John Doe
「………貴方は、誰ですか」
唐突に無線機から流れた声。
その主がサンタ・ソンブラ最高権力者であるエキ・アンヘル・サル・デエレウテリオの物では無い事を少女以外の全員が理解していた。
変声機を混ぜたのか、性別の判断もつかぬ機械的なその声に、少女は僅かな恐怖心を抱いていた。
<< ココデハ『ムスターマン』ト名乗ロウ。先ニ一ツ、残念ナガラコノ無線機ノ持チ主デアル男ハ既ニ死ンデイル >>
ムスターマンと名乗るその人物はそう語った。
「あの男は既に死んでいる…」と、何の証拠も無い上に突然そう告げられたシャルは僅かに困惑している様子であった。
一度シャルはオリビアへと目をやった。
その後メイと少女へ手招きし、彼女達はオリビアから少しだけ距離を置く。
彼女へその会話の内容を聞かれぬように。
「あの無線機は…?」
「お前には関係の無い事だぜ」
その意図を察したリジーとサツキはシャルへ視線を合わせて小さく頷き、オリビアの問いにそう返した。
「……聞きたい事が多すぎますが、貴方は私達に意図して連絡を行っているんですか?」
<< モチロンダ、シャル。キミト取引ガシタイ >>
心当たりすら無いのに、少なくともその人物はシャルの名を知っていた。
目的も何もかも不明なその声に、謎が深まるばかりであった。
「何故私の名前を……?」
<< キミダケジャナイ。メイ、リジー、サツキ、アイリス……私ハ君タチノ事ヲ徹底的ニ調ベ上ゲタ >>
「………」
「仮に貴方の言葉が本当だとして、アンヘルを殺したのは貴方ですか」
<< チガウ。彼ヲ殺シタノハ ヴァルハラ ノ執行官ダ >>
「……執行官?」
<< キミ達モ聞イタ事ハアルダロウ。アノ国ノシステムト、ソレニ属スル兵士タチノ話ヲ。今キミ達ヲ追ッテイル ミラ トイウ少女モソノ一人ダ >>
「それで、貴方の目的は?」
<< 取引ダヨ、シャル。キミ達ガ匿ウソノ少女ノ事ダ >>
声の主とシャルは言葉を交わす。
一方的な質問ではあったが、得体の知れないその相手に疑問が尽きないのは事実だ。
多すぎる疑問の中で少しずつ、シャルはそれを掴まんとしていた。
<< ソノ娘ハ、私ノ娘ダ >>
ムスターマンとシャルの問答の間、それを食い入るように見つめたメイと少女。
その最中で声が告げたその一言に、3人は凍り付いた。
「私……の……?」
特に当人である少女は目を丸くし、実感の湧かないその答えに心底驚く様子であった。
呟くように、少女はそう告げる。
「待ってください。という事は、貴方はヴァルハラの人間ですか?」
少女の逸る気持ちを静止するように、シャルは少女の肩へ手をやった後、ムスターマンへ問う。
<< イヤ、チガウ。ミラ ノ話ハ全テ嘘ダ。逆ニ言エバ、私ハ ヴァルハラ ト敵対スル者ダ >>
<< ソノ真偽ハ彼女ニ聞イテミルトイイ。ソウダロウ?――― >>
<< エミリア――― >>
彼女と指し、その名を口にしたムスターマン。
「誰の事を言っているのか」と困惑した様子を見せるシャルとメイだったが、少女は違った。
その名を聞いた瞬間、少女は唐突に頭痛に襲われた。
頭の中を泡立て器でかき混ぜられるような感覚。
無数に渦巻く記憶の破片が頭の中で暴れまわる。
それは何か靄のような物で覆われた不鮮明な映像を強制的に垂れ流されているようで、その一つすら正確に把握する事は出来なかった。
ただただ、高速で記憶が交差する。
理解の追いつかない彼女を一人、置き去りにして。
そうして我に返った時、少女は頭を抱え僅かに鼻から血を流していた。
「大丈夫……!?」
「……………は…い…」
メイの問いかけに少女は蚊の鳴くような声で呟き、呆然と虚空を見つめる。
魂の無い伽藍洞の人形のように、焦点の合わぬ瞳を揺らしていた。
「自分でも……何が言いたいのか…何を考えているのかわからないんです」
「何か映像みたいな物が沢山頭の中に浮かんで……私にはわからなかったけど……」
「私の名前はエミリアで……その人は私の父なんです……」
そのまま、ゆっくりと少女は語り出す。
彼女の言うようにその言葉には脈絡が無く、彼女自身でも無意識に発しているようだった。
まるで洗脳されているかのように、混濁した意識の中で彼女は呼吸を荒くする。
少女、否――エミリアの手を取り支えるメイと彼女を見たシャルは、険しい面持ちを浮かべていた。
かつてない少女の動揺。
この声の主と彼女の間に何かしらの関係があるのは確かだった。
だが、その言葉がどこまで真実であるのか。
現時点でムスターマンを真に信用することは出来ないと、シャルはそう考えていた。
「メイ、彼女の様子を診てあげてください。それで……ムスターマン。あの子の素性を聞いてもいいですか?」
<< 現時点デ話セル事ハ少ナイ。ダガ、ソノ子ハ重要ナ記憶ヲ持ッテイル。トアル事故デ生死ノ境ヲ彷徨イ、記憶ヲ失ッタソノ子ニソノ心当タリハ無イダロウガ…… >>
<< ヴァルハラ ハソノ記憶ヲ狙ッテイル。ワタシ達ノ派遣シタ部隊ハヤツラノ手カラ逃レル事ガ出来ナカッタノダ >>
「貴方の言う重要な記憶や、事故とは…?」
<< 言エナイ >>
「では……貴方達の正体は?」
<< 言エナイ >>
「あの南東部の地に貴方達の拠点とする場所が?」
<< 言エナイ >>
「………」
現時点でエミリアの事に関して話せる事は少ないというムスターマン。
シャルの問いに対し彼が答えたのはあくまで彼女自身に対するちょっとした説明のみで、その経緯や正体までを明かすことはなかった。
だが、いつか彼女が話した病院の話。
彼の告げる「生死の境を彷徨った」という言葉を聞いた時、シャルはあの時の記憶を思い浮かべていた。
「ところで………」
「貴方は何故、私達の置かれた状況や敵の正体を把握しているんですか?」
<< ワタシハ今マデモズット、キミ達ノ事ヲ視テイタカラダ >>
「この無線機ですか………?」
<< コノ通信ハアクマデ連絡手段ニ過ギナイ >>
<< キミノ想像以上ニ、ワタシハチラカヲ持ッテイルトイウ事ダ >>
「………」
そこまで話して、シャルは口を噤んだ。
思考する素振りを見せながらも、その視線で周りを見渡し、彼の尻尾を掴まんとするように。
だが、この場に彼女達を監視するカメラのような物は存在しない。
部隊に絶対の信頼を置く彼女が部隊内の内通者を疑う筈も無く、その答えは闇の中に隠れたままであった。
得体の知れない、彼女達を覗く眼。
監視された束縛感と、答えの見えない不気味さにメイは僅かに身震いした。
<< サテ、ワタシ達ニハ時間ガナイ。コノ通信モ ヴァルハラ ニ盗聴サレル恐レガアル >>
<< 取引ノ話ヲシヨウジャナイカ >>
「…………わかりました」
<< ヨロシイ。内容ハ簡潔ダ。ワタシ達ハ他ノ国デ動ク事ガデキナイ。彼女ヲ指定スル場所マデ送リ届ケテ欲シイ >>
<< ソレガキミ達、トラッカーノ生業ダロウ? >>
「その動けないという理由は………言えないですか」
<< アア、言エナイ >>
「報酬は?」
<< キミ達ガ望ム全テヲ叶エヨウ >>
「…………フっ」
「フフフ……あはははははは!!」
彼女達に対する彼からの仕事の依頼。
めちゃくちゃな話に、めちゃくちゃな報酬内容を告げられたせいか、シャルは笑みを溢す。
腹部を抑えて大きく笑うその姿があまりにも珍しかったのか、メイのみならず、離れた位置で様子を伺っていたリジーらもその目を丸くしていた。
「……フフ…失礼しました。しかし、それで『そうですかわかりました』と言って快諾する程私達もバカではありません」
「彼女……エミリアの様子を見る限り貴方と何らかの関係があることは間違いないでしょう」
<< ……… >>
「初めて沈黙しましたね」
「そういえば先日、アイリスがある銃を欲していました。旧時代でも特に珍しく高価な一品です」
「それが手に入ると知ればアイリスも喜ぶでしょうし、加えて彼女と貴方との関係を示唆する何かがあれば私の興味も向くかも知れません」
<< 何ガイイタインダ…? >>
「フフ……前金です。前金ですよムスターマン」
「内容は伏せます。それを前金に、ミラとヴァルハラについて洗いざらい吐いてください。それ次第では考えてあげてもいいです」
<< ………イイダロウ >>
僅かな沈黙。
シャルの提示する取引内容に、ムスターマンは僅かに間を置いてから答えを返した。
「シャル、こんな得体の知れない奴と仕事するつもり?こいつの言う事だってどこまでほんとか……」
「メイ。だから測るんですよ。彼の言う力や、その信憑性を」
そうして、ムスターマンとの取引は成立した。
その一部始終を見守るエミリアは虚ろな瞳で、それでも尚、しっかりとその話を記憶に刻んでいた。
未だ残る頭痛の余韻に、その意識を朦朧とさせながら。
◇
<< ミラ ト言ウ執行官。ヴァルハラ ヲ敵対視スル不穏因子ノ壊滅ヲ目的トシタ精鋭部隊『フィフス・ハーモニー』ノ一員ダ >>
シャルの交渉に対し、彼はそう語り始めた。
フィフス・ハーモニーはその名の通り5人で構成された部隊であること。
今回エミリアの奪還を目的としてエキ・アンヘル・サル・デエレウテリオを殺害し、シャル達を追っていること。
彼はその2つを彼女達に説明したが、ミラ自身に関しての武装や生い立ちといった詳細や、残りの構成員についての情報までは把握していないようであった。
ただその精鋭部隊という肩書は伊達では無く、彼は十二分にその危険性を示唆する。
この中部において、「彼女達との戦闘は避けられないだろう」という予言も添えて。
<< ココカラ東部ニ向カエ。アソコノ国境ハ手薄ダ。コノ国ヲ出レバ奴ラモ大キクハ動ケナイダロウ。ソコノアル小国デキミノ言ウ前金ヲ手配スル >>
「その情報に少しでも偽りがあればこの取引は無効です」
「それで、その小国とは?」
<< 強カダナ、キミハ。ソノ国ノ事ナラ メイ 、彼女ガヨク知ッテイルダロウ? >>
<< 彼女ノ故郷―――イヤ、故郷デアッタ土地ダ >>
「………わかりました」
彼の告げた言葉に、シャルはメイへと視線をやる。
「故郷」と聞いたメイは僅かにその表情に影を落としていた。
エミリアにとってはその内情を知る由も無かったが、メイを見つめるシャルの瞳はどこか哀愁を漂わせていた。
<< ソロソロ時間ダ。次ニコウシテ話ヲスルノハソノ時ダロウ >>
<< ワタシハコレデモキミ達ノ武力ヲ高ク評価シテイル。ドウカ、娘ヲ頼ム >>
「最後に一つ」
<< ナンダ? >>
「この弾についてと、南東部で彼女を連れていた男について。彼は貴方の組織に所属していた者だったんですか?」
<< アノ男モキミ達同様、タダノトラッカーダ >>
<< ソノ空薬莢ニツイテハ、キミノ想像ニ任セルトシヨウ >>
<< キミ達ト我ガ娘ノ旅路ニ、祝福ガアランコトヲ――― >>
その言葉を最後に、ムスターマンとの通信は切れた。
僅かな静寂が辺りを包み込む。
虚空に掲げたシャルの指先に光る、一発の空薬莢。
男の監視が今も尚続き、その精確性が確固たる物であることを指し示す。
ついて離れない不気味な陰に、彼女達は気持ちが優れない思いであった。
「さて………それでは」
僅かに間をおいて、シャルは次の行動を開始した。
先の無線機を腰の弾帯に戻し、リジー達の元へ歩き出す。
「………話は終わったの?」
歩み寄るシャルの姿を見て最初にそう問うたのはオリビアだった。
彼女からしてみれば唐突に開始された長い話し合い。
時々漂う不穏な空気を彼女は感じ取っていたが、その表情に浮かんだ感情は苛立ちだった。
長い時間待たされた事に対してではなく、疎外感に怒りを露にするように。
「フフ……オリビアさん。お待たせしました。先のお話、お願いしてもいいでしょうか」
僅かに笑みを浮かべて、シャルはオリビアへと告げた。
続いて、彼女は先のムスターマンとのやり取りで得られた情報を説明する。
あくまで彼の素性は伏せて、ミラに関する情報のみを。
「さっきの長話はそれを聞いてたってわけ?誰から?」
「気にしないでください。ただの情報提供者です」
オリビアはシャルのその返答に眉間に皺を寄せていたが、信じてはいるようであった。
この状況を鑑みても嘘をつく理由は無く、説得力も有しているその情報。
彼女がそれを信じない理由が無いと言った方が正しいかもしれない。
「………車を取ってくるわ。貴女達の物資も無駄にはされていないと思う。彼らに理性が残っていればの話だけれど、あるようならそれも持ってくるわ」
「ええ、ありがとうございます」
「だけど……」
「……だけど?」
「貴女達犯罪者に加担する訳じゃない。私はこの町を護りたいだけよ。ここを出たら二度と顔を見せないで」
「それとね、あのガキは私が始末するわ」
簡潔に動きを伝え、オリビアはシャルを睨みつけながらそう締めくくった。
そっと、シャルは微笑む。
「お好きにどうぞ」
そう一言、彼女に残して。
その後彼女は一人、この工場跡地を後にした。
「リジー、サツキ、アイリス。事情は後で説明します」
「アイリス、M24の弾は使ってないですよね?サツキとアイリスはオリビアを尾行してください。裏切る素振りがあれば連絡をお願いします」
いつになく漂った不穏な空気に口を噤んでいたリジー達。
唐突にシャルから呼ばれた名に、彼女達はふと我に返る様子だった。
その指示を受けたサツキとアイリスは頷き、尾行の為に準備を始める。
そして、シャルは未だメイに支えられて俯くエミリアへと視線を向けた。
「話は聞いていましたよね」
「少なからず私達は貴女を必要とする理由ができました。このまま先の予定通り自警団に投降するか、私達と来るか―――」
「エミリア、貴女が決めてください――――」




