願いが叶いますように
夕食は旦那の下手な手料理だった。味噌汁と御飯と卵焼きだけだ。初めて包丁やフライパンを握ったのだろう。俺と同じで……。
独身時代は会社の独身寮で過ごしていたから、俺はまったく料理ができない。今になってはそれが恥ずかしく思う……。
「え? 軽い記憶障害だって」
「うん」
小さなテーブルで俺と食べる食事にも、少しずつ慣れてきた。
「病院でそう診断されたのか」
「……うん」
嘘だ。病院なんて行っていない。
「嘘だろ。病院なんて行ってないだろ。行ったのなら薬代とかの領収書を見せて見ろよ」
……ちっ。そういうところだけしっかりしているのは俺と同じだな。嘘をついているのが分かったとしても、徹底的に追及してくる。
ハッキリ言って……ウザい。
「まあ、何にせよ一息入れて無理するな。軽い記憶障害だと思うのなら思っていればいいさ」
「……うん」
優しいと感じた。お互い素直になれば、俺もこんなに優しくできるのか……。
「そろそろ子供も考えないといけないからな」
「子供――」
子供って――ひょっとして俺が子供を産まないといけないのか? ガクガク震えて嫌な汗が顎を伝う。
――男には我慢できない痛みだと聞いた事がある――。
転生前は男だったんですが、その痛さには耐えられるんですか――。
戻りたい。戻りたいけど戻れない。こんなの転生なんかじゃない――試練だ~!
転生は、人生の試練だ――。
旦那が食器の洗い物をしてくれている。――これは……二人の夜の合図だ!
「いいわよ、わたしがやっておくから先に――寝て」
頼むから寝てくれ――寝ろ!
「いいって、いいって。それよりも……」
――そこから先は言わないでえ――!
要領がよ過ぎるぞお前! っていうか、俺!
おかしいと思ったんだ。急に優しくなりやがって、結局のところは体を求めてくるだけなんて――! カスだカス! まるでダメな男の日本代表だ!
やっぱり俺は俺なんだ。完全に自己都合主義――自分ファースト! 人の気持ちなんて、なにも考えてもいない……。後ろから突然のハグで感動してしまったバカな俺! 俺に騙された俺! まさにオレオレ詐欺!
……それで……断ると急に不機嫌全開になるのが……詐欺の手口だ。俺が俺の時、そうであったように……。
ため息がでてしまう。自業自得の極みだ……。
明かりを暗くして、俺が一人待つベッドへと向かった。まるで初夜を迎える令嬢の気分だぞ……。
――うおっ! なんなんだこの感覚は――!
そして……満足に達することなく、野球の「送りバンド失敗コールド負け」のような……幕切れ……。はやっ!
……なぜ、なみ子はこんな男と結婚したのだろうか……。他にいい男はいなかったのだろうかと……気の毒になってしまう……。
俺には……なみ子を喜ばせてあげられる術がない……。
いつの間にか、隣で眠る俺の顔が……なみ子の顔に見えてきた……。夢なのだろうか。目をこすってみても……なみ子の顔のままだ。見ていて和む、なみ子の顔……。
――! 隣で、なみ子が眠っているってことは――慌てて自分の手の平を見ると、眠る前とは大きさが一回り違う――大きい!
なみ子は……スースーと寝息を立てていた。 ひょっとして……戻ったのか? ――なみ子が戻ってきてくれたのか!
「なみ子、なみ子!」
肩を少し強めに揺すった。
「……なによ」
眠たげな目をこすりながら――答えてくれた。
「よ、よかった――」
裸のまま眠るなみ子を――思わずギュッと抱きしめた。この抱き心地……正真正銘なみ子だ――!
さっきまで俺だったなみ子だ!
「どうしたのよ、……もう寝かせてよ」
「あ、ああ。ごめん」
よかった……。本当によかった……。
暗い天井をぼんやり見つめていた。オレンジ色の豆電球が優しい光を発している。
「……なあ、やっぱ、もう一回……って、無理かなあ」
本当に自分に戻っているのか……試してみたいのだが、その発想自体が……その証拠なのかもしれない。
「明日も早いんだから勘弁してよ……」
背中を向けられてしまった。ああ……何も変わっていないんだなあ……俺もなみ子も。それなのに涙が溢れてしまい……思わず鼻をすすった。
その音に気付いたのだろうか、こちらを向いてくれた。
「わたしがいない間、よく頑張ってたね。ちょっとは主婦の苦労も分かった?」
――。
「――いったいどこで! どこで見ていたんだよ」
部屋にはカメラやドライブレコーダーは設置されていない。この一週間のうちに、部屋の隅々まで十回は探した――。天井裏も盗聴器が設置されていないか……十回は確認した~!
「どこでって、この目でよ。あなたが見ていたことや話したこと……全部見えて聞こえていたわ。だって、わたしの体だもん」
――! もんって……。
「……い、いったいどうやって」
「さあね。分からないわ。それが『放置プレイ』……ってやつなんでしょ? あなたの好きな」
ゴクリと唾を飲む。転生ものは好きだが、放置プレイが好きだなんて一言も言った覚えはない。それに、もう「転生」ってキーワードも――聞きたくない!
鏡越しではなく久しぶりに見るなみ子の笑顔は……見ていて安らいだ。
一月後、妊娠検査薬が陽性反応を示した。待望の第一子を授かったのだ。
嘘か本当か、隣の田中夫妻も子供を授かったらしい。
あの日、雪の中お祈りした御利益なのだろう……たぶん。
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この物語はフィクションです。処女湖は実際にありますが、それにまつわるエピソードはフィクションです。