天使の降ろし方
凶都盆地が天使の結界に閉じ込められてしもた。あーあ。
世界中から呪術やら交霊術やら魔術やらの技術が持ち込まれる取引所が、この国の首都の地下全体に網のように展開されていたことなんかみぃんな知っとるわ。
せやのに図体だけはご立派な合衆国やら、なんとか市国っていう田舎の教会が随分仲良しみたいで、ろくに挨拶もせずに天使軍とかいうヤカラを空から召喚したそうな。何千人もの修道士を生贄にして、な。おお怖。恐ろしゅうてそんなこととてもやないけどできひんわ。
そんで、うちらみたいな何の罪もない市民を殲滅しまーすやて。あほらし。
しかもできひんかったんやろ?何万人の天使の命を使ってどうにかこの土地ごと封印したんやって。可哀想になあ。うちらは別にええけど、田舎の人らは荒れとるみたい。お気の毒です。
せやから、この街の空は作り物なんよ。ずーっと青くて、白い雲が流れたりして、気味が悪いわあ。日が沈まんから暑くてかなんわあ。
でも、凶都の本物の夜はずーっと気持ちええんよ?それにお祭りの時はこの辺がほんまに綺麗やさかい、お嬢ちゃんにも見せてあげたいわあ。いつか見せたるわ。約束な。
そう言って妖艶に微笑む相手に私は今、捕らわれている。
背中まで伸びる黒髪に、朱く塗られた長い爪、そしてニチャアと吊り上げられた口角。あまりにも禍々しい気配に悪魔の類かと思ったが、なんと一般市民らしい。凶都……なんて恐ろしい場所なんだ!
何を隠そう、私は天使だ!まだ未熟な身だが、私の師匠や先輩をまるまる呑み込んでなんとか形を保っている凶都結界の周辺を見回りしていたら綻びを発見し、修理しようとなんやかんやしているうちに穴がみるみる広がり、中に吸い込まれてしまったのだ!私の持つ天使パワーで穴は塞がったが、その代わり私はほとんどのパワーを失い、実年齢から150歳は幼い姿しでしか存在できなくなってしまったのだ!
しかもやけに傾斜のきつい坂道で行き倒れているところをこの女に拾われたりなんかして。なんて運が悪いんだ。
ああ主よ、私をお見捨てになったのですか?
いいや嘆いていても仕方ない!なんとか天界に戻る方法を見つけなくては!だから、だから……。
「食べっぷりがようて気持ちええわあ」
ごはんをごちそうになっていてはいけないのである!
「おかわりええの?」
「ください」
「ふわっふわの金髪ええなあ、菜の花みたい」
シャンプーされたあげく椿油を塗り込まれていてはいけないのである!
「ほな、おやすみ」
一緒のお布団で寝ていてはいけないのである!
「あっ、あかんあかん。そっち蚊取り線香ついとるから危ないよ。おばちゃんと場所、交代な」
毎朝隣のパン屋さんでクリームパンを選んではいけない。
朝顔を育てて日記をつけてはいけない。
一つの日傘に二人で入ってはいけない。
石から石へ跳んで川を渡ってはいけない。
半夏生の庭をぼんやり眺めていてはいけない。
青や赤や緑のゼリーが入ったスカッシュを頼ませてはいけない。
河川敷に等間隔で並んで水面を眺めていてはいけない。
たまごがたっぷり入ったサンドイッチをテイクアウトしてはいけない。
手を繋いで彼女の家に戻ってはいけない。
絶対に、絶対に天界に帰らなくてはいけない。
だから。
再びぽっかりと空いた結界の穴から落とされた爆弾から、この街を守ってはいけないのである。火の海から市民を救出なんかしてはいけないのである。
いけないのだが。
「お嬢ちゃん、もうやめて!」
「ううん。結界が開いたから久しぶりに天界の空気を浴びれて、今の私すっごい元気なの」
「そんなこと言うて、頭!血い出とるやん!それに、せっかくまた生えた羽根が折れてしまうで!もうええ、もうええから」
「お姉さん。私がここに来てから、ずっと伸ばしてた爪、切ったでしょ。私がしょっちゅう転ぶから、いつも手を繋いでくれたじゃない」
「ああ、ああ。せやな。お嬢ちゃん、えらい大きいなって。こんな大きい子、もうおばちゃんの家では暮らせへんわ。はよお家帰り」
「……ラッパが鳴った。『審判』が来る。嵐が起こるわ」
「嵐……?」
「私の力で、どれだけ食い止められるかはわからないけれど。でも、やってみる」
「あかん!今やったらまだ間に合うさかい」
「お姉さん。私、この街が好き。いつもどこかで綺麗な水のにおいがする、この街が大好き。......ありがとう」
「お嬢ちゃん」
「守らせて」
そして私はまた羽ばたいた。
見習いの天使一人が神の正当なる裁きに逆らって、何ができるというのか。何もできないどころか、何かできたとしてその後は決して天界に戻れやしない。
地獄の底に落とされるかもしれない。それでもいい。
この街が焼け落ちるさまをこの目に焼き付けながらのうのうと空の上に戻るよりは、ずっといい。取り戻したこのパワーで、再び穴を塞ぐんだ!
そう思って穴の真下まで飛んで来たはいいものの、風が強すぎてまともに目を開けていられない。白い羽根が一本ずつ抜けていく。
ごうごうと風の音がする。これが主の声か。
人の住む家屋を焼き払い、木々を吹き飛ばすこの音が、私の神様なのか。
何が裁きだ、審判だ。こんな災害に、私を慈しんでくれた街を壊させてなるものか。
そう決意しているのに、心は曲がるはずもないのに、前に進むことができない。羽根は半分以上抜けて、風の中で浮いていることすらできなくなって、もう落ちるしかないみたい。
それでも、こんな愚かでちっぽけな私がここにいる。裁くなら私一人にしてください。主を、師匠を、先輩を裏切った私を。そう思い、天に向かって手を伸ばす。
刹那、風が止まった。
轟音が響き渡り、地の果てのような震えを感じた。
急に身体が軽くなり、思わず下を見る。
山が動いている。比喩や誇張じゃなく、本当に動いているのだ。
「なに、これ……」
思ったままのことを口に出す。
「お嬢ちゃん!よう頑張ったな!」
豆粒みたいに見えるお姉さんの声がなぜだかはっきり聞こえる。
「そこは危ないで、降りておいで」
何が何だかわからないまま、空気の中を滑り落ちるようになんとか地上に降りると、お姉さんにぎゅっと抱き締められる。
「堪忍なあ。うちらだけでなんとかなるかと思っとったけど、お嬢ちゃんが時間を稼いでくれてへんかったら危なかったかもなあ。ひやひやしてかなんわあ」
「何とかって……」
ふと見渡すと、裁きの嵐が止んでいる。いや、相殺されている。
北、西、東。凶都盆地を囲む山々が蠢きながら、超次元砲を出しているのだ。
「これほどのエネルギー、誰がどうやってコントロールしているというの……!?」
「みんなで力を合わせとるんよ」
「へ?」
お姉さんが、人差し指を口許に当ててニチャアと口角を上げる。
「凶都人はみんな陰陽師やもん」
そんなあほな。
思わずお姉さんの喋り方が伝染りそうになる。
それからどうなったって?
わからない。というのも、すっかりパワーを使い切ってしまった私は、目を覚ます頃にはまた幼い少女の姿に戻っていたし、主の声を二度と聞くことはなかったのだ。
それに加えて、焼けた家や飛んだ木は毎日せかせか修理や掃除をされていくうちに、気付いたらほぼ元の街並みに戻っていったのだった。
だからあの日あったことは、本当のことだったのか夢だったのか。そもそも本当に私が天使だったのかとか結界なんかあったのかとか、そんなことすら今となってはわからないのだ。
変わったことと言ったら、毎日の終わりに夜が来るようになったこと。
お姉さんが言った通り、涼しくて気持ちいい風が吹くようになったこと。
そして私は今夜、お姉さんとお揃いの髪型で出かけるのだ。
「今日はえらいご機嫌さんやねえ」
「お姉さん、私りんご飴食べたい」
「ふふ、ええよ」
一つ確かに覚えているのは、お姉さんが私にした約束。
そしてそれを守ってくれたこと。
今日も手を繋いでくれること。
それで十分なのだ。




