からあげ!
幼い頃、母が死んだ時の事を覚えている。
病院のベットの上で、母は最期まで笑顔だった。苦しい顔など一つも見せない物だから、僕はすぐに家に帰ってくる、そう思っていた。
暑い夏の日。いつものように母の病院を訪れた僕と父の元に、一人の看護師が駆け寄ってきた。
その時点で父はもう分かっていたのだろう。僕の手を強く握りしめ、看護師の言葉に深く頷き
「大和……少しだけ……ここで待っててくれるか」
そう言い残して、父だけ母の病室へと入っていった。
数分後、病室から出てきた父は僕を招き入れ、母の隣へと座らせた。
母はいつもと変わらない笑顔。でも僕は分かってしまった。もう、母とは会えなくなると。
「大和……」
母はそっと僕の頭を撫で、それで満足したかのように……本当に眠るように息を引き取った。
母が死んだ時の事を覚えている。
病院のベットの上で、最期まで笑顔だった母の事を……。
※
と、言う夢を見た。
一体なんなんだろうと悩んでみてもいいが、夢など意味の無い物が大半だ。
一説によると記憶の整理をしているという話だが、今の夢に出てきた『母親』という人物に心当たりは無い。どっかで見たような顔はしていたが。
「母親……」
ちなみに俺の母親はピンピンしている。今俺は大学に近いアパートで暮らしているが、休日は特にやる事もないので実家に帰っている。その時に母親の様子もついでに伺ってくるが、新しい家族である大和君と京志郎さんにゾッコン中だ。もしかしたら新しい妹か弟が出来るのでは、と俺は密かに期待してみたりする。
「っていうか暑い……」
窓の外からはセミの大合唱。これぞ夏、と言いたい所だが俺にとってはウザい事この上ない。このアパートは壁が薄いのか、まるで外で寝ているかの如くセミのコンサートへ強制的に参加させられるのだ。参加、という言い方は違うか。それでは俺もミンミン鳴かなければならない事になる。さて、何やら本文が前話からかなりスタイル違う、と言われそうだが、作者はいたって影響を受けやすい性格をしている為に許して欲しい。最近作者がハマっているのは某推理小説だ。まあ、その内いつものスタイルに変わるだろう。
「っていうかエアコン着けたはず……何故にここまで暑いのだ……」
リモコンを掲げて運転ボタンを連打。だがうんともすんとも言わない。もしかしてリモコンの電池切れだろうかと思うが、その小さな液晶画面にはちゃんとバッテリー残量が表示されている。まさかとは思うが、エアコン自体が天寿全うされたのだろうか。まずい、それはまずい。今はまだ七月だ。夏はこれからだ。クソ暑い季節はまだまだ続くのだ。
「マジか……」
試しに本体のスイッチも背伸びして押してみるが、やはりエアコンは何も答えてくれない。マジでぶち壊れたようだ。修理しようにも俺には電子機器の知識など皆無だ。なにせこのご時世にパソコンすら持っていない。本来ならば業者に頼むべきだが、俺の経済状況は芳しくない。二、三万なら軽く持っていかれるだろう。いや、まだ聞いてもいないので分からないが。
「とりあえず大家さんに相談してみるか……ついでに涼みに行こう」
このアパートの大家さんは隣の家に住んでいる。見た目小学生だが、歴としたアラフィフだ。つまりは五十代。是非若さの秘訣を聞きたい物だ。だが決して聞いては行けないと、アパートの住人が言っていたような気がする。隣で夜中にガサゴソやってる女子大生が。
とりあえず軽くシャワーを浴び、コンビニで可愛い店員さんに出会ってもいいような恰好に着替える。別にコンビニに行く予定は無い。心構えの問題だ。まさかトランクスにTシャツで大家さんの家に行くわけにもいかないし。
「……ん? 着信……」
なにやら携帯が着信を知らせるLEDを光らせていた。誰だ、夜中の二時にかけてくる奴は……って、大和君ではないか! 一体どうしたと言うのだ、何かあったのか?!
急いで大和君へとTEL。数コール後、眠たそうな声で『モスモス……』と聞こえてきた。
「おはよう、大和君。昨日夜中に電話くれたみたいだけど……何かあった?」
『あぁ……お兄様……実は、夜中にトイレに起きたらカエルが……家の中に入ってきてて……』
蛙? 蛙とはあの蛙か。
『その蛙でござる……。拙者、蛙は大の苦手でござるよ。だからお兄様に夜分失礼かとも思いましたが、電話をかけたでござる……』
いや、そのタイミングで電話を掛けられても困るんだが。
電話先からでは蛙を追い払う事など出来んし。
『そんな事ないでござる……お兄様は……出来る男で……』
「……大和君?」
『……んぅ……もぅ食べれないでござるよ……ニンニン……』
どうやら二度寝してしまったようだ。電話をしながら……なんて器用な子だ。というかニンニンって……。
「まあ……大したことじゃ無くてよかった。結局蛙どうしたのか気になるが……」
そういえば母親も爬虫類はダメだったな。しかし京志郎さんなら問題ないだろう。何せ釣りが趣味なのだ。釣り餌に名前は知らんが変な虫を仕掛けたりするくらいだし……蛙の一匹や百匹問題無い筈だ。
※
そんなこんなで大家さんの家の前へと。インターホンを押し返事を待っていると、パタパタと玄関口へ走り寄ってくる足音が。そのままいきなり引き戸を開け、俺の顔を見上げて確認すると、明るい声で
「ぁ、祥吾くぅーん、おはようー。どうしたの朝っぱらから。朝ご飯食べてく?」
「おはようございます。朝ご飯……の前にちょっとお尋ねしたい事がありまして……」
何々ー? と可愛く首を傾げる五十代の小学生並大家さん。なんだろう、この人……本当に人間なんだろうか。見れば見る程に小学生にしか見えん。もしかして、俺はこのアパートに入居した時からドッキリ大作戦に巻き込まれているのでは……。
「えっと、実はエアコンが天寿全うされて……修理とかどうしたものかと……」
「あぁー、ごめんねー、それなら私が手配しとくから」
「あざっす。それで修理代とかは……」
「あぁ、そんなの私が出すに決まってるじゃない。自分のアパートなんだから」
えっ、そうなの? そういうもんなの?!
なんか俺の使い方が荒くて壊れた感もしないでもないが、エアコンの修理費って大家さん全額負担なん?
【注意:最初から設備として登録してある場合は大家さん……です、タブン】
なんか頼りない作者の注意書きが来た。
まあ大家さんが出してくれるって言うんだから……まあ、いいか。
「ふむぅ、何か壊した心当たりでもあるのかなー?」
ギクゥ! と俺の背筋に走る不可思議な寒気。大家さんの可愛い視線が痛い! 特に心当たりは無いが、そういえばエアコンのフィルターを掃除した記憶など一切ない。最近暑かったし、部屋に居る時は常につけっぱなしだったような気もしないでもない。
「ワ、ワカリマセン……」
「まあいいわ。とりあえず大家特権を行使するから朝ご飯食べていきなさいな」
大家特権なる絶大な権力を振りかざされては俺に逆らうことなど出来ない。ここは大人しく朝ご飯を食べさせてもらおう。お腹すいたし。
「一人で食べる朝ご飯程寂しい物は無いものねー」
「そ、ソウッスネ……」
家の中に入り、リビングへと進むと既にそこには朝ご飯の支度が整っていた。白飯に味噌汁、昨晩の残りなのか、大量の唐揚げ。それにポテトサラダ。ちなみに大家さんは未亡人。今のアパートは元々前の旦那の物らしい。
「はい、ご飯お代わりあるからねー」
「い、いただきます」
大家さんから白飯と味噌汁を受け取る俺。っていうかこの茶碗……なんか随分可愛らしいな。大家さん子供が居たのか? いや、大家さんが子供か?
「沢山食べてねー、唐揚げ……昨日張り切って作り過ぎちゃって……」
「ぁ、俺唐揚げ大好きッス……」
一つ取り、ご飯の上に乗せつつカブリと一口。
むむっ、中々に美味しい。外はカリっと中はモフモフ。ジューシーな肉汁も口の中に広がる。
まるで今揚げたかのような美味しさだ!
「美味しい?」
「滅茶苦茶美味しいッス。大家さん、定食屋とかでもやっていけそうッスヨ」
「あぁ、無理無理。私根気ないからすぐに飽きちゃうわー」
ふむぅ。
しかしこの唐揚げは絶品ですぞ。これなら何個でも行けそうだ。
「別に全部食べちゃってもいいからねー? 持ち帰ってもいいし。というか私じゃ食べれないから処理してね」
うぅ、全部は流石に多いでござる。
しかも今朝だし……いくら若いといっても……
「エアコンの修理代……諭吉何人飛んでいくかしら」
「喜んで食べさせて頂きます! 唐揚げ大好き!」
※
半ば脅され、唐揚げを十個以上朝から食した俺。
しかもお土産としても貰ってしまった。今俺の持つタッパーには、計ニ十個以上の唐揚げが詰め込まれている。あとついでにポテトサラダも。
そんな俺は今、実家に大家さんから押し付けられ……いや、頂いた唐揚げをお裾分けに来ていた。京志郎さんと大和君は大喜び。母親は自分が作る唐揚げよりも美味しいと不満そうだ。
「お兄様は食べないのか? 美味しいでござる」
「あぁ、俺はもうたらふく頂いたから……」
正直唐揚げ十個以上食べれば、もう数か月は肉系料理は見たくない程だ。
まあ、美味しいは美味しかったのだが。
「ところで祥吾よ。お前に言い伝えねばならぬことがある」
ちなみに、この如何にも大和君に影響されたであろう喋り方をするのは、何を隠そう俺の母親である。ちなみに名前は桃子。
「なんだ、我が母よ。事と次第によっては聞いてやらんでもない」
「黙って聞け。大和君のお母様のお墓参りに行こうと計画しているのだが、お前も勿論いくよな?」
あぁ、大和君のお母様の……。まあそりゃ……行くなら行くが。
「よかろう。お盆は空けておけ。あともう大家さんのご飯は持ってくるな。我の立場を危うくさせるつもりか」
「その喋り方を止めてくれたら考えてやらんでもない。というか影響されすぎだろ、我が母よ」
まあ、俺も作者も人の事を言えんのだが。
母は分かってくれたのか、一度咳払いしつつ、元の口調で……
「了解だクマ。私はこれからこの口調でいくクマ」
「一体それは何のご冗談ですか、お母様。唐揚げ鼻に詰めるぞ」