修道院について
資料として参考までに。
「ざまぁ」系の恋愛もので、ざまぁされた女性が修道院に送られる……という展開が多々ありますが、送られた後はどうなるのか? という描写が少ないので、聞きかじりの知識ですがちょっと補足と自分用の資料を兼ねて書いてみました。
まずもって『修道院』という表現が非常に大雑把です。正しくは『男子修道院』『女子修道院』、さらにはいくつかの修道院が集まった『大修道院』があります。
ともあれ物語の舞台になるのは『女子修道院』だと思いますので、それを念頭に以下、略して『修道院』とします。
さて、修道院に入る女性は誰でもというわけではなく、基本的には未婚であることが条件というか常識になっていました。
自発的に入る場合には、ぶっちゃけ寄付金の有無によって可決されます。貧乏人はお呼びではありません。その場合は修道女としての地位を与えられ、家門に相当する(寄付金に応じた)待遇を受けます。ついでに身に着けていた衣類や貴金属なのは取り上げられて、修道院のものになります。
多くの修道院はそうした裕福な志願者のみを受け入れました。社会的にも尊敬されることもあり(当時は女性の立場が弱かった)、希望者が多かったため、受け入れる側として選り好みする権利というか、暗黙の了解があったわけです。
いずれにしても貴族であった場合、修道院に入ったとしても貴族としての地位を剥奪される事は、まず有りません。ただ、貴族としての特権を行使できなくなるだけです。
そもそも『修道女』は修道院の中では特権階級ですので、貴族か貴族に準ずる者しかなることができませんでしたし、修道院に入った後でも比較的軽い仕事しか割り当てられませんでした。
だいたいのパターンとしては、縁談がなかったり事情があって婚期を逃した上流階級の娘は、親によって修道院に入れられました。
今の倫理観だとどうかと思いますが、財産を寄進された修道院は儲かりますし、修道女になった女性は女性としての社会的権利と生涯の保障が得られるので、割とWIN=WINの関係だったのです。
また、一般人が修道院に逃げ込んでくる場合などもありますが、その場合は修道院長と相手方との交渉により(要するに持参金の過多で)待遇が決まります。基本的に貧乏人だと重労働が割り当てられました。
なお、一般人の場合は修道女にはなれずに修道士補になるのがせいぜいで、修道院で無給で永遠に働かされる存在でした。
役職としては修道院のトップを務めるのは大修道院長、または修道院長です。その下に副院長、院長代理の他、財務係、宝物庫係、看護係、施物係、厨房係、聖歌係といった役職持ちの修道女たちがいます。もちろん、役職を持たない一般の修道女もいます。
それとよく誤解されますが、修道女は聖職者ではありません。
聖職者になれるのは男性のみですので、修道女は聖職者ではなく、あくまで修道女です。
ついでに言えばシスターも聖職者ではありません。彼女たちは助祭といって、司祭を補助する役職になります。
さて、一般的な修道女の説明はこんなところですが、何らかのトラブルを起こして親に修道院に押し込まれた令嬢の場合ですが、そのパターンでは修道院で監禁状態になります。
貴族としての名前だけは持ったままですが、生涯地下牢などでの監禁状態になりますから、親が還俗を許可しない限り一生日の目を見ずに監獄暮らしというわけで、更生? 酌量の機会? なにそれおいしいの? というのが当時の通念でした。
なお全員に言えることですが、修道院に入る際には「象徴的に世俗の生活において『死に』、神への奉仕に専念することになった」意味を込めて、男女ともに剃髪の儀式を行います。
つるっぱげ、もしくはベリーショートになっているわけなので、還俗したとしてもそうそう人前には出られないです。特に長い髪がステータスである貴族の令嬢の場合は。
ついでに修道院での生活は、食事は基本的に1日2回で、その時間は季節などによって異なっていました。
春の期間は、正午頃に正餐を、夕方に午餐を取っています。
夏の間の正餐は曜日によって時間が違い、水曜日と金曜日は午後3時頃、その他の曜日は春季と同じく正午頃となっていました。
冬の間は、食事は1日1回、夕方に正餐を取るのみです。
また戒律で1日の食事量の基準が定められており、パンは1日1リブラ(約300g)
飲み物は1日1ヘミナ(約0.75l)とされていました。
食事内容はパンの他におかず2品、野菜、果物と飲み物といった構成です。
飲み物はワインか蜂蜜入りワイン、蜂蜜酒やビールなど。
それと修道院では菜食主義が基本のため、おかずに四足獣の肉類を用いることは禁じられています(ただし、病人や貧者に施す時だけは認められていました)。
肉類の代わりとして豆類や卵、乳製品などが食べられていました。
季節に関わらず、修道院では基本的に食事の間も私語は禁止とされていました。
礼拝は1日7回。その他時間によって牧場、畜舎、畑、果樹園、クッキーやバター・ジャムの工場等やるべきことが細かく定められ、私語や娯楽は許されていませんでしたが、あくまで「基本」であり、地域や会派により実情は様々だったようです。
修道院長が客人を接待する制度を利用してご相伴にあずかる者や、酒類の醸造に熱中する者もいたとされていて、修道院といってもその内実は様々であり、戒律や清貧を守ることに熱心な者もいれば、そうでもない者もいて、腐敗の温床になっていたという話も多く聞きます。
以上、そんなこんなで修道院の覚書でした。