第一話
週に1度原稿用紙50枚ずつ続きを投下できればと思います。
私はどんな道理があってこんな路地の片隅で排泄をせねばならぬのか。
今朝、通学する際に素通りしたラーメン屋の脇。鉄の錆びた匂いと油の匂いが、エアコンの排気によって吹き付ける。
これでも、大腸が許す限り吟味した場所だ。
こんな醜態を晴天に晒すことになるとはーー。
私は女子高生として、とても良くできた人間だったと思う。本来の高校生としては、学業の面からそういった自画自賛をするべきなのだろう。しかし私の価値観からすれば、可愛く、優しく、女性らしい仕草で舞えることが、女子高生として良くできているか否かの判断基準となる。
良くできた人間だったからこそ、格好が良く、性格も穏やかで、紳士的な行動を自然とやってのける翔君とも付き合うことができた。
特に、私の可愛さは群を抜いているようで、彼は私に「可愛い」と切り出してから交際を申し出てくれた。このことからも、女子高生にとってそれがいかに大事であるかが分かる。
可愛さを前面に押し出して生きてきた私であるが、それだけで恋愛が上手くいくわけではないとも把握している。だからこそ、好きな男子に対しては、優しい対応を心がけてきた。
それでは仮に、私が可愛くない容姿もしくは、優しくない性格だった場合、翔君は私と付き合っていてくれていたのだろうか。
可愛いという要素だけに絞って考えてみる。
眼球が溢れ落ちてしまうほど大きく開かれている私の瞼が、翔君と同じクラスに所属している朋勝君のように、太陽を仰ぐのにもひと苦労するほどの糸目になったとする。
細い目では生きる希望すらも見えなくなりそうではあるが、駅前のドラッグストアでアイプチを買ってくれば、然したる問題はない。
それならば、雪国へ旅行に行こうものなら、背景と同化してしまうほどにツルンと白いこの肌が、散弾銃を浴びたようなクレーターだらけで、黒光りしている朋勝君のような肌だったのならば。
それでもファンデーションを烈火の如く厚塗りするだけで、翔君からの評価は保たれるだろう。
それならもし、ストッキングを被ったかのように歪んだ――つまりは朋勝君のような表情になった場合はどうだろうか。
そんな顔では、翔君が私に求愛をしてくるなんて到底思えない。
しかし私の人格は残っているのだ。中身を知ってもらうことを念頭にアプローチすれば、自ずと結果は開けるだろう。
ということは、中身。つまるところ「優しさ」という重要なその要素さえ残っていれば、翔君は私を好いてくれるはずだ。
そのため、少なくとも彼の前では、私は優しい性格を見せ続ける必要がある。そうすることで、私が皺くちゃの婆さんになっても永遠に、彼との恋は続く。
さらに私も、彼の整った容姿だけではなく、穏やかで紳士的な性格に魅力を感じている。確かに、格好良いからこそ何となく気になり、常に存在を意識してしまっていた点もある。だが、それだけでは本物の恋愛に発展するわけがない。
「僕と同じ大学に行こうね」
そう言って、斜に構えているだけでは到底太刀打ちできなくなった高等教育の科目を、私に享受してくれた。翔君の目指す大学は、名前だけで将来の安定を思わせ、周囲もおののくようなレベルを誇っている。
そのため、彼自身も学業に力を注ぎ続けなければいかないのにも関わらず、「教えることも勉強になるから」と嫌味を微塵も感じさせない性格イケメン御用達の返しをしてくれた。
それらの優しさを所有するのが、私を魅了する翔君だ。
散弾銃で射抜かれたような顔の朋勝君が、ツルンと可愛い美少年に変貌する奇跡が起きたとて「自分より勉強ができない人を見ているのは自信に繋がるから」と、女心を酢豚のパイナップル程度にしか扱えない性格なのだろうから、私が朋勝君と付き合うことは、未来永劫、後生の代まで訪れないだろう。
それほど性格というものは人の根幹であり、長期の交際に発展するかどうかの判断材料として、大部分を占めていると私は考える。
そんな完璧な性格の翔君と、人前では性格の良い私。互いに容姿も優れているので言うことなしだ。
そんな誰もが羨むような交際が、やっとスタートしたというのに、どうして私はラーメン屋の脇で排便せねばならぬのか。
◆
高校に入学する前、稀ではあるが定期的に疑問に思うことがあった。漫画にドラマ、アニメに映画。個人の妄想に商業的価値のついているもの全般で、「学園モノ」というジャンルがある。大概の舞台は高校だ。そして、そこで青春を謳歌するには、入学試験と呼ばれる一発勝負の戦を突破しなければならない。そのため、均一した学力の生徒が集まる。
しかし、その「学園モノ」では馬鹿と天才が共存している。それが私の疑問であった。
学校側も暇ではあるまい。無限にある誘惑を断ち切って勉学に励んだ子供達を蹴落とす珍問と呼ばれる爆撃機を設置するにも労力がいるはずだ。その戦場を駆け抜け、無事にたどり着いた高等学校。入学した猛者どもの間で、超絶馬鹿と歴史的天才が混在するはずがない。結果として「学園モノ」のように両者が入り乱れるようになってしまうのでは、学校側も爆撃機なんかで子供達をふるいにかけずとも、甘ぁい飴をしこたま設置し、中に当たりくじでも入れておけばいい。
そう私は思っていたのだが、現実はどうも「学園モノ」のように、その両者が圧倒的差を保って存在する。入学直後の一瞬ではその差が露骨でないものの、半年経たずして顕著になる。
驚いたことに、高校には甘ぁい飴も沢山設置されている。秀才と呼ばれることを忌み嫌う天才達は、私の前では甘ぁい飴を舐めまくり、青春を謳歌しているように窺えた。そんな姿を見た私達カメさんは、ヨチヨチ歩き続けるわけもなく、ウサギさんのように飴を舐めまくる。
しかしウサギさんは、私の知らないところで、ゴールも見えぬ地平線へ要領よく猛進し学力を高めていた。
私達カメさんがその現実を知った頃には時すでに遅し。まだ巻き返しがつかないこともないのだが、あまりの差に己を奮い立たせることもできず、現実から目を逸らす。
そうして今では、就寝前の貴重な時間に「学園モノ」を観ても、馬鹿と天才の混在している教室に対して「ちゃんちゃらおかしい事態ではないか」などといった疑問を私は抱かなくなった。むしろ、心温まるハートフルでキャッチーなストーリーだなあ、と眠るための妄想材料とするのである。
馬鹿と天才が共存することが避けられないのであれば、私は馬鹿の側にいたいと考えている。様々な誘惑を断ち切って勉学に励んだ先に、何があるというのだ。それならば、青春に対して全ての力を注ぎ込んだ方が、人生を満喫できるではないか。
そんな私は、当たりくじもでない飴を次から次へと舐め回し、青春を謳歌していた。飴を舐めているだけでも、学内のカーストが上がる。まるで、努力値は上がらないけれど、みてくれのレベルは上昇する不思議な飴だ。そんなレベルが上がったことで、私の特性である「男受け」の効力はより発揮された。
私は学年問わず様々な男子からアプローチされている。甘ぁい飴が次から次へと振ってくる夏休みが近づくにつれ、それは顕著になっている。
私自身、夏休みという実体もつかめない何かに対する衝動を止められずにいるが、近寄ってくる男子を容易に受け容れていては理想の相手を見つけられたものではない。
入学直後、周囲に内緒で付き合い始めた及川君とは、すぐに別れるに至った。理由は明快で、彼からは下心しか感じられず、心躍る感覚を私は一度たりとも受けなかったためだ。次回はこのような人選ミスをするわけにはいかない。
とはいえ、夏休み様はズンズカ音を立てて近づいてくる。ウカウカノロノロしていられない。心の底から好きになれる人を見つけ、交際に発展させなければ、ボーナスステージの飴をいくつも取り逃してしまうことになる。
旧友の香奈美との会話も、気温が高くなるにつれ、交際に関する話題が日に日に増している。香奈美は、私と似通った存在だ。彼女もまた、入学直後に失恋をした。それはそれは派手な振られ方をし、一夜でその情報が学年中に広まってしまったほどだ。その翌日、香奈美の体からは魂と呼ばれるような何かが抜け、ぐんにゃりとしていたのは、未だに私の目に焼き付いている。
しかし、さすがの香奈美。太陽が私達の住む星を三周もすればケロンと立ち直っていた。
はて、太陽が地球を周回しているのであっただろうか。とりあえず、「女子高生として良くできた人間」である私にとって、そんなことはどうでもいい。天文学の知識を身につける暇があれば、女性らしさを追求した方が良いに決まっている。
◆
「マル君はちょっと脳筋っぽくね?」
香奈美がサンドイッチを頬張る。私達は自分の脳みそを棚に上げ、交際相手を選定していた。
この会議、一見悪口ともとれることを散弾するだけの無駄会議にも見えるのだが、二つの利点が存在する。
一つ目は、互いの標準が同一のターゲットを定めぬよう、嗜好の擦り合わせができること。
二つ目は、互いの互いによる互いのためのアシストが可能になるということだ。片方が片方をくっつけようと意中の相手をダブルデートに誘い云々。二人のために一緒に消えようなどと、自分の利益を隠しつつ気を利かせた素振りをして云々。
要するに二人で食いつぶすことを予防しつつ、意中の相手と接触する機会を作り出せる利点があるということだ。私達は、恋愛における同盟を組んでいるので、この会議での会話は口外しないよう箝口令が敷かれている。でなければ、性格が良いのは男子の前だけかと、周りを落胆させることになってしまう。
「やっぱり、クールな翔君草太君コンビだろうか」
私は真上に高く登った太陽を仰いで呟いた。
私の学年では、「翔君草太君コンビ」と呼ばれるバスケ部所属で高身長のイケメンが有名だ。とりわけバスケが上手いようではないのだが、私達がカバンにストラップを付けるのと同様の感覚で、彼らはバスケ部という肩書きを付けているようだ。
「けど需要の数多すぎない? ぶりっ子どもを何人排除しなけりゃいけんのさ」
「そんなことで妥協する必要はないぞ香奈美よ。翔君草太君コンビともあろう男子が、そんなぶりっ子を相手にするはずがないのだから」
やせ形でサラッとした髪を流しているアイドル風なのが翔君であり、「俺のフィールドは海原じゃ」とでも言いたげに日焼けをしているのが草太君。私の好みは翔君だ。色白でインテリ風のオーラが溜まらなく私の好みだ。
「クラスも部活も違う私達にある勝算は何ぞや、陽向よ」
昼食のサンドイッチをモゴモゴさせながら、香奈美は私の口調を真似た。
「クラスは違えど、キラキラ女子として名が轟いている私達の存在は、彼にも伝わっているはず。いくらでも手は打てよう」
「轟いてんの?」
香奈美が素の口調で真面目に返す。私は男子に見せるような笑顔でニカっと歯を出し「翔君達がいるB組には、私達人気らしいよ」と応えた。
生温い風が吹き抜けるテニスコート横のベンチ。今も様々な所から男子達の視線が私達に向けられている。甘ぁい飴をむさぼり尽くせる自信はある。
◆
「陽子ちゃんっている?」
私はとりあえず「ほい」とあからさまに気乗りしていない声を出し、見知らぬ男子が立つ教室の出入り口まで向かう。
六月ではあるが梅雨とは無縁のこの地域。続くのは晴天のみだ。体のネジというネジを緩め、ダルンダルンになってフワンフワンと教室の窓際で四六時中日向ぼっこに勤しんでいたというのに、これで今月六度目だ。
これまでは、多少なりとも談笑し、盛り上がったうえで「ID教えて」と言われていた。しかし最近では、性に目覚めた猿共が、順序なぞ関係なくいきなり「ID教えて」と私のクラスまで訪ねてくる。猿か否かを初見で判断する能力は、こぼれ落ちそうなくらい大きいこの眼球に宿っている。大概が猿でしかないと判定できてしまうため、慎ましく遠慮させて頂く旨を、照れ屋を装って毎回伝えている。そこで決まって返されるのは「面倒になったらブロックすればいいからさ」なのだ。既に面倒であるから丁重に断っているというのが分からないのだろうか。男子とは本当に察しの悪い生き物だ。
さて、今回はそんな猿ではなければいいのだが――。
「俺、B組。ID教えて」
「まずは名乗らぬか」という言葉は飲み込む。考えるまでもなく彼は猿である。
容姿だけで鑑みれば純粋無垢な表情で、どこか可愛らしい顔の造り。美少年マニアにはたまらないのかもしれない。
名乗らないのは緊張によるものだと察してあげたくもなる。しかし、いかんせん翔君と比べて覇気がない。頼りがいもなさそうだ。翔君と比較し、劣っているのであれば猿も同然。猿に割く時間は百分の一秒もない。
しかし、そこそこにはモテそうな猿に向かって何を言っても、悪手にしかならないのはこれまでの経験で承知している。
「では、君のID教えてよ。暇なときスタンプ送ってみるから」
彼は不慣れな手つきで自分のIDを表示させ、私に画面を見せつける。ようやく彼の名前を知れた。
「では」
それだけ言い残して私は自席へ向かう。毎度のことではあるが、ここから席に着くまでの数秒は些か苦痛だ。猿共は自分の現在位置を知ることに躍起になり、私の表情を窺う。同族であるはずの女子陣も、羨みか嫉妬かも分からないような視線を送ってくる。
純然たる日光を浴び直そうとすると、教室の対角線に席を有する香奈美がペタペタと足音を鳴らして近づいてきた。
「どうだった?」
用件が分かりやすく気持ちが良い。「山で苺に群がる猿六号」とでも応えようとしたが、パブリックすぎるスペースであるため、一度唾を飲み込む。
「可愛い感じだったけれど、私は好きな人がいるから」
私は視線を教室のあちこちに移す。聞き耳を立てている輩はいなそうだ。
「キープしといた方がいいと思うけどな。見た目悪くないし、最終兵器としてならかなり強力だと思うよ」
「香奈美よ、一途な思いこそが近道なのだよ」
私は人差し指を立てて得意気に言った。
「リスクヘッジという言葉を知ってる?」
「知らない」
「えっと、ウチも忘れちゃった」
香奈美が笑って誤摩化したので話題は途切れ、ほどなくして始業のベルが鳴り響いた。
目にも留まらぬ板書。写しきらぬ間に消される板書。そして再度、目にも留まらぬ板書。数学の授業は、これの繰り返しが続く。どう足掻いたって中途半端な情報しか落とし込めぬのだから、私はシャープペンを置き、窓に目をやり考え事に耽る。
先ほど香奈美が言いたかったことは察するに、翔君と付き合えもしないまま夏休みに突入してしまう由々しき事態に備えておけ、ということだろう。まさに千日手。避けれるものなら避けたい。とはいえ、二兎追うものはどうのこうのとも言う。しかし、一石を投じてどうのという言葉もある。先人達の矛盾した言葉は、ケースバイケースなのだと現代人らしく柔軟に受け止めてやろう。
私のケースで言えば、仮に翔君となんら進展がなかったとて、追わずとも一兎、いや二兎、むしろ大群を為して迎合してくる現状だ。ならば私の労力は翔君という一点に絞り、射抜いてやるべきだ。
夏休みはすぐそこなのだ。そうと決まれば早く動き出さなくてはいけない。
私は教科書の真ん中辺りのページを開き、念入りに折り目をつけた。そして教科書を机の上で自立させてやり、数学教諭の死角を作った。
死角からはみ出さぬよう気を遣いながらスマホを取り出し『今日の帰り、翔君を待ち伏せするから付き合って』と香奈美にメッセージを打った。私が送信ボタンを押した刹那には『OK』とスタンプで返事がきた。
彼女は女子へのレスポンスこそ神速であるが、男子への返事は冥王星を経由させているのかと疑うほど遅いことで有名だ。
そんな彼女の心境が気になるのか、私は男子から幾度か相談されたこともある。そんな際には「私からの連絡も、返信が来るまで結構遅いよ」と、香奈美から指定された文章を述べてやる。香奈美的見解によれば、「全ての生き物は距離が開きかけると追いかけたくなる」らしい。そのため、メッセージへの返答は相当な時間を空けているようだ。
彼女からの返信が結果届くのであれば、その男子は運が良い。駆け引きするにも値しない相手からの連絡は、未読のまま放っておいているようだ。
私は彼女のように何かしらのテクニックを使えるという自覚はない。なのでその分、明るくキャピッとすることに努める。
翔君がそういう女性を毛嫌うような場合はどう攻めようか思案していると、『草太君も一緒にいたら、私も連絡先聞いちゃお』と香奈美からメッセージが連投された。
私としては構わない。欲を言えば草太君とどこかへ消えて頂いて構わない。そうして私は翔君と自然に二人きりになれる。まずは香奈美ワールドをしかと拝見してやろう。
◆
「今日彼らは部活に行くのだろうか?」
「サボるはずだよ。基本的には月曜と木曜しか部活出てなくて、あとはすぐに帰っちゃう」
調査しておいてくれた香奈美を称賛する間も惜しんで、私は駆ける。「そんなに急がなくても」とでも言いたげに、香奈美はペタッペタッと私に付き合う程度に歩調を早める。
彼女が本気で走る姿を、私はまだ目にしたことがない。これもまた女子力というやつか。翔君に夢中になり、女子らしさを疎かにして全力疾走しなければいけないのは悔やまれるが、一刻を争ううえに、香奈美以外に私を視界に捉えている者はいない。
いつの間にやら増殖した雲のおかげで西日は遮られているものの、昇降口は空気が籠もり蒸していた。下足箱の前で、私達は彼らを待つ。
「陽子、汗拭きなよ。ほら、髪も乱れてるし」
香奈美はハンカチと手鏡を私に差し出してくれた。走ることは女子らしさだけではなく、美までも損なわれるのか。
例えば、砂埃がふんだんに漂う校庭で、乳酸菌を溜めに溜め込んでいる陸上部員の女子がいるとする。額から汗を垂らし「良い汗かいたわ」とでも呟いたのなら、それはそれで美しい気がする。
「美とはなんぞや?」
私はベタついた額を拭きながら訊ねた。
「人によって突き詰める美は違うけど、ウチが思うのは、常に見た目を意識できていることが美かな」
なるほど。私が今しがた思い浮かべた陸上部員は、額から汗を流しているものの、髪がベタついている様子は欠片もない。きっと陰では、ベタつかないシャンプーを吟味するために、あれやこれやと得体の知れない薬品の入ったシャンプーを買いあさったことだろう。そして使い切らなかったシャンプーは母親に使わせるなどして、どうにか消費させる。その努力の末に見つけ出した至極のシャンプーで、外見の維持に精を出す。美を追求することこそが美とは、確かにそうかもしれない。
「なかなか的を射ているね。私は女子らしいことこそが美だと思っている」
「それは抽象的すぎない? 女子らしいって、髪がボサボサでも家でマカロン焼いてたりしたら女子っぽいし、お風呂入ってなくても茶色の巻き髪で重そうなつけま付けてたら女子っぽいじゃん。どっちも美を所有していない気がするけど」
「そりゃあ、最低限守って当たり前なルールはあるさ。それに私は――あ、」
駐輪場に向かっていく背の高い二人組が視界に入った。
偶然を装って四人で一緒に下校し、どこかに寄り道しようと提案する私たちの策に、早速狂いが生じた。
「何してんの、早く!」
私を置き去りにする形で香奈美は走った。私も数歩遅れて駆け出したが、すぐに香奈美に追いついた。彼女の全力疾走は、脳で規制されているのかもしれない。
◆
「なぜ健全な交際をしようと画策している私達が尾行を?」
「それもこれも全ては健全な交際のためだよ」
彼らが自転車でタラタラ走るのを、私達は一定の間隔を空けて追いかける。彼らが角を曲がれば、その角で私達は一時停止し、顔を伸ばして先を窺う。一時停止の度に香奈美のカバンに付けられている緑色をした猫のストラップが、慣性でぶらんぶらんと揺れる。
そろそろ緑の猫が何処かへ吹っ飛んでしまうのではないかと心配していると、香奈美が「ラッキー!」と呟いて自転車のペダルを強く踏んだ。
到着した先は全国チェーンのカフェであった。ここならば、私達が偶然を装って来るには最適な店であるし、彼らと隣の席に座れれば話しかけるのも自然だ。
意気揚々と店の脇に自転車を停めようとしたところで、店内で席を探す翔君と窓越しに目があった気がした。私はとりあえず目を伏せる。困った時は目を伏せておけば、大体の事象に片が付くのだ。
隣の席に座れなければ、ラッキーでも何でも無いことは香奈美も承知しているようで、レジで注文をするより先に彼らの席へ彼女は向かう。私は彼女の出方を窺って合わせなければいけないため、ちょこちょこと後ろに付いていく。
「偶然だねえ。隣座っていい?」
香奈美の声はテンションが上がってか、少し上擦っている。しかしその高めの声は、本当に驚いているかのように聞き取れた。私自身、本当に偶然彼らと出会ったのではないかと錯覚してくる。
「香奈美ちゃんだっけ?」
草太君が訊ねた。私はもちろん香奈美と話すのは初めてのはずであるが、やはり名前くらいは轟いていたようだ。
「香奈美でいいよ」
「俺ら勉強するだけだけど、それでいいなら。香奈美も勉強?」
「そうだよ。勉強は滅多にしないんだけどね」
嘘と事実の使い分けが上手いなと、私は感心する。私達も勉強をする体でなければ、隣に座るのは憚られるし、だからといって普段から勉強熱心であると思われたら、現実の私達と彼らのイメージに乖離が生じていく。
彼女曰く、体裁の悪い話題だからといって嘘を連続させたら、その頭の悪さからすぐにボロが出るそうだ。そのため、なるべく事実に近づけながら話すようにしているらしい。頭は私と同様に悪かれど、器用さは何枚も上手だ。
「じゃあ注文しに行くか」
草太君は何も疑わずにレジへと歩を進める。それに続く香奈美、私、そして一番後方に翔君。まだ一言も発していない彼が今何を考えているか気になる。彼は私の背後にいるため、表情を窺うこともできない。勉強の邪魔が来たとか、密かに勉強をしていたことがバレたとか、そんなことは考えていませんようにと願うしかない。
そもそも彼らが、ちゃっかりしっかり勉強していたとは夢にも思わなかった。本気で勉強をしたいのならば塾へ通い、堂々と部活を休めばいいではないか。同級生達は皆、こういった所で密かに勉強をすることで、私と学力の差を広げているのだろうか。
「陽子ちゃんもカフェで勉強するんだ?」
突然耳元で囁かれたため、脈がドクンと強く打った。私が翔君を好いてなくとも、これで瞬殺されていただろう。他人の脈を攻略することが、これほど効力のあることだとは参考になる。
「香奈美も言ったけれど、勉強はほとんどしてなくて。さすがに、そろそろね」
追求されたら面倒なので、言葉を濁らせた。チラっと翔君の方を振り向いてやると、全く日に焼けていない顔で微笑んでいた。爽やかな口調と白い外見。
うむ。何度見ても私好みだ。
草太君、香奈美の順に注文を終え、彼らは商品の受け取りを待つ。私はといえば、ペペロンフラペチーノを注文するか、もう少し女子っぽい飲み物にすべきか悩んでいた。
後ろの翔君を待たせるのが申し訳なくなり、結局はいつも通りの注文をした。すると彼は、「同じ物をもう一つ」と店員に言い、私の分の会計もスマートに支払ってくれた。
「ありがとう」
付き合っているわけでもないのに代金を支払ってくれるとは、紳士的で好感が持てる。しかし同時に、遠慮する素振りくらいは見せた方が良かったと後悔した。
私達はたかだか高校生で、小遣いの平均に男女差はない。そのため、大人達のように男性側が会計を負担する道理は全くもって無いのだが、世の高校生男子は背伸びをする。そうして私達女子はそれに慣れてしまう。
そんな慣れきった調子で、奢られることを受け容れては、好感度を下げてしまうかもしれない。
ともあれ、あとでお返しをすれば好感度は下がった分跳ね上がる。いちいち気に病んで鬱屈した表情でいる方が失礼だ。
席に戻り、私達は男女向かい合わせの合コン形式で座った。彼らがすぐに勉強に取りかかるのかと窺うも、まだその様子はない。
香奈美もその雰囲気を感じてか、「バスケ部はいいの?」と話題を投げた。
「本当は野球の方が好きだし、バスケ部は遊びだからいいのいいの」
草太君が椅子に深くもたれてストローを咥えた。
本当は野球が好きということは、怪我か何かで諦めたということだろうか。
掃除用具入れに放置された雑巾のごとく、ボロボロになるまで使い古された設定である硝子の肘。もしくはウップスだかイップスだか心理的に投球できなくなる病。陳腐な漫画しか読まない私は、この二択しか考えが及ばない。どちらにせよ、過去を穿り返すのは憚られる。
「このご時世でも甲子園を目指す以上は短髪にしなくちゃいけなくて、草太は野球辞めたんだ」
私達が言葉に詰まっていたことを察してか翔君が口を挟んだ。
それを聞いて私が「甘ったれてるね」なんて見下したりはしない。むしろ称賛に値する。人間はいつなんどきも美を追求することは疎かにしてはいけないのだ。私だってバレー部やらテニス部やらで部内恋愛に忙しくしたいものだ。しかし、爪を切れだの髪を縛れだの、掟が厳しすぎる。さらに私の場合は、デートしたいときにも練習やら試合やらで時間を拘束されるのが嫌なだけの社会不適合社という面もある。
「翔君は部活に熱中したりしないの?」
「僕の場合は辛くない程度に、そのときやりたいスポーツをしたいだけ。運動すると勉強も捗るからね」
最後の一言は聞かなかったことにする。「勉強が好きだなんて変わり者だね」という言葉で気軽に突っ込むのは、互いの価値観が分かるまで避けた方が良さそうだ。
勉強の話はさておき、彼の部活への考え方からは、ゆとりを持って生きているのだなと察することができる。ゆとりがあれば、癇癪を起こしたり怒鳴ったりすることもないだろう。彼と付き合えば、平穏な毎日が待っていそうだ。
会話のキャッチボールをしていたはずであるのだが、気がつくと草太君は数学の問題集に手をつけていた。それを見た翔君が、カバンから英語の参考書を引っ張り出す。どうやら勉強をする雰囲気になったらしい。どうやったらこのように切り替えを用意にできるのだろう。私と香奈美だけであれば、このまま翌朝まで続くほどの駄弁を繰り広げてしまうのが常だ。
香奈美は仕方がないといった様子で数学の宿題を出し、シャーペンを動かし始めた。私はどの教科に手をつけるかしばし考え、英語の参考書を開くことにした。
もちろん、本当に英語の勉強をしたいわけではなく、翔君が英語の勉強をしているのだから、合わせておいた方が話しかけてもらいやすいと思ったからである。
今は勉強のやる気なんて欠片もない私であるが、このように四人集まって勉強をし、同じ大学を目指すのも青春っぽくて良いのではないだろうか。
キャンパスライフの妄想をしていたところで、「そこは違う公式を使えば、もっと簡単に解けるんだよ」と翔君が香奈美の宿題を見て言った。
そこから翔君は五月雨式に呪文を唱える。なんとか凌ごうとする香奈美を私は応援するが、やはりトンチンカンな受け応えをしているようだ。それでも翔君は丁寧に教え続ける。
翔君の優しさに感銘を受けつつも、少しばかり嫉妬してしまう。翔君は英語の勉強をしているのだから、同じ参考書を開いている私に何かしらの指摘をするべきなのだ。
分け隔てない優しさは素直に評価するべきと自分に言い聞かせる。
心を落ち着けるために、解けもしない英語の文法問題に私は集中する。しかし気がつくと、香奈美と翔君はどこぞのマカロン屋が云々と話題を移していた。
サインコサインは何がどうあってマカロンに行き着いたのか。さしずめ、物分かりの悪い香奈美に例え話を使ったところ食いつかれたのであろう。
話題がマカロンであれば、有名所のマカロンは胃に収め済みであるし、自作するならばマカロナージュのテクニックも一通り語れる私である。しかし、今か今かと話の入り時を探る私を無視するかのように、あれよあれよという間に話題が移り変わる。主にペッチャクッチャと口を開くのは香奈美だ。彼女のテンションがぶっ壊れているわけでも、私に嫌がらせしているわけでもはないことは分かっている。香奈美は話すことが好きすぎる性分なのだ。口を閉じられず、授業中に注意されている彼女を、私は毎日のように見ている。そのため、私の好きな翔君と彼女が話に華を咲かせていても許してやれる。ただ、互いの恋路の連携を取ることが第一の今となっては、なかなか扱いが難しいと痛感させられた。
どうしたものかとこまねいているうちに「解いてやったぜ、去年のセンター数学の大問を」と草太君が独り言ちり、満足げな表情を浮かべていた。
「すごいじゃん。草太君そんな範囲までできんの?」
翔君にマシンガントークを炸裂させていた香奈美でも、本命の草太君を称えることを疎かにはしないようだ。
草太君は香奈美の称賛に気をよくしたようで、ヘラヘラと照れ笑いをしている。
上目遣いでさらなる称賛の嵐を送っている香奈美を見て、私は彼女の方をを称賛したくなった。
もし私が翔君だったのならば、「先ほど愉快に話してくれた女が急に、話し相手を俺の友達に変えやがった」なんて嫉妬してしまう。そして、そういった嫉妬心は恋心に発展しやすい。
改めて見る香奈美の上目遣いは何だか可愛いし、ジェラシーの導火線に火をつけてしまうこと間違い無しだ。
いやあ、香奈美の方が私よりも上手だなと呑気に構え、私はわざとつまらなそうな顔を作っておく。こうしておけば、男子の方から話しかけてくれるのは経験済みだ。そして今、会話の相手として空いているのは翔君からすれば私だけ。これで何かしら話題は振ってもらえること必至だ。
私が予測していたタイミングより二、三手は遅れていたが「香奈美ちゃんは英語好きなの?」と案の定翔君から話しかけてきた。
「好きというわけではなく、苦手すぎて」
「でも好きじゃなかったら、わざわざ放課後に勉強しないでしょ。俺も好きだよ、英語」
「確かに、私も好きなのかもしれない」
なかば誘導尋問のように「好き」と発言させられてしまったが、それは自主的に英語の勉強しにここへ来たという体裁が本当であった場合に成立する話である。本来の目的は翔君なのだ。翔君達がこのカフェに入ったからこそ、私達もここを選び、翔君が勉強をするようなので話を合わせ、翔君と同じ教科に手をつけたまでのこと。このままでは話がこじれそうで、ちと困る。
「翔君は英語以外も好きなの?」
とりあえず話題を私のことから翔君自身のことに移しておく。あとはフムフムと聞いているだけで、翔君のことを知れるし万々歳だ。
「他の教科は全く好きではないな。けれど、好きな人生を送れるために、とりあえず勉強している」
とりあえず勉強をできるか否かが、私達のようにボケっとしている人種との差かと思い知らされ、俯くしかなかった。
その後も翔君の方から雑談の種を撒かれ、私はそれに喜んで受け応える。勉強する雰囲気が雑談しても良い雰囲気へと変わったようだ。ならばと私も話題を振り、翔君の話に聞き入るようにした。
雑談にひとしきり華を咲かせ終わった頃、香奈美は草太君と「参考書買いに本屋に行ってくるね」とこの場を立ち去ろうとした。おそらくは香奈美の巧みな策による結果であろう。
翔君が、「じゃあ俺も」なんて言わないことを私は祈り、二人きりになれることを天に祈る。
「行ってらっしゃい。僕はまだここにいる」
翔君が肩肘をついて二人を見送った。私の願いが通じたようだ。いや、単に翔君の気が利くだけであろう。
彼は空気を読める人間。だからこそ、二人が本当に参考書を買うために本屋に行くわけなのではないと勘づける。仮に翔君がコミュニケーション音痴であれば、そもそも私の嗅覚に彼は引っかかっていない。
もしくは、香奈美と草太君への気遣いではなく、私と二人になりたかったのではと、つい期待もしてしまう。
ともあれ、さすがの香奈美である。ことこの展開を打ち合わせたわけではないし、以心伝心したわけではない。
香奈美との同盟において、彼女がキューピッドさながら私に恋を届けてくれるなんてことはまずありえない。なので、先のように彼女は私に気を使うこと無く翔君と談笑したりもする。何が重要かといえば、彼女が自身のために利益を生もうとする行為が、回り回って私の利益にも繋がる。
この場合、香奈美の押さえきれぬ恋心か、独占欲か、何かしらの欲望で草太君を連れ出し、二人で勝手に不純行為の道に突き進んでくれれば、結果として私が翔君と二人きりになれる状況が生まれる。
情報さえ共有していれば気を使うこともない私達の関係は、どこぞのグデグデに煮詰めたような女子同士のような面倒臭さもなく楽ちんだ。一方で、キューピッドを気取って他人のため他人のためとやっている女子も、何を考えているか読めず恐ろしいことこの上ない。四六時中キューピッドごっこに勤しんでいる輩の言動を見た日には、少女漫画の読み過ぎか何かではないかと嫌悪を覚え、私の脳細胞はウジ虫のようにゾワゾワと呻いてしまう。
翔君と二人になれたことに満足感を得ている私であるが「じゃあ切りの良い所までやっちゃおうか」という翔君の真面目すぎる発言により、英語の参考書をいやいや開き直すほかなかった。
そんな私の表情を読み取ったのか「教えてあげるからさ」と翔君が付け加える。相手の心情を読み取り、すかさずフォローしてくれるその能力の高さ、なかなかである。
結果論ではあるが、開く参考書を英語にしていてよかったと心から思える。数学の長文問題であれば、問題を読み取り、解法を選択し、公式を一度も間違えないことで解が導き出される。その第一弾目である問題を読み解くことすら不可能な私では、いくら翔君に教えてもらえるとはいえ結末は悲惨なものとなったであろう。
対して英語であれば、究極的に言えば知っているか知らないかの違いだけである。解法の選択や、そこからの解き方なんてものはない。要するに、私が「ここ意味が分からない」とさえ言えば、それで解答を教えてもらって完結するのである。
そんな一辺倒のやりとりを工夫もなく繰り返していれば、相手も飽きてしまう。そのため、私は少しばかり唸ってみたり、考える素振りを時折挟んでみたりした。もちろん、英語の問題に対しては少しも脳みそは働かせていない。
「何か可愛いね、その仕草」
唇を尖らせて考えているふりをした私の表情を見て、翔君は言った。「そんなことないよ」と、私は謙遜しておく。
翔君に可愛いと感じてもらえたのなら幸いだ。私のモチベーションは可愛いと言ってもらえることで担保される。それを口にできない輩が多い昨今だが、所詮は猿。言わ猿を永遠やっていればいい。
「香奈美達、戻ってくるかな」
今度は私が翔君を褒め返すべきかとも思ったが、そんなことは後回しで良い。この質問の返答次第で、それなら私達も――と次の展開に誘う方が先決だ。
「そのままどこか行っちゃったんじゃない?」
「きっとそうだよね。私たちはもう少し勉強していく?」
勉強はすでに十分すぎて辛いが、一度引いた姿勢をとっておく。
「お腹空いたし、もういいかな」
確かに私の腹も減っている気がする。「奇遇だねえ」と腹を叩く仕草をしてやる。仮に満腹であっても、翔君にそう言われたのなら、脳が適応して空腹の信号を送ってくるのはずだ。
「それなら私達も、どこか行かない? 何か食べようよ」
男子なのだから、ハンバーガーなどをチョイスするのだろうか。翔君と食べるのならば、別に洒落た物である必要はない。コンビニで買い食いだろうが何だろうが付き合うつもりだ。
「今日の晩飯、チーズフォンデュなんだ。だからもう帰るよ」
はて、どうしたものか。いや、普通ありえるだろうか。単に私を毛嫌いしているのか。もしくはチーズフォンデュを本当に楽しみにしているのか。一般家庭の晩飯ごときにチーズフォンデュは珍しい。だからこそ嘘ならもっとましな嘘をつくはずだ。となれば、あながち本当かもしれない。しかし純粋に考えれば、平日の晩御飯にチーズフォンデュなどありえない。どこの貴族だというのだ。
これまでの経験則が当てはまらず、私の脳の信号が右往左往する。こちらが飯でも喰わぬかと誘って、ぶっきらぼうに断る道理とはなんぞや。
「じゃ、じゃあ私も大人しく帰ろうかな」
辛うじて帰宅することに同調しておくが、何とか打開しなくてはならない。しかし、初回から男に粘着する女ほど傍からみていて滑稽なものはない。ならば最低限しておかなければいけないことは、次回に繋げること。さて、何をどうすれば次回に繋がるんだっけ。
「陽子ちゃん、家どの辺り?」
店を出てすぐ、翔君に笑顔で訊ねられた。狂乱寸前の私の脳であったが、一カ所だけシナプスが繋がった。
「んー、あっちの方」
わざと大雑把に言ってやる。それに、私の指差した方は国道が通っているので、真逆ではない限り、国道までの道のりは一緒になれるはずだ。
「あ、僕の家この近所なんだ。それじゃ」
やりたくもない勉強をしたとか、よく知らない場所でどうのとか、夕日がどうのとか、そんなことはどうでもよい。今日という日を振り返っても、現状置かれた立場を再認識しても、不甲斐なさが込み上げるだけだった。
◆
香奈美は私と対照的だったそうだ。ゲームセンターへ行き、脚が長く写るプリクラを撮ってヒヒヒと笑い合い、イカスミパスタを食べてシシシと黒い歯で笑い合い、家まで送ってもらったそうだ。どうやら連絡先を交換し忘れたとのことで、私はヌヌヌと感じずにはいられない。
私なら真っ先に連絡先を交換し、家に帰ってからも連絡を取り合って余韻に浸りたいし、後日の予定も取り付けたい。交換したくてもできない環境下にあった私とは違って、香奈美は逆に余裕があったということか。
「お昼に連絡先聞きに行くから、一緒行こうよ」
香奈美はそう言ってくれるが、どうも気乗りしない。もちろん翔君の連絡先は知りたい。あまつさえ、ありもしない胸の谷間で翔君を誘惑するなどといった下劣な手段でさえなければ、どんな手段でもよいから知りたい。しかし、今私が「ID教えて」などとぬかしても、「また一匹雌豚が来やがった」としか思われないのではなかろうか。私が普段猿共め――と心で愚痴るのだから、彼もまたそう思うだろうと察するのは至極当然のことだ。しかし、このままウカウカノロノロしていては、アッと言う間に夏休み到来である。
「いざ行こう」
「そんな気張らんでも。その必至さを昨日見せていれば良かったのに」
香奈美の言う通りである。心中ではガーガーワーワー好き放題呟いているが、容姿にかまけて大した行動も起こさずにいた。もっと大胆になるべきかもしれない。
昼休みまでの退屈な授業は、いつも以上に長く感じられた。数学教諭がサインコサインタンジェントと英単語を唱えている。実に不思議だ。しかたがないので、妄想の世界に身を投じる。
妄想といえども、卑猥で御都合主義の展開を膨らませるわけではない。晴れやかな空の下で、日向ぼっこをしている私。原っぱで心地よくしていると、次第に日が傾き始める。すると太陽は、ボワンと二つに分かれる。片割れが南の高い空を過ぎ、東へ傾こうものなら、更にボワンと別れる。そうして分裂し続ける太陽に囲まれ、私は隣にいる翔君と終わりなき一日を共にするのだ。結局翔君が登場してしまうのは避けれれない。恋をしているのだから、私の妄想に彼が顔を見せるのは必然と言える。ともあれ、太陽は沈まぬのだから、いかがわしい方向へ進展することもない。淑女こそが楽しめる妄想だ。
私の妄想は、登場する男性こそ都度違うが、必ず太陽が登場する。日光を浴びることで精神は安定するし、テンションも丁度よく緩む。もし私の願いが何でも叶うのならば、富とか名誉とか翼なんてものもいらないから、一日中日向ぼっこをさせて欲しい。
「陽子、行くよ」
椅子にゆったり体を預け、妄想に精を出していた私に、香奈美が声をかける。普段なら邪魔をしないでくれと懇願するところだが、今はそんな悠長なことは言っていられない。妄想ではない現実の世界。理想の人と繋がりを持つために、連絡先を聞きに行かねばならぬのだ。彼を籠絡するのは難しいと把握できたのだ。拱いている暇はない。
私達が放課までの苦しい時間を過ごす学び舎は、俯瞰するとL字型となっている。香奈美や私が所属するE組はL字の底辺部分。決して学力が底辺ということで分けられたわけではない。それに対して翔君草太君がいる花園は、L字の縦棒部分にあるB組。ゆえに授業と授業の合間に廊下ですれ違うことはまずない。さらに校舎の階段はLの両端に一つずつしかない不便な造りのため、AからCとDからF組での生活はそれぞれで完結してしまいがちだ。
廊下の角を曲がり、向こう側の世界へ一歩入れば、知らないことだらけの気がしてならない。AからC組の男女を煩悩へといざなう青春の場。そこで繰り広げられている恋愛事情は、知っているようであまり知らない。誰と誰が付き合っているかといった結論部分の話題は入ってくるが、誰が誰を好いているといった過程の情報までは、廊下の角で断ち切られている。それゆえ、情報のなさが疎外感となって感じられてしまう。
じゃれ合う者や購買部へ向かう者達で廊下は混雑しているが、香奈美は生徒達を切り裂くようにスタスタ歩く。まるで我が城内の道とでも言いたげな歩調だ。
彼女には、私を隣に置くことで陽気さを倍加させる特性がある。香奈美がひとたび一人になれば、行動は消極的になるし、立ち振る舞いは小動物のようにヒソヒソとしたありさまとなってしまう。一人でファストフードの店にすら入れないというほどの女子だ。私は常に、キラキラした者達と行動を共にするようにしているが、依存しているか否かといった点で香奈美とは決定的差がある。
そんな彼女が、B組の入り口に仁王立ちし、「草太くーん!」と勇ましく叫ぶ。恥じらいや他人の目などを気にする様子はない。意図してはいないだろうが、結果として草太君を狙うライバル達を牽制しているようにも見えた。
「おう、どうした」
教室の中央から草太君がノタノタとやってくる。直前まで後ろの席の翔君と何やら話していたようであるが、翔君を引き連れてはきてくれない。
「連絡先交換するの忘れてたじゃん? ID教えて」
言葉で同意する変わりに、大袈裟な動きで草太君はポケットを弄った。
二人が連絡先を交換する様は、キラキラとした恋愛情緒溢るる効果音が鳴りそうな光景であった。しかし、そんな二人にうっとりしている暇は私にない。
翔君の元へ駆け寄り、チーズフォンデュ美味しかった? チーズほどの脂肪分は胸に付いていない私だけれども、食べてみる気はないかね? とまではいかずとも、昨日の話から徐々に連絡先の話題へと展開していくべきか。いくら推敲したところで、結局は「ID教えて」と芸も華も無い常套句を使うことは変わらないので、単刀直入に訊ねてやろう。そろそろ香奈美と草太君の青いやり取りもひと段落ついてしまう。
一歩B組に入ると、物の配置も造りもE組とさして変わりはないのに、知らぬ土地かのように感じられた。B組には安っぽい求愛メッセージを送り続けてくる猿や、E組に頻繁に出入りして私の近くではしゃぐ猿など、知った顔も多数ある。そんな彼らからの眼差しを受け流しながら、やっとのことで翔君の席まで近づいた。
「やあ、どうしたの」
席に座ったままで問う翔君。男前というよりは美しい顔立ちに嫉妬心すら覚えてしまう。流した前髪から覗くその眼球には、私を拒絶する様子は欠片もないように窺える。
「せっかく昨日話せたし、連絡先をとでも思って」
ああ、やはり間接的に訊ねられる文言を一晩練るべきだったと、話しながら自分の陳腐な発言を毒づく。私から連絡先を聞く必要なんて、これまでの人生で一度たりともなかったのだから仕方がない。
「いいよ」
その一言が、肯定的な意味か否定的な意味かは語感からも流れからも察することができず、余計に錯乱した。晩御飯は寿司にしようといった提案ならば、「いいよ」は肯定の意を示すことが多い。逆に、寿司でも買ってあげようか? と恩着せがましく言われたのであれば、それは拒否の意を現す。この場合ならばどちらだろうか。もう真意など分からない。私の自尊心はドンガラガッシャンと崩壊してしまいそうだ。
「あ、じゃあ私のID教えるね」
なかばやけくそに言い放ち、一方的にスマホの画面を見せつけた。拒否されてしまうくらいならば、肯定したと勝手に思って話を進めてしまえば彼も逃げられまい。
机の上に出しっぱなしのスマホに手を伸ばす翔君。その時点で私は勝利を確信し、踊り狂ってやろうかと思った。むしろ世界中が狂喜乱舞しているのではなかろうか。私を見守る香奈美はクラッカーを鳴らし、家で待つ祖母は赤飯を炊き、外野の猿共は「俺らには高嶺の花だったんだ、彼女には翔君が似合っている」と察してくれてもいいはずだ。
私のスマホがペペポと気の抜ける音を発し、画面を見ると翔君からスタンプが送られてくる。
「ありがとう。たまに連絡してみるね」
私は自制心を取り戻すために「たまに」の部分を強調した。世界が乱舞しようとも、私は常におしとやかでなければいけないのだ。さらに、私に惚れられている翔君の方が立場は上であるので、少しでも優位性を取り戻しておきたかった。
翔君が軽く微笑んだので、私も口角を上げてから出口へと向かう。その途中、先日IDを交換した可愛い少年風の猿と目が合った。何やらニヤニヤしているが、そんな嫌らしい目で見ないで頂きたい。これだから子供っぽい性格の奴は御免なのだ。一言何か言ってやろうかと思ったが、あまり見たくない顔も同時に視界に入る。それは朋勝君。不本意にも名前を覚えてしまうほど悪い意味で印象の強い容姿をしている。今も細い目をキョロキョロと動かしていて挙動不審だ。翔君で目の保養が出来たというのに台無しだ。私は翔君の方を振り向き、再度目を潤わせておいた。彼は既に手元の教科書に視線を落としている。
「おかえりー」
いつになく語尾を伸ばす香奈美に出迎えられ、さてはと勘づく。
「草太君とご飯食べるけど、一緒くる?」
「私はサッちゃんと食べるので。楽しんでおいで」
社交辞令を交わすことで、香奈美は友を気遣える女子を演じたのだろう。そのため、このように応えるのが自然だ。もし、これが私ではない誰か。例えば朋勝君に同様の質問をした場合、香奈美の社交辞令を本気だと勘違いし、ノコノコ付いていくことだろう。
大っぴらに愛を語り合う二人の隣で、大きなオニギリを大口で頬張る朋勝君。気を遣ってか時折、「朋勝君は行ったあそこのパスタ食べたことある? 貝のパスタも美味しいんだよ」なんて話題を香奈美が振る。そして彼は「貝のパスタってエスカルゴでしょ。ナメクジみたいなもんじゃないか。あ、香奈美氏ヌメッとしてる」なんて発言で凍える空間を創造してくれることだろう。
特段好きなわけではないが落ち着ける自分のクラスに戻り、さっちゃんとではなく一人で弁当箱を広げる。どうせなら空でも眺めてぼんやり食事をしたいのだ。少し気を落ち着かせる必要もある。
卵焼きとプチトマトを処理したところで、はたと後悔する。一人での昼食は久しく、これほど時間の経過が長く感じられるとは思いもしなかった。翔君にメッセージを送れと天から仰せられている気もするが、「たまに」と言ってしまったのはこちらであることを思い出し、さらに激しく悔やむこととなった。
◆
心舞い踊りし放課。未だ連絡をしていないとはいえ、翔君といつでも繋がれる状態でいるのだ。疲れて帰宅したあとに下着を脱ぎ払ったような気持ちの軽さ。ああ、今なら分かってやれる。私と連絡先を交換した猿共も、こういう気持ちだったのか。
放課後とはいえ、まだ成就もしていない恋愛にうつつを抜かすだけでここまで心躍らせていたら世話はない。本日は香奈美とデート先の下見で、街をウロチョロしているのである。そのため、ついつい隣にいるのが香奈美ではなく翔君なのではないかと脳が錯覚を起こし、心をフワフワとさせている次第だ。これでも能天気なことに変わりはない気もするが、それだけ追いかける恋をするのは私にとって珍しいということだ。
「あっ! ここの桶狭マカロンとか内装可愛くない?」
香奈美が独自の嗅覚で、女子らしい雰囲気の店を見つける。彼らとデートをすることになった場合、先導してくれるのはもちろん彼らであるだろう。ただ、道すがら「ここ行ってみたいから今度行こ」と可愛く言えることで、次の約束を自然と取り付けるたことも可能になる。そのためにも街を事前にリサーチしておくことは必須なのである。
その後も散策した結果、「やっぱしお腹へったからガパオライスっしょ」という香奈美の一声で幾分可愛らしさにかける食事にありついた。女同士、旨ければそれで良いのだ。
「それで、翔君とはどうなのさ」
香奈美は半熟卵をこれでもかと混ぜる。外的生物から食されぬよう、大切に大切に親鳥に暖められるはずの卵。まるで恨みでもあるかのようだ。おそらく彼女は、男子の前でこのような食べ方はしないはずだ。
「どうもこうもないよ。まだ向こうから連絡が来ないのだからさ」
私は半熟卵の丁度四分の一を綺麗にすくい、口へ運ぶ。
「何言ってんの? 男なんて、ガッとこっちから手を出してやれば、その後は勝手に引っ付いてくるんだって。それに、所詮男共は優位に立ちたいだけなんだから、手応えのない女と迂遠してまで純愛しようなんて思わないよ」
「いやいや香奈美よ。恋愛においては、若干の物足りなさを感じさせてやった方が相手を惹き付けるんだ」
「むしろ若干の物足りなさを感じて惹き付けられてんのはあんたじゃん」
私は皿の上の挽肉をスプーンで転がす。転がすことしかできないので、転がす。
香奈美の言う通りだ。かつてしてきた恋愛のように、主導できていない。
「こんなこともあるんだねえ」
牛だか豚だか知れたことではないが、この動物もズタズタにミンチにされた挙げ句、このか弱い女子高生にコロコロコロコロ弄ばれているとは思いもしなかっただろう。翔君が意図しているかは分からないが、私もコロコロと彼の手のひらで弄ばれている気分だ。
「あんた精神的に独り相撲してるね」
香奈美から見れば、私のそれは独り相撲なのか。私が翔君の手のひらへ自主的に飛び乗り、勝手にズンチャカ舞っているなんて考えたくもない。
「それなら、私からメッセージを送ってやろうじゃないか」
奮起した私はスマホの画面を叩いた。
興味津々といった顔をした香奈美が私のスマホを覗く。残念ながら、覗きたくなるような内容を打つつもりもない。はずみで好きな異性に思い切った内容を送りつけるのは、概して悪い結果しか生まない。それは連絡を受け取った側として私はよく知っている。
「やっぱり何だか奥手だなあ。絶対にズバッとビシッと質問なりお誘いなりするべきだって。そんな風に『今日も勉強ですか?』なんて聞いても華がないよ」
私が作った文章に華がないとは心外だが、自然と敬語になってしまったことからも、その感は否めない。
「それにさあ、そんなこと聞いたら『こいつ、僕の行動を探ってやがる』って思われちゃうって」
香奈美がこんな調子で非難し続けてくるので、送信ボタンをなかなか押下できない。それならばと、彼女に私のスマホを渡してやった。百戦錬磨のこの私が、抗弁垂れる彼女の文章を採点してやろうではないか。私は顎を上げることで、そこまで言うならお主が書いてみんかいという意を伝える。
綺麗に伸びた香奈美の爪が、カツカツと音を立てる。数秒後に出来上がった文面は、『香奈美とマカロン食べてるよ~』というものであった。
「なにが『食べてるよ~』だ。食べていないではないか」
「ウチと食事しているのは事実なんだから、そんくらいいいじゃん。可愛らしいし」
香奈美はレモンの入った水を飲み干した。
「どうせ、あのネチネチした丸っこいやつぐらいにしか思われないんだよ? 男子には」
私が口を閉じきる前に、香奈美はクワっと目を見開いた。
「何言ってんの? そんなのなんちゃって料理してますアピールしてる女子が作る程度のマカロンでしょ。分かってない。分かってないね」
香奈美の怒りを含む物言いは、なんだか私に向けられている気がしなくもないので、返しに困り「分かってないよね」と協調しておいた。
「分かってないのはあんただよ。翔君はパティスリーアオタの焼きマカロンもシャンディオクルネの店でも大福マカロンも食してる存在だよ」
「それは御見それするなあ」
そういえば、香奈美と翔君がそんな会話をしていたかもしれない。しかし所詮は、普通のマカロンを一通り食し、大判焼きの変則マカロンに手を出し始めた程度の段階。一周回ってピスタチオのマカロンにたどり着いた私達とは一光年ほどの距離が離れている。
「話が逸れたね。さっさとメッセージ送ってよ」
香奈美が私を急かすので、既に送信済みになった画面を見せてやった。
「げ、スタンプだけじゃん。それを許容する人と許容しない人の二極化すごくない? 博打したね。いや、『ばびゅーん』とか言ってる謎スタンプだし、だめじゃん」
甘いもの好きの男子には、とりわけ効く手段なのだと知見がある私にはニヤケが止まらない。
香奈美はまだまだ分かっていない。それもそうだ。彼女自身は甘いものを好んでいるが、好きな男子のタイプはその逆。数グラムの差でレシピを追い求める糖質の世界より、切り刻んだ肉の焦がし具合に興味のある男子。どこぞの珈琲屋でMacBookを弄る男子より、変顔をして笑わせてくる男子。そんな人達の接触方法から落とし方までは、彼女からの見聞が参考になる。
太ってはいないのに甘いものが好きで、例え並んででも流行りのカフェで優雅に過ごす男子との経験は、私の方が豊富だ。
そんな男子に共通する、あの特有な見た目がたまらなく好きなので、私の恋愛経験は少し偏っている。少し長めの髪で、ゆるめな服を着こなす人。私の元カレ達は決まってそんな外見だ。
ブルっと振動してから、私のスマホが音を立てた。
この恋は失敗も同然とでも言いたげな表情の香奈美と、余裕しゃくしゃくの私。目だけで牽制し合い、せーので画面を開く。
「あれ?」
「ほれみたことか!」
首を傾げる香奈美。意気揚々と胸を張る私。やはり、男なんてちょろいものだ。
翔君からの返信もスタンプだけではあったものの、『なにしているの?』と首を傾げるキリンのスタンプ。華のある会話に繋げられそうなものである。
「男ってよく分からないなあ。『ばびゅーん』の返事で、相手のことを気にしている含みのあるスタンプをくれるなんて。けれどこれで、『桶狭マカロンの近くでウロチョロしてる』って返せば、今日会う流れにできるかもね」
香奈美が言う通り、その常套手段に繋げられる流れではあるが、こうなればもう焦る必要もない。むしろ、焦った方が負けなのである。進展は次の休日にあれば十分だ。焦らして焦らして、私に会うだけで赤面よう精神を掌握してやる。私はスマホの画面を暗転させた。
「げ、既読つけて放置はないでしょ。しかもこっちから連絡したのに」
「香奈美よ。焦ることなかれ」
私はふんぞり返って水を啜る。翔君は知性的だが、決してその頭脳をふんだんに使う論理的なやりとりを求めてはいないはずだ。
スイーツが好きな翔君。必然的に女性との情報交換も多くなるだろう。様々な女性と連絡を取り合う経験があれば、意味も無いスタンプを送られることにも慣れているはずだ。気軽に受け止め、他愛ないやり取りをしてくれることが私には予想できたいた。
翔君への返事は打たぬまま店を出て、香奈美と自転車を並走させて帰路に就く。この辺りは、放課後の世界を謳歌する我が高校の生徒達で溢れている。
その光景を見て「私達の高校、スカートを短くし過ぎな人が大過ぎやしないかね」と私は呟いた。
「太ももが露であればあるほど、男の目に付くでしょ。クジャクの羽と一緒だよ。その分、チャラ男という害虫も多く集まっちゃうけど」
香奈美が若干声量を上げて言った。スカートが短すぎる女子達に、わざと聞こえるように言っているかのようだ。
「害虫の中に一匹のヘラクレスオオカブトも紛れる可能性だってあるのだから、間違った戦法ではないのでは?」
「じゃあ、なぜウチらもワカメちゃんのように短くしない?」
「スカートの丈が短すぎると、軽い女に見られそうな気がするからかな。清純そうな方が、良好な関係を築ける相手に巡り会えそうだし」
香奈美は軽く唸ってから「分かりにくいなあ。ちゃんとした人にちゃんとしているように見られたい。そういう意味なら同意だね」と返した。
彼女の言う通り、「しっかりした子だなあ」と男子には思われたいし、しっかりした子を求めている男子と一緒になりたい。そこを求めていない男子は、その人自身がしっかりしていない、ろくでなしの可能性が高いと私は考えるからだ。
遊び盛りの青春真っ只中とはいえ、どうせ付き合うなら長く続かせたい。仮にろくでなしと長く続いたとしても、その彼が社会人になったらどうなるだろうか。学校生活では運動が出来ていればカーストは自然と上がるが、社会に出れば運動なんてする機会もないはずだ。仕事が出来るか否かの単純な世界だろう。ろくでなしさんと付き合っていたら、好きな洋服も着れず、旅行にも行けず、窮屈な思いをする。そんなのはまっぴら御免だ。
帰宅した私は、すぐに自室へ駆け込み、制服のままベッドに腰を下ろす。そういえば数学の宿題が課されていた気もする。だが、手をつける必要はない。結局は他人のものを写せば済むだけの作業。今自力で取りかかることは愚の骨頂。効率も悪い。
私は、そろそろ翔君に返信をしてやろうとスマホを取り出した。
私達のやり取りは『なにしているの?』という翔君からの返事で止まったままだ。簡易な内容に、自己満足の長文を送りつけても鬱陶しく思われるだけなので『香奈美と遊んでた』と私も短く返す。
すぐに返事が届いたが、まずは制服から部屋着に着替える。そして漫画を片手にメッセージを打つ。その後も、翔君からの返事は恐ろしく早かった。私はその都度、数分の間隔を空けてから連絡を返すよう心がけた。本来であれば、もう少し焦らせたいところなのだが、何ぶん恋い焦がれているのは私の方であるので、なかなか我慢するのも難しい。
やり取りの内容はといえば、わざわざ口にするほどでもない些細なものであるが、口にするのも恥ずかしいような求愛メッセージのやり取りをする日も遠くはないはずだ。今はこれで良しとする。
しかし、私がたいしたことないと感じてしまう内容は、翔君からしてみても、さぞかし退屈かもしれない。少しくらい次に繋がる手を打つべきなのだろうか。
長考した末、『香奈美がまた皆でカフェ行きたいって言ってたよ』と送った。もちろん香奈美はそんなことを言っていないし、香奈美の気持ちを創作する断りも入れてはいない。ともあれ、事実に反してはいないはずであるし、わざわざ確認を取る必要もないことだ。彼らとお茶できる約束を取り付けられれば、彼女も飛んで喜ぶはずだ。そして私も嬉しいのだから、皆幸せだ。
もしかしたら、既に香奈美と草太君の関係は予想を超える育みを経ているかもしれぬが、それならば香奈美には気持ちの余裕もあるはずだ。これもまた、喜んで私に協力してくれるはずなのだから問題はない。
あれやこれやと香奈美への言い訳を幾通りも考えているうちに、翔君からの返事が届いた。『じゃあ明日、久米田珈琲ってとこに行ってみる? 人通りのないところにあって、静かだから集中できてお勧めだよ』文末にはニヤっとした絵文字まで付けてあった。
もちろん『了解したよ。楽しみだな』と返しはするが、こちらの意図が伝わっていない気がする。翔君はまたしても勉強をしようとしているのではなかろうか。でなければ集中できる環境を勧める道理がない。しかも、私が勉強なんぞに集中できるわけはないので、それは阻止しなければいけない。
私はカフェに行こうと提案したのであって、勉強のベの字も言っていない。外界ではカフェと勉強がイコールであることが常識なのであろうか。ましてや、静かなことが特徴のカフェでは、なおさら雑談しにくい。久米田珈琲の久米田という輩は、何をもって人通りの少ない立地でカフェなんぞを始めようと思い立ったのか。それでは閑古鳥がなくこと間違いなしだと、経営はおろか数学もろくにできない女子高生の私にだって分かる。久米田はそうとうな阿呆である。高校も中退に間違いない。
久米田へ怒りをぶつけたことで、多少なりとも冷静になってきた。
とりあえずはクラスも違う翔君と話せる機会を作れたのだ。多少なりとも前進していることは間違いない。私の美貌と内面的可愛らしさ、さらには香奈美の協力もあれば捕ったも同然の魚である。
再度携帯が鳴ったため、意気揚々とスマホを手にする。
しかしそれは翔君からではなく、情で連絡先を交換してやった男子からの連絡であった。確か翔君と同じクラスで、私の挙動をニヤニヤと窺っていたやつだ。
返してやる必要もないメッセージではあるが、より興味の無さを伝えてやりたかったので、『あら、そうですか』と送ってやった。相手からの文面は読みもしていないので、見当違いの返事になっているかもしれぬが、それはそれで構わない。私の温度感を彼にも伝えてあげねば、互いに無駄な労力を払うことになる。
私に関しては、好意がないことを出来うる限り伝えてあげるようにしている。一方で、君には興味がないという意図を男子側に伝えられない女子も多い。おそらく、意図してキープ状態にしているか、申し訳なくて言葉に表したくないかのどちらかが理由であろう。
私からすると、量産型サルを増やしたところで、粘着質な輩が増えていくだけで面倒だ。相手に失礼であるからなど、他にも正当な理由はいくらでもあるだろうが、余計な案件をいかに処理しておくかも、本命の相手に費やす時間を確保するうえで大切だ。
そのように上手くあしらった私の善意を無碍にするかのように、名前も分からぬ彼はすぐに既読を付け、瞬く間に返事を送ってきた。『陽子ちゃんじゃ翔は無理だと思うけどな』と淡白に綴られてある。
黙れ、と思ったままの言葉を返したいが、あまりに品が良くない。呼吸を整え、『なぜ?』と打ち込んだ。すぐに既読が付いたので、そのまま画面を凝視して待つこと数秒。『翔は追いかけられると離れてくタイプだもの。陽子ちゃんもそうだから分かるでしょう?』
うむ、分かる。名無しの彼に私の性格を読まれたのは気に喰わないが、ありがたき情報提供である。そうと分かればどうすべきであろうか。下心を感じさせぬ程度に近づき、こちらは君のことなんて異性として見ていませんのよといったような雰囲気を常に醸し出せば勝機は見えそうだ。しかし、その作戦が実るのはいつになるのだろうか。少なくとも夏休みまでの短期決戦では難しいだろうし、さらには夏休みを挟むことで距離も離れてしまう。
となれば、香奈美との同盟を存分に活かすしかない。悔しいことではあるが、香奈美の方が恋愛成就に向けて数歩先に進んでいる。
しかし私は、既に翔君との約束は取り付け済みであるうえ、そこには香奈美も同席する予定なのだから何も気に病む必要はない。やはり現状は順調そのものだ。この男子からの助言など、経験豊富な私にとって、マシンガンを持っているのに吹き矢を手渡されるようなものだ。
しかし、翔君を取り巻く環境は、私の人脈からでは伝わりきらないということが知れたとも言える。翔君は追えば離れていく人種だなんて、一度失敗しないと私には気づきようもないのだ。
翔君本人から聞き出せない情報は、何よりも強い武器になるかもしれない。草太君を経由し、香奈美から聞き出すことも不可能ではないが、それだけの衛生を中継しては事実と齟齬のある情報しか得られない。新鮮な状態の情報を収集をする術が、目の前に転がり落ちてきている。信憑性には欠けるが、どんな情報であれ、聞いておくのと聞いておかないのでは違いも大きいだろう。どの情報を取捨選択するかは私が考えればいいことだ。
それに、私が誰に好意を寄せているかも、この男子には悟られているのだ。迂遠に聞く必要もない。私が知りたいことだけを徹底的に聞き出してやればいい。
私はすくっとベッドから立ち上がり、『翔君の過去の恋愛経験とかも知ってるの?』と一方的な質問を送ってみた。
構えて返事を待ったにも関わらず『俺、電話とかメールとかでやり取りするの嫌いなんだよね。今度直接教えるよ』と露骨に私と会うきっかけを求めてきた。
こんな男子に頼ろうと思った自分が愚かであった。直接伺いを立ててやる暇があれば、翔君と直接やり取りをした方が数十倍も有益だ。
私は携帯をポイとベッドの上に投げ捨てた。
それにしてもこの男子、長続きする恋愛を経験できた試しがないだろうなと予測ができる。彼は少し可愛めのビジュアルだった覚えがある。年下相手にキャーキャーワーワー興奮するような女子からの需要が絶えないだろう。そんな一極集中型の需要に応えることが彼の生きる道であるのに、電話とメールが嫌いとは何事か。私ですら好きな人との連絡は一、二通だけでも毎日しておきたい。女子高生という枠の中では、比較的サッパリとした性格の私でもこうなのだ。より執着心が強いであろう年下好き女子の欲望を満たせるとは一切思えない。もしかしたら、交際相手に対しては従順になるタイプなのかもしれないが、あの顔は間違いなく、可愛い可愛いと言われ続け、自己中心な性格に育ったはずだ。特定の女子に従順になるとは思えない。後半は完全なる偏見であるが、私の偏見は概して当たる。多彩な男子からモテてきた自負から断言できる。
◆
「ちょっと陽子。ウチをダシに使ったね」
翌朝、登校するやいなや香奈美に声を荒げられた。はて、私は何かまずいことをしてしまったのだろうか。
しかし、彼女の表情を見ると口元が緩んでいるではないか。さては楽しんでいるに違いない。
「何がどうしたんだい、香奈美よ」
「草太君から連絡来たと思ったら、どの教科教えて欲しい? って聞かれて、何のことだと途方に暮れたよ。四人で会うのはいいけど、勉強ってどういう風の吹き回しさ」
どうやら、既に翔君から草太君に本日の予定が伝わり、果ては香奈美にも話がいったようだ。そしてその名目は、やはり勉強会になっているらしい。
「どういうことだろうね。私も困っているんだよ。どうしてこの私が好き好んで勉強をしなければいけないのか」
香奈美は察したようで「誘い方ミスったんだね」と微笑んで自席に戻っていった。どうやら勉強会に付き合ってくれるようではある。
何にせよ問題はない。勉強ではなく雑談する雰囲気にこちらがしてしまえばいいのだ。彼らに流れの主導権は一切渡さず、上手いことやればいい。静かで集中できる雰囲気であるらしい久米田のコンセプトなんか、土台から壊してやる。
本日はまだ登校したばかりであるが、放課後を今か今かと待つ。翔君へのメッセージは授業中に送るわけにもいかない。授業をほっぽりだして、私と過ごしてくれる男子はどこかにいないものか。
互いが暇なときのみ雑談でき、私に執着しない男子。探せばいるのであろうが、意中の男子をものにするより難しく、結局は徒労に終わりそうである。既に私の連絡先一覧にそんな男子がひっそりいて、さらには男子側の恋愛理論なんかも聞かせてもらえたりしないだろうか。さらに、翔君の情報も事細かに教えてくれれば御の字である。
相も変わらずの爽やかな空を仰ぎ、存在もしないそんな男子に思いを寄せる。そうすることで翔君への気持ちの昂りを抑え、大人しく放課後を待てる。
待ち合わせは校門前。彼らより先に着いてしまっては張り切っていることが察知されるかもしれない。余裕を見せるために、私達はゆったりとした歩調で教室を後にした。
「なぜ私は、放課後しか翔君と顔を合わすチャンスがないのだ。これでは互いに忙しい社会人の恋愛と変わらぬではないか」
「社会人になったら、週に一度会えれば良い方なんだよ。だから勉強を頑張って、大学に行って、恋愛を楽しめる期間を引き延ばしなって母さんからよく言われる」
そうなのか、確かに大学という学び舎は、別名「人生のぬるま湯」と聞いたこともある。遊んで遊んで遊び倒せる世界なのだろうか。翔君とそんな世界で生きられるのならば、少しくらい勉強してやってもよいかもしれない。
彼らは先に到着しており、草太君が「よお」と声を発した。無言の翔君。口を開かないからといって機嫌が悪いわけではないことは分かっている。澄ましているのだと思えば可愛いくも感じる。
道すがらの並びは、自然と香奈美と草太君、私と翔君になった。自転車に乗りながらでも、香奈美の声がキャッキャと聞こえる。私は翔君が何を口にするのか黙って待った。
「勉強、楽しくなったの?」
やはりその話になるのか。しかしそれも当然の成り行き。ならば合わせてやろうではないか。
「うん! 楽しくて夜更かししちゃった」と私は声を張った。カフェと勉強が同意語となっている翔君に対しては、こちらが勉強に対して前傾姿勢をとっておくのが定石であろう。
「そういえば、前に香奈美とマカロンの話をしていたよね? 好きなの?」
勉強に前向きな態度が定石とはいえ、話題を変えておかねば後が苦しくなる。スイーツの話にすり替えておいた方が無難だ。
「甘いものは何でも好きだよ。けれどパンケーキの店とかは一人じゃ入れないし、男同士だとなおさらだから、買って帰れるマカロンくらいしか選択肢がないんだ」
甘いものが好きな男子。最近はメディアでもクローズアップされるくらいではあるが、その実なかなか出会えるものではない。
最新のスイーツ店を紹介すれば、並んででも一緒に行ってくれるのだろうか。翔君は自分の好みを差し置いて、私が悩んでいる品を両方注文する。そして、二人でシェアする。そんな粋な男子とスイーツ店で休日を過ごしてみたいと兼ねてから私は思っていた。
または、二人でスイーツを作ろうと切り出し、一緒にキッチンに立ってみたい。感覚でグラムを調節しようとする彼に、私が「まだまだだね」なんて言ってキャッキャと手ほどきしてやりたい。
やりたいことはいくらでもあるが、まだそんな段階ではないことは当然わきまえている。追い過ぎることは禁物と知った今ならば尚更だ。その反面、スイーツ店に行きたいけれど行けないとぼやいている彼は、私と二人で行きたいと匂わせているともとれる。
結局のところ、翔君の内面を把握しきれていないため、最良の手を繰り出しにくい。当分は香奈美に上手く立ち回ってもらい、それとなく複数人で遊ぶことを企てていこう。
私はカフェまでの道のりを、お勧めのスイーツ店をプレゼンテーションすることで、勉強の話題に戻らないようにした。私の自分勝手な店紹介にも関わらず、翔君はウンウンと何度も頷いてくれ、時折笑顔を見せてくれる。なんと聞き上手なのであろう。つい余計なことまで口を滑らせてしまいそうだ。
久米田とやらが経営するカフェは深緑の外壁が印象的だった。看板や柵など、いたるところに木材が使用されており、暖かみも感じられる。一軒家をまるごとカフェに改装してある店内は、随所が死角となっており、他の客のことは気にならなかった。
「確かに集中できそうだね」
思わず私は声を漏らした。これではまるで、さあ勉強しようと言っているようなものだ。はたと口を押さえ、「どれも美味しそう。お勧めはある?」と翔君に訊ねた。
彼はメニュー表を指差し「これとこれとこれとこれ」と矢継ぎ早に指を動かした。
「沢山ありすぎだよ」
私は翔君の腕を軽く叩いた。しかし、彼はこういったじゃれ合いが嫌なのか、無表情でカフェラテを注文した。
「陽子はどれにするの?」
わざわざ香奈美が私に声をかけてくれる。おそらくは私の心中を察してフォローをしてくれたのだろう。さすがの香奈美である。
めげることはない。ボディタッチは二度としなければいいだけだ。私は平気である意を伝えるために彼女に目配せし、蜂蜜入りのカフェモカを注文する。
それぞれが注文の品を受け取り、どの席に座るか四人で店内を右往左往する。
「色んな席があって面白い。こういう所知ってるのはさすがだ」
別に先ほどのことを取り繕うわけではなく、純粋に感じたことを翔君に伝えた。
翔君は「まあね」と相も変わらず澄まして返すが、その表情は照れているように感じられた。誉められ慣れていないのだろうか。それならば私が、彼の隅々まで褒めちぎってやってもよい。しかし、学年中からキャーキャーワーワー騒がれている翔君なのだから、「すごい」だの「格好良い」だの陳腐な褒め言葉には慣れっこのはずだ。照れているのは別の理由だろうか。
窓際に空いていた四人掛けの席を見つけ、そこに腰を下ろす。さすがの彼らもすぐに勉強道具を出すわけではなく、飲み物を啜っている。この瞬間こそが彼らの隙だ。会話が楽しくて仕方がないと感じさせてやり、勉強のことは忘れてもらおう。人生のぬるま湯を目指すための努力は、また次の機会でも私は何ら困らない。
「こんな素敵なお店、他にも知っているの?」
久米田へ罵詈雑言を言い放った過去は気にせず、私は賛美を送る。昔のことを気にしない柔軟さも大事なのだ。
「素敵かは分からないけど、犬が放し飼いの雑貨屋とか、猫が沢山いるカレー屋とか最近見つけたよ」
「何それ! 動物好きなの? 戯れたりするの?」
「可愛いからね、それなりに」
翔君への気持ちはときめきを超えて尊敬すら覚えてきた。翔君が動物を好きかどうかというよりも、彼のような男子が動物と戯れていることに、どれほどの女子が惹き付けられるか。その効力は核やバイオテロの比ではない。甘い顔の男子が動物とじゃれ合い、少女漫画のヒロインはそれを見て胸を打つ。そんなストーリーが世の中に蔓延っていることからも効力実証されている。
そんな少女漫画あるあるを、さも当然かのように実践できている彼は末恐ろしい。自然と男子に好かれる言動を選んでしまう私と同種の人間であるようだ。お似合いカップルが誕生する日が現実に見えてきた。
さらに言えば、動物の話題になったら私達だって強い。香奈美とはペットショップや猫カフェにも頻繁に行く。話せる内容はいくらでも手札として持っている。
香奈美もここが掘り下げるべき話題だと察知したようで「草太君も動物がいるところとか行ったりするの?」と興味津々な表情で訊ねた。
「自分からは行かないな。動物飼ったこともないし」
これで、ペットに詳しい私達と、動物が好きな男子、あまり知らない男子の構図が出来た。こうなれば、翔君は肯定的に私達の話を聞き、草太君が疑問を挟み、再度私達が話を展開するというサイクルが生まれる。止まりようのない会話の渦を、私達は二人かがりでさらに加速させることが可能だ。
結果的に日が暮れるまで四人で談笑し続けた。私が両手を添えて可愛いく飲んでいたカフェモカも、とうになくなっている。
会話の枝がどこで分岐していったのかは覚えていないが、今は翔君と草太君が熱弁をふるっている。シュレディンガーの猫がどうのと、どうにも解釈が難しい話だが、口を開く彼らはご満悦といった表情であるし、私が「猫が死ぬなんて可哀想」と言えば彼らはハハと笑ってくれたので、私も満足だ。
そろそろ帰宅しようかといった空気が流れると「勉強しなかったけど大丈夫?」と翔君はわざわざ心配してくれた。
「なあに、大丈夫さ」
私は胸を張った。香奈美もそれに乗じて「おかげさまで、家でする習慣もついたしね」と言葉を被せた。
もちろん私の勉強が大丈夫なんてわけはないし、香奈美が家で勉強をする習慣をつけたものなら天と地がぐしゃぐしゃになる。こうして楽しく過ごせたのだから、彼らに心配をかけるのも野暮な話だ。強気に応えることは皆のためになるのだ。
人生のぬるま湯なんて、まだまだ訪れるのは先である。その前に夏休みがあり、夏祭りがあり、紅葉があり、イルミネーションが私達を灯すといったような行事がわんさかある。今は数年後のことを考える時期ではない。
「それなら安心。期待してるね」
翔君が帰り支度を始めながら呟いた。期待されても困るのだが、今のところ然したる問題はない。私は「ヘヘヘ」と頭を掻いて誤摩化しておいた。
四人でフラフラと自転車を漕ぎながら「猫を見に行きたくなったなあ」と私はこれ見よがしに呟く。これを言うだけなのに、背中に汗をかいてしまった。
「時間が合うときに猫カフェにでも行ってみようか」
翔君はそう返してくれたが、私は暖簾に腕押したような感覚でいっぱいになった。
日時を明確にしない相手は、社交辞令を言っているに過ぎないということを私は知っている。私自身、一度デートしてみた男子が想像以下でしかなかった場合、次を提案されても曖昧な日程しか言わない。それが三度続けば、大抵の男子は身を引いてくれる。それでもしつこい人は、付き合うべきではないという信号が点滅しているも同然なので、さらに距離を取るようにしている。
今の翔君の返答だけでは、一概にこの不の連鎖に繋がっているとは決めつけ難いが、攻め方はもっと工夫をするべきかもしれない。
「そうだねえ」
せがんだところで突き放される可能性が高いので、一歩引いておく。
草太君が最初に、翔君が次に、各々の家の道へ別れていった。二人とも去り際の言葉は「またね」であったため、次回の機会はなくはなさそうだ。
「無難に映画でも誘ってみるべきだろうか」
香奈美と辿る帰路なので、話題作り程度に私は言った。本当に映画に誘うつもりはない。そんな提案では、いかにもすぎて重く受け止められるかもしれない。捻りが足りなすぎる。
「誘い方にもよるんじゃない」
香奈美の言う通り、誘い方次第で相手は重い印象を受けないこともある。
「映画の無料券もらったんだけどさ――というのはどうだろうか?」
「それじゃあよくある誘い文句でしょ。それに、無料券なんてどこで手に入るのさ」
確かに、映画の無料券なんて代物は、漫画やドラマでしか見たことがない。ということは、一見ベタすぎる誘い方だが、思いのほか新鮮な印象を与えられるのではないだろうか。
「よし、無料券を手に入れよう」
「だからどこでさ」
「金券ショップとか、ネットオークションで探してみるよ。四枚買うから、二枚分負担してくれないだろうか」
「え?」
香奈美は目を白黒させた。やはり私の提案なのだから、私が四人分負担すべきなのだろうか。
「やはりお金は要らぬよ」
「いやいや、せっかくなら二人で行けばいいじゃん。それにウチは、草太君とそれなりに良い関係だし」
それなりとはどれほどの関係なのか根掘り葉掘り聞いてやりたいのも山々だが、それ以前にこの状況はまずい。まるで顔見知り程度の親戚だらけの部屋で、唯一味方だと確信していた両親が席を外したかのような感覚。そのなんとも堪え難い空気感に私は包まれた。
今度は私が目を白黒させていると「そんなに奥手だったっけ陽子は」と彼女は笑い飛ばしてくれた。最後まで味方でいてくれるようではある。
「奥手なわけではないが、奥手にならざるを得ない状況だと察してくれ」
「行くのはいいよ。無料券も、本当に手に入ったなら半分負担してあげる。どうせ草太君ならお返しに何かくれるだろうし」
私はよしと膝を叩き、強く自転車をこいだ。
「あとで連絡するね」
私は手を振り、彼女の帰路と別の道へ折れる。決して立ちこぎはせずに、自宅へ急いだ。
自室へ駆け込むや、私はスマホを取り出しオークションサイトやフリマアプリを覗く。驚くことに、流行っている『ラブラドールでラブ』の無料券が多数出回っているではないか。値段を十二分に吟味し、三枚ワンセットと一枚のチケットをすぐに競り落とした。
「なんだ。余裕ではないか」
どれほどの大仕事かと思いきや、ものの十数分で作業を終えられた。拍子抜けもいいとこだ。文明の利器には恐れ入る。出品者がすぐに発送すれば、次の週頭には確実に手元に届いているはずだ。彼らとの約束を取り付ける方が難航しそうである。
私はベッドに倒れ込み、誘い方を思案する。いくら考えたところで、誘い文句は「映画の無料券をもらっちゃって――」となってしまうのであろうが、どうせなら私の恋愛経験を活かした鋭い文句を考えたいところだ。
ネットで「デート 誘い方」といかにも奥手でキラキラしていない人が調べていそうなキーワードを検索する。私がこんなことをわざわざ調べるなんて思いもしなかった。
しかし、いくら画面をスクロールさせても参考になる情報は出てこない。所詮は私より格下の女達が書く記事なのだから、私が参考にできるものはないということか。
チケットが届くまで、しばらく時間はあるのだ。無理に捻り出したアイディアは、客観的に見ると恥ずかしい内容になりがちだ。ゆったりと考えた方が良い。
私は瞼を閉じ、翔君と自由な世界で付き合う妄想をした。
◆
テストが嫌だから学校をサボろう、冬は寒いから沖縄に住もう、うどんを食べたいから香川へ行こう。翔君と過ごすそんな日々の妄想をして数日が経った。いつのまにか土日は過ぎ、映画のチケットは届き、曜日はまたも金曜となった。もたつきすぎたかもしれない。
勉学に関しては、もたつことを諦めている私であるが、恋愛でノロノロとしているのは遺憾である。翔君を誘う文句は「映画って四人で観ると楽しそうだよね?」なんて彎曲させすぎた言葉しか思いついていない。
最近になって「奥手だねえ」と香奈美に言われ続けているが、このままでは本当に奥手のまま意中の相手を逃していく、オーラの無い女子と同列になってしまう。私ほどカーストが高い女子ならば、奥手になる必要もないはずなのだ。
しかし、奥手には奥手の理由があると今でははっきりと分かる。私はいつも誘われる側であり、誘った経験はさほどない。陳腐な誘い文句しか出ないのはそのためだと結論づけられる。
翔君とはこの数日間でも連絡のやり取りは怠っていない。その時に放送されていたバラエティ番組の内容であったり、人気のアーティストの新譜に関してであったり、実る話題はしていないが、良い関係を保ち続けている感はある。
今にして思えば、恋愛ドラマが放送されているときにメッセージを送り、ラブストーリーを好むのか訊ねてみれば良かったと思える。イエスと翔君が応えるのならば、自然に「ラブラドールでラブ」を観に行こうと打診できたのだ。
たらればを言っても始まらないが、たらればの展開を想像していないと正気は保ち続けられない。
既に金曜日はお昼休みも近づいており、映画自体がたらればの展開になりそうである。私は香奈美に泣きついた。
「さて、香奈美よ」
「どうした、陽子」
「チケットが四枚もあり武器は揃っているのだが、どこから攻めたものかと――」
「それなら、私が草太君に映画のチケット余っていると提案すれば、翔君も誘ってもらるね」
香奈美はキョトンとした顔で言った。
そうなのだ。私が翔君を誘うことと、香奈美に草太君を誘ってもらうことは同じ結果に至るのだから、最初から彼女に任せておけば良かったのだ。
「ありがとう香奈美よ」
私は財布からチケットを取り出し、香奈美に渡す。それを受け取る香奈美も財布を取り出し、率儀に「いくらだったの?」と訊ねてきた。
四枚ものチケットとそれらの送料で、私の財布は空に近い。しかし、約束を取り付けることまでしてくれる香奈美から代金の半分を頂くことは忍びない。
「いいよいいよ。それよりこのチケットは託したぞ」
「任しといて」
いかにも頼りになりそうな返事である。ここまで気持ちよく引き受けてくれると、彼女と草太君の限られた時間を、私のために使ってもらうことに申し訳なさすら感じてくる。
「本当は明日、二人でデートしたかったのではないのかい?」
私は香奈美の顔色を窺う。同盟以前に、私達は友達でもあるのだから、そこを忘れてはならない。
「草太君に告られるまでは別に大丈夫。焦って近づきすぎても、相手の器とか距離感掴めなくて、些細なことで冷めて終わるだけだし」
「ん?」
私が目配せをすると香奈美は頷き、さらに続けた。
「まずは距離感を保って、思い出を作りまくる。そうすると情もわくし、ちょっとやそっとの喧嘩で衝動的に別れることもなくなるんだよ」
「あれ? 前に言っていたことと違うのでは? 意中の男をものにするには、遠回りしてはよくない。ガッと相手の手を掴んで、自分の乳に持っていけば余裕だと言っていたではないか」
香奈美は「そこまでは言ってない」と吹き出した。
「でもそういう意味も含めてたでしょう?」
「それはあんたの解釈が度を過ぎているだけ。あの時は、気を惹くための手段として前衛的であれと言ったの。付き合い始めの頃は、近づきすぎることは厳禁だよ」
「私も香奈美も、まだ付き合ってないけれど――」
「秒読み段階だからいいんだよ」
香奈美はともかくとして、私も秒読み段階なのだろうか。確かに、香奈美に任せておけば、映画の約束は確実にセッティングされる。そして、私なら瞬時に翔君を落とせる。そして、無事に付き合える。立派な三段論法が完成した。確かに秒読み段階と言えるかもしれない。
「私の秒が刻まれるかは、香奈美にかかっているからね。よろしく頼むよ」
私は踵を返し、自席へ戻った。香奈美なら、映画に誘うこと自体は上手いことやってくれるであろう。
これで心置きなく妄想に耽ることも出来るが、着ていく服を考えておかねばならない。当日になって化粧に時間をかけすぎ、洋服も決まっていないとなれば遅刻は避けられない。翔君ほどに穏やかな人であれば、遅刻ぐらいは許容してくれるであろうが、映画は時刻が定められているため、遅れることは論外である。
丈が短めのワンピースで太ももを露出させるか、首回りが広く空いたTシャツで胸を露出させるか。
貧相な胸を露出させて翔君を気落ちさせても仕方がない。細くて美しい太ももを出す方が無難かもしれない。つけまつ毛も長めのものにし、カラコンも入れよう。これで、普段会う私とは違う印象を与えられ、ドキリとさせられること間違いなしだ。
映画の後はカフェにでも出向き、また愉快に談笑するのだ。
もし私達が大学生であれば、その後に一人暮らしの自宅へ皆を招き、たこ焼きパーティーなり酒盛りなりをしたいところだ。そして夜更けまで愛を語たることもできる。
翔君と付き合えば、そんな未来も数年後にやってくるのか。落ち着いた頃合いでもう一度勉強を教えてもらおう。もちろん、落ち着いた頃合いがくればの話であり、まだ自主的に勉強を始める必要はない。なので、次の授業も板書を写すのではなく、来たる大学生活はどんなものにしてやろうかと想像して過ごすとしよう。
私は帰りのHRでさえも、のんべんだらりと妄想に耽っていた。
パタパタと立ち上がり、帰宅し始めるクラスメイトの姿を見て「ようやく今日が終わったか」と私はさらに体の力を抜いた。
香奈美が私の名前を呼びながら近づいてくる。彼女は思っていることが表情に出やすい。今も口元が上がっている。四人で映画へ行くことは確定したなと悟ることが出来た。
「明日、十三時に映画館集合になったよ。ウチらはその前に落ち合ってランチしよ」
休日は予定があっても早起きできない私にとって、最適な時間設定だ。ここも香奈美の計らいであろうか。
「ランチね。行く行く」
私は反射するように返したが、財布が空になる寸前であることを忘れていた。こうなっては親にせびるしかあるまい。未来の夫を手中に収めるべく大枚叩いてチケットを購入したのだ。適切な投資による事象なので、親も喜んで私に追加の小遣いをくれるはずだ。
香奈美と帰宅しながら「明日何着てくるの」と牽制をしてみる。服装が被ったら個性もこだわりもない女なのかと思われてしまいそうだ。
「シャツにしようかな。男子ってシャツを着た女子が好きらしいし」
香奈美は目線を上にしながら応えた。まだ決めかねているのかもしれない。
「デートが決まると、あれこれ考えるのが至福だね。要は当日のことを妄想しているわけだし」
「ウチは妄想なんか楽しめないよ。服のコーディネートを考えたりするのも、相手の好みを外したらどうしようとか思うと、結局無難になっちゃうし、億劫なだけ」
意外と香奈美は思慮深いようだ。相手のことを考えすぎて疲労するタイプ。そうは言いつつも、草太君とは一歩上の世界に向かえているようなのだから、たいした疲弊はしないだろう。彼女からすれば、私を高みから見物していれば良いだけだ。
「じゃあ明日の昼にね。ランチは遅れてもいいけど映画には遅れないでね」
私も「じゃ」と手を振る。そこまで遅刻に釘を刺されると何だか本当に遅刻してしまいそうな気になる。
翔君達からすれば、香奈美の無料券で私を誘った体裁になっている。私が遅れれば香奈美の面汚しもいいとこだ。順調に関係を発展させている草太君からも不審に思われるだろう。
ランチはともかく、翔君達との集合は十三時だ。毎朝学校のために七時起きしているのだから二度寝三度寝を楽しんでもお釣りがくる。
◆
「パラパラパ」
けたたましくもどこか腑抜けた音調のアラームが鳴る。やかましいのですぐにアラームを止めベッドから這い出る。寒い時期でもないので、起き上がることも苦ではない。アラームで起床できたのだから時刻はまだ九時。休日に二度寝をしなかったのは久しぶりだ。
という夢を見た。なにがどうあって私の体内時計は狂ったのだろう。きっと香奈美に釘を刺されたことで、天の邪鬼の本能が牙を剥いたのかもしれない。
香奈美からの着信は十数件を超えているが、うっかりマナーモードのままで寝たので、気がつかなかった。
すぐに香奈美へ電話を折り返す。
「今何時?」
「それは電話をかける前に確認して」
それもそうだと眠気眼で置き時計を見る。時刻はまだ十二時だ。かろうじて映画には間に合いそうだ。
「ごめん、やはり映画館集合にさせてくれないだろうか」
「はいよ」
私は電話を切り、髪をとかす。香奈美のことだから、優雅にお茶をして待つのではなく、待ち合わせ場所でスマホを弄りながら待ちくたびれていることだろう。映画のチケット代は私が全額負担しておいてよかった。それが免罪符になってくれるはずだ。
遅刻間際とはいえ、見た目を疎かにするわけにはいかない。手早くも確実に化粧を施す。チークは厚めに塗った方が良いだろうか。悩んでいる暇はないが、悩まなければいけないことは多かった。服だけでも事前に決めておいたことが幸いだ。
セットした髪が崩れないように自転車で駅まで急ぐ。駅前の駐輪場はこういう時に限って、空いたスペースが見つからない。空いたスペースを見つけたはいいが、自転車の鍵が錆びており、なかなか施錠できずに苛立つ。
ホームへ駆け込むも、調度のタイミングで電車は発車した。スマホで時刻表を確認する。次の電車でも時間には間に合いそうだ。私は胸を撫で下ろし、ベンチに腰掛けた。
乱れないようにと気を遣った髪も、いささかうねっている。スマホのフロントカメラに写しながら綺麗になれと念じて髪を整えた。
おそらく映画館に到着するのは私が一番最後になるであろうが、香奈美ならば巧みにその場を盛り上げてくれるはずだから心配ない。万が一数分遅れたとしても、上手く取り繕ってくれるだろう。
次の電車が到着し、ホームに突風が起きる。「ああ、もう」と心の中で呟き、直したばかりの髪を再度整えた。
走って登場しては品がないため、悠然とした歩調で駅から映画館へ向かった。それでもかろうじて約束の一分前に到着することはできたのだが、案の定三人は既に到着している。香奈美から二ヤついた目線が注がれた。
「勉強のしすぎで夜更かししちゃったのかな」
彼女は意地悪く勉強の話に繋げてきた。
「間に合ったのだから、いいじゃないか」
「私達は皆十分前に着いてたんだけどね」
そう言われてしまっては、「ははあ」と頭を垂れるしかない。申し訳ない気持ちもあるが、彼女は私が慌てていたことを楽しんでいるだけだ。翔君の表情も、面白がっているように見える。弄られキャラが定着してしまうことだけは避けたいので弁解をしたいが、特に正当な理由もないので私は黙るしかできない。
「ラブラドールでラブって、ラブストーリー?」
草太君がエレベーターのボタンを押すと、すぐに扉が開いた。
「テレビCM観てないの? 犬が起点となって二人の距離が近づいていくラブストーリーで、全米が涙したらしいよ」
香奈美はエレベーターに乗り込んでも声の大きさを変えていない。そのため、他の乗客がクスクスと笑っている。香奈美はそれに気づき、「やば」と舌を出した。
それを見た翔君が口をほころばせるのを私は見逃さなかった。彼の笑いはこうやってとれるようだ。我が道をいく個性派っぽい振る舞いが、彼のツボに入りやすいのかもしれない。
エレベーターが開くと、ポップコーンの香りに包まれた。思わず「ポップコーン一緒に買お」と翔君を小突いてしまった。
「キャラメルなら一緒のでもいいよ」
「もちろん! 私もキャラメルが一番好き」
本当はバター醤油が私の好みなのであるが、私達は甘いもの共産党なのだから、ここでも貫くのが筋である。それに、同じポップコーンをシェアできれば、手と手が触れ合う機会も自ずと増えるはずだ。
チケットを引き換え、中央後ろ側で四席空いていた席に決める。
「飲み物も何かいる?」
翔君がポップコーン注文しながら言う。本当は飲み物もシェアしたいところだが、翔君は潔癖かもしれない。そもそもまだ付き合ってもいないのだから、飲み物のシェアは我慢するしかない。
無難にオレンジジュースを頼み、財布を取り出そうとすると、翔君に制された。
「映画代浮いたから払うよ」
親から追加の小遣いを貰えなかった私は、助かりますという本音を「ありがとう」という言葉に変えて発した。
席に腰を下ろすと丁度予告が始まった。香奈美と草太君はヒソヒソと何やら話している。私は予告の最中でも話し声は出さない主義であるため、じっとスクリーンを見つめる。
恐竜が人間世界で生きるアニメの予告が私の心を打った。なんとハートフルなアニメ映画だろうか。映画の後で、今度はこれを観にいかないかと持ちかけてみよう。次回であれば、さすがに二人で行こうと誘っても不自然ではないだろう。仮に四人で行きたいと翔君が申し出たならば、香奈美には当日風邪をひいてもらえばよい。
映画の最中は狙い通り、ポップコーンを掴んだ翔君の手と幾度か衝突できた。おまけに、映画がラブストーリーだったこともあり、ドキドキした余韻のままで映画館を出ることができた。
さて、くつろぎにカフェを目指そうか、カラオケで騒ごうか。何であろうと流れに身を任せて翔君との休日を満喫してやろうではないか。
彼が慣れた歩調で先導してくれる。「ラブラドール可愛かったから、あそこにしよう」と言ってから歩き出したので、何か関連した場所があるのだろう。
引き出しの多い男子は頼りがいがあるなあと私は浮かれていたため、道中話しかけてくれる香奈美の話題は耳を素通りした。
着いた先は一見普通のカフェ。しかし店内には、自由に闊歩するポメラニアンがいた。
「面白いでしょここ」
翔君が私の目を見る。もちろんという意を伝えるために私は大きく何度も頷いた。
「俺も初めて来たわ。翔は女子ウケしそうなところばっか知ってんな」
「バッティングセンターばっかり行ってる草太とは大違いだね」
香奈美は草太君におどけた口調でいう。呼び捨てで馴れ馴れしくしていることから、彼女達の関係は本当に進んでいるのだろう。
翔君もバッティングセンターを好むのだろうか。その白い腕から感じられる印象としては、油画や音楽といったアート方面を嗜んでいそうでもある。
席で飲み物を注文し、さあ今日も会話に華を咲かせようと心の中で私は意気込む。
「陽子ちゃん、けっこう遊んでそうだけど、期末試験は大丈夫なの?」
あらぬ心配をかけられてしまった。それもそうだ。平日もテレビの話題などで連絡をとり、勉強する素振りすら見せていなかったのだから、そう思われて当然だ。
「授業をきちんと聞いていればなんとかなるでしょう」
そうは返してみたが、それでは遅れていた分を取り戻せない。そのため、なんとかなるわけがない。そもそも授業もきちんと聞いてはいない。
私達の足下をうろつくポメラニアンはボーっとしていても皆から愛されて羨ましいものだ。私は猫派なので、どうせなら猫になってしまいたい。毎日のように日光浴を楽しみ、妄想の世界へいざなわれる。そんなことをしていても誰からも心配されないようになりたい。
急にヒト科の私がネコ科に変身できるわけもないので、嫉妬混じりの溜め息が出た。
「翔君が陽子の面倒見てあげればいいじゃん」
香奈美がすかさずフォローを入れてくれる。翔君の顔がほころんだ。
彼は私に嫌がらせで勉強の話題を振っていたわけではなく、もしかしたら同じ大学に行きたいがために、そう言ってくれたのかもしれない。猫になりたいなんぞと心でぼやいて大変申し訳ない限りだ。
「授業をちゃんと聞いているっていうなら、安心だから別にいいんだよ。僕も家では洋画とか洋楽聴いてるだけで、ダラダラしているし」
「へー。どういうのが好み?」
一旦は勉強から話を逸らしておく。「別にいい」と言われてなお、勉強の教えを乞うほど私は愚かではない。
翔君は好きな洋楽をあれやこれやと教えてくれる。知識がない私は、それが曲名なのか
歌手名なのかも分からない。適当なタイミングでで「私もそれ好き」と同調しておいた。
好きな洋画に関しては、「タランティーノとかスピルバーグ」と監督の名前で言われたため、どういう作品があったか私の脳では紐付けが困難であった。普通の女子は作品名と監督名をセットで覚えているのだろうか。分からないので「人物の心理描写が上手いよね。私も好きだよ」と大概には的中しそうな返しをしておく。
返答のボキャブラリーが尽きかけ、私の相槌が止まると、代わりに香奈美が洋画の話に受け応えしてくれた。さすがの香奈美、意外と知見が広いようだ。
私は知識の底を感じさせないよう、ポメラニアンを抱っこし、一人戯れた。
香奈美と草太君のやり取りが早くも熟年夫婦の域に達していることに私達は笑い合っていた。気がつけば映画より長い時間をカフェで過ごしている。楽しい時間はどうしてこうも早いのだろうか。それについて翔君に一石投じれば、アインシュタインがどうのと博識を披露してもらえそうであるが、それは今度の楽しみにとっておこう。
会計を済ませて外へ出ると日は沈みかけており、代わりにネオンが煌煌と街を照らし始めていた。この辺りは夜でも明るいとはいえ、繁華街である。翔君とは正反対のいかついお兄さん達もウロチョロしている。翔君となら少し危ないことをしてみたい気もするが、彼に何かをねだるなど、追いかける仕草は見せてはいけない。多少の寂しさや物足りなさを彼にも感じさせてやれば、私に需要を感じてくれるはずなのだ。
彼らとは路線が違うため、改札で手を振り解散した。
「あんた、やっぱり奥手すぎじゃない?」
「違うよ。あえて一歩引いているだけだよ」
私は手を横に大きく振ってみせた。
「一歩引くのは手段の一つだけど、それでできる策って少ないでしょ。前に、もっと積極的にしろってアドバイスした結果、今日遊ぶところまでこぎ着けられたじゃん。やっぱもっと攻めないと」
香奈美は私にじれったさを覚えたのか、声のトーンが高く厳しめな物言いをしている。
「はて、前回聞いたのは、焦って近づきすぎても駄目であると――」
「どんなことでも展開によって最前手は変わるでしょ」
確かに、人間関係は柔軟さこそが大事であると理解はしている。
「ふむ。映画を観にこれたという結果を考えると、積極性も大事かもしれない」
「今日だって、次回の約束を取り付けられるチャンスがいくつも転がっていたのに、それをあんたは無碍にして」
思い起こせば、チャンスは覚えているだけで三度はあったような気もする。
「では、もう少しだけ積極的になろうかな」
「少しじゃなくて、もっとね。翔君の好きなものとか調べておいて、ガッと懐に入り込みなさい」
香奈美と私の恋愛における知識量は、その方向性は違えどさほど差はないはずであり、質も均衡しているはずだ。それにも関わらず私は彼女の助けばかり借り、指南までされている。私の恋愛におけるプライドは音を立てて崩れた。もちろん、女子に対する恋愛のプライドと、男子に対するプライドは全く別なのだが、香奈美に先を越されたままでは自分の生き方として納得がいかなくなる。
遅れをとっているのは事実なので、尋常ならざる手を使うぐらいの気持ちで攻めていかねばならない。
「香奈美よ、今まで本当に世話になった。今までの恋愛から積み上がった慢心は、たった今捨てた。安心して来週からの私を見ていてはくれないか」
「見てるだけでいいなら、見てるだけにするよ」
香奈美は半笑いだが、私は真面目である。香奈美の助けはもう必要とせず、私の可愛い見た目と性格で、即刻翔君を捕まえてみせようではないか。
勉強のことで奮起しても、数分後には奮起したことすら忘れてしまう私であるが、女の生きる道である恋愛ならば、いくらでも頑張れる。私は強い歩調で電車を降り、徐々に足音強くして自宅へ戻った。
お気に入りのワンピースを即脱ぎ捨て、どこから攻めようかと思い倦ねる。
さすがにこれほど存分に翔君と話をしたのだから、彼の牙城を切り崩せるだけの攻め方はいくらでも思いつく。これで上手くいかないようなら、香奈美にも大好きな太陽にも顔向けできたものではない。
まずはスマホを取り出し、洋楽を片っ端からダウンロードした。翔君が教えてくれた曲をこっそりメモしていればよかったと悔やむが、今さら悔やんでも仕方のないことだ。私でも知っている有名所を、改めてAメロから聴く。同時に、ネットでアーティストの情報を調べた。
漫画好きにドラえもんが好きと言えば、藤子さんはいいよねと返してくれるように、大概の物好きは一周回って有名所にも好感を持っているはずだ。
私は日付が回ったことも気にせず洋楽に聴きいった。英語の歌詞は口ずさむのも難しいが、カタカナに直してくれている親切な人もネットの世界にはいたため、ワンフレーズ歌えるようになるくらいは容易い。
気がつくと早朝になっていた。珍しく眠気を感じていない。このまま日曜も有効に使ってしまおうとリビングに降り、家族共用のパソコンを立ち上げた。契約している映画配信サイトで、タランティーノやらスピルバーグの映画をむさぼった。
そういえば食事も全然していないが、そこまでの空腹感はない。ウエストをさらに細められる機会でもあるので、私はパソコンの画面に食いつき続けた。
映画を一本観終わっては、マニアックなレビューサイトで熱心なファンの視点を学ぶ。
一度も睡魔に襲われなかったことで、とても集中して翔君好みのものをインプットできた。勉学もこれほど集中してやれたのならば、翔君の私を見る目も幾分変わるだろうが、好きなことでなければ努力できない性格なのだからどうしようもない。
そろそろ日曜も終わろうとしている。家族は私が血相を変えて映画を観る姿に訝しんだのだろうか。声は一度もかけられず、食卓には夕食がラップをされた状態で並べてあった。
「さすがに疲れたな」
皿をレンジに放り込み、温まるのを待つ間に水道水をグビグビと飲む。
明日からが勝負なのだから、睡眠も必要だ。食事は手早く済ませ、風呂に浸かる。小顔マッサージだけは入念に行い、決戦へ向けてベッドに急いだ。
いつも眠る寸前に行う妄想は、出来そうにもない。これだけクタクタになったのはいつぶりだろうか。
◆
つい寝過ごしてしまった。しかし、昨日あれだけ知識を詰め込んだのだから当たり前であるし、悪い気ははしていない。急げば始業にまだ間に合う。
「はて。ああ、そうであった」
私は玄関先で自転車がないことに異様さを覚えたが、すぐに納得した。土曜の帰り、奮起した私は自転車に乗ることも忘れてズンズカ歩いて帰宅したのであった。それから一度も外出しなかったため、愛車が家にないことさえ気がつかなかった。
駅と学校は逆方向。自転車がなければ遅刻を免れることは不可避であるが、駅まで自転車を取りに行っても遅刻は避けれない。
さい先思いやられるが、遅刻が確定した際の空気は逆に心地良く感じられた。私は穏やかな風を浴びて学校へ歩いて向かった。
改めて通学路を歩くと、野良猫を何度か見かけた。あくびをして日向ぼっこをする猫、向かいたい方向になんとなく進んでいる猫。自由そのものである。
私が翔君と自由へ羽ばたく日も近い気がする。
イヤホンを耳に掛け、洋楽のプレイリストをシャッフルさせた。
誰もいない校門を通り、校舎の壁際を歩いて昇降口を目指す。靴を履き替えるまでに教師陣に見つからなければ、こちらの勝ちな気がする。気配を消しつつもゆったりした歩調で歩く私は、さながら猫のようだ。
本日は休校なのではと心配になるほど静かな階段を登り、E組に入室する。生徒全員からの視線は、優越感すら与えてくれた。香奈美が口を開きかけたように見えた。私をおちょくろうとしたのだろう。しかし、私のご満悦さが伝わったようで、彼女はすぐに教室の前方へ向き直った。
たまには存分に遅れてくるのも悪くないものだ。私の学校は、九時まで自席で自習することになっている。わりと全員が勉強熱心ということもあり、私語もない。そのため教師陣は、見張り番も出さずに職員室で会議をしている。それにより私は、心置きなく空を眺めることに時間を使える。愛車が自宅になかったことに一時は意気消沈しかけたが、気分は好調を維持できている。
このままの調子なら、明るい女子として翔君の好感を得ること間違いなしだ。
彼と接するには昼休みまで待たねばならない。お昼になってから動いては先約をとられるかもしれないので『お昼は草太君と食べるの?』とメッセージを送った。
自習時間の終わりを告げる鐘が鳴ると、『そうだけど、どうしたの?』と返事がきた。『一緒にご飯でも食べよう』彼に気があることがバレるのを承知で送った。このようなメッセージを送るのは、以前であれば絶対にしなかっただろう。だが、本日の私は調子が良い。何をしても好手に転じる予感がして強気になれた。
どうせだったらお弁当を作ってきた方が好感を持たれるであろうし、誘う口実にもなりやすい。だが私は料理における才能に恵まれていないため、純然たる可愛さで勝負するしかない。母親に二人分の弁当を依頼し、私が作ったかのように偽ることも可能だが、そういった嘘で中学の頃に痛い目をみている。
メッセージが届くまでは、秒を重ねる毎に脈が早くなるのを感じた。
誰かと付き合っている際には「ああ、片思いのとき特有の、ドキドキをまたしたいなあ」と辛さも忘れてそんな言葉を漏らしたりもしていた。それでも、現実に鼓動が暴れだすと「早く状況が落ち着けばいいのに」と思ってしまう。
寒い季節が好きと真夏日に愚痴り、暑い季節になると逆のことを言い出す子供とさして変わらない自分は、なんて純粋なのだろう。そんなことを考えていると『いいよ。第二音楽室に集合ね』とスマホに写し出されていた。
同時に始業ベルが鳴り、倫理教師が入室してきた。倫理感が備わっている私だからこそ、翔君からお昼の誘いを承諾されたのだ。この授業はもう私に不必要でしかない。
私は起立、礼、着席の号令が終わるとすぐに窓に目を向けた。昼休みまで妄想の世界で凌げば、甘い現実が待っている。
四現目が終わる数分前から、私は教室前方の掛け時計を凝視していた。秒針が一秒ずつ進むのをしっかり目で追う。世界を統べる何者かの気まぐれで時間を戻されたら、発狂どころの騒ぎではない。
「起立、礼」と授業終わりの号令が終わらぬうちに、私は弁当袋を片手に教室のドアへと歩き始めた。
「お昼食べてくるね」
歩みは止めずに香奈美に声を掛けておく。彼女は「誰と?」なんて野暮なことを言わず「楽しんでおいで」とだけ発した。
翔君のいるB組を通って第二音楽室へ行くべきか悩んだが、現地で会えた方が密会のようで大人っぽい。私は少し遠回りして向かった。
特別教室が並ぶ四階は、昼休みの喧噪が感じられず、歩いていて心地が良かった。こんな場所も知っている翔君には感心できる。意気揚々と第二音楽室のドアに手を掛け、そっと中を覗き込む。
しかしバッハやモーツァルトの顔が並んでいるだけで、あの美男子の顔が見えない。
「はて、第一音楽室と勘違いしただろうか」
私は前を向いたまま一歩後ろに下がる。すると、トンと背中に触れるものがあった。
「ここ、静かでいいでしょ」
翔君が私の背後に立っていた。こちらをドキりとさせる登場の仕方が憎らしい。私だけにこういったことをするのか、どの女子にも平等にそうするのかは分からない。いずれにしても、彼は私以上に異性を惹き付けるだろう。
「四階だから見晴らしもいいし、気に入ったよ」
窓からの景色は、校庭の向こう側に住宅地が広がっているだけなので、視界を遮るものは何もない。
私達は一つの机に向かい合って座り、昼食を並べた。
翔君は菓子パンを二つ持参しただけであった。それしか食べなくて大丈夫なのかと心配したくなる。だからこそ彼は線の細い体型なのだろう。
「午後の授業は何?」
翔君はパンを小さく齧りながらこちらを窺う。自然と上目遣いになっている彼の目はとても可愛らしい。
「体育だよ。苦手なんだよなあ」
そんな当たり障りのないやり取りが続いた。当たり障りがないと言ってしまえばそれまでであるが、平穏に流れる空気感はゆったりとしていて居心地良い。
そんな空気に流されてか、私は弁当箱を占拠する唐揚げを箸で摘み、彼の口元へ持っていってやった。彼が口を開いて私の箸から唐揚げを引き抜いていく。
彼の懐に入り込むことが認められた気がした。恥じらいなく美味しそうに頬張る彼の表情を見ているのは私だけ。彼を独占したという充実感を得られた。
倫理の授業が終わる間際は、十秒が永久に感じられさえしたはずなのに、気づけばもう昼休みも終わりそうだ。
「次の休みにさ、CDショップに行くの付き合ってくれないかな?」
「何か欲しいものがあるの?」
「今朝、マイケルの曲を聴いて登校したら、とても調子が良くてね。自転車が家に見当たらなくて気落ちしたのも吹っ飛んだんだよ。だから、もっと翔君にお勧めを教えてもらいたいのだ」
「任せて」
翔君の大きな黒目が右上に逸れる。何を勧めるのか考えてくれているのだろう。
「他にも映画のサントラとか欲しいな。スピルバーグの映画を昨日観ていたのだけれど、BGMの迫力が凄くて感情移入してしまったの」
「ああ、彼の作品は映像ばかりが話題になるけれど、BGMも負けてないから凄いよね」
翔君は私に感心するかのように頷いた。すかさず、「ジョン・ウィリアムズって凄いよね」と私は返す。
「陽子ちゃん、その辺も詳しいんだね。周りに作曲家まで知っている人いなくてさ。こういう話できるの陽子ちゃんぐらいだよ」
一夜漬けの知識でも、充分に効果はあるようだ。私の存在価値が翔君の中で芽生えてくれたのならば、努力したかいがあったというものだ。
話が盛り上がってきたところで、昼休みの終わりを告げる予鈴が無慈悲にも流れた。_
「それでは、また土曜日に」
「了解」
机や椅子を整頓し、過ごした形跡を綺麗に消す。第二音楽室を出ると、私達は別々の方向から自分の教室に向かった。
私達が音楽室で過ごしたことは誰も知らないし、その中で交わされていた会話も知らない。そういうのも何だか素敵だ。
E組に戻ると香奈美が「どうでしたか?」と仰々しく訊ねてくる。誰も知らない密会の余韻に浸っていたのに、台無しだ。彼女に隠れて翔君との関係を進展させ、後に驚かせるのも面白いかもしれない。
「内緒」
せめて翔君の口元に箸を運んであげた行為などは、私達だけの秘密にしておきたい。
おそらくは翔君も、草太君から同様のことを聞かれているかもしれない。彼も私のように秘密にしてくれていると嬉しいものだ。どうせなら、翔君と秘密保持契約を結んでおけばよかった。そうすれば、二人だけの内緒事が誕生し、付き合い立てのカップルさながらの関係になれたのだ。実に勿体ないことをした。
何はともあれ、土曜もまた二人で会うことができる。CDショップに行くのだから、私からも何かお勧めできる作品を見つけておくべきだろうか。いや、教えを乞う立場の方が翔君も私を扱いやすいはずだ。彼が既に知っている曲ならまだしも、嫌いな曲を私に押しつけられた場合、気を使わせることになる。自分が昨晩記憶した知識が長期記憶として定着されるように復習だけしている方が安牌だ。
休日に二人で遊ぶ約束を取り付けたのだから、当日まで頭を悩ませることは何もない。翔君が気分屋で、ドタキャンをする人種ではない限り、彼のモチベーションを保たせるやり取りをする必要もない。
今日は家でぐうたら過ごそう。放課後、いつものように香奈美と駄弁することなく昇降口へ向かった。靴を履き替え、習慣で駐輪場へ足を向けた。
そうだ、自転車が無いのだから、香奈美に乗せてもらうべきだった。今からでも頼むことは可能だが、草太君と密会している最中であれば迷惑をかけてしまうことになる。何か彼女の様子を窺う手段はないものか。
「あれ、陽子ちゃん」
私が駐輪場で立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。このところ、この声を聞いたら彼の顔が自然と思い浮かぶようになってきた。
「あら翔君。一人?」
「うん、草太が用事あるらしくて」
なるほど、やはり香奈美は草太君と会っている可能性が大きいようだ。それでは彼女の自転車に乗せてもらうことは無理だ。だからといって、今の私に一人で歩いて帰るという選択肢は一片たりともない。
私は無言で微笑んで見せた。
「そういえば、今日は自転車ないって言ってたね。送っていこうか?」
「助かります」
少しあざとすぎたかなと思い直し、嬉しさや喜びが伝わらぬように私は返した。
翔君の自転車の荷台にまたがる。腰に手をかけるのは、まだはばかられる。自転車がゆっくりと前進し始めた。
それにしても、自転車を駅に忘れるなんて間抜けなことをしておいて本当に幸運だ。人生、何が好機に繋がるか分からないものである。
私の目の前には、翔君の暖かそうな背中がある。自転車が揺れる度、抱きつきたい衝動に駆られてしまい、どんな話題を振るべきか頭が回らない。
「草太君は香奈美と会っているのかな」
私は翔君の耳元に向けて声を出した。困った時の話題は、共通の友人の話をしておくのが無難であるし、盛り上がる。
「そうだと思うよ。最近は頻繁に会ってるみたいだし」
「草太君のファンが香奈美の寝首をかかないか心配だよ」
翔君が含み笑いをしたのが、肩の動きで伝わってくる。
「草太にファンなんているのか」
「いるでしょう。よく翔君と草太君が素敵であると、噂話をしている女子を見かけるもの」
「僕にはなおさらファンなんていないと思うけどな。仲良くしてくれる女子は何人かいるけど」
仲良くしてくる女子こそが、翔君のファンであることは間違いない。彼は謙遜をしているのだろうし、深く突っ込んでも気を悪くしてしまうかもしれない。私は口を閉じた。
翔君に駅まで乗せてもらったが、十数分の道のりでは何か物足りない。その分、土曜は何時間も彼を独占できるのだから、それまでは我慢しよう。
私はスカートがめくれてしまわぬように気を配って荷台から降りる。
「最近は色々親切にしてくれてありがとう。今度何かしらのお礼をするね」
「いいよいいよ。それより、またうっかり自転車を忘れないようにね」
翔君はそう言い残し、物足りなさなど感じさせないように去っていく。
私にはそのように映ったのだが、本当のところは彼にしか分からない。よくよく考えれば、彼は普通に自転車を漕いで私から遠ざかっていくだけに過ぎない光景。
私が寂しさを強く感じているだけだ。だから、つい考えすぎてしまう。まずは自転車に乗せても貰えたことを深く噛みしめよう。
むしろ考えるべきは、この自転車を忘れたといううっかりを、再度故意に行った場合に関してだ。喜んで後ろに乗せてくれるか、阿呆な女だと失望させてしまうか。阿呆の要素が上手く天然という言葉で捉えてもらえるのならば、阿呆のままでいい。しかしバランスが難しい。
ともあれ、本日うっかりを見せてしまったのだから、しばらくは気品ある姿を見せるよう心がけ、「意外としっかりしているね」と言ってもらえるように努めよう。
私は数日もの間放置してしまっていた愛車のペダルを軽快に踏んだ。
続きは翌週までに投稿する予定です。




