泡花火
しゅわしゅわ、と薄水色のガラス瓶の中で小さな空気の塊が飛び跳ねて、消えていく。
「っはー、美味しい!」
そう言って、ラムネを一気飲みする彼女、篠宮綾乃は目をぎゅっ、と閉じて炭酸の刺激を受けたであろう口を結んでいる。
「バカだな、一気に飲むからだ」
「一気に飲むから美味しいんだよ、分かってないなあ、お子ちゃまな柊ちゃんは」
そう言って笑う彼女の笑顔は、周りの提灯の明かりに照らされて、溶かされて、僕は見とれてしまう。
「ちゃん付けで呼ぶなよ、恥ずかしい」
「何でよ、もう20年くらい呼んでるんだからいいじゃん」
はあ、とため息が出る。その様子を見た彼女が僕の背中を小刻みに、ははは、と笑いながら叩く。
僕と彼女の付き合いはもう18年になる。家が隣だったことと、人の少ない田舎だったことから、僕は生まれたときから彼女に遊ばれていた。人懐っこくて、思い切りの良い彼女に引っ張られてよく野山を駆けまわった。
「そういえば、もうすぐ二十歳だな」
「まあね、羨ましい?」
「何がだよ」
「お酒が飲める。飲み会とか楽しいのかなー」
彼女は今、家を出て一人暮らしをしながら大学に通っている。だから、今こうして話しているのは実際の所、かなり久しぶりだ。別に、今更緊張なんてするなんてこと、ないけれど。
「止めとけよ、ラムネで十分だろ」
まだ半分くらい残っている、揺らすたびに炭酸がぱちぱちと水面で弾けるそれを見て言う。
「なんでそういう事言うかなー」
彼女はそう言って頬を膨らませ、不機嫌そうだ。
「あの、さ、大学って楽しい?」
「何、急に。どうしたの?」
「別に。今年受験だから気になっただけ」
彼女はふーん、とだけ言ってにやりと笑って言う。
「楽しいよ。告白されちゃったし。私、可愛いから」
え?心臓がドキリ、として、そして締め付けられたように痛む。焦って、彼女の方を見る。見えたのは、澄まし顔の横顔だけだった。いつもは感情豊かで、まさに顔は口ほどにものを言う、といった感じなのに、今は何も読み取れない。
「ふーん、で、なんて答えたの」
「ふふっ、ひみつー」
いたずらを思いついた子供みたいな無邪気な笑みを浮かべた彼女は、花火が始まっちゃう、と言って先に行ってしまった。追いかけるべき、だろうか。僕は暫くの間、人の往来を遮るように立ち尽くす。
ラムネ。そう書かれた暖簾を見つけて、身体が動く。
「おっちゃん、ラムネ、一つ」
「あいよ、百円ね」
僕はすぐに百円玉を取り出して台に置き、ラムネを受け取って、その場で一気に飲み干す。炭酸の粒が喉を焼くように通り過ぎ、なんとか飲み干した時には瞳の奥が熱くなって、涙が染み出していた。屋台のおっちゃんが不思議そうに見ていた気がするが、構うものか。僕はすぐに彼女の向かった方へ、歩を早める。
彼女は毎年僕らが花火を見る河川敷に一人、佇んでいた。長い黒髪が風に揺られて舞っている。
「遅い、やっと来た。花火、始まっちゃうよ?」
また、ふくれっ面を見せる彼女は、いつもの、というか昔のままの僕のよく知る彼女だった。
「あのさ、俺、お前と同じ大学目指すよ」
「え、柊ちゃん頭悪いじゃん」
うっ、ストレートに痛いところを突いてくる。でも、そんなの関係ない。
「それは、なんとかする。それで、合格して、俺、綾乃のこと―――」
大気を震わせるような轟音が、無音の世界を作って、僕の言葉は消えてしまった。見ると、空には大きな光の華がいくつも浮かび上がって、消えていった。
「私ね、断ったよ。告白」
そう呟いて彼女は残っていたラムネの瓶を、空の大輪に重ね合わせるように持ち上げて、口を付ける。ラムネは、彼女が飲むのと同時に気泡を瓶の底に昇らせて、終に無くなってしまった。
「私の声、聞こえた?」
彼女は少し恥ずかしそうにこちらを窺う。
「さあな」
僕の言葉は、綾乃の呟きが僕に届いたように、彼女に届いたのだろうか。それとも、ラムネの出したあの空気の粒のように、消えてしまったのだろうか。
花火は、いつの間にか終わっていた。まるであのしゅわしゅわみたいに、消えていた。
「帰るか」
手を、広げて、だらんと垂らす。
「うん」
彼女の、思ったよりも小さい掌が、僕の手に触れるのを感じた。