第四話『燐光ホログラム』
またこの場所だ。
何も無い、鏡のような虚ろの世界。
境界が曖昧で無限に広がった現実ではない世界。
驚きはしなかったものの、不思議に思いながら歩き始めた。
足音は無いが、1歩また1歩と歩いた場所に波紋が広がっていく。
以前、導いてくれたトンボはいない。俺はあてのないまま、ひたすら歩き続けた。
また“彼女”に逢うために。
しかし、歩けど歩けど彼女の姿は見当たらず、変わらない光景が延々とループした。
あの草花と女神のような少女は幻だったのではないか。この世界にはあまりに不釣り合いで不自然だ。自明的で効率的で合理的で、無機物のような俺にこそお似合いの世界だ。そう。どこまでも自然で超然的な彼女とは決して交わることはない。いや、交わってはいけない世界なのだ。
彼女の世界に干渉する権利など俺には無い。
この虚ろの世界は、そのことを思い知らせるための世界なのかもしれない。
そう。ここは俺の場所ではないと。俺の中の“潜在的な俺”がそう告げているのだ。
ここから立ち去ろう。俺がいるべき日常はここではないのだー
「そんなことないよ」
虚ろの世界に女神の福音が響き渡った
「みのり・・・?」
「キミは、ここにいていいんだよ」
俺は彼女の声を必死で追いかけた。どこから聞こえているかも分からない声を、俺は一心不乱で探し続けた。
何も無い世界を。この無機質で退屈な世界を。
俺はただ走り続けた
「ぉら・・・・きろ・・・・・・起きろっつうの!」
「ぶふぉあッ!」
急に腹にかかった重みに思わずはね起きた。
「やっと起きたかロリコンもやし」
「うっせえ・・・ったく最悪の目覚めだ」
夢のいいところで、しかもみのりなら良かったものの、よりによってこのオオカミ娘に腹にまたがられて起こされるなんて最悪以外の何物でもない。
「おらッみのりが朝メシ用意してっぞ」
「ああ」
何とか寝起きの身体を起こして寝室を出た。
「いただきます」
「召し上がれ!」
今日も華やかな野菜たちが食卓を彩っていた。
「肉が喰いてえぞ」
「野菜だけでごめんね」
お前が言うとシャレにならないから辞めてくれ。
「いいじゃないか野菜と果物。必須栄養素と食物繊維さえ足りてればタンパク質など必要ない」
「ケッ!栄養があるとか無いとかじゃねえ、単純に野菜に飽きてんだよ」
なんと贅沢なやつだ。これだけの種類豊富な野菜と果物がありながら、他のものが食べたいとは。まあオオカミは肉食動物であるから仕方ないかもしれないが。
「私の野菜・・・美味しくないかな」
オオカミ娘のわがままを察して、みのりは気を遣った。
「な、んなこと言ってねえだろ!みのりは悪くねえよ。ただ、あたしは野菜以外のものが食いたかっただけだ。悪いのは野菜と果物と魚しか無い、この島なんだからよ」
必死にフォローするオオカミ娘にみのりは潤んだ瞳で問いかけた。
「ホントに?」
「ほんとだほんと」
オオカミ娘はみのりの瞳から目を逸らして生返事をした。
「ったく、贅沢言ってないでみのりの採った野菜を食え」
「ケッ!」
なんだかんだ野菜をムシャムシャと食べ始めた。
朝食を終え休んでいると、片付けを終えたみのりが駆け寄ってきた。
「今日はビワを採りにいこう!」
「俺がこの島に来た(不時着した)時に最初に入った森のところか」
「そう!もうそろそろ、ビワの季節が終わっちゃうから採りにいくの!」
ビワ・・・これまた未知の果物。俺の探究心はまだまだ冷めやまない。
俺は腰を上げた。
「よし、じゃあ行くか」
「うん!」
みのりはいつもの麦わら帽子を深く被り、眩しい笑顔で返事した。
「あれ、くーちゃんは?」
俺らが立ち上がってもピクリともしないオオカミ娘に、みのりが問いかける。
「留守番してっから2人で行ってこい」
畳に横になってそう言った。
「うん。お家で待っててね!」
オオカミ娘は曖昧な返事をして、俺らは家を出た。
家の前の坂と雑木林を抜け、住宅地に出る。最初に来た時に通った道を遡っていく。
来た時と同じ道であるが、逆からみた景色は全く違う景色だった。来た時に見えなかったものが見える。聞こえなかった音が聞こえる。感じなかった風を感じるー
来た時とはまるで違う世界にいる感覚がした。来た頃は全てが未知で、全てが新鮮だった。だが、今はこの日常に融けはじめている。俺の日常になりつつある。それが堪らなく不安だった。俺のいていい世界ではないのに。ここはみのりやオオカミ娘、そして自然の生命たちしかいてはいけない世界なのに・・・
俺がここにいる不自然が、俺の存在理由を淘汰する。
あの虚ろの世界は決して夢などではない。紛れもない俺の潜在意識なんだ。
俺自身がもう気づいている。
『ここにいるべきではない』
と。
全てが整然として、無駄は一切ない合理的な世界。技術は突出して高く、不可能という概念が消えた世界。しかし空っぽな世界。
そここそが、俺のいるべき世界だ。
このまま、ビワの森を抜け、白い砂浜に墜ちた鉄クズに乗り、もといた世界に帰ってしまいたい。もしかしたら転送機は新品同然に修理されていて、今すぐにでも発進出来るかもしれない。そう、追放されるように都合良く・・・
どんどんと地球の重力に沈んでいくような気がした。島に木霊するセミの合唱も、森から吹きすさぶ木々のざわめきも、島を囲う広大な海の波の音も、全てが俺を拒絶する声にしか聞こえなかった。次第に身体から精神を切り離していく。俺は自らの内にふさぎ込んでいった。
しかし、そんな負の連鎖は少女の声で砕け散る。
「あなたが来て一週間くらい経つね」
歩きながら落ち着いた表情で話しかけてきた。殻に閉じ篭っていた俺は、何とか我に返り答えた。
「ああ、もう一週間経ったのか。早いもんだな」
普通の返答が出来たことに安心した。今の俺は全てが不安定になっていたのだ。
「あなたってば、色々なものに興味津々ですごく熱心で」
「ん、まあ、オオカミ娘との勝負はプライドがあったからな。つい白熱してしまった」
「ふふっ、それだけじゃないよ。果物を食べるときもそう。初めての味に驚いて喜んで。」
思い出して微笑むみのり。恥ずかしくなり、つい言い訳をしてしまう。
「舌というのは、未知の味覚を感じると敏感に反応して、脳に刺激的な信号を・・・」
「もう、恥ずかしがり屋さんだなぁ」
えへへと笑うみのりを見て痛感した。この娘には一生勝てない。この娘の微笑み一つで俺は即効ノックダウンだ。
一呼吸置いて、また話し出した。
「あなたにね、果物を食べてもらうのが私の一番の楽しみなんだ。嬉しそうに幸せそうに食べてるキミを見てると、私まで幸せになるんだ」
急にしんみりとするみのり。まさか俺のネガティブな感情を察したのか?彼女の優しさに胸が苦しくなった。愛おしい気持ちでいっぱいになる。俺の心の支柱になっていた。
彼女は俺の目をじっと見つめる。何度目かのこの現象。俺の視線は彼女の綺麗で透き通った眼に縛られる。そして彼女は息を小さく吸って言う。
「ここに来てくれてありがとう」
と。
俺は目から溢れそうになる水分タンパク質を堪えるのに必死だった。
俺“の”いるべき世界ではない。俺“が”いるべき世界。そう言ってくれた可憐で純粋な少女。
夏の暑さに身を焦がし、未熟な感情に心を焦がし、
みのりの、いや、彼女達の世界に焦がれていた。
俺はこの娘の世界の一部になりたい。この時から強くそう想うようになった。
「手、つなご」
急な提案に俺は驚いた。みのりが細くて滑らかな手を俺の手に近づける。彼女の身体に触れることに対して、いまだに自粛してしまう。俺が触れていい存在なのか?余りにも崇高で高潔な彼女に。
「もう、じれったいなぁ」
みのりはシビレを切らし、俺の手を握ってくる。心臓が破裂するほど跳ねたが、何とか彼女の手を握り返した。もう手汗が滝のように滴る。余計にみのりの手から離したくなった。みのりの顔を見てみると、ほとんど麦わら帽子に隠れていたが、頬は影がかかっていても分かるほど紅潮していた。
しばらく無言のまま手を繋ぎ、ミチの真ん中を2人で歩いた。
森に着くと、流石に恥ずかしくなったのかみのりは自然と手を離し、いつもの雰囲気に戻った。
「ん〜とうちゃーく!」
最初に入った森の入り口に着いた。来た時と何ら変わっていないようだ。
「何だか懐かしいな」
「うん!さあ、ビワさんたちはもう少し先だよ!」
みのりは軽やかな足取りで森の中を進んでいく。俺は和やかな気持ちで彼女の後をついて行った。
来た時とは違う。“確かな繋がり”が今はある。見慣れた彼女の背中を見て俺は思った。
五分と歩かない内に森が開けてくる。歩いている先に少しずつ、木々に生えた橙色の果実達が姿を見せる。
木々の根元まで近づくと、両手をいっぱい広げてみのりが言った。
「これがビワだよ!」
燦々と照る太陽に向かって、ビワの実達は精一杯実っている。
俺とみのりは手分けしてビワの実を収穫した。
実は鮮やかに熟れていて、ひとつひとつに重みを感じた。
みのりはビワをもぎ取る度に語りかける。
「おまたせ」
と。
その姿はもう見慣れてはいたが、いつ見ても神々しく、見とれてしまう。
俺も微かな祈りを添えつつ、ビワを丁寧に収穫していった。
「いっぱいとれたね」
カゴの中は、収穫したビワでいっぱいになっていた。
「さあ、持って帰ろう」
「うん!」
目的を果たし、俺たちは来た道を辿った。
その道中。俺は妙な“気配”を感じた。今までにない。陽炎の中にくっきりと浮かび上がるような異質な存在。明瞭なようで不明瞭な存在。
もはや現実の存在ではないような感覚。俺は辺りを見渡したが、そのような存在は見当たらない。気になりつつも、今はビワを持って帰ることに集中した。
「ただいま〜」
そのまま何事も無く家に着いた。やはりあの気配は気のせいだったのか・・・
謎は残るが、これも地球の未知なのだろうと、無理矢理こじつけて自己完結した。
それよりも今は早くビワを食してみたい。あれだけ生命力を感じた果物だ。
今まで以上の期待が膨らむ。
みのりはビワを適当な個数持っていき、サッと洗って食卓の上に出した。
「さあ食べて食べて」
「それじゃあ一つ」
俺はビワを一つ手に取り、じっくりと観察した。
「まず、皮をむくんだよ」
「ああ、そうなのか」
道理で硬いと思った。このままかじっていいものかと迷っていた。
丁寧に皮を剥いていくと、皮よりも一段階明るい橙色をした瑞々しい実が露わになった。
その実をかじろうとした時、
「あっ待って!」
とみのりが牽制した。
「ど、どうした」
「ビワの真ん中には大きな種があるから気をつけてね」
どうやらサクランボの件がフラッシュバックしたのだろう。今度はちゃんと口に入れる前に注意してくれた。俺の白きハイドロキシアパタイトが粉砕される心配はないようだ。
「それじゃあ気を取り直して」
ビワの実にかぶりついた。
その瞬間、口の中に上品な甘味と香りが広がった。言われた通り種を噛まないように気を付け、周りの実を少しも残さないように食べる。その味の虜になり、2個目の皮を先程よりも雑に剥き、かぶりついた。
絶妙な甘さが後を引く。テーブルの上にあったビワはあっという間に無くなった。
「おいしかった?」
「ああ、かなり」
「気に入ってもらえてよかったぁ」
両手を口の前で合わせて微笑むみのり。
夏の陽だまりが、家の中を照らした。
「そういえば、あいつはどこだ?」
「ん?あ、くーちゃんのこと?」
そう。家を出る前は居間で寝ていたはずのオオカミ娘の姿が見当たらない。
「たぶん裏の森に行ったんじゃないかな?木の実やお魚さんをとりに」
確かにオオカミ娘は食料を提供していると言っていた。
「あのホコラのあった森にカワが流れているのか?」
「うんそうだよ!見に行きたい?」
俺の心を見透かしたように提案する。
「まあ、気になりはするが」
この島に来て“海”というのは見飽きるほど見てきたが、“カワ”というのはいまだに見たことがない。海の源流となるカワというものを是非見てみたい。
「案内してあげようか?」
「いや、それは悪い。今日の収穫はまだだろ?みのりは果物を収穫していてくれ」
「うーん、あなたがそう言うならそうするよ」
少ししょんぼりとして仕方なく受け入れるみのり。
「行き方を教えてくれれば1人でも行ける。いつまでも頼りっぱなしは悪いもんな」
この島の環境は大体把握してきた。そろそろ1人でも探索出来る頃合いだろう。
「えへへっそうだね。それじゃあ1人でも行けるかテストします」
得意げな顔で先生ぶる。
「それで場所は・・・」
先日、みのりとオオカミ娘と3人で行った神社の前の分かれ道に辿り着いた。
『ホコラへの分かれ道とは逆の方にまっすぐ行けばすぐに川に行けるよ』
確かホコラへの道は・・・
「右だったな」
ということは、その逆の左へ行けばカワの流れる場所へ辿り着ける。
なんだ、テストとは言っていたがとんだ拍子抜けだったな。
「まあ、こんなの誰でも出来るよな」
ふと冷静に考えバカバカしくなったが、みのりが絞り出したアイデアだと思えば微笑ましくも思える。あの少女が紡ぐ言の葉ひとつひとつが、拙くも愛らしい、そんな不思議な呪文のように感じてくる。俺を人間的に本能的に、そして理性的に堕落させるためのそんな小悪魔的呪文。
「まあ、それでも悪くはないか。」
俺は左の道へ進み始めた
ーその時
「チリン・・・」
「・・・チリリン」
「ん?」
ホコラのある右の道から、微かに鈴の音が聞こえる。
「チリン・・・チリン」
小さいが確かに鈴の音が鳴っている。俺は分岐点まで引き返し、カワとは逆の道の前に立つ。緩やかなカーブを描く道の奥。遠目に微かな光のもやの様なものが見える。
「チリン・・・」
鈴の音の出どころはどうやらその光源からのようだ。
「・・・マボロシか?」
立ちすくんだまま幻想的な光のもやを見ていると、その光はゆっくりとホコラの方向へ進んでいく。
「・・・!待て!」
俺は思わずその光を追いかけた。
森の木々が竹に変わっていく。ホコラはもうすぐだ。走り続け、神社のホコラの前へ到着した。だが、先ほどの光は見当たらない。まるで蒸発したように、夢幻だったかのように消えてしまった。
「夢・・・だったのか・・・?」
連日の陽光に、いよいよ熱中症を発症してしまったのだろう。でなければあのようなオカルト的存在が見えるはずがない。
そうだあれはマボロシだ。
そう思い、振り返り戻ろうとしたその時ー
「チリン」
ホコラのある背後から、確かにすぐそこで鳴っている鈴の音がはっきりと聞こえた。
少しばかりの戦慄を感じながら、俺は思い切ってまた後ろへ振り向く。
するとホコラの祭壇に、
燐光を纏ったキツネがこちらを見つめていた。
「なっ」
「チリンチリン」
絶句している俺を気にもせず、キツネは祭壇から降り、ゆっくりと浮かび上がる。
その時みのりたちが言っていたことを思い出した。この神社には“イナリ様”がいると。
あまりのことに動けずにいると、どこからか男性の声が聞こえてきた。
「フフフ、そんなに固まらずとも、余は汝を喰らったりはせぬ」
俺は辺りを見渡した。どこから発せられたのか。薄々気づいてはいたがそれでも声の元を探る。
「もう解っているのであろう?」
にわかに信じ難いが、確かにその声はキツネから発せられている。
するとキツネは淡く強い光を帯び、その容姿を変えていく
「・・・・・・!」
先ほどのキツネは、しっかりとした“人”の形へと変貌した。
「うむ、此岸の体はどうも動かしにくい」
軽く関節を回しながら身体への不満を漏らす。
「何なんだアンタは・・・!」
「おっと、申し遅れた」
俺の存在を思い出したかのような表情をして、丁寧に自己紹介する。
「余はこの社の護り神、此方では〝稲荷様〟と敬称されている」
やはりみのりたちの言っていたイナリ様のようだ。
髪はキツネの毛色の様なくすんだ黄色で、頭には縦に長い耳が生えている。
衣装は古風な白い装束を身にまとっていて、耳が生えている以外人間そっくりの容姿をしている。
俺は警戒を解かずに身構える。
「全く、用心深きものだ。月の民というのは」
「月のことを知っているのか!?」
思わず驚きを露にする。
「無論、あの娘の父を知っているからな。この島の経緯も。」
「ということはみのりがここにいる理由も・・・」
「嗚呼、もちろん知っているとも」
どうやらこの化け狐は、この島で起きたこと、この世界で起きたことも全て分かっているらしい。
俺は警戒を解き、その護り神に問いかける
「あの娘は、みのりは今も幸せなのか?」
イナリ様はしばし黙った後、また先ほどの物言いで話し出す。
「嗚呼、今の彼女は確かに幸せだと言えるであろう。汝がこの島に来てからは特に」
ほんの少し安堵すると、イナリ様は続けて話し出す。
「汝、何を望む?」
「え?」
突然の問いかけに狼狽える。何を望むか?そんなの決まっているではないか。
「俺は、みのりとー」
一緒にいたい。
だがその一言が声帯を震わせない。
俺はまた葛藤していた。果たして俺にそれを言う資格があるのかと。
結局口に出せないまま言葉を飲み込む。それを察したイナリ様は穏やかな物腰で話し出す。
「そうか。汝は見つけたのだね。心の在り処を」
「心の在り処・・・」
「己が愚かさを揶揄し、己の望みをも銷魂す。
汝は何とも不器用な男だ。」
彼の言う通り、俺は何とも不憫な奴だとつくづく思う。こればかりは何も言えない。
「だがな人の子よ」
真剣な雰囲気を漂わせ、俺の心を惹き付ける。
「人はみな自然に生まれ、自然に還る。それは何人たりとも変わらぬこと。例え、人が自然を忘れ、それに叛することをしようとも。自然は人を憎んだりはしない。」
正に俺が苦悩していたことを答えてくれた。しかしそれでも、俺は踏み出すことが出来ない。俺の“理性”が俺自身をまだ認めていない。
「それでも尚、葛藤するというのなら、」
イナリ様は俺の顔を見てにこりと微笑むと、
「あの娘の言う事を信じてあげればいい」
と当たり前のことを言った。
「それはどういうー」
「時が経てば分かる。」
地べたから伸びる竹を見上げながら続けて話し出す。
「理屈や謂われではない。己の心、“魂”が有りたいと願う場所へ、正直に導いてやればいい。幻想や理想で構わない。そこに魂があるのなら」
イナリ様は小難しいことを言い、また光を纏う。
そしてたちまちキツネの姿へと戻り、ホコラの前へ鎮座する。
「忘れるな母なる大地の愛子よ」
「己の信じるものを」
「チリン・・・」
そう言って鈴の音の余韻を残し、彼は夏の淀みに消えていった。
停止していた世界が動き始めたかのように、風の音や蝉の声が島中に響き渡る。
正に夢を見ていたかのような感覚。でも確かに俺の記憶ははっきりとしている。だがそんなことはどうでもいい。今起きたことが、俺の在り方を教えてくれた。それを憶えているなら夢でも構わない。
有りたいと願う場所へ行こう。
俺はホコラを後にし、川のある道へ進んでいった。
「バシャッ!ピチピチ」
川の流れる辺まで来ると、オオカミ娘が魚を獲っている真っ最中だった。
俺は初めてみるその姿に圧倒されつつ、いつもの平然を装い彼女に近づく。
「何が獲れたんだ?」
「あ?ああ、お前かロリコン」
もうロリコンと言われ慣れてしまった自分が不甲斐ない
「コイツはアユだ。焼いたらうまいぞ」
はっきりと笑いはしないが、でも確かに嬉しそうな顔をしていた。
「なあ、くーちゃん」
「ああ!?その名前で呼ぶなって何度言わせ・・・・・・ったくなんだよ」
「俺はここにいていいのか?」
急な問いかけにオオカミ娘は珍しく固まるが、はあっとため息をつくといつもの調子でこう言う。
「そんなもん、いいとかダメとかじゃあねえだろ」
「え?」
「お前はいまここにいる。いるならそれでいいじゃねえか」
オオカミ娘は、目を合わせはしなかったが、俺のことを認めてくれたようだった。
それは試験など関係なく、本当の俺自身を認めてくれた気がした。
「くーちゃん・・・!」
「だーッ!もうその名前はやめろっつってんだろ!!それに近づくな変態!ロリコン!貧乳フェチ!」
もう罵倒など俺には響かなかった。この傍若無人なオオカミ娘に少しでも認めてくれたことがものすごく嬉しかった。
そんないざこざがありながらも、魚を獲り終えみのりの待つ家へ帰った。
「ただいま」
「おかえり!」
とてとてと居間の方から走ってくるみのり。
「今日は何がとれたの?」
どうやら収獲物がすごく気になっているようだ。
「今日はアユが獲れたからテキトーに焼いてくれ」
「やったあ!じゃあ気合いいれて作るね!」
華奢な腕で、力こぶを作るような形で意気込みを見せるみのり。あまりに愛らしかったので思わず頭を撫でてしまった。
「今日もうまいご飯、よろしくな」
「う、うん。まかせて・・・」
急に撫でられたのが恥ずかしかったのか、俯いて顔を赤らめるみのり
「あっ!てめえ!みのりに手え出しやがって!今度こそ叩きのめしてやる!」
「んだと!?」
「・・・・・・・・・//////」
今日も、島の1軒だけが賑やかになりそうだ。
島に夕日の紅がかかり、次第に暗くなっていく。
丘の方の森はもう真っ暗で、一つの黒い塊のように広がる。
そこに1粒の白い光。
光はゆらゆらと揺れ森の上空を漂う。
そして森の入口に建つ家の前で滞空する。
「「チリリン・・・」
微かな鈴の音とともに、光はゆっくりと消えていったー
第四話『燐光ホログラム』ー完