迅さの適合性
「はぁっ……はぁっ…」
喉の奥から溢れる荒い吐息。
震える足を奮い立たせ、メイの手を取ってエミリアは駆け出す。
すぐ後ろから聞こえるシャルとミラの話し声に、決して振り返らないと心に誓って。
初めて明確に己へと向けられた殺意に、エミリアは想像以上に恐怖を覚えていた事だろう。
エミリアの手を取り、その表情を目にした時から、メイはその心情を察していた。
会話内容はさることながら、ミラという少女から感じられたオーラは彼女が相応にヤバい奴だという事を伺わせている。
何よりもまず彼女をここから逃がす事が最優先であると、メイは理解していた。
「サツキ!周囲の状況に異変は!?」
<< 異常無し。このままリジーのとこまで行って大丈夫だよ。あの女マジで単独で乗り込んできたっぽい >>
走りながら、メイは自身の防弾着に装備したPTTスイッチへと手を伸ばし、切迫した様子でサツキへと問う。
離れたビルの屋上よりシャルやリジー、周囲の状況を監視していたサツキは未だ安全が確保されている事を伝えた。
彼女が『フィフス・ハーモニー』と名乗る部隊で行動している事を掴んでおきながら、その仲間の姿が見えない事に若干の不安を覚えながら。
メイの表情に若干の安堵が浮かぶ。
気配を察知されないよう二部屋ほど先の一室で待機するリジーの元へは問題無く到達できると確信したからだろう。
その余裕に、メイはエミリアへ視線を向ける。
青ざめた表情で怯えたエミリアもその視線に気が付き、メイを見つめた。
「大丈夫よ。このまま予定通りリジーと合流するわ」
そう言って微笑むメイ。
その様子を見たエミリアもまた僅かに安堵を浮かべ、力無くも小さく頷いた。
そして、リジーが待機した一室へと二人はたどり着く。
所々崩落した廊下を縫うように走り、本来扉が設けられていたであろう穴からその部屋を覗き込む。
だが、そこにリジーの姿は見当たらなかった。
もぬけの殻。
窓から射し込む光が、ただただその無人の室内を照らし出す。
そこには人影はおろか、リジーの痕跡すらも見当たらなかった。
「………っ」
メイは直ぐにその異変を察知する。
そして、何事も無かったかのように再び走り出す。
エミリアもまたその光景に困惑を露にし、メイへと答えを仰いだ。
曇るメイの表情。
先程の安寧とは打って変わり、その表情は僅かな不安を内包しているようであった。
その時メイは、ある判断を下していた。
普段はお調子者であるリジーとて、自身に与えられた任務を違える事はまず無い。
この場合、「彼女の身に何かが起こった」と考えるのが妥当であったのだ。
従って、メイはまずエミリアを避難させる事を優先した。
リジーに信頼を置くからこそ。
たとえその予想が的中したとして、彼女がそう簡単にやられるタマでは無い事をメイは分かっていた。
「サツキ!リジーが見当たらない!!予定通りこのまま進むわ!」
メイは再びPTTスイッチへと手をやってサツキへと状況を報告する。
エミリアを連れたまま、ミラが来た方向と反対に位置する階段を目指して2人は走り続けた。
だが、その呼びかけにサツキが答える事は無かった。
それどころか、サツキと行動を共にする筈のアイリスからの応答も無い。
何かがおかしい。
一人、また一人と姿を消す仲間たち。
ゆっくりと侵食するように手を伸ばす闇の影に、メイの頬を汗が伝った。
その時だった。
「わっ……!!」
音を立てて何かが崩れる音。
手を取ったエミリアが声を上げ、その身体は沈み込む。
メイはその手に感じた重力に目を丸くし、すぐにエミリアの方を振り向く。
崩落した廊下の床。
突如として現れた半径1メートル余りの落とし穴に、エミリアの身体は成す術無く飲み込まれた。
「エミリア!!!!」
そう叫んだ時には遅い。
メイは地面に倒れ込み、繋いだ片手で宙に浮くエミリアの体重を支える。
ぽっかりと口を広げたその穴の下からは2階層下の廊下が見えていた。
高さにして約4~5メートルといったところだろうか。
自身であればまだしも、着地の仕方によっては彼女は十分に怪我を負いかねない高さであると、メイは動揺する。
「メイ…!お願い!は…っ…離さないで!!!!」
その身体を僅かに揺らしながら、下を見たエミリアはメイへと懇願する。
目元に涙を浮かべて怯えるエミリアに、普段であれば可笑しさも感じるかもしれないが……正直今は最悪だった。
少しずつ自身達を取り囲む異変の最中、エミリアの身体を支える為に無防備に成らざるを得ないこの状況。
思い返せばこの状況を招いた原因は己であると、メイは酷く後悔した。
唐突に訪れた予定外に、動揺しつつも一目散に走り出したメイはルートの選択を誤ってしまったのだ。
エミリアを避難させるという事を優先し、不安に気を取られるあまり廊下の状況を把握出来ていなかったとメイは己を責める。
とは言っても、今はそんな事に気を取られている場合ではない。
それを自戒として、少しでも遅れを清算する為にメイはもう片方の手をエミリアへ差し出す。
「離す訳ないでしょ!!大丈夫だからこっちを見て!なるべく動かないで、手を伸ばして!!」
焦りを浮かべながらも、エミリアを心配させんとメイはそう告げた。
矢先、その異変は訪れた。
「シュゥーー」と、風を切る高い音が響く。
それは徐々に此方へ近づくように、音量を増していた。
メイの表情が凍り付く。
もしかすれば、彼女の人生において仲間達の声の次くらいには耳にしたかもしれないその音。
それは、無人航空機のプロペラが奏でる音だった。
メイは直ぐにその音の正体を推理する。
この作戦において自身がそれを使うように指示はされていない。
ましてや、未だそれは自身の背負うバックパックの中に収納されている筈だった。
となれば、考えられる可能性は一つしかなかった。
地面に倒れ、エミリアの身体を支えたまま顔だけを音の方へ向けたメイ。
すぐ隣の窓の外、その影がメイの身体に重なる。
宙を飛び、2人の姿を見つめたソレは十数メートル程離れた位置で停止飛行していた。
2人の姿を見つめる、メイの物ではない無人航空機。
上部に搭載されたカメラは彼女達の姿を覗き込み、その機体下部に取り付けられた短機関銃を向けて。
◇
その時既に、リジーは異変を感じ取っていた。
ミラを迎える為に分かれたシャルやメイ達、その姿が見えなくなって直ぐに無線機は機能を停止した。
サツキとアイリスはおろか、シャル達にすらその声が届いているかは疑問だ。
ミラを迎え、メイと合流する事になるまではその身を隠すという作戦内容により彼女は行動を制限されていた。
先の疑問の後者においては予想よりも早くミラの影を感じ取ったが故に応答を返す事が出来ないという予想もできる。
現にシャルからは数分前に「待機する階層を変更する」という連絡を受け取ったばかりだ。
たが、前者が応答を返さないのは些かおかしい。
サツキとアイリスに何かあったのではないかと、リジーは不安を隠しきれなかった。
「ちっ……あいつら…大丈夫か…?」
小さな声で、囁くようにその不安が零れる。
その自問自答に答えは無いが、その時リジーにはある考えが浮かんでいた。
もし、その異変に気が付いたのが自身のみであったら?
サツキとアイリス、あの二人が簡単にどうにかなるような訳はないと、リジーは信じている。
しかし、問題はシャル達がその事に気が付けているか。
仮に2人がミラの罠に掛かっている恐れがあるとして、そんな状況のままシャル達を逢わせるのはマズいと、彼女は懸念していたのだ。
意を決し、リジーは動き出す。
最大限に気配を隠し、忍び足で廊下へ顔を覗かせる。
壁に張り付き、左右に続く廊下の先を確認してから、彼女は窓の外に目をやった。
サツキ達が待機しているであろうビルを見据えて。
だが、どこを見ても2人の姿は見当たらなかった。
代わりに、その視線はある少女の姿を捕らえる。
遥か下、一階の外からこのビルへ歩み寄る長い金の髪の少女だ。
オリビアの話からその特徴がミラの物である事を理解していたリジーは小さく微笑む。
「ようやく来やがったか……」
小さく呟き、リジーは少し速足で歩き出す。
予定外とはいえ、サツキ達と連絡がつかない事をシャル達に報告する為。
ミラの姿を見つけた事でまだ彼女が接触するまでに時間があるとリジーは考えたのだ。
その時、リジーの身体は硬直した。
ミラがまだあの位置にいて、シャル達と連絡が取れないのは何故だ?と、疑問を浮かべながら。
「シャ―――――」
咄嗟にシャルの名を呼び掛けた矢先、リジーはその場にしゃがみ込んだ。
ほんの一瞬の出来事。
本能的な反射にも見える一切の無駄が無い動きでリジーは回避行動をとっていた。
音も無く、風を切って飛来した何か。
それはリジーが居た筈の空間を切り裂き、廊下の先で僅かな金属音を奏でて動かなくなった。
リジーは立ち上がり、得物を手にする。
その銃口を、それが飛来した背後の方へと向けて。
「なんだ…お前……?」
呟くように、リジーは告げる。
廊下の先。
マルチカムのBDUに身を包み、膝辺りからつま先までを覆うブーツ状の機械を身に着けた小柄の少女。
短い赤毛に白い肌に残るそばかす、暗く輝く蒼の瞳でリジーを見つめた少女は無邪気に笑みを浮かべていた。
アイリスとはまた違う、無邪気さの中に子供特有の残酷さを残すように。
少女からはどこか得体の知れない邪悪さを感じた。
「あはは!物音ひとつ立てなかったのに!避けるとは思わなかったぁ」
「でもそっか!それくらい避けてくれないとおもしろくないよね!あははは!!」
少女は笑いながらそう告げて、自身の尻部へ手を伸ばす。
腰の後ろに着けられた二対の鞘。
鋭い音を奏でながら、刃渡り数十センチのそれは抜刀された。
鋭く磨かれたエッジに、輝く鏡面が写す彼女の表情。
両手に持つその二本の刃を擦り合わせた後、両脇へと広げて彼女は歩み出す。
リジーは口を噤んでいた。
決してその様子に圧倒され、動揺した訳ではない。
ただ目前に佇むそれを敵として認識し、無駄な語り合いは必要ないと判断した。
それだけだった。
リジーは得物を構えた。
彼女を見据えたまま、肘を下げてストックに頬を付け、コンパクトな射撃体勢で照準を合わせる。
覗き込んだホロサイトのレティクルは彼女の胸部を捉えており、リジーは僅かな思考を挟む事無くトリガーへと指を掛けた。
刹那。
僅か1秒の間も無く、瞬きより速く。
それは到底速さとして表せられる物では無いほどに、ただただ、圧倒的に迅く。
彼女はその時既に、リジーの懐に入り込んでいた。
インファイターがショートアッパーを構えるように、低くした姿勢に逆手で握られた得物はその時まさに、リジーの身体を切り裂かんとしていた。
僅かな時間の切れ目、リジーは時間が消し飛んだかのようなその感覚を鮮明に覚えている。
目を丸くし、気が付けば鮮明に捉えてしまっていた彼女の身体。
それは予想を遥かに超えた距離感であった。
「………っ!!」
驚きを隠しきれず、口からは声にならない声が零れた。
長らく忘れていた、今まさに己の身体が切り裂かれるという予兆。
全神経が一瞬にして放つその警告に、リジーの頬を汗が伝った。
リジーの身体が動く。
下半身を全速力で回避の姿勢に。
それでいて目はそいつを見据えたまま、咄嗟に得物を持つ腕を伸ばす。
敵の持つ速さに、リジーの行ったそれはほぼ無意識下における反射のそれであった。
彼女の持つククリがうねる。
リジーの防弾着で守られていない腹部を目がけ、彼女はそれを斜めに振り切った。
だが、そのエッジがリジーの身体に触れる事は無い。
リジーの持つ短機関銃と胴体を繋ぐ一点の負紐が、それが肌に触れる前に軌道を変えていた。
得物を支え、その重さを受けて尚ビクともしなかったそれは意図も容易く両断される。
得物が胴体を離れ、咄嗟に生じた遠心力にリジーは若干バランスを失いつつ、その表情を歪めた。
対して彼女は、そんな無理矢理な回避に危機を脱して見せたリジーを高く評価していた。
更に口角を吊り上げ、「これは面白い」と心で楽しみながら。
「チッ!!クソガキっ……!!!」
笑みを浮かべ余裕を見せるクソガキ。
悪態をつき、表情に焦りを浮かべながらもリジーは今起こった事を冷静に整理していた。
確かに捉えた筈の姿に、指先を数センチ動かす間も無く縮まった距離感。
その化け物じみた速さに空間そのものが急速に圧縮されたものかと皮肉を浮かべるが、その実答えはあまりにも簡単なものだった。
彼女が己の視界から消え去った後、彼女が居た筈の場所には砂や埃が舞っていた。
元の場所の足元、衝撃波が宙を伝うように一定の規則性を持った距離感で。
それはつまり、驚異的な瞬発力を以てして一気に間合いを詰めた物だと推測できる。
そのロジックについても、恐らく彼女が装備する脚部の機械に起因しているのだろう。
そこまで考えて、リジーは目前の状況へと意識を戻す。
得物を振り切ったままの少女の姿勢に、その第二撃が訪れる前にリジーは一足早く行動を起こした。
右腕に手にしていた得物を空中で離し、その勢いのまま弾帯に装着されたカランビットの柄を掴む。
両足は地面を踏み切り、バックステップの要領でリジーは後方へと跳び退いた。
そして、再び僅かに開かれた両者の距離。
緊張の最中訪れた僅かな静寂に、リジーは目を離せなかった。
少女は再びククリを持つ両手を広げ、リジーは少し離れてカランビットを構える。
一秒にも満たぬ時間を経て、対面に見つめ合う両者の足元をリジーの短機関銃が転がった。
「あはは!おねーちゃんすごいよ!すっごいね!!!」
満面の笑みを浮かべて歓喜を示す彼女は、そう言ってその静寂を打ち破った。
だが、リジーはそいつと話す気にはなれなかった。
先程とは相反し、その表情に浮かぶのは焦りだけ。
話す事で集中を欠けば一瞬の隙に喉元を掻き切られそうだったからだ。
「あは……おねーちゃんお話しよーよ。しないの?お話」
そんなリジーの様子を残念そうに、彼女はそう告げた。
こうして見れば、どちらが追い詰められているかは明白だろう。
「でもちょっとは気にならない?ねーお話しよーよ!おわるまで殺さないって約束してあげるからさ!いいでしょ?」
「黙れ……собака...」
想像以上に余裕の無い状況にも関わらず平然と喚く彼女に苛立ちを覚えたのか、リジーは無意識にもそう呟いていた。
それを聞いて、再び彼女は喜ぶ。
「さ……ば…か?わかんないけどさ!おねーちゃんもその気になってくれたんだよね!!」
「じゃあレン自己紹介する!!一回しか言わないからちゃんと聞いててね!」
「………」
「あははは!また黙ったー!!」
「ふー!レンはね、レンだよ!!ヴァルハラから来たんだ!!えっと、レンの友達のお話もしたいけどミラに言っちゃだめって言われてるからお話できないんだ!」
それを聞いて、リジーは合点がいった。
このレンという少女もまたミラの仲間であり、『フィフス・ハーモニー』の一員であると。
更にそれは、この周囲を取り巻く異変の元凶であることを示唆していた。
「ねーねー!おねーちゃんの名前は?レンしってるけどちゃんと言って!挨拶だいじだってミラいつも言ってるよ?」
レンは話し続けた。
機関銃の如く止まる事の無い言葉。
一挙動一挙動を食い入るように見つめ、次の攻撃に身構える自身を他所に今尚余裕を見せ続けるレン。
このままでは制御不能に陥りかけない苛立ちにリジーは心折れ、その姿を一切の気を抜かずに見つめつつ口を開いた。
「その口、あたしに縫い合わされる前に閉じとけ。お前さ、なんでもかんでも喋ってくれるのは好都合だけど少しは黙れねーの?」
「あーーー!!悪口!!いいの?そんなこと言っちゃって!!」
「だってレン知ってるよ?おねーちゃん今すごい怯えた表情してるの!レンのこと怒らせないほうがいいよ!!!でもね!レンも――――――
「Сука!Блять!!黙れっつてんだろクソガキ!!!!!」
「………」
レンの見据えたリジーの表情。
その言葉は嘘か真か。
ただ、今までに無い怒りがリジーの口をついて出ていた。
そうして、ようやくレンは口を閉ざす。
そんなリジーの姿を見て笑みを浮かべたまま、哀れにも嘲笑うかのように。
正直に言えば、先にも言った通りリジーは不安を抱いていた。
それが彼女自身から見てどれ程のレベルに達しているかは定かではないが、もしかしたらレンの言葉は正しいのかもしれない。
近接戦闘を得意とし、限定的とはいえあのシャルにも勝ったスピードを自負していたリジーは、彼女のそれに度肝を抜かれていた。
その体感を掴むことはおろか、対策さえも見えぬまま。
もう一度あの勢いで攻撃されたら?
攻撃を躱すことは出来る?
防御したほうがいい?
もし、あれがマックススピードではなかったとしたら?
そんな風に、レンから感じた類を見ない脅威にリジーは次なる行動を決めかねていた。
それはこの対局以外を忘れさせ、ついさきほどまで危惧していた仲間の事も忘れさせるほどに。
リジーは得物の柄を強く握りしめる。
瞬きすらなく、彼女の動きを0.1秒すら見逃す事なく。
今はただ、全てを忘れてその動きを見切る以外にこの場を生き残る術は無いと、リジーは心に言い聞かせていた。
そこに滲んだ汗、その顔に浮かんだ表情と、その考えは……レンに何を想わせるだろう。
先の言葉の意味を、リジーは理解したような気がした。
「くそっ……ツイてねぇ…」
意識の外、呟くように彼女の口からは悪態が溢れた。




