていった。
茶を勧めると、ヘンリーは口火を切った。
「15年近く前のことを蒸し返してすみません。
色々なことが起きて、ミス・ジェインのことも正直忘れかけていたのですが、一度気になりだすと、どうも気になって。
兄さんにも、無理をさせてすまなかった」
いや、お前のためなら、とサー・ウィリアムが軽く手を振る。
「あの、なぜ今になって、叔母のことを思い出してくださったのでしょう?」
セシーリアは気になっていたことを訊ねた。
なにしろ、2人が会ったのは、14年前のことだ。
「長い間、私は単純に、なにか彼女の逆鱗に触れるようなことを言ってしまって、縁を切られたのだと思っていました。
それが、去年『説得』を友人に勧められて読んだら、昔、彼女と交わした覚えのある会話が出てきまして」
「はい?」
「終盤、ヒロインのアンと、なんと言う名前だったか……ウェントワース大佐の友人が、恋人を失った後、男性と女性のどちらが愛を忘れてしまいやすいか、議論する場面がありますよね。
ほぼ同じ話を、ワージングの海辺で叔母上としたんです。
ただし、私は女性の愛情の方が長持ちすると主張し、叔母上は男性の方だとおっしゃいました。
それぞれが挙げた理由は、同じです」
「まあ! そんなことが」
セシーリアは驚いた。
家族でも、親しい友人達でも、実際に交わした会話がジェインの作品に使われた者は、セシーリアの知る限りいない。
「もし私のことを不愉快に思われて撥ね付けられたのなら、私との会話をあんな風にお使いになるだろうかと思いました。
ましてや、『説得』は一度別れた恋人同士が何年も経って再会する話です。
だから、あのメモにはなにか事情があったのではないかと」
「事情、ですか」
ジェインの字かどうか見てほしいという依頼だったのだから、ヘンリーは、誰か違う者があのメモを書いたのかもしれないと疑っていたのだろう。
しかし、確かにあれはジェインの字だ。
『説得』では、アンは亡くなった母親の親友・ラッセル夫人に説き伏せられて、ウェントワース大佐を一度諦める。
あの時、ワージングに一緒に滞在していた祖母かカサンドラが、ヘンリーと距離を置くようジェインを諌めて、あんなメモを書かせたのだろうか。
それもしっくりこない気がする。




