間章
薄暗い、コンクリートに覆われた室内。
天井より染み出た水滴が地に落ち、小さく弾ける音を反響させる。
その暗闇の中で木製の椅子に後ろ手を縛られた男が天を仰いだ。
「Madre de dios,ruega por nosotros,pecadores,a hora y en la hora de nuestra muerte...」
「Amen...」
彫りの深いスキンヘッドの男の顔は血に濡れ、その表情は僅かに苦痛に歪んでいた。
褐色の大柄な肉体、血の染み込んだシャツ、身体の至る所に残る古びた傷跡。
祈りを告げた男の口から零れた血液は、それらがその男自身の物である事を証明していた。
「あなた、このレギオンにおいて今最も必要な物が何かわかりまして?」
暗がりから声がした。
憎悪を込めて睨む男の視線の先、暗闇に佇む一人の少女が問いかける。
白い肌、細い手足、幼さの残る身体つきと、リボンのついた長い金の髪。
指先から肩までを覆う機械のような物が装着された右手を顎にやり、少女は答えを返す様子の無い男の様子に悩む素振りを見せた。
「秩序よ」
「そして……貴方達のような極悪人を裁き、このレギオンをより平和に導く統治者の存在が」
「お前らが神に成るとでも……?」
その右手を胸にやり、演劇の一場面の如くその身を舞わせた少女は声高らかに告げた。
自身の告げた統治者とやらに恋い焦がれるように、羨望を浮かべた眼差しで。
対する男は淡々としていた。
男を取り巻く窮地をもろともしない様子で、その言葉からは神への冒涜を許さんとする怒りが見受けられた。
「愛国心よ、アンヘル」
少女のその声に、男は僅かに身を震わせた。
男の名は、エキ・アンヘル・サル・デエレウテリオ。
このレギオンの南東部を牛耳る最高勢力、サンタ・ソンブラの最高権力者だ。
「我が国が、我が主が…このレギオンに救済を齎すわ。そう、この地がまだ一つで無かった頃のようにね」
「それなのに貴方達はなぜ、レディ一人まともにエスコートできないのかしら?我が主があの子を欲しているのよ?我が国の繁栄とレギオンの秩序の為に」
「それともまさか、わざとやってらっしゃるのかしら……?」
アンヘルの座る椅子の周りを円を描いて歩きながら少女は告げる。
その瞳は、酷く彼を見下すように。
冷酷に、静かな怒りを込めて。
「少し厄介な邪魔が入っただけだ」
アンヘルは少女から視線を逸らし、俯きながらそう呟いた。
少女へと抱いた僅かな恐怖の反面、心の内に怒りと憎悪を燃やしながら。
「我が国からの武器と弾薬、車両の供給を受け、大の大人数十人を引き連れて尚、子供一人攫えなかった原因が少し厄介な邪魔?」
「アハハ、嘘よ。嘘。聞いてるわ。国境で目撃された彼女達の事」
「貴方達よりよっぽど、興味をそそられる子達よね」
告げた彼女の言葉。
アンヘルの心の内を知ってか知らずか、その言葉に内包された明確な殺意に、アンヘルは固唾を飲んだ。
僅か十数年の時を生きたであろう目前の少女が放つ威圧感は、並の物ではなかった。
幾度の戦場を超え、血で血を洗う死闘を繰り返して尚、百戦錬磨の麻薬王アンヘルは、目前の年端も行かぬ少女に酷く恐怖を覚える。
その恐怖はあの少女達を前にした時とよく似ていると、彼は思った。
「貴方達には少し期待したのよ、これでも」
「でも、もう幕引きね。こうして私達が動く以上、その子達の旅路に未来は無いわ。それは勿論、貴方達サンタ・ソンブラも」
「貴方、ここで終わるのよ」
今まで以上に冷酷に、彼を見下しながら少女は言い放つ。
僅かに吊り上がる少女の口角。
天使の前に現れた悪魔に、成すすべも無く無力なまま彼は天井を見上げた。
「くくっ……くっくっくっ…」
「あの狂犬を舐めてかからぬ事だな、Perra...精々その死に際は苦しみ叫ぶと良い。地獄で待つこの私に、その声が届くようにな」
「近い再会に、心躍らせるとしよう」
空を仰ぎ、邪悪に笑いながらアンヘルは告げた。
口から零れる鮮血と、愉悦に歪む表情。
聞き終えた彼女の心に動揺は無く、ただただその不快感を払うように……
少女は引鉄を引いた。
右手に握られた回転式拳銃。
発砲の残滓に揺られ、その暗闇を照らし出すように少女の右腕の装置が光り輝いていた。
少女の左手に握られた写真付きの数枚の書類。
腰の右側に提げたホルスターに得物を仕舞いながら、僅かにその書類へ視線を落とした少女は呟く。
「似た者同士、逢える日が待ち遠しいわね」




