End of Overture
「What's happened?リジーどこ行くの?何かあった…?」
仲間らの中で最初に異変を感じ取ったのはアイリスだった。
シャルからの指令、ミラとの交渉場所として選んだ廃ビルを見渡せる位置で彼女は得物のスコープを覗いていた。
およそ幾百メートル離れた崩壊の進む廃墟。
シャルらより何階層か高い位置にある一室にて、窓枠を構成していたであろう壁に大きく走る亀裂から彼女は俯瞰する。
周囲へと近づく人影や、仲間らの動向を伺い報告し、必要があればいつでも援護を行えるように。
「サツキ!シャルからなんにも言われてないのにリジーが勝手に動いてるよ!」
カウンタースナイプを警戒し、アイリスから離れ部屋の入り口付近で廊下を見渡していたサツキへ彼女は異変を伝える。
「アイリの大声で聞こえてる。今んとこ誰からも計画変更の連絡とかなかったよね?リジーからの返事は?個別のチャンネルでも無い?」
「nope!なーーんにも!」
「……おっけ」
やれやれといった面持ちで、されどその内に若干の不安を孕ませながらサツキは返事した。
「……シャル、メイ。リジーが単独行動中。なんか思い当たる節ある?当人から返事も無い」
「…………………」
「シャル?メイ??」
PTTスイッチを手に、サツキは沈黙を貫く無線へ次第に表情を険しくした。
「アイリス、ESR引っ込めて。たぶん傍受されてる。警戒して」
「……Right」
一瞬驚いたような表情を浮かべたアイリスはその身を僅かに亀裂から離し、一歩離れた位置で偵察を続けた。
「……サツキ?どうするの……?」
「…………最悪もしかしたら私達を誘き出そうとしてる可能性も有り得るし、アイリスはそのままそこで任務続行して。私が直接リジーに……」
「サツキ見て!ミラが────
地上、廃ビルへと歩みを進めるミラと思しき人影を捉えたアイリスがそう告げながらサツキへと振り向く刹那。
一切の音も無くアイリスの手中にあるM24のスコープが砕けた。
筒を直線で伝うように、両のレンズを貫きそのフレームを歪ませる。
飛び散ったいくつかのガラス片はアイリスの右瞼とその周辺へ飛散し、悲痛に顔を歪ませた彼女の身体はそのまま後ろ向きに倒れ込む。
「アイリ!!!!!」
過去の話をすれば、アイリスが人生で初めて銃という物を手にしたのは狩猟の場であった。
深い森の中。
自然を生きる動物と呼吸を共に、その生態を、心を理解し同調し命を摘む。
そして歪みに歪み切った紆余曲折を経て命の奪い合いに身を置いた彼女のそんな、命を感じるに所以する索敵センスは超常的と言えた。
強い自信と強かに積まれた経験値。
直前まで感じ得なかった筈の鼓動に彼女は酷く驚愕し、畏怖した。
「アイリ!…アイリ!!!!」
それはいつ振りの事か。
深い絶望を浮かべ、血相を変えてサツキはアイリスへと呼び掛けた。
「……d…don’t worry…大丈夫だよサツキ…」
強く閉じた右眼を気にかけながら。
倒れた姿勢のままアイリスはすぐそばで怯えるサツキの手を取ってそう言った。
地に滴る僅かな血を左の視界で見つめ俯きつつも、右眼本体に直接的なダメージは殆ど無い事をアイリスは理解していた。
「ぜんぜん大丈夫じゃない!!アイリスお願い、目を見して……」
酷く取り乱したサツキの様子を見て、その根拠を提示し安心させんと彼女は僅かに右眼を開いてみせた。
「……ね?目は大丈夫だよ…」
「……アイリ……………わかった。でも動かないで……」
アイリスの言うよう眼球自体へのダメージは無い事を確認したサツキは胸を撫で下ろす想いであったが、未だ苦痛に顔を歪める彼女の表情と、その皮膚に残留した痛々しい痕跡に悲歎と怒りを露わにした。
急いだ手つきで己のプレートキャリアのバックパックから救急キットを取り出しアイリスを治療する。
残った破片を取り除き、血を拭ってガーゼと包帯を当てる。
そうして右眼を封印する事で事実上撤退という選択を選んだ彼女であったが、M24は使い物にならず位置も割れた状況で危険を冒してまで出来る戦闘行動は少ないだろう。
「立ってアイリス。今すぐここから移動しないと」
「Yup……」
窓際から離れて壁際で立ち上がる両者。
サツキの手をとり僅かにふらつきながら立ち上がったアイリスの短い返事と表情は、悲しみと強い負い目を感じさせる。
「どういう訳かどこのクソ野郎かもわからないけど、着弾後の発砲音も一切しなかった。思い詰めないで」
そっとアイリスの頬に手をやり、彼女の頭部へ口づけをするサツキ。
油断も去ることながら、何か得体の知れない力で不意を突かれた事に負い目を感じる事はないと彼女はアイリスを励ました。
そして、彼女達は撤退の為に歩み出す。
仲間達の状況は把握できないものの、そのまま待機するにせよ、反撃に出るにせよこの場所では無いどこかへ移動する為。
とは言え、アイリスに傷を負わせた事で強い殺意を胸にするサツキに選択肢がある筈もないが。
「一発で仕留め切れなかったことを後悔させてやる…」
呟きと言うにはあまりに大きな声量で、そんな呪いを孕んだ鬼の形相でサツキは告げた。
「へぇ、誰が後悔するって??」
100m以上は続く直線の廊下。
たった今部屋からその廊下へ一歩を踏み出そうとした瞬間、聞き覚えの無い声が響き渡る。
進行方向の端に位置する階段より落ち着いた足取りで角を曲がる形で姿を現したその何者か。
癖のついた短い黒髪に褐色の肌。
マルチカムのBDUと、背中に背負われた大きな機械からベルトリンクとして繋がる弾倉はその手中にあるドラムマグを装着した自動式散弾銃に接続されていた。
反射的にアイリスを一歩部屋へ押し戻し、ミニミを構えたサツキ。
険しい表情を浮かべたサツキに対し、姿を現した彼女の表情には期待に胸を膨らませた無邪気な笑みが浮かぶ。
「はじめまして、私はコール。残念だけどあんたたちの旅路はここで終わり。どこにも行かせないよ」
◇
そうして舞台は整い、各々が各々の戦闘を以てしてこの戦場の火蓋は開かれた。
各地で響く筒音はオーケストラの一幕を構成する音色のように。
色鮮やかに広がる火薬の閃光は著名な画家の描く絵画より美しく、花々の麗しく芳しい花香の如く香る硝煙は心を躍らせ、そんな日常の光景を嬉々として綴らせる。
確かな予感───
その場に感じる各々が仲間たちの躍動に、二人は笑みを零した。
「さあ、私達も始めましょうか──シャル」
「ええ、始めましょう」
「今日は人生にとって忘れられない一日になりそうですね」
無論、それがどちらの意味での物なのか。
今はまだわからない。
ただその場には、どちらの物かはわからない慊焉たる喜色の音が溢れていた───




