第一話『光風霽月な世界へようこそ』
白い。
ただ白い。
もう瞼が開けられないくらい眩しい白だった。
俺の目の前にいる少女は、純度100%の笑みを浮かべあざとくはにかんだ。
「どちらから来られたのですか?」
恐らく純粋な疑問だったのだろう。俺に対する警戒心は微塵も感じられなかった。
季節感バッチシの麦わら帽子を被り、真っ白なワンピースを着た、13歳程のショートヘアの少女。
身体は指先一つ触れれば崩れてしまいそうなくらい華奢だが、
程よく肉はついているようで、子供っぽい身体にしては妙な“女性らしさ”があった。
正に可憐という言葉が合致した。
不意に一歩、俺に近づいてくる。
その時ふわっと香ったフルーツのような匂いが、少女の可憐さを一層引き立てた。
「俺はとある離れた地から漂流した者だ。」
少し速くなった鼓動を抑え、冷静を装った。一大人として。
「それは大変です!お手伝いできることがあれば何でも言ってくださいね!」
同情は感じられず、純粋な本心だけが伝わってきた。
この少女はホントに“真っ白”なのだと、思わずにはいられなかった。
まさに地球の象徴。
「申し遅れました!私は“みのり”といいます!この島で果物をとっているのですよ!」
少女はまたあどけない笑顔を振りまく。
ホントに影の一切無い、純白な笑顔だった。
「俺は今、ここまで乗ってきた船の修理をするための材料を探している。心当たりはないか?」
適当な理由を付けて彼女に問いかけた。
俺の目的はほぼ達成しているようなものだった。
なぜなら、文字通り“目の前”にもうそれは立っているのだから。
「それはつまり、機械の部品とかですよね?う〜ん、あったかな〜」
みのりと名乗る少女は、精巧な人形のように小首を傾げ考えた。
「とりあえず、この島を案内してくれないか?」
俺は単刀直入に話を切り出した。
すると少女は一瞬固まったが、直後に至極嬉しそうな笑顔で返事をした。
「任せてください!」
それはナツの日差しのように、晴れやかな笑みだったー
俺はみのりという少女について行くことにした。
彼女は浮かれた気持ちを抑えきれないのか、歩き方が自然と軽やかになっていた。無邪気だ。
「ここから先、少しモリに入りますよ」
そう言って生い茂る木々の合間を縫って行った。
モリは静かに、だが賑やかに唄っていた。
葉のざわめき、爽やかなそよ風、セミの陽気な旋律、
遠方から聞こえる水のせせらぎ、彼女と俺のゆったりとした足音ー
ナツとは、高温湿潤だと聞いていたが、ここは全くそれを感じさせなかった。
吹き抜ける風は身体を透き通って行くように心地よかった。
想像とはまるで違うバイオームに、月にあった調査文献への懐疑感が芽生えた。
所詮俺は、文字や画像でしか見たことが無かったのだと、痛感した。
「この辺りにはビワがたくさん成っているのですよ!」
両手を目いっぱい広げ説明した。
すると一回転した後、笑顔でこちらを向いた。
「すっごくすっごく、甘くておいしいのですよ!」
俺は純正の果物というものを食べたことが無かった。
保存性を高めるために改良された人工フルーツしか味わったことがない。
その味も人工的で、甘味や香りは作られたものだ。
先程の少女から香った匂いも、人工フルーツに似た香りだったから、フルーツの“ような”匂いだと感じた。
本物の“自然的な”甘味や香りを味わってみたいと思った。
「あなたにもおいしい果物をいっぱい食べさせてあげますよ〜」
食べさせてもらえる俺よりも、食べさせる彼女の方が楽しみそうだった。
よっぽど嬉しかったのだろう。自分で作った果物を食べてもらうのが。
「それはありがたいな」
俺はあえて素っ気ない返事をして、再び歩み出した。
しばらくとしない内に、目の前をウサギが横切った。
「あっ!山うさぎさんだ!」
少女は途端に2羽目に出てきたウサギに近寄り、こちょこちょと頭を撫でた。
「んひひ、山うさぎさんかわいいなぁ」
少女は恍惚とした表情でウサギに夢中になっていた。
おい、俺は眼中からゲッタウェイですか?
撫で回されるウサギと目が合い、お互いこの少女にため息をついたような気がした。
気味の悪い笑い声を漏らしながらウサギを愛でている少女も、
流石に我に帰り「はっ」とありきたりな声を出すと、恥ずかしそうに言った。
「あ、あの・・・先を急ぎましょ〜」
下手に誤魔化して、名残惜しそうにウサギから手を離した。
俺は何も言及せず、また彼女の背中を追った。
モリに入ってしばらくすると、小さい道が現れた。
「この道をたどればもうすぐですよ」
振り返り、身体をナナメに傾けてそう言った。
道があるという安心感。この感覚はあまりにも新鮮で、当然というものの有り難みを感じてしまったり、
そんなセンチメンタルに俺はほんの一瞬だけ苛まれた。
その後も彼女のあとについて行く。
モリの美しさに釘付けになっていたが、俺はこの少女にも注目してみた。
白いワンピースはかなり薄着で、背中は肩甲骨の下あたりまで露わになっていた。
結構綺麗な肌だな・・・と、つい見とれてしまった。
こんなまだまだ未熟な少女に・・・
いかんいかん、そういう観点で観察したかったわけではない。
気を改めて観察し直した。
頭に麦わら帽子、身体には白いワンピース、ここまでは先程も注目したが、
足に花のブローチが付いたサンダルを履いているのにいま気がついた。
なんかイメージ通りというかお似合いというか・・・しっくりきすぎて逆に不自然だ。
もうテンプレート過ぎだ。
だが、俺にとっては地球のテンプレートも未知のオンパレードだった。
少女をジロジロと観察していると流石に気づいたのか、両腕を前に寄せて恥ずかしそうな顔で言った。
「あ、あの、その・・・私の身体に興味が・・・あ、あるのですか?」
これが旧人類の言葉でいう“萌え”なのだろう。 男の心もイチコロだ。
俺はそういう類の旧人類のサブカルチャーに少し興味があった。
今で言うイマジネーションホログラムの起源であるアニメ・マンガ・ノベル・ゲームは旧人類の宝と言えよう。
俺はその旧人類の遺産を勉強していた。
そのため“萌え”や“かわいいは正義”といった思想観念は理解しているつもりだ。
だが、そんな感情以前に本能が俺の口から無意識に飛び出していた。
「は?」
人間の反射神経に自分でも驚いた。
「ご、ごめんなさい!勘違いですよね!あはは・・・」
超音速の“は”に、彼女は慌てて撤回した。
少女に対するイメージは変に刷新された。
5分程だろうか。ゆっくりと確実に歩みを進めていると、木々が疎らになっていくのが分かった。
次第に木々の隙間から漏れる陽光が、俺たちを照らしていった。
モリの出口が見えてきた。ただその先の光景は、外の眩しさで遮られていた。
ゆっくりと、光の中に飲み込まれていくー
「ここが私の住んでいる村ですよ!」
光が眼に馴染むと、視界は無限大に開けた。
どうやらここはちょっとした丘になっているようだ。
彼女が両手いっぱい広げて示した文字通り閑散とした集落。
村の向こうに見えるきらきらと輝くウミから聞こえる漣、
背後から聞こえてくる森のざわめきー
村から聞こえるのは、風に揺れる家々の軋みだった。
「さあ、私のお家行きましょぉ!」
いつの間にか、彼女の家に行くことになっていた。
まあ当然といえば当然なのか。
今は彼女について行くことしか出来ない。
それに今の俺は、警戒心とか猜疑心とかよりも好奇心の方が遥かに上回っていた。
この島の、いや、この地球にある“未知”にただ触れたかったのだ。
彼女は先程よりも早足で丘を下り、村へ入っていく。
ここに来てようやくちゃんとした道を踏んだ。
砂でも土でもない、コンクリートの道だ。
家はどれもフゼイのある姿で不規則に建ち並ぶ。
森の木々のように疎らだが、その数は圧倒的に少ない。
家々の隙間から通る風は少し肌寒かった。
10軒と通り過ぎないうちに横道にそれた。
曲がったその先は緩やかな勾配になっていた。
前を歩いていた彼女はこちらに振り返り、ニコッと笑顔で言った。
「この坂を登れば、家はもうすぐなのです」
「集落にあるんじゃないんだな」
「はいっ、私のお家は少し高いところにあるのですよ!」
俺たちは坂をゆっくりと上り始めた。
徐々に道の傍らに木々が並び始める。
坂道を覆うように木々は生い茂る。
その雑木林から漏れる木漏れ日は実に神秘的だった。
先程の森の木漏れ日とは違う。何かこう、“秘匿された”神秘を感じた。
この先にあるものがどうも他とは違う空気を漂わせている気がしたんだ。
一歩一歩、好奇心と躊躇を反復させながら、それでも彼女の可憐な背中を追った。
坂のゴールが見える。
林も別れを告げるように通り過ぎていった。
「とうちゃーく!」
集落に建っていた家屋よりも、一層貫禄のある家が目の前に鎮座していた。
明らかに空気感が違った。厳格ある雰囲気だった。
だが、その家の前に少女が立つと、家はたちまち優しさを帯び、彼女を暖かく抱擁しているように見えた。
正に愛子を包み込む、緩急剛柔な父親のような風格だ。
「さあ、こちらですよ〜」
玄関に案内されたが、少し入るのをためらった。
余所者が簡単に足を踏み入れて良いものなのか。
しばしの緊張の後、何を緊張していると自らを振り切り足を踏み出した。
「お、お邪魔します」
案外すんなりと入れた。まあ当然のことなのだが。
玄関の戸を閉め、靴を脱いだ。
月では靴を脱ぐのは寝るときくらいなので、家の中を素足で歩くというのはすこし違和感があった。
しかしそれと同時に、ヒンヤリとした廊下の冷たさが、足の裏に張りついて気持ちよかった。
素足で生活するというのも悪くない。
みのりは廊下の右側、1番目のフスマを開けると
「こちらで休んでいてください〜」
と言って、居間に案内した。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は言われた通り居間で休憩することにした。
正直、船を修理するためのパーツなどどうでもよくなっていた。
そもそもあまり気乗りしていなかった任務だ。ちょっとくらい地球の生活を満喫してもいいだろう。
半ば投げやりになって、居間のタタミに横になった。
タタミの臭いというのも悪くない。
木でできた柱や天井からも、新鮮な木の香りが漂ってくる。
家の中にいるはずなのに、森の中にいるような感覚だった。
少し落ち着かなかったが、次第にこの環境と俺の身体が馴染んでいき、
心地よさが俺の心に染み込んでいった。
ウミの小波のような模様の天井を見つめながら、ゆっくりと現実との意識が遮断され瞼を閉じた。
俺は虚ろの世界にぽつんと起立していた。
上は雲が散りばめられた蒼い空。太陽はないがムラなく明るい。
下は一面水が張り、鏡のような地面。
そんな世界が果てしなく広がっている。
為す術もなく、俺は途方に暮れた。
ここは地球なのだろうか。ここは現実なのだろうか。
境目が解らなくなっていた。
今俺の身体と心とを繋ぐ鎖の在り処すら疑わしかった。
“俺は存在しているのだろうか”
そんなことを考えながら立ち尽くしていると、目の前にふと光る何かがちらついた。
それに気づき必死に視界に捉えようとした。
するとそれはピッタリと焦点に合い、はっきりとその姿を認識した。
「あれは確か・・・トンボだったか?」
金色に光り飛んでいるそれは、調査文献で見たことのあった“トンボ”という昆虫類だった。
トンボは不規則に、だが意思を持って飛行していた。
まるで俺をどこかに誘うかのように目の前で滞空していたのだ。
俺が1歩を踏み出すと、トンボも小刻みに進み始めた。
これ以上立ち尽くしていても埒が明かない。あの光るトンボについて行くことにした。
トンボは何かを目指して、ひたすら飛び続けた。
俺もそれに必死になってついて行った。
やはり何も見えない果てに向かって飛び、歩き続けた。
この変化のない世界。
皮肉にも我が故郷、月のことを思い出した。
ここは一体どこなのだ・・・
ふと前方を見た。
鏡の端に何か変化を感じる。
近づいていく度に、確かにそれはそこに存在していることを認識させた。
トンボは変わらず飛んでいる。
俺はトンボではなく、近づいていくそれにしか意識が無かった。
確かな目的に強い安心感を覚えたのかもしれない。
走らんとばかりに深緑に映える何かを目指した。
もうすぐ、のところで今まで引率していた光るトンボが不意に加速し、
深緑の何かの上空辺りで滞空した。
どうやらトンボもまた、この深緑を目指していたようだ。
俺はその“何か”が何なのか、はっきりと視認した。
それは紛れもない、鮮やかな草花。
きらきらと光を纏っているように輝いていた。
そしてー
「・・・・・・・・・すぅ・・・」
緑色の絨毯に、小さな寝息を立てて眠る少女。“みのり”だった。
深緑の草花は彼女の周りだけを、まるで守るような形で生い茂っていたのだ。
純白に身を包んだ彼女は、幸せそうに眠っている。
その余りの可憐さ儚さ、そして何よりも“神々しさ”に、呆然と立ち尽くした。
ゆっくりと彼女に近づく。
草花に足を踏み入れようとした時、
「近寄るな」
と、草花達が俺を拒絶したように聞こえた。
思わず1歩退いてしまった。
彼女はこの世界の女神なのだと納得した。
自然の恩恵を忘れ、技術と知識を結集して作られた世界で生まれた俺が、
神聖な彼女に近づくことすらままならないのだ。
俺はその“現実”を受け止めた。
受け止めるしかなかったのだ。
・・・・・・現実?ここは現実なのか?そもそも、何故俺は此処にいる?
彼女に近づくことすら出来ない自分がここにいる理由。
これはあの悠然で荘厳な自然からの罰なのか?
俺は“必要のない存在”だと思い知らせるためのー
その瞬間、地面はぱっくりと割断され、
俺には落下するという選択肢しか残されていなかった。
為す術もなく直下していく。
彼女は相変わらず眠ったまま、俺との距離を離していく。
落ちることしか出来ない俺は、ただ離れていく彼女の寝顔を見つめたまま暗闇に飲み込まれていったー
「・・・・・・・・・はっ」
俺は上半身を勢いよく起こし、ここが現実であることを実感した。
よかった。
あの綺麗で美しい“悪夢”からようやく解放されたのだ。
強ばった身体がすーっと安堵感で緩んでいく。
そして台所と思われる隣の部屋から聞こえた透き通った声に再び緊張した。
「くだもの持ってきましたよー」
バスケットいっぱいに詰め込まれた果物を抱えて居間に入ってきた。
なんだかその格好を見たら、先程の夢などどうでも良くなった。
気張っていた俺がバカバカしい。
「ああ、ありがとう」
テーブルに置かれたバスケットを覗くと、多種多様な果物がぎゅうぎゅうに詰めこれていて、
ホウジュンな香りが鼻腔ににわかに広がった。
「さあ召し上がれ!」
俺は見たことのない果物達にしばし戸惑ったが、
赤くて丸い実が対になった果物を手に取った。
「さくらんぼがお好きなのですか?」
「サクランボ・・・・・・て、いうのか」
「はい!甘酸っぱいのがクセになるんですよ〜」
説明している自分が嬉しそうな表情をしている。
ホントにこの娘は感情がオーバーフローしている。
ドバドバと溢れ出て俺まで干渉されそうだ。
そんな彼女は置いといて、俺はそのサクランボの実を一つ口に入れた。
「真ん中に種があるので、噛まな」
ガリッ
俺は悶えた。ああ、俺の白きハイドロキシアパタイトよ・・・・・・粉砕してないよな?
舌で口の中を1周舐め回して見たが、どうやらどの歯もしっかりと歯茎から生えているようだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ、何とも。とりあえず注意は行動を起こす前にしてくれ」
「は、はいぃ」
みのりはぷしゅうっと萎え萎えの果物のように萎んだ。
ちょっと滑稽で面白かった。わかりやすい娘だ。
改めて、サクランボの実を口に入れ、今度は種を噛まないように果肉だけを噛んだ。
最初にそれなりの酸味が広がったが、
すぐに爽やかな甘味が酸味を追いかけてやって来る。
酸味と甘味は手を取り合って、俺の味蕾達を襲撃する。
本部!初めての味に、味蕾が奇襲されています!直ちに救援を!
舌たちは大慌てだ。だがその味も脳に届く頃には、喜びに変わっていた。
俺はもう一口サクランボの実を食した。
すごい・・・・・・味に奥行がある感じだ。
人工フルーツが平面の味なら、このホンモノは立体の味。
様々な角度から味が広がっていく。豊かだ。
「気に入って・・・いただけましたか?」
「・・・かなり」
彼女は静かにニッコリ笑った。
聖書に出てくる天使が、この11次元上に存在していたのかとクサイことを考えながら、
俺は他の果物も夢中になって味わったのだった。
大量の果物が俺の胃袋を圧迫している。
もう見るのも嫌だ。それくらい果物を食べた。
どうも果物は空腹感を満たすのに適してはいないらしい。
どうしても量を食べなければならないようだ。
だが、これだけの未知の味で腹いっぱいになれるのだから、これ以上の幸せはない。
「ありがとう、こんなにたくさん。」
「いえいえ。私も食べて欲しかったんです。私が作った果物を誰かに・・・」
子供のような喜び方ではない。
正しく大人の女性のように、喜びの感情を静かに表情に表す。
すこし儚げな表情が、俺の心を掴みかけた。
「これだけの果物、採るの大変だろ?」
「うんうん、そんなことないのです!」
みのりはまた“いつもの”みのりに戻って、元気に答えた。
「ふーん」
「あの・・・良かったら・・・」
急に途切れ途切れになる。あーなんか小説とかでよく見るな、この感じ。
「収穫、見に来ませんか?」
ここまで来たら行くしかないだろう、と言いたい気もしたが、
彼女の純粋さを見ていたらそんなこと言えまい。
素直に、
「ああ、行こう」
と返事をした。案の定、みのりは飛び跳ねんばかりに喜んでいる。
サクランボの味を思い出した。
家を出ると今度は坂の方ではなく、家の裏に向かった。
するとすぐに段々になった畑が見えた。
家から15mから20mといったところだろうか。
すぐ近くに農園があるようだ。
おおよそ10段ほど連なった畑には、数え切れない植物が豊かに育っていた。
どれも萎れることなく、鮮やかに生え揃っている。
その光景は芸術の域に達していた。
「正直、すごくて驚いている」
「えへへ、嬉しいです」
「これ全部みのりが?」
「はい・・・気持ちをこめて頑張って育てました」
やはり、自分の功績を他人に評価してもらうというのは照れるものだ。
無邪気で健気な少女ですら、
いや、無邪気で健気だからこそ、なのかもしれない。
すこし俯いて照れる彼女。
目は麦わら帽子のツバで少し隠れていたが、
ちらりと覗く頬が紅潮していて、唇は艶やかに潤っていた。
もう収穫できそうな野菜や果物を、次々にもいでバスケットに入れていく。
その手際は、立って息をするのと同じくらい手慣れていた。
そして何よりも俺が見ていたのは、彼女が野菜や果物を収穫したその時。
手に取った収穫物を口元まで近づけると、
目を瞑ってこう言うのだ。
「こんにちは」「ありがとう」「よろしくね」
その姿は正に生命の息吹。
決して喋ることのない植物達。
だがしっかりと根を張り懸命に生きている植物達。
彼女にとっては人間も植物も同じ生命なのだ。コミュニケーション媒体は要らない。
命と命の対話こそが、真の意思の疎通なのだ。
彼女は生命ひとつひとつを大事に育て紡いでいる。
瑞々しい唇が弾け、綴られる生命の息吹。福音。
そんな彼女を見ていたら、心から得も言われぬ想いがこみ上げ、口から吐き出ようとする。
必死に抑え込むが衝動の部分が、理性の枷を外そうとする。
本当に危なかった。
こんな感覚は初めてで、危機感より先に驚きだった。
何とか平常心を保ち、俺もぎこちないが収穫を手伝った。
言葉こそ発さないが、しっかりとひとつひとつの“生命”に想いを込めてー
辺りはもうユウヒで黄金色に反射していた。
「ふぅ〜・・・終わりましたね!」
「やっぱりこれだけの量を収穫するのは大変だ」
「ふふ、初めてだからですよきっと」
「そういうものか?」
「はい。いっぱいいっぱい収穫していくうちに、
私も野菜さんも果物さんも、この土を育ててくれるミミズさんも、たまにイタズラする虫さんも動物さんもー
みんなが一つになってるんだって、感じるんです。みんなが繋がって生きている。」
彼女の透き通った瞳は、俺の薄黒い瞳を緊縛する。
「そう思ったら、全然大変なんかじゃないかな、って」
しばらく瞳孔と瞳孔が向き合ったままだった。
俺は何も言えず、動けずの状態だった。
「えへへ」
彼女が不意に笑みを浮かべると、俺も同時に気が抜けた。
一種の緊張が解けて、俺は息が切れそうだった。
確かにがっちりと俺の生体ポンプは、この麦わら帽子ショートヘア白ワンピ純粋天使少女に鷲掴みにされたのだ。
「あっ、そうだ!夕日!夕日見に行きませんか?」
閃いたように彼女は提案する。
「そうだな、ユウヒを見て落ち着こう」
良い意味でも悪い意味でも、精神スレスレの俺は辛うじて残った平常心で答えた。
「この先に夕日が良く見える丘があるのですよ〜」
みのりに案内され、段々畑に隣接した林を歩いていた。
陽気な旋律は儚くて切ない旋律へとメドレーして、島中にこだましている。
林といえど、もうすっかり暗くなっていて足元5m程しか見えない状態だった。
それでも彼女はためらいなく進んでいく。
そして、すぐに林の出口が見えた。
「わぁ・・・キレイですね」
林から出たその先には、地平線に半身を隠した太陽がなおも強い光を放っている。
あんなに蒼かった“海”は、深い紺と輝く橙で揺れていた。
そして、雲一つない空は藤色と橙色で領地争いを繰り広げていた。
まあ時間が経つにつれ、藤色がその勢力を伸ばしていくのだろうがー
綺麗に半分半分になった海と空。
そして真ん中には半分の太陽と、海に映る太陽。
その景色を眺める二つの影。
ふと現実の境目を無くす。
ここにある精神、肉体への執着がふっ、と消えて漂う。
初めての景色、初めての香り、初めての気温、初めての音、
初めての味、初めての光、初めての夢、初めての生命、そしてー
「・・・初めての日常」
「?」
「何か言いましたか?」
「みのり」
今度は俺が、彼女の、みのりの瞳を捉える。
「は、はい。何でしょうか?」
見つめられ少し恥じらうみのりに、一言、その一言が中々声帯を震わせない。
ここでの理性は必要ない。今こそ衝動でいい。感情のままに・・・!
「ここで・・・」
さあ始めよう
「ここでしばらく暮らしてもいいか?」
未知的日常生活を
第一話『光風霽月な世界へようこそ』ー完